2010年12月30日木曜日

日系部隊への鎮魂

民放のドラマやバラエティ番組は見ないことにしている。
あの雛壇みたいなところにバカ面をさらしている〝芸ノー人〟
とか、タレントと呼ばれる軽薄才子を見ていると頭が痛くなる。

あんなアホ番組を10年20年と倦かずに作り続け、
公共電波上に垂れ流してきたテレビ局の罪科は、
いったいいつになったら問われるのだろう。

作るほうも作るほうなら、見るほうも見るほうで、
あれらのバカ番組が日本人の民度と品位をどれほど
おとしめてきたことか。

新宿の映画館で『442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍』
というドキュメンタリーを観た。第二次世界大戦中、日系二世たちは
父祖の祖国である日本のためではなく、その敵国であるアメリカの
ために戦った。

日米開戦以降、日系人は〝適性国民〟とされ、強制収容所に追われた。
激しい差別と財産の没収。しかし二世たちは「祖国アメリカ」に忠誠を示すため、
ヨーロッパの激戦地でめざましい戦果をあげる。
おびただしい数の死と激しい心の葛藤――僕は涙がとまらなかった。

欧州戦線で右腕を失ったダニエル・イノウエ米上院議員(国防小委員長)は、
「必要に応じて報復する態勢が整っていることを知れば、
相手は軽挙妄動することはない」と、軍備増強の大切さを説く。

外交の場では、一歩譲れば、相手は二歩三歩と踏み込んでくる。
東シナ海を「友愛の海にしましょう」などと唱える甘ちゃんなど、
老獪中国にとってはカモがネギを背負ってきたようなものだ。

その後の外交上の失点は、すべて鳩山が蒔いたタネだ。
あの焦点の定まらぬ虚ろな目をした軽薄男は、
ほとんど国賊と云っていいだろう。

古武士のような日本人は、バカ番組隆盛の日本では
とっくに払底してしまったが、アメリカや南米ブラジルの地で
かろうじて命脈を保っている。北方四島まで危うくなった今もなお、
〝♪ええじゃないか、ええじゃないか〟と浮かれ狂う本家本元のニッポン人。
ほんとに情けない国になってしまった――。

2010年12月26日日曜日

年貢も納めどき?

今年もいろんなことがあった。
良いことばかりではなかった。
むしろ良いことは少なかったような気もする。

でも家族みんなが病気やケガをせず、
ぶじに過ごしてくれたことが何より嬉しい。

今年は外国人の出入りが激しい年でもあった。
来年の正月明けには上海生まれの中国人留学生(female)
を預かる予定だ。

台湾系のドイツ人留学生が泊まったときには、
さんざん大陸の中国人の悪口を言っていた。
寮にしろアパートにしろ、彼女らとルームシェアする
なんて考えられない、とまで言っていた。

尖閣諸島沖の問題やレアメタルの問題。
近年、中国がいくぶん横暴さを増してきたというのは、
近隣諸国が等しく思うところで、日本人だけが中国嫌い、
というわけではないのだろうけど、中国人留学生にとっては、
なにかとつらい年であったにちがいない。

僕も中国嫌い(共産党独裁政権がきらいなのです)の急先鋒だから、
つい中国人に対しても辛口になってしまうのだけれど、
お預かりする以上、気持ちよく過ごしてもらいたいので、
変にナショナリスティックな思いは封印しておくつもりだ。

だからテレビで中国関連の不都合なニュースが流れたら、
ブラックアウトみたいに画面をバッと消す(中国当局はよくやる)、
な~んて、はしたないことはやらない(と思う)。

まあ、それにしても、異人さんたちが出たり入ったりするというのは、
なかなか面白いものだ。どの子にも「お父さん、お母さん」
と呼ばせているので、自分たちの娘が一挙に増えたような気がする。

今日は泳ぎ納めと投げ納め(キャッチボール)の日でもあった。
来年も元気で過ごせますように。

2010年12月22日水曜日

Don't disturb!

電車内でものを食べる人間が増えている。
昨日も常磐線内で、若い娘さんがコンビニのおにぎりを
無心に頬ばっていた。隣のおじさんやおばさんは、
何か言いたげなそぶりだったけど、
あまりにあっけらかんと食べていたので、
気後れしたのか、結局何も言わずじまいだった。

うんうん、その気持ちわかるなァ。
言いたいのだけれど、言わないでおこう、という気持ち。
恥ずかしいとかそういうのではなくて、云っても、たぶんムダだろう、
というあきらめに似た気持ち。話がてんで通じないや、という
のれんに腕押しみたいな虚しい気持ち……。

以前、出張で能登へ行ったとき、車内でマグロの刺身を食べ始めた
女子高生がいた。学校帰りにコンビニで買ったのだろう、
友だちといっしょにパックを開き、しょう油とワサビをつけて
うまそうに食べている。これまたあっけらかーんとしていて、
自分がいかに不釣り合いな行為に及んでいるか、まるで気づいていない。

そもそも車内で化粧をする車内メイカーと同じく、
化粧や刺身を食う行為がひどく常識に外れた行為で、
どれほど周囲のひんしゅくを買っているか、
まるで気づいていないのだから、むしろそっちのほうに驚いてしまう。

彼ら彼女らにとっては、車内はプライベートな化粧室であり、
食堂であり、時には寝室となる。つまり形こそ違うが、
他者の存在を受け入れようとしない意味において、
これらの行為は立派な「ひきこもり」だ。
おそらく同じ穴のムジナなのだろう。

昔なら「親の顔が見たいもんだ」といわれたら、
顔から火が出るほど恥ずかしく思ったものだが、
今は、その親も隣であんパンを囓っていたりする。

つい最近まで、僕はこの手の不心得者を見ると、
お節介にも説教のひとつくらい垂れたものだが、
今は、その気力が失せてしまった。衆寡敵せず。
徒労感だけが虚しく残る。

さすがに隣でカップ麺なんぞをすすられたら、
「どう、おいしい? 次は日清のラ王にするといいよ。あれ、おいしいものね」
な~んてやさしくアドバイスができたらいいと思うんだけど、たぶん、
「てめえこのアホんだら、ここは食堂車じゃねえぞ。なに、とち狂ってんだ!」
と髪(だいぶ薄くなってるけど)を逆立てお上品な啖呵を繰り出すに決まってる。
これじゃかえって周囲のひんしゅくを買ってしまう。

それにしても、日本が「恥の文化」だなんて、いったい誰が言ったんだ。
恥を知れ、恥を!

2010年12月18日土曜日

朝には紅顔ありて

プールにはいろんな人が来る。
健康維持のために通っている人がほとんどだが、
なかには必死にリハビリに励んでいる人もいる。

Aさんは50歳の時に脳卒中で倒れ、片半身がマヒしてしまった。
以来13年間、プールの片隅で、黙々とリハビリをつづけている。
その一心不乱に打ち込む姿は、ちょっぴり胸を打つところがある。

「医者は言うんですよ、もう治らないって……。でもね、少しでも
動かす努力をしないと、筋肉が石のように固まっちゃうんです」
「仕事のしすぎでした。人間、寐ないとダメですね。血圧が高く、医者から
薬の服用をうるさく言われてたんだけど……結局、守らなかった。
しょうがないですよね、自分のせいなんだから。毎日、母ちゃんに
いじめられてますよ、ハハハハ……」

表情が明るいので救われる。
僕も高血圧で、高脂血症で、甲状腺機能亢進で、PTSDで、
女性恐怖症で……と満身創痍なのだけれど、
なんとかしぶとく生きている。

還暦を間近に控えると、身体のいろんなパーツがイカレてくる。
新品に総取っ替えできれば云うことないのだけれど、
そうもいかないので、錆びついたパーツをだましだまし動かしている。

アンチエイジングといって、老いに抵抗するムキもあるようだが、
僕は自然派というより、ものぐさ印の「あるがまま主義」なので、
ムダな抵抗はしないことにしている。

髪は薄くなり、しわやシミが増え、肌もたるんでくる。
両手の甲を見れば、血管が浮き出ている。
(ああ、俺も年をとったな……)と思う。

蓮如上人の白骨の御文章にはこうある。
《朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり》
人間のはかなきことは、老少不定のさかいなれ、と。

つまり浮生夢のごとし、ってわけです。
であるからして、飲めるときに飲んでおこうと、
僕はひたすら酒を飲むのです。決して飲みたくて
飲んでるわけじゃない(ウソ)。僕もホントはつらいのです。
母ちゃん、聞いてる?

2010年12月10日金曜日

千円でべろべろ

この5年ほど、休肝日というものがない。
5時になると、夕飯の支度で台所に入るのだが、
ほぼ同時に缶ビールに口をつけている。

ビールをぐびぐびやりながら、肉を切り、野菜を刻む。
「稼ぎが少ないのに酒ばかり飲んで……」と、女房は
きっと不満に思っているにちがいないが、
そもそも自制心というものがないので、つい酒に手がのびてしまう。

ビールを飲み干すと、次はワイン、そして日本酒。
酒を切らしていると、手指こそ震えないが、
どうにも精神が落ち着かなくなる。

下町には安い飲み屋がいっぱいある。
赤羽界隈には朝7時から店を開けているところもあり、
夜勤あけの工員や消防・警察官、年金生活者などで
大いに盛りあがっている。

こうした店は俗に〝せんべろ系〟と呼ばれている。
千円札1枚でべろべろに酔っぱらえるからだ。

僕は女性恐怖症だけでなく高所恐怖症(高い店が苦手)
でもあるから、もっぱら〝せんべろ系〟が贔屓で、
とりわけホルモンには目がなく、高血圧&高脂血症のくせに、
肉食獣みたいにむしゃむしゃ喰らう。

モツにもいろいろある。珍しいのになるとオッパイ(乳房)とか
ホーデン(睾丸)、キンツル(ペニスの付け根)、ドテヤキ(直腸と肛門の間)
なんていうのもあって、わけもなく興奮してしまう。

ホルモンは見た目は悪いが、噛むほどに陰翳豊かな表情を垣間見せ、
ひとたび虜になってしまうと、抗えない魅力がある。

かつて新宿駅西口地下ガード下の通称「ションベン横丁」に、
〝屠殺場直送〟と壁一面に大書きしたホルモン屋があったという。
鮮度第一をアピールしたかったのだろうが、
その表現の直截さには思わずギョッとしてしまう。

貧乏風に吹かれながらホッピーを飲み、ホルモンを喰らい、友と語らう。
人生、至福の時と云うべきだろう。

2010年12月2日木曜日

士分の面目を思わば……

今年の流行語大賞が発表された。
「ゲゲゲの~」や「AKB48」、「女子会」、
「イクメン」などがそれだ。

流行語にうとい僕は、いまだに「AKB48」というグループ
を知らず、漫才コンビ・Wコロンの「ととのいました」
が何を指しているのかが分からない。かろうじて分かるのは、
育児に積極的な男性を指す「イクメン」と、
せいぜい「脱小沢」とか「食べるラー油」くらいなもので、
いかに現代に生きていないかを痛感する。

イクメンなどといわれると、オトコの突然変異みたいな響きがするが、
僕なんか20年来、ずっとイクメンをやってきた。もっと言えば、
布オムツにべったりついた糞尿を便器に突っ込んで、ゴシゴシ洗う
ところからやってきた。おまけにその手(少しは洗います)で、家族の
料理を作ってきた。なにを今さら、の感がする。

「食べるラー油」は、自家製のものをいろんなバージョンで
作ってみた。が、評判は今ひとつで、むしろ山形名物「だし」
のほうが食いつきはよかった。ナスやキュウリ、オクラにミョウガ
といった野菜を細かく刻み、しょう油などで味つけしたもので、
ごはんや豆腐の上にのせたり、うどんそばの薬味代わりにする。

僕はヤマイモや刻みコンブ、ニンジン、長ネギ、大根、カツオブシ
なども加え、市販のめんつゆで淡く味つけをする。いったい
どれだけのバージョンを考えたことか。いっぺん凝りはじめると、
数カ月は食卓に並ぶのが常だから、家人はそのうち、
げんなりした顔をする。しかし僕は、究極の「だし」を求め、
倦かずに野菜を刻むのだ。

数年前、『国家の品格』という本がバカ売れし、「品格」というコトバが
流行語となった。僕も調子をこいて『おやじの品格』というマジメな本
を書いたのだが、ほとんど一顧だにされなかった。

敬愛する斎藤緑雨は言っている。
《汝、士分の面目を思わば、かのはやり言葉というを耳にすとも、
決して口にするなかれ》と。

志操堅固ってことなんだろうけど、ただひたすら「面目ない」
と平謝りするしかない自分が、悲しい。

2010年11月30日火曜日

人生は短い

僕はどっちかというと好悪のはげしい人間で、
たとえば「ノムさん」などと呼ばれている野村克也がきらいである。
陰気で、ひがみっぽくて、ひねくれている。
あの薄笑いをうかべ、ぶつぶつとボヤいている姿を見ると、
ゲジゲジをさわった時みたいに肌が粟立ってくる。

王・長島ほどには日が当たらず、地味な苦労人を
売り物にしてきた男だが、ひがみ根性が人品を卑しくしている
ところがきらいなのだ。それにあの鈍牛のような物腰。
小江戸っ子の僕(川越生まれなんです)の目には、
なんとも田舎くさい男に映るのである。

ドラゴンズ監督の落合博満も同類だろうか。
しんねりむっつりしていて、何を考えているのかわからず、
うすっ気味がわるい。

ならば陽気がいいかというと、そういうわけではない。
唾を飛ばしながらぺらぺらとヨタ話をたれ流す、
紳助やさんまのような軽薄才子を見ると、あの細っ首を絞めてやりたくなる。

作家にも好ききらいがある。
たとえば名文家といわれる幸田文はどうも苦手で、
塩野七生や森茉莉、須賀敦子なども肌が合わない。
須賀などは透明感のある流麗な文章で、まるで印象派の絵を
眺めているような風情を感じさせるのだが、
どういうわけかしっくり馴染めないのである。

塩野の『ローマ人の物語』などは傑作の誉れが高く、
歴史好きの僕としてはなんとしてでも読み通したいのだが、
いつも中途で挫折する。文体が合わないのだ。

たまたま女流作家ばかりになってしまったが、
佐藤愛子や田辺聖子、斎藤美奈子といった面々は
大のお気に入りで、アイコ先生の威勢のいい啖呵や
お聖さんの歯切れのいい大阪弁には、
毎度のことながら感服する。

要は男っぽい女流が好きで、女っぽい男流が苦手なのか?
物事に対する好悪というものは、どうも理屈ではなさそうで、
肌合いといった微妙な感覚の世界なのかもしれない。

人間関係も同じで、「どうもあの人は苦手で……」というのは、
たいがい理屈を超えたフィーリングの世界で、
こっちが苦手意識をもっていると、まちがいなく相手も
苦手に思っている。

「敬遠」は『論語』から出たコトバで、
苦手な相手は敬して遠ざけろ、の意だ。
僕だってもう若くはない。カウントダウンが始まっているのに、
イヤな相手とつき合っているヒマなどない。

2010年11月23日火曜日

B-612番の星

ボクには40年来の愛読書がある。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』である。
なんだ童話か、などと呆れないでほしい。
読んだ人は先刻承知しているはずだが、
この本の中には、さりげない会話のはしばしに、
人生の機微にふれるようなessentialなコトバが
いっぱい散りばめられている。

僕はこの本に惚れ込むあまり、日本語訳の他に
英訳、独訳、伊訳(女房用です)、そしてもちろん仏語(こっちも女房用)
の原書も買い込んでしまった。フランス語で音読したレコードも持っている。

僕のお気に入りはキャサリン・ウッズの英訳本で、
訳の美しさにはぞっこん惚れ込んでいる。現代風のリチャード・ハワード訳も
持ってはいるが、やはり格調の高さはウッズ訳のほうに軍配が上がるだろう。

最近また読み返してみたのだが、やはり
(いい本だなァ……)との思いを深くした。
自分の星に置いてきぼりにしてきてしまった
一輪のバラの花。その花に寄せる王子の思慕の念が、
やけに切々と胸に響くのだ。

My flower is ephemeral――僕の花はこわれやすくはかない。
身を守る術といえば、4つのトゲしか持っていない。それなのに、
彼女をひとりぽっちにしたまま僕は旅立ってしまった……。

What is essential is invisible to the eye.
王子と友だちになったキツネが吐く科白もいい。
ほんとうに大切なものは、目に見えないものなんだ――。

100ページそこそこの、たった$1.25のペーパーバック。
無線綴じの本はすでにバラバラに外れ、
1枚1枚セロテープで留めてある。
でも、なぜか愛着があって捨てられない。

心を揺さぶられる本なんて、そうはないけれど、
The Little Prince』はそんな本のひとつである。




←この本を何度読み返したか。
英語版は学生時代の家庭教師の
教材にも使った。

2010年11月20日土曜日

豚姫の丸かじり

上野の山には西郷さんの銅像がある。
軍服ではなく、山野を徘徊した際の弊衣に
犬を連れただけの素朴な姿だ。

実はこの西郷像、明治31年に除幕式が催されたのだが、
像を見た未亡人の糸子は、開口一番、
うちの人はこんな人じゃなかった!
と叫んだという。満座の中で、である。

その時、傍らにいた西郷の実弟・従道は、
糸子未亡人の足をぎゅっと踏みつけ、あとで、
《似てようが似ていまいが、ひとさまの善意をそこねる
ようなことを言ってはいけません》ときつくたしなめたという。
西郷さんは生前、写真を一枚も撮っていなかった。

糸子が不満をもらしたのは西郷の容貌だけではない。
絣の着流しに犬を連れている姿が気に入らなかったようなのだ。
これでは陸軍元帥としての威厳がまるで感じられないではないかと。


一方、嫂の糸子をたしなめた西郷従道侯爵は、本名は隆道だった
が、タカミチをリュウドウと漢音で呼ばれているうちに、
鹿児島訛りでジュウドウに変わってしまう。
いちいち「ジュウドウではごわはん、リュウドウでごわす」
と断って歩くのも面倒だと、ジュウドウと改名してしまったという。
なんともアバウトな男である。

そういえば西郷さんだって隆盛(これは父吉兵衛の諱〈いみな〉)ではなく
「隆永」が実名だった。友人の吉井友実が代わりに役所へ登記する際に、
西郷の父親の名を誤って登録してしまったのだ。
「おいは隆盛でごわすか」と、西郷も笑ってそのままにしておいた
というのだから、この兄弟、器がでかいというより、底が抜けている。

西郷さんはデブ女が好みだったことはよく知られている。
京洛の巷で暗躍していた頃、寵愛した料亭の女中はお虎といい、
色黒で醜女の百貫デブだった。同志たちは「豚姫」と呼んでいたが、
西郷は大のお気に入りで、その交情は深かったという。

西郷吉之助隆永という男は、いったいどんな顔をしていたのだろう。
豚姫とのツーショットがあれば最高だったのに、と残念でならない。
きっとシュレックとフィオナ姫みたいな感じだったんだろうね。




←西郷と豚姫はこんな感じかしら?









『シュレック3』より

2010年11月13日土曜日

やきとんの丸かじり

唐突に、「東海林さだおのエッセイが好きなんです」
と居酒屋でやきとんを頬ばりながらボソリと呟いた。
やきとんより豚肉のオレンジソテーのほうが似合いそうな、
うら若き女性編集者のHさんである。

実は僕も好きなんだ、と同意したら、
「好きな作家のベストワンが、東海林さんなんです」
と言って恥ずかしそうに頬を赤らめた。

ショージ君は『タンマ君』などの漫画で知られるが、
大変な文章家でもあって、『タコの丸かじり』や
『キャベツの丸かじり』など、いわゆる〝丸かじりシリーズ〟
で多くのファンを持っている。彼の文章には独特なニオイがある。
たとえばこんな感じだ……。

 《牛丼屋に於いては、元気は禁物である。陽気もいけない。
 店内の空気になじまない。意気消沈、これが牛丼屋に於ける
 客の基本姿勢である。これがまた、牛丼にはよく似合う。
 意気消沈して、ガックリ肩など落として投げやりに食べると牛丼はおいしい。
 そのほうが格好もいい……》(『タコの丸かじり』)

Hさんはショージ君の文章に惚れるあまり、さかんに筆写したという。
文章の息づかいやリズム、間合い、機微といったものを自分の中に
取りこむためである。

ショージ君の文章はあまりに平易なため、うっかりすると
簡単にマネできそうな錯覚に陥りがちだが、実際は、
「書けるモンなら書いてみろ!」といった気味合いのもので、
とてもじゃないけど、素人が太刀打ちできるような代物ではない。

昨今、ブログや携帯メールの普及で、巷には一億総文章家になった
ような気分が横溢している。が、カネのとれる文章を書くというのは、
これはこれでなかなか骨の折れる仕事なのである。
そのことはショージ君の文章を筆写してみればすぐわかる。
一見、素人臭く見えるところがクセモノなのだ。

ショージ君の本はぜ~んぶ持ってます、という熱烈ファンのHさん。
「友達に言ってもバカにされるだけ」と、久しく隠れファンに甘んじていたが、
ようやく同好の士(僕のことです)とめぐり会い、溜飲を下げたようだ。

冒頭の〝頬を赤らめた〟理由は、つまりそういうことで、
ダンディなおじさん(これも僕のことです)を前についポーッとなってしまった、
というわけではもちろんない。

2010年11月4日木曜日

1インチ退けば……

米国のニクソン元大統領の著作に『Leaders』というのがある。
チャーチルやドゴール、フルシチョフや周恩来など、彼が身近に接した
世界のリーダーたちを取りあげ、真に偉大な指導者とは何か、
縦横に論じた本である。私はこの本が好きで、何度も読み返している。

英国のチャーチルはこどもの頃、友だちと人生の意義を論じ、
人間はすべて虫ケラだ、という結論に達したという。
しかしチャーチルはこう言ったのだ。
《We are all worms, but I do believe I am a glow-worm.
僕たちはみんな虫ケラさ。でも僕だけは……ホタルだと思うんだ》

旧ソ連のフルシチョフと激しくわたりあったニクソンは、
この粗野で無礼で田舎くさい指導者をこう評した。
《相手がほんの1インチでも退けば1マイル押し、
少しでも臆する敵は蹂躙した》

フルシチョフには鉄則があった。
『個人的な友情は、必ずしも国家間の友好につながらない』
とする鉄則である。たとえロン・ヤスと気安く呼び合う仲になっても、
いざ国益を損なうとなれば、一朝にして冷酷で非情な人間になる。
それが指導者だと。

ニクソンは言う。
《われわれが断固たる態度をとり、必要とあれば力によって言葉の
裏付けをするほど強ければ、ソ連の指導者はわれわれに敬意を払う。
こちらが行動において弱ければ、彼らはすぐに軽侮をもって当たるだろう》

われらが民主党政権は「微笑み外交」によって隣国との友好を図ろうと
しているようだが、与しやすしと下目に見られたのだろう、結果は惨憺たる
もので、尖閣諸島や北方四島まで中ロの毒牙にかかろうとしている。
1インチ退けば1マイル押してくる――中国やロシアの伝統的な拡張主義は
少しも変わっていないのである。

「政治家になるにはどんな勉強が必要か?」という質問に対しては、
ニクソンはいつもこう答えるという。
《政治学などやらずに歴史、哲学、文学を十分に読み、それにより
自己の精神を柔軟にし、視野の地平線を広げよ》と。

偉大な指導者に共通している事実は、彼らが偉大な読書家であったこと、
とニクソンは言う。
《今日、テレビの前に座ってぼんやりしている若者は、
あすの指導者にはなり得ないだろう》
だってさ……耳が痛いですな。


●「嶋中労・読むまで死ねるかっ」の答え
昭和27年2月生まれは「戦中派」?
答えはマル。
日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効したのは
昭和27年(1952年)4月28日。ここで初めて外交条約上の「戦争状態」が
終結する。つまり発効以前は国際法上は「戦争状態」ということになるため、
嶋中労の〝戦中派〟宣言は正しいことになる。←屁理屈かねえ?(笑)

2010年11月1日月曜日

喧嘩だ、喧嘩だァ!

民主党政権になって以来、不安神経症にずっと悩まされている。
「鳩山ノータリン内閣」がひっくり返ってくれたと思ったら、
次は「菅へっぴり腰内閣」で、宿敵中国にいいようにあしらわれている。

番頭の仙石官房長官は〝柳腰〟などとわけのわからんことを云っているが、
要は日本の左派リベラル政党がいかに外交オンチのお公家さん集団であるか、
すっかり白日の下にさらけ出されてしまった。言わんこっちゃないのだ。

普天間基地移設問題で日米関係にヒビが入り、尖閣諸島問題で世界に
日本の弱腰を見せつけたと思ったら、今度はロシアまで悪乗りして
寸足らずのメドちゃんが我が北方四島に乗り込んできた。
中国もロシアも、押せば必ず日本は引く、と完全になめ切っているのである。

日本政府は「大変遺憾だ」などと、例によって紋切り型の言葉を並べ、
息巻いているが、切迫感と切実感はまるで伝わってこない。

なぜ菅首相なり前原外相が、緊急記者会見を開き、テレビカメラの前で、
テーブルにナイフを突き立て、赤鬼のような顔をして怒りを表明しないのか。
「日本はやるときはやるぞ」と、なぜ脅し文句のひとつも並べられないのか。
芝居がかったパフォーマンスでもいい、日本は本気で怒っているんだぞ、
と全身でアピールすることが大事なのだ。

日本の北方四島がロシアにむりやり実効支配されている、
という事実だけでも、僕は怒りで憤死しそうになってしまうのだが、
politicianや偏差値秀才の外務官僚たちは、何にも感じていないようで、
ほんとうにガッカリする。戦後65年、日本人は南海の泥(でい)のごとく、
つくづく骨なしになってしまったんだなあ、との思いを深くする。

まだ遅くはない。政府は世界に向かって切々と訴えかけてほしい。
日ロの間には深刻な領土問題が存在し、ロシアは我が領土を不法に占拠している、
と日ロ国民だけでなく世界に訴えかけてほしいのだ。今こそ領土問題の存在を
世界に知らしめる絶好のチャンスではないか。その機会をムダにしないでほしい。

もうすぐ横浜でAPEC首脳会議が始まる。
中国首脳や寸足らずのロシア大統領もご来臨あそばすというのだから、
彼らには下剤入りの料理を出すとか、首脳会談を直前でドタキャンするとか、
いやがらせの手はいろいろあるではないか。

とにかく「遺憾の意」はもう聞きあきた。
「おう、野郎ども、喧嘩支度をしろィ!」
と、威勢よく言ってくれないかしら。ねえ、菅さん。

2010年10月30日土曜日

ヒラメ顔が好き

仏人留学生のAlexiaは自身がコーカソイド(白色人種)のくせに、
白人顔の男の子は苦手(見飽きてる?)のようで、
「ボーイフレンドは絶対日本人がいい」と、凹凸の少ない
扁平なモンゴロイドの顔を絶賛している。趣味がちょっと変なのだ。

というわけで、モンゴロイド顔の典型でもある僕は、ある種の安堵感に
満たされながら、日々、彼女と接しているわけだが、同じ人間でありながら、
どうしてこんなに見てくれが違うのか、不思議でならない。

以前、アメリカのレストラン事情を視察するためのツアーに参加したときの話。
頭のはげ上がった冴えないオッちゃんがバスの運転手をつとめてくれたのだが、
ある晩餐会の夜、そのオッちゃんも正装して参加することになった。

これがみごとな変身ぶりで、威風あたりを払うような存在感があった。
正直「負けた……」という感じだった。オッちゃんのほうが主賓で、
貧相な体格の我われのほうが、まるで運転手のように見えたのである。

彼らは数百年も洋服を着ていて、からだが服によくなじんでいる。
が、日本人の洋装は実質まだ百年にも満たない。
どこかチグハグで不釣り合いに見えるのはそのせいだろう。

日本の歴代首相も、各国首脳の集まるサミットなどに参加すると、
体格の貧弱さと押し出しの弱さで、どうしても見劣りがする。
それならいっそ、背広なんぞ脱ぎ捨てて、袴羽織で出席したらどうか。
胴長短足の我らが体型は、和服を着てはじめて生き生きと躍動する。

今日はあいにくの雨。慶應志木高校の文化祭に行って、
イケメン男子を物色するつもりだったAlexiaは、
行くべきか行かざるべきか、今、深刻に悩んでいる。

モンゴロイドの若者たちよ、勇気ある者は、この奇特な白人少女の
ボーイフレンドになってはくれまいか。顔がヒラメみたいに扁平であれば
あるほど、「カワイイ」といってくれるのだから、遠慮することはない。
Bonjour!(こんにちは)と一声かけてやってほしいのだ。

2010年10月24日日曜日

身を捨つるほどの……

自衛隊の観閲式を見に行った。
元自衛官のプール仲間から招待チケットを2枚もらったのである。
で、さっそく僕と同じく元軍国少年のS君と連れ立ち、
目と鼻の先にある陸上自衛隊朝霞訓練場へいそいそと出かけたのだ。

用意された席は観閲官(菅総理)の席にほど近い、相撲で言えば
砂かぶりともいうべき上席で、観閲部隊をつぶさに観察することができた。

徒歩部隊の行進は圧巻だった。とりわけ防衛大学校学生隊や空挺部隊が
勇ましく、陸海空の女性自衛官部隊も負けず劣らず凛としていた。

軍隊行進というと、今月10日に行われた北朝鮮の軍事パレードを思い起こさせる。
北鮮軍のそれは膝を曲げずにまっすぐ伸ばし、足を高く上げるという、
いわゆるガチョウ式行進(英語ではgoose-stepという)というもの。
旧ナチスや旧ソ連といった独裁的、全体主義的な政治体制の国で
多く採用された行進スタイルである。

ガチョウ式行進の利点は、視覚効果が高く式典映えのするところ。
北鮮のニュース映像を見ても、怖気をふるうくらい迫力がある。
ただ、行進する兵隊はさぞ大変だろうと同情したくなる。
実際やってみればわかるが、膝を伸ばしたまま足を高く上げて行進するのは
並大抵ではないのだ。だいいち、
失敗して隊列を乱したりしたら処刑されてしまうかも知れない。
やっこさんたちの形相も必死だ。

兵隊たちの固く引き締まった鋼のような肉体に引きくらべ、
壇上で手をふる金正日・正恩父子の醜く太った体つきときたら……。

そういえば戦後間もない頃、全国各地に食糧デモが巻き起こったことがある。
皇居前広場のプラカードの中には、
《朕はたらふく食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね》
なんていうのもあった。哀れこのプラカードの主は、
不敬罪で訴えられてしまったが、この文言、
そのまま、キタのバカ父子に見せてやりたいものだ。

さて、わが自衛隊の行進だが、威圧感こそないが、スマートで洗練されている、
というのが第一印象だ。オモチャの兵隊に見えなくもないが、文句なしに美しい。
見ているだけで心が洗われるような美しさなのである。

一方、菅総理大臣の訓示は、相変わらず迫力を欠いていた。
北朝鮮と中国の軍事的脅威を名指しで指摘したのが、
唯一評価できる点だろうか。

今年は日米安保条約改定50周年の年。
米軍機の祝賀飛行もあって気分を盛り上げてくれたが、
防衛意識の希薄な民主党政権で、ほんとうに国の安全が守れるのか。
軍人(海外青年協力隊ではないぞ)の誇りが守れるのか、いささか心もとない。

観閲式に行ったなどと云うと、すぐ右翼だ軍国主義者だ
などとレッテル貼りをするおバカさんがいるが、反論するのもアホらしいので、
ここはあえて沈黙する。福澤諭吉はこんなことを言っている。
《独立の気力なき者は、国を思うこと深切(痛切なこと)ならず》と。

2010年10月20日水曜日

羊のような日本人

イギリスの元首相・マーガレット・サッチャーはこう云った。
《私は議論好きだ。論争を愛してさえいる。ただそこに座って、
私に賛同するだけの人間など少しも必要としていない。
彼らの果たすべき役割はそんなことではないはずだ》

憧れの日本へ来て、ちょっぴりガッカリなのは高校の授業が退屈なこと、
と留学生のAlexiaは云う。一方的に先生がしゃべり、生徒は黙ってノートをとる。
あるテーマをめぐって、教師と生徒が丁々発止とわたり合う、
なんて場面はついぞ見られない。いま評判の『ハーバード白熱教室』
のようなエキサイティングな授業風景はのぞむべくもない、というのだ。

Alexiaの嘆きを聞いたときに思ったのは、
(学校の授業というのは、昔も今もちっとも変わってねえな……)
という諦めにも似た思いだった。Alexiaは云う。
「ただ先生の云うことを書き写してるだけでは、自分の考えが育たない」
お説ごもっともであります。そもそも主体的な考えというものは、
言葉にしてしゃべったり書いたりしないことには輪郭が定まらない。

しゃべることよりまず書くこと。漠然と思っている考えも、
書くことによって、くっきりとした像を結び、自分の考えとして定着してくる。

日本人は議論下手とよく云われる。当然だろう。
もともと《和を以て貴しとなす》の精神が、聖徳太子の時代から
連綿と受け継がれてきている。自己を主張するより互いの協調性を
保つことが最も大切であると教えられてきているのだ。
いやむしろ、和を尊ぶDNAが日本人の精神のコアを形成している、
と云ったほうがいいかもしれない。議論下手は日本人の宿痾なのだ。

しかし、この間の日中関係のすったもんだを見ると、
いつまでも《和を以て貴しとなす》と澄ましているわけにもいかなくなる。
謙譲の美徳がいっこうに通じない相手に対しては、
やはりサッチャー流の“I love argument, I love debate.”という
荒っぽい精神が必要に思えるのだ。

日本人が一朝にして議論好きになることはあり得まいが、
一留学生が嘆くような受け身の授業を続けている限り、
悪擦れした中国人やロシア人にはとうてい太刀打ちできないだろう。
ここが思案のしどころか。

2010年10月17日日曜日

Alexiaの秋

留学生のAlexiaと二人で浅草に行った。仲見世通りは
相変わらずごった返していて、英語、中国語、韓国語などが
にぎやかに飛び交っていた。ガイジンばかりである。

渋谷とか原宿とか、どちらかというと若者の集まる街が
お好みのAlexiaに、さて浅草はどうかとも思ったが、「一度は見てみたい」
というものだから、定番スポットでもある町をあちこち案内してやった。

とってもシャイな女の子、というふれ込みだったはずだが、
意外や意外、けっこうなおしゃべりで、電車内でもぶらぶら散歩の
間じゅうも、ずっとしゃべり続けていた。

女子高校生らしくファッションだとか、音楽、芸能の話かと思いきや、
中身はほとんど政治や経済の話ばかり。フランス・サルコジ政権のダメさ加減や
左派社会党の不人気ぶり、そしてフランス経済の停滞、若者社会の荒廃、
いじめ問題など、いやしゃべるわしゃべるわ……。

で、最後には「フランスはきらい。フランスの男の子はサイテー。日本がいい、
日本の男の子はカッコいい、わたし絶対日本に住む」で必ず締めくくられる。
こっちとしては悪い気はしないが、惚れた欲目なのだろう、何でもかでも
よく見えてしまうというのは、ちょっぴり気の毒な気もする。

それにしてもフランスの若者はどうしてこんなに政治への関心が高いのか。
僕らの世代からすると、つい1968年のパリ「5月革命」を思い出してしまう。
あの時のstudent powerはものすごかった。

『ル・モンド』紙を隅から隅まで読むというAlexia。
「フランスはだめな国になってしまった」としきりに嘆くが、
フランスのことを愛するがゆえの慨嘆であることは、
容易に理解できる。それだけに、なんだかとても痛ましい。

せっかくの浅草見物だったが、往きも帰りもずっと議論のしっぱなしで、
どこをどう歩いたのかあまり憶えていない。こんな若い女の子と、
熱く政治を語り合ったのは生まれて初めて。歩き疲れてしまったけど、
心地よいけだるさが僕の全身を覆っていた。

2010年10月15日金曜日

ニッポンびいき

昨日からフランス人の女子高生をあずかっている。
名前はAlexia。ちょっぴりシャイな、可愛い子だ。
日本にずっと憧れていて、高校留学という形で
ようやく夢が叶ったのだ、という。

好きな歌手は浜崎あゆみと宇多田ヒカル。
フランスにいた頃から宮崎駿の『となりのトトロ』や『もののけ姫』
に魅せられ、岸本斉史の漫画『NARUTO』に熱中していたという。

「フランスの若者たちは、みんな日本が好き。私のオトーサンは
sushiも自分でにぎります」とAlexia.

ここまで褒めちぎられると、かえって恐縮してしまい、
尻がむず痒くなってくる。最初は外交辞令的なお世辞だろう、
と話半分に聞いていたが、話しているうちに、だんだんホントに思えてきた。

「フランスの男はきらいです。日本の(男子)高校生はカッコいい」
と、なおも褒めまくるAlexia。僕なんか、あの日なたのモヤシみたいに
ボーッとした日本の若者のどこがいいのか、といぶかしく思うのだが、
彼女はもともと草食系好みらしく、現代ニッポンの
〝柳腰(仙谷官房長官のマネ)〟の男の子が殊のほか肌に合うようだ。

それにしても、日本のことをこんなに好きになってくれるなんて、
なんだか狐につままれたような気がしないでもないが、褒められれば
やっぱり悪い気はしない。以前のブログで、
《フランス人さえいなければ、フランスという国は最高なのに》
なんてイヤミを書いてしまったが、百万人に一人くらいは優しい心根の
フランス人がいるのだ、ということがよーく分かった。

「梅干し以外はぜーんぶ好き」という日本食びいき。
昨夜は手抜きをしてカレーライスでごまかしてしまったが、
今夜はさて、どんなおかずを作ろうかしら。隠し味に
こっそり梅干しを入れたりなんかして……。

2010年10月9日土曜日

一炊の夢

20年も料理を作りつづけていると、いささか厭きる。
金に糸目をつけなければ、満漢全席だって作れないこともないが、
なにせこの不景気である。食費に金はかけられない。

バブル時代の再現を夢見るのは愚かなことだが、こう景気が悪いと
あの気狂いじみた浮かれぶりが、かえって懐かしくなる。

地球を1週間で回ってくれ、と某新聞社系の雑誌社に頼まれたことがある。
金にあかせて大名旅行をやってくれ、というような優雅なものではない。
詳しい中身は忘れてしまったが、たとえば月曜日にバイカル湖のA地点に立ち、
水曜日にはマダガスカル島のB地点に立つ。

指定された場所に立っていると、見知らぬ男(女もある)が近づいてきて、
紙切れを渡される。その紙切れには次に行くべき場所が書かれている。
守るべき条件は、どんな乗り物を使ってもいいから決められた場所に
時間どおり到着すること。そして1週間で地球をひとまわりする。
その一部始終をおもしろおかしく読み物にまとめてくれ、という依頼である。

今から思えば、何というバカバカしい企画だろう、と思う。
カネ余りになると、人間はここまで愚かなことを考えるのか、
という見本のような企画である。でも、あのバブルの時代は、
こんな呆れ返ったような企画が目白押しだった。

僕は体よく断った。行かなくてよかった、と今でも思っている。
バイカル湖のA地点といったって、ピンポイントで場所が特定されている
わけではない。

「ただ湖の畔に立っていればいいんです。行けば分かりますよ、ハハハ……」
と、雑誌の編集長はのんきに笑うのだが、なんだか気味が悪い。
だいいちロシアなんて行ったことはないし、英語だってろくすっぽしゃべれない。
バイカル湖の畔に着くまでに、たぶん迷子になるか遭難してしまうだろう。

またヨーロッパの星付きレストランを数週間にわたってはしごしたこともある。
金は使い放題。毎夜、高価なワインをばんばん空けた。
どうせ俺のカネじゃない、と思えば、人間の精神は限りなく堕落し、
欲望のおもむくままに行動する。人間がだんだんケモノ化していく。

思えばあれは〝邯鄲の夢〟だった。覚めてみれば、
まるで夢幻のごとくに思えてくる。

     世の中のカネと女は仇なり。どうか仇にめぐり合いたし

こんな〝夢〟を見ているうちが花か……

2010年10月4日月曜日

「粛々と…」は聞き飽きた

あの鳩山のお坊ちゃま(ハトではなくサギ、カモとめまぐるしく変身し、
最後はガンで終わった)を大将に担いだオメデタイ政党である。
トップの顔がガンからカンに替わっても体質は何ら変わることはない。
その証拠が、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件から
派生した一連の外交的失態と敗北である。

一歩後退したら、相手は必ずその隙間を埋めるべく歩を進めてくる。
二歩後退したら、三歩も四歩も攻めてくる。これが外交のリアリズムなのに、
ノーテンキな鳩山のお坊ちゃまは、東シナ海を「友愛の海にしましょう」
などと提案し世界の失笑を買っただけでなく、
沖縄から米国海兵隊を追い出そうとまでした。
自分で自分の身も守れないのに、タダ飯食いの番犬など要らない、
と大見得を切ったのである。

その結果が今回の一連のドタバタ劇である。尖閣諸島に「領土問題など存在しない」
といいながら、対外的には「領土問題がありそうだ」という印象を与えてしまった。
結果的に声のでかい隣人(中国やロシア)の主張が通る、
というのでは、外交不在といわれてもしかたがない。

『君主論』で知られるマキアヴェリの人間観は実に単純なものだ。
要約すれば「人間はみな悪党だ」というに尽きる。
そこにはいかなる種類の感慨もなく、およそ空想といったものも存在しない。
目に見えたままの人間を語ろうとしたら、「みな悪党だ」という結論に至り、
そのことを遅疑なく言い放ったのだ。

民主党政権に言いたいのは、「健全なリアリストであれ」という一言だ。
「平和」だとか「友愛」だとか、いたずらに観念の符丁を振りまわすのではなく、
リアリズムに徹してくれ、と言いたいのだ。

政治を空想化してはならないし、イデオロギーの対象にしてもいけない。
必要なのは空想を交えない、リアリストによる確実な一手だ。

この間の民主党政権による外交的失策によって、
日本国民のストレスは爆発寸前にまで高まっている。
そしていまだに、鬱憤のはけ口を見出せないまま、
気ぶっせいな日々を送っている。

僕もふさぎの虫に取りつかれた者の一人だが、首相官邸外務省自民党
(クリックしてください)へはしっかり抗議のメールを送っておいた。
僕一人では何の力にもなり得まいが、それが幾千幾万の声となれば、
少しは政治を動かせるかもしれない。the Silent Majority(声なき民)が
いまこそ沈黙を破る時なのだ。

あの盗っ人猛々しい隣国にも、もちろん抗議の手紙文を送ったが、
相変わらず梨のつぶて。それでもめげずに抗議文を送り続けるつもりだ。

学生運動の華やかなりし頃、良くも悪くも若者たちは政治に関与したが、
今は見る影もない。student powerなど幻想で、薬にしたくともありはしないのだ。
嘆かわしいことだが、これもまた現実だ。

僕のブログを読んでくださっている人たちに一言。
健全な愛国者(nationalistではなくpatriot)を自任するのであれば、
黙して語らずというのではなく、どんな形であれアクションを起こしてほしい。
事なかれ主義こそが他国の侮りを招くのである。

ささやかなものでいい、自分の主張をカタチに表すのだ。
幸い、インターネットという情報発信装置が手もとにある。
中国はそれを巧みに世論形成の道具に使っている。

政治家どもの「粛々と……」を待っていたら日が暮れてしまう。
中国やロシアの横暴をただ指をくわえて見ているだけではだめなのだ。
悲しいけれど、うるわしき謙譲の美徳が通用するような相手ではない。
「無理が通れば道理引っこむ」では、世の中、真っ暗やみでございます。

2010年9月28日火曜日

軟弱ニッポン

子供の頃は、どっちかというといじめられっ子であった。
いじめっ子というのは、弱みを見せると嵩にかかって攻めてくる。
彼らの標的にならないためには、決してスキを見せないことだ。

窮鼠猫を噛む、という俗諺があるように、ネズ公だって追いつめられれば反撃する。
僕もあるとき反撃に転じ、天敵の悪太郎と取っ組み合いのケンカをおっ始めた。
そしてどういうわけか、僕はその悪たれを地べたに組み伏せてしまったのだ。

その時の誇らかな気持ちは、今でもしっかり憶えている。
実にあっけなく勝負は決まってしまったのだが、
意外にも冷静に、しかもパワフルに戦える、という事実に
まず自分自身が驚いてしまった。

それまで殴り合いの経験など一度もなかった。その後、
何度か取っ組み合いの経験を積んだが、ケンカ上手にはなれなかった。
殴り合っている間は緊張し、アドレナリンを出しまくっているから、
痛みを感じることは少ないが、終わったあとは、拳が腫れ上がり、
端正な顔?がぐちゃぐちゃになってしまう。

学んだことはいくつかある。
①顎にしろ頬骨にしろ、骨というものはおそろしく硬いこと。
②ケンカは先手必勝。常に攻めの姿勢を堅持し、迷いなく戦うこと。
③戦っているときは相手の目を見据え、終始無言を貫くこと。
④いつでも戦えるように日頃から身体を鍛えておくこと。

殴り合いを機に、いじめはなくなり、互いに一目置く間柄になった。
「ハハーン、男同士の友情というのはこんなふうに生まれるんだな」
僕は人生における至極大事な定理を学んだような気がした。

中国は図体の大きないじめっ子そのものだ。
弱みを見せるとすかさず攻めてくる。他人の家の庭にまで押し入り、
「これは俺んちの庭だ」と声高に言いだす始末。ご近所さんも、
今やいじめっ子君の言い分にも理がある、などと言い出している。

1982年3月、イギリスとアルゼンチンとの間でフォークランド諸島の
領有権をめぐって戦争が始まった。当時の英国首相サッチャーは
〝鉄の女〟の異名にたがわず、常に強硬姿勢を貫き行動した。
サッチャーは言った。
《我われが1万3000キロも彼方の南大西洋で戦ったのは、
領土やフォークランド住民ももちろん大切だったが、
それ以上に大切なことのためだった》

その大切なことというのは何か。サッチャー曰く、
それは国の「名誉」であり「国際法」であると。
法の原則が力の行使に屈服してはならない、
と彼女はあくまで原理原則を貫いた。

ああ、我がニッポンに〝鉄の男〟はいないのか。
ぐるりを見回せば目につくのは誇りも気概もない、
口先だけのフニャチン男ばかり。
真の外交を心得たしたたかな喧嘩上手はいないのか。
このままではサムライ日本の名がすたる。

2010年9月25日土曜日

読書で気慰み

ヤケ酒を飲んでもヤケ食いをしても、この鬱屈から逃れられそうにないので、
今は「ヤケ読み」をしている。つまりヤケクソの読書で気散じをしている。

鬱屈の原因は、いうまでもなく尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件である。
日本政府はとうとうarrogantな成金中国の前に膝を屈してしまった。
無理が通れば道理引っ込む――この失態は後々まで祟り、
日本人の誇りは限りなく傷つけられるだろう。

こんなふうに気分がムシャクシャした時は、たいがい酒を飲んで憂さを晴らすが、
今回はなぜか本を読む。お奨めは、英国作家R・D・ウィングフィールドの
ジャック・フロスト警部シリーズだ。フロスト警部はロンドン郊外デントン市の名物警部。
刑事コロンボみたいにヨレヨレのスーツとコートを一着におよび、
あたりかまわずお下品なジョークを飛ばし、女性を見れば卑猥な妄想をたくましくし、
すきあらば豊満なヒップに指を立てるといったセクハラを平気でする。

ならばコロンボみたいに頭脳明晰かというと、そうともいえず、
捜査はいつも行き当たりばったり。いよいよ真相に迫ったかと期待すると、
必ず裏切られガッカリさせられる。でもこのしょぼくれ警部、
いっこうに風采の上がらぬダメおやじだが、実にしぶとい。
犬猿の仲の署長からどんな悪態をつかれようとも柳に風で、決してめげない。

イギリス流のブラックなユーモアが全編にあふれ、読み終わると、
きれいなネエちゃんとinappropriateなrelationshipを結んだ時のような
満ち足りた気分にひたることができる。警察小説はそれほど得意な
ジャンルではないが、フロスト警部・シリーズだけは別。僕のイチオシは
『フロスト気質・上下』で、900頁にもおよぶ大部ながら、
読み始めたらジェットコースターみたいに止まらなくなる。

腰抜けニッポンのぶざまな外交にはほとほとガッカリさせられるが、
同じぶざまでも、フロスト警部のそれにはそこはかとないユーモアと光明がある。
《浮世のことは笑うよりほかなし》と山本夏彦は言った。
僕も師匠に倣い、渋っ面ながら苦く笑うことにしている。

2010年9月21日火曜日

いやな隣人たち

中国って国はつくづくイヤな国だなあ、と思う。
尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件。逮捕された中国人船長の
拘置延長が決まったことで、中国側が激しく反発している。

盗っ人猛々しくも、中国は尖閣諸島(中国名は釣魚島)を自国領土だ
と言い張っている。そのため、日本の国内法による船長の処分はどうあっても
容認することはできない。日本の主権を暗に認めてしまうことになるからだ。

一方、逆のケースで日本の企業や観光ツアー客がロシアのビザ(査証)で
北方四島に渡航したという報道があった。火事場ドロボーみたいに
北方四島をむりやり占拠しているという現状を、占拠されている側の国民が、
無知ゆえか確信犯なのか、追認してしまうというヘマをやらかしてしまった。
こうしたおバカな日本人がいるから、話がややこしくなる。

ロシアに不法占拠されている北方四島には領土問題が存在するが、
尖閣諸島には領土問題など存在しない。共産中国と台湾が石油や
地下資源欲しさに勝手に領有権を主張しているだけである。
それも1970年前後に、国連の海洋調査でイラクの埋蔵量に匹敵する
石油資源がある、と報告された途端に、「あの島々はおれのものだ」
と我がちに言い出したというのだから、なんとも浅ましい隣人たちである。

国益がからめばサギをカラスと言いくるめるのが外交で、
性善説の鳩山のお坊ちゃまを担ぎ上げた民主党には、その理屈が分からない。
スキを見せたら尻の毛まで抜かれてしまうのが外交のリアリズムだというのに、
日本政府は「ただ粛々と見守るだけ」などとのんきなことを言っている。

中国人観光客が激減すれば、日本経済にも悪影響をおよぼす、
などと経済界からも懸念の声が寄せられている。中国人観光客の
落とすカネは平均14万円弱。12万円台のアメリカ人を大きく上回っている。
そのせいなのか、近頃、街角でも車内でも中国人観光客がやたら目につく。
そのかしましいこと。

まさか自国領土と中国マネーを天秤にかける、などという愚は犯すまいが、
中国が日本経済浮沈のカギを握っている、とばかりに大騒ぎするのは
なんとも情けない。

たかが経済ではないか。カネ勘定より大事なものがあるだろう。
戦後65年、日本人はその「大事なもの」を忘れ、上目づかいに中国人の顔色を
うかがいながら一喜一憂している。人間、落ち目にはなりたくないものだ。

2010年9月15日水曜日

自虐趣味

先月から今月にかけ、わがrabbit hutch(ウサギ小屋)に、
断続的に3人の客が泊まった。わが小屋は曲がりなりにも4LDKで、
2~3LDKよりは恵まれている、といえようが、4人家族にたった1名加わるだけで、
まず寝床の心配をしなくてはならなくなる、というのがなんとも情けない。

この「ウサギ小屋」という日本の劣悪な住宅事情を象徴する言葉は、当初、
cage a lapinというフランス語だった。ECで日本の報告書を作成した折に使われた
もので、それが英語rabbit hutchに直訳され、そのまま日本語の「ウサギ小屋」
になったのである。
 
フランス語の報告書にはこうあったという。
《日本人はフランスで俗に『ウサギ小屋』と呼ばれているのと同じタイプの
〝狭くて画一的な〟都市型集合住宅に住んでいる》

ここには「ヨーロッパに比べ、劣悪な住宅に暮らしている」というニュアンスはない。
フランスでもよく見かける「ウサギ小屋」と呼ばれる狭い画一的な住宅に住んでいる、
と言っているだけで、決してバカにしたわけではないのだ。それがいつの間にか、
劣悪な家に住み、狂ったように働く仕事中毒の日本人――というニュアンスに
変わってしまった。たぶん自虐的な日本のマスコミの仕業だろう。

これと似たものに《日本人の精神年齢は12歳》というマッカーサーの言葉がある。
これは1951年、アメリカ上院軍事外交委員会においての発言で、
マッカーサーは民主主義の成熟度についてこう語ったという。
《アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年。
日本ならば理想を実現する余地はまだある……》

ドイツは成熟した民主主義を有しながらファシズムに傾斜していってしまった。
そのドイツと比較して、日本なら理想的な民主主義を実現できるだろう、
としたのがこの発言で、どっちかといえば日本を擁護した文脈だった。

ところが「12歳」という部分だけが勝手に一人歩きし、
日本人は精神年齢の低い未熟な国民、
とまるで侮辱されたかのようなニュアンスに変わってしまった。
まったくの誤解で、マッカーサーにしてみれば至極心外なことであっただろう。

精神年齢12歳」の日本人は、狭くて劣悪な「ウサギ小屋」に住んでいる
――どちらも誤解の産物だったが、つむじ曲がりの僕は、
誤解どころか事実そのものではないか、とむしろ感心しているくらいで、
民主党政権の無策ぶりと小児病的ドタバタ劇を見るにつけ、
最近ますますその意を強くしている。

2010年9月10日金曜日

国家と民族

南北朝鮮は同じ民族同士なのだから、いずれは統一国家になることが望ましい?
僕たちはふつう同じ民族同士なら、同じ国に住むべきだと単純に考えがちだが、
「一民族一国家」が必然であるかどうかは、それほど自明なことではない。

世界の国の数をおよそ200としよう。一方、民族の数は少数民族で約3000、
主要民族で200はあるから全部で3200くらいはある。つまり単純に均してみると、
1つの国が平均16の民族を抱えるという計算になる。アメリカやロシア、
ブラジル、中国といった国は多民族国家だ。中国は55の民族を抱えているし、
あの小国ベトナムだって50以上の民族を抱えている。

一民族が一国家を形成すべく〝民族自決〟を唱える。そして、
それを達成するためには武力行使も正当化される、というのなら、
たぶん世界中で次々と戦争が勃発するだろう。

かつて我々は、歴史教科書で「民族自決の原則」ということを教わった。
ベトナムは本来ひとつであったのに、17度線で人為的に分断されていた。
それでベトナム戦争が始まり、結果、北ベトナムが南ベトナムを崩壊させ、
民族分断の悲劇は克服された。

これぞ「民族自決の勝利」だと、1975年当時、朝日を初めとした新聞各社は
大いに褒めそやしたものだが、なぜ一民族は一国家でなければならないのか。
それほど単純な問題ではない。

2年前、わが家にホームステイしたベトナム系オーストラリア人の女性教師は、
ベトナム統一によって祖国南ベトナムを追われたボートピープルの一人だった。

そして今回、わが家の客となった台湾系ドイツ人の女子留学生は、
中国人と外省人を毛嫌いし、ルームシェアさえ峻拒している。
民族的には同じ漢族なのだから、中国が台湾を併合するのは当然、
といった考えには絶対に与しない立場だろう。いざとなったら、
私も銃をとって戦う、という面構えである。

民族自決権(個人的にはチベットは独立すべきだと思っている……)
と領土保全の原則をどう整合させていくか。なかなか難しい問題で、
我われ素人が、いくら処士横議を重ねても、気の利いた答えなど出そうにない。
沈黙するに如くはない、か?

2010年9月6日月曜日

Just surviving

坊さんの次は留学生がしばらく泊まっている。
台湾系のドイツ人で、次女と英国留学時に知り合った。
日本語は分からず、英語とドイツ語をしゃべる。
ドイツ語は昔かじった記憶(←おいおい、あんたはドイツ文学科卒だろうが)
があるが、憶えているのは哀しいかなIch liebe dich.(おめのごと、好ぎだっぎゃ)
くらい。冗談でも、こんな台詞をうら若き乙女を前に口にするわけにはいかない。

連日、呼吸困難に陥るほどの猛暑が続いているが、
この元気印の乙女は、炎天下の中、アパート探しに奔走している。
1年間通うW大学に近いところで、家賃5万以下の物件を探そうというのだ。

これがないのである。僕の住む埼玉・和光市だって7万が通り相場。
駅前の不動産屋で聞いたら、「5万以下ですと、川を越えませんとねえ……」
と困惑顔。「川っていうと、この先の黒目川ですか?」と聞いたら、
「いや、新河岸川です。つまり川越までいきませんと……」

憧れの日本に来たけれど、ねぐらの確保に四苦八苦。
政府は2020年までに留学生を30万人受け入れる、などと大風呂敷を
広げているが、受け入れ環境は貧しく、アパートの確保さえままならない。
デフレといっても世界標準からすれば、都心の諸式はまだまだ高く、
金のない留学生は学業よりアルバイトに精を出さなくてはならない。
これで「留学生30万人計画」とは笑わせる。

それにしても、どうなってるんだこの暑さは。
How are you? と聞かれたらJust surviving(なんとか生きてるよ)
と青息吐息で答えるしかないくらいの猛烈な暑さだ。
実家の老母はなんとかsurvivingしてくれているだろうか。
暑さ寒さも彼岸までというが、へたすりゃ干乾しになって
文字どおりの彼岸に行っちまうかも。

安く上がるならルームシェアしてもいいんですけど、と留学生のUさん。
「ただし、中国本土の人とはちょっと……」と条件付き。
同じ漢人同士ではあるけれど、中国本土の人間や外省人とは
席を同じうせず、というわけか。台湾海峡もまっこと熱いぜよ!

2010年9月1日水曜日

「非合掌派」は少数派?

先日わが家に泊まった〝山寺の和尚さん〟は、食事の前後に合掌していた。
TVドラマの食事風景で、テーブルを囲んだ者たちがよく「いっただきま~す」
と揃って合掌するシーンがあるが、合掌をしないわが家では、こうした光景に
いつもある種の違和というか、しっくりしないものを感じていた。

ところが新潟から上京した友人の住職A(浄土真宗)が合掌すると、
サマになるというか(当たり前か)、実にしっくりきたのである。
僕は生まれて初めて、(合掌というのもいいもんだな)と思った。

しかし、食事の前後に合掌するかしないかは習慣の問題で、
僕も女房も生まれてこの方、ずっと「非合掌派」なもので、
いきなり掌を合わせろと云われても、そう簡単にできるものではない。
わが家の流儀は「いただきます」「ごちそうさま」と唱和しながら
軽く頭を下げるというもの。この先も、たぶん「非合掌派」のままでいくだろうが、
「合掌派」への違和感といったものはだいぶ薄らいだ。

仏教学者の山折哲雄は、
《人間の食事というのは、自動車にガソリンを入れるのとは訳が違う。
自分を生かすためにほかの生き物を殺して食うという、何ともしがたい
「原罪」を背負った行為だ》と前置きし、だからこそ食われる命に対して、
「いただきます」「ごちそうさま」といわなければ何となく気持ちが落ち着かない。
《ならば、そこでしっかり合掌して感謝の気持ちをあらわしたほうが、
心が落ち着くというものではないか》と言っている。

たしかに僕もそう思う。でもわが家は合掌ではなく「おじぎ」。
「原罪」というほどのものは、正直、少しも感じていないが、
食卓に供されたすべての命に対しては、素直に感謝したいと思っている。

で、殺生をできるだけ避けようと、道を歩く際には、アリなどを踏まないように
細心の注意を払って歩いているのだが(芥川の『蜘蛛の糸』が頭にある)、
たびたび足がこんがらかってよろけてしまうのは、齢のせいだろうか。

もちろんこんなものは安物の偽善で、神様仏様に対するせこい点数稼ぎに
過ぎないが、それでも殺生は最小限にとどめたいと思っている。

これからは「ぎゃー、ゴ、ゴキが出たぁ!」と台所で女房が金切り声を上げても、
「ゴキとて家に帰れば妻や子もあろう。すべての生き物を慈しむべきです」
などとお釈迦様みたいに静かに合掌していよう。←ウソ、すぐぶっ叩く。
南無阿弥陀仏。

2010年8月27日金曜日

朋有り遠方より来たる

山寺の和尚さんが、わが陋屋へ泊まりに来た。
新潟・三条の山奥で寺の住職をやっている友人Aが数年ぶりに訪ねてきた。
朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや……ネット時代だろうと何だろうと、
友人がわざわざ足を運んで会いに来てくれる、というのは何より嬉しい。

で、一杯やる前にひとっ風呂浴びに近所のプールへ行った。
Aも心得たもので、水着もゴーグルもちゃんと用意してある。
以前来た時も、まずはプールでひと泳ぎ。その後のビールがひときわ旨かった。
この暑さである。プールへ案内するのが最高のおもてなしなのだ。

Aは僕の友人Kの学友で、たまたま学生時代に知り合った。
その後、洋酒メーカーに就職したAは名古屋地区が担当で、
こっちが名古屋出張の折には、よく呼び出しては錦や栄の繁華街で
飲み歩いたものだった。

そのうちKとはだんだん疎遠になってしまったが、Aとはよほどウマが合うのか、
君子の交わりがずっと続いている。Aはある日、突然、仏門に入ってしまった。
前触れなしだったもので、いささか当惑したが、深く詮索せずに今日に至っている。

Aはご多分にもれず生臭で、葷酒(くんしゅ)を避けるどころか、
ウワバミみたいに飲みかつ食らう。ふだん飲んでいる安ワインを出したら、
「まずいな、こいつは」とピシャリ。それでも、何食わぬ顔で数本を空にした。

こんな破戒僧にまともにつき合ったら、とても身が持たない。
案の定、へべれけになって、記憶の半分が飛んでしまった。
こういう状態を「泥酔」というが、なぜ「泥」なのか、みなさんご存じか。
偉そうに講釈を垂れているが、実は僕も知らなかったのである。

正体がなくなるくらい酔うことを「泥のごとし」などという。これを「ドロのごとし」
と読む人がいるが、「デイのごとし」が正しい。〝ドロ派〟の間違いは、
おそらく「泥(ドロ)のように眠る」からの連想だろう。

泥酔の「泥(デイ)」は中国の伝説に登場する骨のない架空の虫で、
南の海に棲んでいるという。水の中ではすこぶる元気だが、
水気を失うと一塊のドロのごとく、ふにゃふにゃになってしまう。
この様がまるで酔っ払いみたいだから、デイのごとく酔うことを
「泥酔(デイスイ)」と云ったのである。

Aと僕はデイのごとく酔いつぶれ、またまた家人の前で醜態をさらしてしまった。
「俺の法話は御利益があるからって、けっこう評判なんだよ」
などとAはしきりに自慢しておったが、酔いつぶれて蒲団に突っ伏し、
股ぐらをポリポリ搔いているような男の法話なんぞ、とても拝聴する気にならない。

翌朝、玉子かけご飯を旨そうに食べ、元気に出ていったAの背中に向かって、
僕は「また来いよ……和尚さん!」と心の中で声をかけた。

2010年8月16日月曜日

マイケルと安来節

マイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』を見た。
2009年夏、ロンドンの02アリーナで開催されるはずだったコンサート。
マイケルの突然の死で、ついに〝幻〟となってしまったが、死の2日前まで
入念に積み重ねられていたリハーサルの様子がみごとに収められている。

マイケルがめちゃくちゃすごい。とても五十路を越えた男とは思えない
キレのいいダンスに艶のある声。それにあのスレンダーな肢体を見てくれ。
またマイケルを支える第一級のバックコーラスやダンサー、バンド陣がすばらしい。
まずはこの美人ギタリスト・オリアンティの超絶技巧をご覧あれ。

僕もギターはポロンポロンやるが、どっちかというと古賀メロディとか
ナルシソ・イエペスがふさわしいようなギターで、見た目は、
「エリック・クラプトンにチョー似てるゥ」なんて言う正直な人もおられるが、
所詮、マイケルのバックがつとまるような器ではない。←当たり前だ。

わが家の娘2人は高校時にヒップホップダンスをやっていて、
今もジムなどでマイケルもどきのダンスに熱を入れているが、
いまだムーンウォークひとつできやしない。

昨夜もマイケルに刺激され、しきりに腰をフリフリしていたが、
ヒップホップと云うより安来節のドジョウ掬いに近い。
いくら足が長くなっても、民族の宿痾とも云うべき盆踊りのDNA
からは逃れられないようだ。

ところで、僕の女房はかつて競技ダンス(映画『Shall we ダンス?』のあれ)
の全日本学生チャンピオンだった。優勝時の8ミリ映像(いつの時代だよ?)
が今も残っているが、ワルツやタンゴ、スローフォックストロットといったモダンが
中心で、見てるとなぜか「鹿鳴館時代」が彷彿され、気恥ずかしくなってくる。

「お母さんがダンス日本一だったんだから、お前たちにだって
その才能が遺伝してるはずだ。やればできる。Yes you can!」
と、ダンス好きの娘たちに折々ハッパをかけるのだが、
受け継いだのは、どうやら安来節派の父親の遺伝子だったようだ。
不憫である。

日本には郷ひろみというマイケルの二番煎じがいて、
ときどきテレビでダンス・パフォーマンスを披露したりしているが、
中身は園児の学芸会レベルで、比較するのさえためらわれる。

それでも日本のショービジネスの世界では立派に通用するのだから、
うちの娘たちだって、スターになれる可能性は十二分にある。
出でよ、マイケル2世! じゃなくて、
出でよ、ひろみの二番煎じ(トホホ)!←あな恥ずかし

2010年8月15日日曜日

娑婆も業火に焼かれ

暑さのせいか、だれもみな恐い顔をしている。
ちょっと身体がぶつかっただけでも暴発事故が起こりそうで、
人混みが、恐い。

「もっと気楽に行こうぜ、ベイビー!」
恐い顔をした人たちに陽気に声をかけたいところだが、
当の僕がいちばん恐い顔をしているのだから始末に悪い。

カミュの『異邦人』の主人公・ムルソーは殺人の動機を、
ギラギラと照りつける太陽のせい、とした。
判決は死刑だった。が、彼は幸福だった。

日本が敗けた8月15日の今日、
母の顔を見に行った。siblingsはみな集まって酒盛りをしていた。
そのかたわらで、老母は子や孫たちの顔をじっと見ていた。
母はますます幼児化し、半分、猫になっていた。

ほどなく、弟夫婦と近くの寺まで送り火をした。
墓には残照が激しく照りつけ、軽いめまいさえ覚えた。
父の墓の近くには、自殺した友人Yの墓もある。
花と線香を供え、若き日の友の顔を思った。
「よく来たな。ずいぶんお見限りだったじゃないの……」
相変わらず口元にsneerな笑いを浮かべていた。

地獄の釜が開くという盂蘭盆。
精霊たちも、娑婆に戻ったはいいけれど、
この猛暑には呆れただろう。
「おやじ、まあビールでも飲みなよ。ところで、
地獄の景気はどんなあんばいだい?」

温帯から亜熱帯になってしまったニッポン。
そのうち熱帯に変わって、ますますビールが売れるだろうが、
ニンゲン様の顔はますます険悪になっていくだろう。
そして第2、第3のムルソーが出てくるたんびに世間は驚いたふりをして、
人間存在の不条理性がどうしたこうしたと、妙な理屈をこね始めるのだ。
かったるいなァ……。

今夜も寝苦しい夜になりそうだ。
何も考える気がしない。

2010年8月13日金曜日

あれから25年

100歳以上の高齢者の行方がわからなくなっていても、
「どこにいるか知らない」と他人事のようにうそぶく親族。
そしてその異常事態を長期にわたって放置しておいた役人たち。

乳幼児をおっぽり出したまま数カ月も家を空け、哀れ死なせてしまっても、
「もっと遊びたかった」と悪びれない母性喪失の夜叉ママ。

女子高生のスカート内を盗撮し、教え子に猥褻な行為を強要し、
車内で痴漢行為を繰り返すハレンチな警官や教師……etc。

いったいこのニッポンという国は、どうなってしまったんだ?
日本はかつて子供を可愛がり、年寄りを敬い、
お巡りさんや教師を尊ぶ国だったはずではないか。

司馬遼太郎は「日本人の電圧が下がってきている」と嘆いていたが、
下がるどころかショートしかかっているような気がしてならない。
人間が壊れてきているのである。

テレビでは「日航ジャンボ機墜落事故」について報道していた。
遺族たちによる悲しい25年目の慰霊登山。

当時9歳だった息子を失った美谷島夫妻は、
『御巣鷹山と生きる日航機墜落事故遺族の25年』という回想ドキュメントを
著した。息子さんの名前は健。野球好きの息子に夏の甲子園を観戦させてやろうと、
大阪行きのジャンボ機に一人乗せたのが悲劇の序章だった。

「9歳で、しかも1人旅だった健。『ダッチロールの32分間』がどんなに怖かったか
と想像すると、私の胸は張り裂けそうになる」
と母親の邦子さん。テレビでは、
父親の善昭さんが尾根に向かってしきりに息子の名を呼んでいた。
傷ましくて、とても見ていられない。

一方で壊れかかった人間性や母性に絶望し、
また一方で「まだ信じられる」と安堵する毎日。
暑い夏はまだまだ続く。

2010年8月5日木曜日

夢見る全共闘世代

『論語』の為政篇には「吾レ十有五ニシテ学ニ志ス」で始まる
有名な一節がある。四十ニシテ惑ワズ。五十ニシテ天命ヲ知ル。
六十ニシテ耳順(みみした)ガウ。七十ニシテ心ノ欲スル所ニ従ッテ
(のり)ヲコエズ 

六十で人の言葉が素直に聞かれ、七十になると思うがままに行動しても、
道を外れることはない――と孔子様は曰うのだが、そんな聖人君子がホンマに
おるんかいな、という感じがする。

少なくとも僕の周囲には「不惑」も「天命」も「耳順」も見当たらない。
耳順は何を聞いても本気で腹を立てない、という意味らしいが、
腹を立てないことがそれほどの美徳なのだろうか。

そんな君子然とした謹厳居士とつき合っても、おもしろくも何ともないではないか、
といっこうに天命(道徳的使命か?)をわきまえず、
自他共に認めるかんしゃく持ちのボクなんかは思ってしまう。
不惑も天命も耳順も、みんなクソを食らえ、なのである(孔子様、ゴメンナサイ)。

因果なもので、いわゆる全共闘世代も「耳順」と呼ばれる年齢になってしまった。
彼らはかつて、高らかにインターを歌い、ノヴァーリスは『青い花』の主人公みたいに、
見果てぬ夢(革命ごっこともいう)を追い求めた。そして今も、理想だけを追っかける
甘っちょろい精神構造は少しも変わっていない。
そう、ドイツ浪漫主義は左翼進歩主義と根っこは同じなのだ。

「二十歳までに左翼に傾倒しない者は〝情熱〟が足りない。
しかし二十歳を過ぎて、なお左翼に傾倒している者は〝知能〟が足りない」
と言ったのは、さてチャーチルだったか、それともディズレーリだったか……。
いずれにしろ、けだし名言というべきだろう。

ボクの周りには、その〝知能が足りない〟おっさんたちがウヨウヨいる。
彼らにはもちろん「耳順」などというご大層なものには縁がなく、
相変わらず夢見がちな瞳をして、かつて熱狂した学園闘争を懐かしげにふり返っている。
「あの時代はよかったな。俺たちは手当たりしだいに権威という権威を
ぶっ壊してやったんだ。そういえば機動隊と渡り合った時の同志たちの瞳は
清らかに澄んでたっけなァ……(死ぬまで言ってろ!)」

文芸評論家の福田恆存は言ったものだ。
「反体制という体制の許される世界での甘え。
反権力という権力欲の許される世界での甘え」と。
つまり「平和なときの平和論」と同じで、あくまで
身の安全が保証された上での反体制・反権力なのである。
精神構造は駄々っ子のそれと少しも変わらない。

日大全共闘のカリスマ議長・秋田明大は、『全共闘白書』
編集委員会のアンケートに回答を寄せているという。
Q「もう一度あの時代に戻れたら運動に参加しますか?」
A「しない。アホらしい」
われらが秋田メイダイさんよ! あんたは正しいぜよ。





←あのアキタメイダイも、
全共闘運動をふり返って、
「アホらしい」だって。
まともだな、こいつだけは

2010年7月30日金曜日

歴女、地に満てよ!

歴史は石器時代から学ぶより現代から過去へ遡っていったほうが
断然面白い。父母の若かりし頃はどんな時代で、どんな唄がはやり、
どんな服が流行していたのか。そしてどんな悩みを悩んでいたのか。

祖父母の時代はどうだったか、曾祖父母は激動の明治をどう生きたのか。
そのまた高祖父母は佐幕派? それとも勤皇派? 秩父あたりの山猿がご先祖の
わが一族では、事績と呼べるようなものなどあるまいが、それでもご先祖さんが
どのようにして時代を生き抜いてきたのか、興味津々である。

歴史教育というのは、こうして身近な人間を感じながら過去を遡れば、
活きいきとした生気が吹き込まれてゆく。学ぶ側の興味だって持続する。
名も知らぬ古代人の生活を学ぶのは、ずっと後回しでいいのである。

今朝の読売新聞の三面に『生徒3割 日本史素通り』の見出しがあった。
高校の「地理歴史」の教科では、原則2科目が必修で、必ずとるべき世界史に
加え、日本史か地理のいずれかを選べばいいという。で、結果、生徒の3割前後
が日本史を履修していないらしい。

今年4月に実施した日韓共同の世論調査では、「日韓併合」を知らない日本人の
比率は26%(韓国は9%)、20歳代では33%(韓国13%)だったという。3人に1人が
韓国人の言う「日帝36年(韓国は数えで計算する)」を知らず、ヨン様だ
ヨンハちゃんだと騒いでいるのだから、これほどおめでたいことはない。
当然ながら、伊藤博文首相が安重根に暗殺されたことなど知るよしもない。

僕は「文科省なんかつぶしてしまえ」と数十年前から言いつづけている。
ゆとり教育にしろ何にしろ、文科省の繰り出す施策で、日本国や日本国民の
ためになったものが1つでもあったか? ゲスの勘ぐりかも知れないが、
中国や韓国を利することばかりやってきたのである。

多くの国では子供たちへの歴史教育はかなり意図的かつ作為的に行なわれている。
国家への帰属意識は、歴史の共有から生まれてくると堅く信じているからだ。
現代のようなグローバル化、ボーダーレス化時代にあっては、国家というものを
絶えず意識していなければ、「その他大勢」の国々の中に埋もれてしまう。

歴史的共同体、文化的共同体としての日本というものが亡くなってしまえば、
さほど特色はないけれど、金儲けだけはやたらうまい人たちが極東の島に
暮らしている――なんてことになってしまう。これでは軽侮されることはあっても
尊敬されることは決してない。三島由紀夫の『文化防衛論』の背景には、
こうした危機感が読み取れる。

NHKの『龍馬伝』のおかげ(というよりイケメン福山雅治のおかげ)で、わが家の
オンナ3匹は、突然、グレゴール・ザムザみたいに「歴女」に変身してしまった。
「ちょっと寺田屋を見に伏見まで」「ついでに京の土佐藩邸跡も見てこよおっと…」。
女房などは出張にかこつけて龍馬の足跡を丹念に辿っている。ちょっぴり頼りない
だろうけど、少なくともわが家だけは「文化防衛」の一翼を担う覚悟でいる。
イザ……。

2010年7月22日木曜日

ヨーロッパの光と影

BSの『欧州ライフ』だとか『欧州鉄道の旅』なんてのんきな番組を見ていると、
つくづく「ヨーロッパは豊かだなァ」と思ってしまう。しかし同時に、
「この豊かさは何世紀にもわたるアジアやアフリカの植民地支配から
もたらされたものなんだよなァ」とする苦い感慨もわき起こってくる。

かつてヨーロッパは荒涼とした貧しい土地だった。
オリエントとの交易でも、近東に届けることのできた商品は、
せいぜい羊毛、皮革、蜜蝋くらいで、他には何もなかった。
他方オリエントからは砂糖や胡椒など各種香辛料の他、
樟脳や大黄などの薬品、染料や生糸、珊瑚に宝石、
高価な陶磁器などが持ち込まれた。ヨーロッパは恒常的な入超だった。

しかし、『驕れる白人と闘うための日本近代史』(松原久子著)を読むと、
ヨーロッパ諸国の歴史書にはほとんど記されていないという意外な事実が
示されている。ヨーロッパはアジアへの輸出のために、何世紀にもわたって
〝特別な商品〟を用意していたというのだ。
その商品とはキリスト教徒の男奴隷と女奴隷だった

ヨーロッパではしばしば大掛かりな奴隷狩りが行われていた。
とりわけボルガ河沿いのロシア平原でスラブ人の男女が捕らえられ、
ジェノヴァの奴隷商人らの手によってレバノンを経由し、遠くダマスカスや
バグダッド、さらには北アフリカのサラセン人の町などへ売られていった。
しかしこうした恥辱にまみれた歴史は、公に語られることは少ない。

ちなみに英語のslave(奴隷)という言葉は、ギリシャ語のSlav(スラブ人)
が語源だ。スラブ系のロシア人やセルビア人にとっては、過去に奴隷として
売買されたという自民族の忌まわしい歴史を惹起させる言葉で、
まことに不愉快千万に違いない。

のちに輝かしい大航海時代を迎え、ヨーロッパの反撃が始まるが、
ロマンあふれる探検旅行の実態は、優れた文化の普及や異教徒の魂の救済
余計なお世話なんだよね)どころか、侵略と虐殺、掠奪の血塗られたものだった。

あの伊人コロンブスのアメリカ大陸発見(先住民からすれば、
別に〝発見〟されたくはねえや、ということになるのだろうが……)
でさえ略奪が目的の旅で、スペインに富と資源をもたらせば、
コロンブスはそのお宝の10分の1がもらえるというせこい契約だった
コロンブスは掠奪遠征隊の親玉だったのである。

欧米人の多くは、自分たちの歴史こそが世界史だと思っている(フシがある)。
そしてあらゆる民族は、欧米文化の恩恵に浴することで後進性から救われたのだ、
と思い込んでいる(フシがある)。「未開人たちの蒙(もう)を啓(ひら)いてあげたのは
文明人の私たちなのよ。少しは感謝したらどうなのよ、エーッ?」ってか? 

欧州は歴史の表舞台に10周遅れで参加し、たかだか近代に華々しくデビュー
してきただけなのに、人類史のすべてにわたって主役を演じてきたかのような
顔をして澄ましている。厚顔無恥もいいところだ。

英語に堪能な友人Nは、英語は「怒りの言語」だと言う。英語でしゃべっているときは、
なぜか権利の主張に全精力を注ぐという非常に攻撃的な思考回路が働く、
というのである。そうした心的状況におかれた自分は、ほんとうの自分でないような
気がしてイヤなんだ、と彼は言うが、その攻撃的な言語は、まぎれもなく
ヨーロッパの食うか食われるかという酷烈な風土・歴史が育んだものなのである。

ソファにごろりと横になり、のんびりしたヨーロッパの紀行番組を見ながら、
欧州の豊かさに敬意を表しつつも、いくぶん興ざめで理不尽な彼らの歴史も
同時にふり返ってみた。やれやれ……。





追記
《アメリカ大陸の「発見」という言葉それ自体が、ヨーロッパ人の自己中心的な世界観に基づいている
わけで、アメリカ大陸には2万年も前からモンゴロイド系の人々がユーラシア大陸から移り住んでいたと
いう事実を、偏見なしに受けとめれば、「コロンブスはヨーロッパ人として初めて足を踏み入れた」などの
表現に変えるべきでしょう》とは鈴木孝夫著『日本の感性が世界を変える』から引用。

2010年7月19日月曜日

カリスマ焙煎士

コーヒー名人にまつわる本を書いたためか、
世間は僕のことをコーヒー通と思い込んでいるふしがある。
とんだ誤解である。僕はそんなご大層なものではなく、
ただのコーヒー好きにすぎない。

昔は味音痴のことを「のどめくら」といった。
今は差別用語(言葉狩りは実に愚かな行為です)になっていて、
大っぴらに使うことはできないが、
僕は隠れもないのどめくらなのである。

その味音痴が、今をときめくコーヒー名人・大宅稔氏と接近遭遇した。
大宅氏は京都府美山町に「オオヤコーヒ焙煎所」を開設していて、
世間では彼のことを〝幻の焙煎士〟だとか〝カリスマ焙煎士〟などと
褒めそやしている。小売りはせず、住所や連絡先なども非公開。
大宅氏のたてたコーヒーを手ずから飲む機会は、時々出没するという
コーヒー屋台のみとなれば、その〝まぼろし度〟はいやがうえにも高まってくる。

その大宅氏が東京・蔵前にコーヒー屋台を出すと聞き、
コーヒー好きの友人と連れだって行ってみた。
大宅氏のコーヒーは過去に何度か口にしている。
娘の上司の商社マンI氏がわざわざ手に入れてくれたのが最初で、
その後、女房が関西出張の折に何度か買い求めたりした。
飲んだ印象を劇画調に言うと「ムム……ただ者ではないな」となるだろうか。

直接小売りはしないが、大宅氏の焙いた豆を弟子筋の店で
分けてもらうことはできる。京都の「KAFE工船」や
六花」「オパール」などがそれである。

蔵前に出現した屋台はたった5席の小体なつくり。
ロハスな感じの大宅氏が、はんなりとした手つきでネルを操り、
濃茶点前のような濃醇なコーヒーをたててくれた。

品書きはカメルーンの浅煎りとグアテマラの中深煎りの2品のみ。
どちらものどめくらの僕を唸らせるに十分な出来ばえで、
どこか〝コーヒーの鬼〟と呼ばれた名人・標交紀のコーヒーを彷彿させた。

たかがコーヒーと馬鹿にしてはいけない。
広い世間には、ロマネ・コンティのようなコーヒー――すなわち
焙煎士の銘を心に刻みつけたくなるようなコーヒーも存在する。

写真で見ると、大宅氏の焙煎機はランブルの使っているのと同じ
富士珈琲機械製作所の、通称〝ブタ〟と呼ばれる3.5キロ釜と思われる。
大宅氏はまだ若い。後生畏るべし、とはよく言ったもので、
コーヒーを味わったかぎりでは噂にたがわぬ名人とみた。
ここはひとつ、大宅コーヒーのゆくすえをじっくり見守ることにしよう。


2010年7月15日木曜日

人権派大っきらい

以前、近所の焼き肉レストランでこんな光景を目にした。
親子4人連れの家族が食事をしているのだが、
食事中、一切会話がないのである。
禅堂みたいに食事中の会話を禁止しているわけではなかろう。
この一家には、そもそも「会話」というものが存在しないのだ。

見ると、父親は酒を飲みながら肉をせっせと焼いている。
そのかたわらでは、2人の男の子がゲームボーイに熱中し、
母親は母親で、ケータイのメール打ちに興じている。
肉が焼けると箸をつけるのだが、ゲーム機やケータイの
画面に顔を向けたままで、相変わらず会話はなし。
この不作法を父親は叱ろうともしないから、おそらく
この一家の食事風景は、いつもこんな具合なのだろう。

西諺に曰く、
Spare the rod and spoil the child.(ムチを惜しむと子供をダメにする)
また旧約の箴言集26章にも、
《馬のためにはムチあり、ロバのためにはくつわあり、
愚かなる者の背のために杖あり》とある。

洗濯機の中にわが子を入れて回してしまうような体罰を
〝愛のムチ〟とはいわないが、悪さをした子供の頬を、
思いあまって叩いてしまった経験は僕にもある。

どんな状況下であっても暴力はいけない、
と人権派は言う。が、必ずしも僕はそう思わない。
もし僕が冒頭の焼き肉だんまり一家の長であるなら、肉を食わせる前に、
愚かなる息子たちへまず平手打ちを数発食らわせてやるだろう。

イギリスのパブリックスクールでは悪さをした子供への体罰として
籐のムチで尻を叩くという躾が、1986年、ようやく法律で禁止されたという。
日本では60年以上も前に教育現場での体罰が禁止(1947年、学校教育法第11条)
されているのに、イギリスではごく最近まで法律で認められていたのである。

もっとも、僕は高校時代も生意気だからとセン公によく殴られていた。あの時、体罰が
法律違反だってことを知ってたら、「先生、殴ったりしたら、手が後ろに回りますぜ」
と凄んでやったのに……ああ、返すがえすも残念至極。僕らの時代は、
先生が生徒を殴るのは当たり前で、今とは正反対だった。←どっちも恐いヨ

動物学者のコンラッド・ローレンツも言っている。
《子供の時にガマンを含め、肉体的な苦痛を味わった
ことのない子供は、長じて不幸な人間になる》と。

ところで、体罰を禁止したイギリスの学校の後日譚だが、
ムチ打ちをなくしたら途端に学校が荒れ出して、
体罰復活を望む声が澎湃と湧き起こったという。

子供なんてものは人間になる前の動物で、まだ修行の身なのだから、
ストイックな生活を強いられムチで叩かれるのは当然ではないか。

「躾」という字は武家礼式の用語として生まれた国字
(峠や凪などと同じく日本発祥の漢字のこと)のひとつで、
「身のこなしを美しく」の意だ。美しくなりたかったら、
せいぜいムチで叩かれることだ。←アミタイツにハイヒールのムチも可

2010年7月10日土曜日

美しく生きる

僕は若者嫌いを公言し、自著の中にもそのことを再三書いてきた。
理由のひとつは、彼らが恐ろしく無知だと云うことだ。
彼らは信じがたいくらいものを知らない。なぜって? 本を読まないからだ。
人類がこれまで育み培ってきた知恵を、受け継ぐ気などさらさらないらしいのである。
それでいて一流大学で学んでいる、というのだから笑わせる。

「おたくのお子さんは、どちらの学校へ?」
まず、この種の問いかけを禁句にすべきだろう。
どこの学校で学んだかは問題じゃない。何を学んだかが問題なのだ。

俗に「自由放任は野蛮人をつくる」という。
ケータイがほしいと言えばすぐ買い与え、
わが子がスカートの裾をたくし上げたり、腰パンをはいても見て見ぬふりだ。
結果、姿勢正しくすがすがしい青年の姿を見ることまれになってしまった。

また一方では、兵庫・宝塚で、日頃のしつけが厳しいと、
中3少女が友人と謀り、自宅に放火して母親を殺してしまった。
殺した理由は、ただ「うざいから……」

語彙が貧しければ、精神世界は当然のごとく貧寒で、深くものを考えられない。
考えるという行為には言葉がつきもので、言葉が貧しければ考える中身も
貧しくならざるを得ない。語彙が豊富なら精神世界は豊かで、もちろん
他人への思いやりといったものも、その世界を彩ってくれる。

中3少女にとっては「うざいor not」がすべてで、わずか数百語程度の語彙力で
この世界を推し測っている。『論考』のウィトゲンシュタインも言っている。
The limits of my language means the limits of my world.
(言語の限界は世界の限界を意味する)と。
語彙の貧しさは視野狭窄のエゴイストをつくってしまうのだ。

自分を圧迫するものはすべて「うざったいもの」に分類され、
それらはある日突然、予告なしに消去される。親兄弟も例外ではない。

最近の若者たちに特徴的なのは、まず挨拶ができない。
人づきあいの上での常識が著しく欠けている。
何人かに立ち混じれば、自ずから働くべき心くばりというものが一切ない。
KY(空気が読めない)なんて幼児性丸出しの言葉が流行っているが、
彼らのKY度は想像をはるかに超えている。おまけに、
矜恃、プライド、まるでなし。要は生き方がマジメじゃないのだ。

6月22日付のブログ『哀しきフランス人』の中で、
「フランス人さえいなければ、フランスという国は最高なのに」
などと、悪口を書いてしまった。因果はめぐる小車か、来月、フランスの高校生を
預かるハメになりそうだ。読書とマンガを描くのが趣味という静かな女の子だという。
であるなら、少なくとも「うざい」などという下品な言葉で
世界をひと括りにするような野蛮人ではないはずだ。

人生で一番大事なものは何だろう。
いのち長らえること? それとも金儲け?
僕は美しく生きることだと思っている。
「マジですか?」
「……ウーン」

2010年7月5日月曜日

ようこそウサギ小屋へ

時々、短期の留学生を預かる。
なぜ短期かというと、わがウサギ小屋rabbit hutchには余分な部屋がないからだ。
長期(1年)の学生は預かりたくても預かれないのである。

留学生にはプライバシー保護の観点から1部屋明け渡さなければならない。
となると、家族構成員の中から、1人はじき出される計算になり、
その悲しき犠牲者はたいがい僕の役回りとなる。

昼間はいいが、夜、寝る場所がない。
仕方がないから、仕事場兼書斎の、それも
溶岩のように堆積した本と本の間に、わずかな隙間を確保し、
そこにふとんを敷いて寝るという仕儀になる。もし地震で本が
崩れでもしたら、哀れ圧死というマヌケな最期を迎える

ある時、脚を折り曲げ猫みたいにちぢこまって寝ている姿を、
オーストラリアからの留学生(この時は高校の女の先生だった
に目撃され、互いにバツの悪い思いをしたことがある。

しかし、ありのままの日本人の生活を見てもらうという意味では、
国際相互理解に貢献している(←モノは言い様だな)ようで、
帰国後にどんな報告をしているかは知らないが、
ニホンノオトウサンハ、ジブンヲギセイニシテ、ワタシヲモテナシテクレマシタ
などと、好意的に受け取ってくれたに違いない。←甘いねェ、君は

留学生にはなるたけふだんどおりの生活を見せることにしている。
といっても裸にステテコ姿であちこち歩き回ったり、
いきなりオナラの3連発(←これ、あくまで喩えですから誤解のないように
を食らわす、なんてはしたないことはしない。わが家の場合、
いつものようにお上品に過ごせばいいので、いたって気は楽だ(ホントかよ)。

タイ、マレーシア、ニュージーランド、オーストラリア、フランス、イタリア、
アメリカ、中国、台湾……etcとさまざまな国からお客さまが来た。
今秋は次女の友人たちがイギリスから大挙して押しかけてくる予定だ。
その間は、たぶん極度の失語症に陥るだろうから、
今のうちにいっぱいしゃべっておくことにする。

閑話休題。
右側の金魚だか鯉の泳ぐ池にご注目あれ。
ここにマウスのポインターを置くと金魚が寄ってくる、
というのはかねてより知っていたが、クリックするとエサが出る仕掛けを
うかつにも知らなんだ。おヒマな方はぜひエサをやってください。
いくらでも食べますから。




←娘たちが世話になった高校生留学組織「AFS」

2010年6月30日水曜日

祭りのあとの寂しさは……

サッカーW杯、決勝トーナメントの日本対パラグアイ戦。
延長戦の末のPK戦で、日本は惜しくも敗退した。
PKの得意なDF駒野がまさかのミスキックをおかしてしまった。

わが家は全員が最後まで観戦。0対0の後半戦で、パラグアイがボールを持って
攻め上がったりすると、長女は「ダメ、キャーッ、ヤメテ、あっち行って!」と大絶叫。
深夜の隣近所に、おそらくブブゼラの130デシベルを超える騒音をまき散らした
ことだろう。うるさくて見てられない。

渋谷交差点や大阪・道頓堀あたりでは、おバカな若者たちが調子をこいて、
花火を打ち上げたり、堀に飛び込んだりしたという。若者ぎらいの
俺は、毎度のことながら「みんな溺れてしまえ!」と神に祈った。

全体に盛り上がりに欠け、技術的にも低調な対パ戦だったが、
あれが日本のまぎれもない現在ただ今の実力だと思えば、
(あの程度のレベルで、よく16強に残ったもんだ……)
と、むしろその幸運を喜ぶべきだろう。

サポーターたちは涙にくれながらも、
「感動をありがとう!」
「元気をもらいました」
「負けたけど、次につながる負け方でした」
などと、口々に叫んでは熱狂の余韻をかみしめていた。

(ああ、また『感動をありがとう』『次につながる負け』かよ……)
つむじ曲がりの俺はこの言葉が大きらい。
「いっぱい元気をもらいました!」
と叫ぶ安っぽい感動顔もきらい。何が元気をもらっただ、ケッ!

「背中を押してもらう」というのもイヤらしいな。他者依存型タイプ
の常套句で、不羈独立の精神がみごとに欠落している。
ためしに俺の背中を押してみな、ただじゃおかねえゾ。
な~んてヤー公みたいに凄みたくなっちまう。

「……をさせていただきます」
というのも自信がなさそうでイヤ。芸ノー人とか鳩山のお坊ちゃまがよく使ってる。
閨房のしとねでも幸夫人を前に「◎△☆◇……をさせていただきます」
なんて、ペコリと頭を下げているのかしらん。死ぬまでやってろ!

ああ、DF駒野よ、泣くんじゃねえ、泣くんじゃねえよォ。←新国劇のノリで
運がなかっただけで、だれもおまえを責めたりはしないさ。
おまえが悪いんじゃないんだ。ただヘタクソだっただけだ。←やっぱ責めてる
「イタリアの至宝」と呼ばれたあのロベルト・バッジョでさえPK戦に破れ、
ゴール前で呆然と立ちつくしていたではないか。
駒野よ! Walk tall. の精神だ。顔を上げろィ、胸を張れェ!

2010年6月27日日曜日

大男、知恵が総身に……

オランダやデンマークといった国は巨人の国だ。
その彼らに伍して、リリパット王国(小人国)の我らが戦士たちは
よく戦った。南アフリカのサッカーW杯の話である。

かつてドイツに行ったときも、(なんてでかい奴らなんだ)と、
巨人国を肌で感じたものだ。ドイツとオランダは言語や民族的には同類で、
ドイツ人をドイツ語でDeutsche(ドイチュ)というが、オランダ人は英語で
Dutch(ダッチ)という。元来、同じ単語なのである。

一方、明治期の日本人は揃ってチビだった。英国に留学した漱石などは、
自らを〝東洋の豎子(じゅし)〟と嘲り、神経衰弱になってしまったが、
漱石より8㎝も小さい外相の小村寿太郎(150㎝)は「ネズミ」というあだ名を
モノともせず、その立ち居振る舞いは立派で、
威風あたりを払うものがあったという。

北京で各国外交官が居並ぶなか、清国の李鴻章が、
「日本人はみな閣下のように小さいのか?」とからかったのに対して、
「いや李閣下のように大きいのもいますが、大男は知恵が回らないので、
相撲などとらせて生計の道を与えてます」とやり返したという。
その大男たちは今、野球賭博問題でヒーヒー言っている。
社会常識に欠け、知恵が回らないのは相変わらずだ。

優勝候補と目されるオレンジ軍団のオランダ人も、昔はチビだったらしい、
と司馬遼太郎の『オランダ紀行』にある。博物館にあった古いベッドを見て、
(160㎝程度か……)と推理したのである。その推理を某人類学者がこう
補強している。「オランダ人はインドネシアを植民地にしてから背がのびたのです」

オランダは350年もの間、インドネシアを支配。苛斂誅求で臨み、
国家財政の3分の2を同国からの収奪で支えた。
〝コルクの上に浮かんだ国オランダthe cork on which the Netherlands floats〟
という言い方がある。欧州の小国家オランダは、東インド(インドネシア)という
〝コルク〟のおかげで水没をまぬがれている、と周辺国家に皮肉られたのである。

インドネシアに寄生したおかげで栄養豊かな大男になったオランダ人。
1942年、リリパットの日本軍はジャワ島に上陸、たった9日間で
オランダ軍を放逐する。しかし日本軍が敗れると、いけ図々しくも
インドネシアの再植民地化を図ろうとするが、とうとう独立を認めざるを
得なくなるや、あろうことか今度は手切れ金を要求した。
オランダは骨の髄まで寄生虫国家だったのである。

そのオランダを昭和天皇が訪問した際、民衆は天皇に向かって
卵や魔法瓶をぶつけた。オランダ軍捕虜を虐待したから、というのだが、
結果的にしろインドネシアの独立を助けた日本
(独立戦争ではインドネシア国軍に加わった日本の義勇兵が
2000人近くいて400名が戦死)とオランダの、
いったいどっちに理があるというのか?

アフリカの地で、大男たちを前にして戦っている小人国の健気な同胞たちを見て、
オランダの犯した過去の罪過をあげつらうのも大人気ないとは思うが、
これも愛国心の発露か、ついそんなことを思ってしまった。ニッポン、がんばれ!

 




 

2010年6月22日火曜日

哀しきフランス人

ドイツはライン河畔にあるケルンという町に行ったとき、取材先の
レストランのオーナーが、店の前の通りを指さして、「この道をナポレオンが
進軍していったんだ」と誇らしげに語っていた。

ケルンkölnの語源はラテン語のコロニアcoloniaとされている。
すなわち植民地の意で、かつてこの町はローマ軍の植民市であり、
ナポレオンの占領地でもあった。ローマやフランスのコロニーであったのに、
なぜケルン市民はそのことを誇りに思うのか。

端的に云うと、おらが村さへ文明がやってきた! って感じだろうか。
「ちょっとばかり屈折した感情だけんども、北の地にあったおらが村は
ローマから見れば蛮族の棲む未開の地。そこに文明の光を引っ提げて、
遠くローマから小隊が送られてきた。占領されちまったけんど、
なんだか無性に嬉しい。これでようやくおれっちも、
輝ける文明人の仲間入りだわさ……」

フランスもかつてはガリアと呼ばれた蕃地だった。
そこにローマ軍がやってきて、あまねく文明の光を注いでくれた。
これがフランス中華思想の原形で、いまでもフランス人の心の中には、
ドイツなど周辺諸国を下目に見る華夷秩序に似た優越意識が、
ひっそりと息づいている。

「フランスにフランス人がいなかったら、どんなにすばらしいことか!」
などと、フランス以外の「夷狄」の人々は強烈な皮肉を言う。
フランス人嫌いが一様に難じるのはフランス人の傲慢さと愛想のなさだろう。

思想家の内田樹に云わせると、サービスというのは奴隷が主人に向かって
することだ、という意識があるため、愛想が悪ければ悪いほど、
社会的なポジションは上がっていく、と考えるのがフランス風なのだそうだ。
だからフランスの郵便局や銀行の窓口は、チョー不機嫌な人たちの見本市と相成る。

このぶっちょう面も中華思想の一環であるのなら、文明の意味って何なんだ、
ということになる。話変わって、サッカーのW杯でフランス代表が監督と衝突したり、
練習を拒否したり、サルコジ大統領が介入するほど内紛で大もめなのだという。

ああ、フランス人抜きのフランス代表だったら、どんなにすばらしいことか!

2010年6月16日水曜日

イクメン主夫の味

育児に積極的な男性を〝イクメン〟というのだそうだ。
となると、さしずめ僕なんかイケメンのイクメンか?

昔は〝主夫〟などと呼ばれ、僕もささやかな育児体験をまとめた
本(『おやじの世直し』)を出したり、いろんな雑誌に出て自慢の
手づくり料理や酒肴を披露したりもした。真のイクメンは育児だけでなく、
台所仕事にも積極的でなければいけない。

笑っちゃうのは、「主夫vs.シェフ対決」と称して、
有名料理人と誌上で朝食作りの競作をやったことだ。
できあがった僕の料理はそれこそ奇妙きてれつな味で、
とても食えた代物ではなかったが、心やさしき編集者たちは
「変わった味だけどおいしい」といって、ムリして食べてくれた。
哀れなのは読者で、たぶん雑誌の信頼性は
地に堕ちたことだろう。重ね重ね申しわけない。

さて20年以上もイクメン主夫をやってると、いささか飽きが来る。
最初の頃はさまざまなジャンルの料理に挑戦したものだが、
だんだんくたびれてくると、レパートリーが固定化し、食卓に並ぶ顔ぶれも
同じようなものになってくる。「得意料理だから」というのは
体のいい言い訳で、要は新メニューに挑戦するのが面倒くさいのだ。

それでも2人の娘は僕の手料理で育ったから、
折にふれて思い出すのは「おふくろの味」ではなく、
「おやじの味」のはずだ。そう、すべてがやや「しょっぱめに傾きがちな」
あの懐かしい料理である。すこぶるうまいけれど、塩けと油っけが強いから、
あんまり身体に良くはない。

今週末、およそ1年ぶりに次女が英国から帰国する。
まずいと云われるイギリス料理にサヨナラし、愛情たっぷりの「おやじの味」を
死ぬほど恋しがっているだろうから、
身体に良くない料理をたんと作ってやるつもりだ。

宰相の「宰」の字は、はるか中国にルーツを辿れば、家老職
を指すとともに料理人をも意味した。肉や料理を切り分ける
「分配の才」に長じていれば、人材も適材適所に配分できる、
という理屈だ。

仕事のできる男は料理もできる(と思いたい)。
出世したけりゃ、せいぜい厨房に入って料理の奥深さを学ぶことだ。
聞けばイクメン料理で育った子はイケメンになるという。(←ホンマかいな?)
Sure! ホンマなのだ。 one who believes will be saved.

2010年6月9日水曜日

親思う心にまさる親心

年のせいか、やけに涙もろくなってきた。

子育てまっ最中のヤングママさん。
背中に赤ん坊をおんぶし、前と後の荷台にちっちゃな子供を乗せ、
必死に自転車を漕いでいる。まるでサーカスの曲乗りみたいだ。
それでも昔のような所帯やつれ、といった湿っぽさはない。

髪ふり乱してがんばっている若いお母さんの姿を見ると、
つい目もとがうるみ、「がんばれよ!」と声をかけたくなってしまう。

(うちも20数年前はこんなふうだったな……)
どこかほろ苦い思い出の断片が、ちらと脳裏をかすめてゆく。

先月、老母の米寿を祝ってささやかな温泉旅行に繰り出したが、
母はすでに涅槃の境地に達しているのか、終始、童女のような笑顔で、
不肖の息子たちを見守っていた。まさに慈母観音菩薩そのものだった。

生気と水っけが抜け、若い頃の半分くらいに縮んでしまった老母のことを、
最近は毎日のように思い浮かべる。なぜ母のことが気になってしまうのか、
自分でもよく分からないのだが、時に「かあさん」などとこっそり呟いてみると、
不覚にも涙のごときものがあふれ出てきてしまう。

俗に親孝行と火の用心は先にしたほうがよい、などと云う。
しかし正直なところ、親から受けた養育の恩をどうやって返したらいいのか、
さっぱり分からないのだ。

母よ、おしえたまえ。
あなたはいま、幸せですか?
私はあなたの善き息子でしたか?

2010年6月3日木曜日

サルにも劣る

誤解を恐れずに云うと、エリート教育は必要だと思う。
よくnoblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)というような言い方をする。
哲学者のオルテガが『大衆の反逆』の中で使った言葉で、
高貴な身分の者には道徳的な義務がともなう、という意味である。

第一次世界大戦の時、イギリスの戦死者数の比率を階層別に見たところ、
貴族の死亡率が圧倒的に高かったという。つまり戦場では、
最前線で陣頭指揮を執り、砲煙弾雨の中、敵陣へまっ先に駆けだしたのは
貴族出身の将校たちだった。

ふだんはやんごとなき身分を約束されているが、一朝有事の際には、
市民の見本となるような高貴な生き方を身をもって示す。これが
noblesse obligeの意味である。

エリートとノン・エリートとはどこが違うのか?
簡単に云ってしまうと、責任をとるのがエリートで、
その必要がないのがノン・エリートだ。

わが国にも自称エリートはいっぱいいる。東大のそれも法学部卒の人たちなどは、
内心エリートだと自負しているだろう。それはそれでけっこうなのだが、
いざとなった時、noblesse obligeをどこまで実践できるかが問題だ。

ハト山のお坊ちゃまみたいに、銀のスプーンをくわえて生まれてきたにもかかわらず、
責任をとらずに中途で政権をおっ放り出す、なんていう出来損ないのエリートもいる。
総じて日本のエリートたちの多くは、めったに責任をとろうとしない。

その代表でもあるお坊ちゃまは、あろうことかあるまいことか、
「国民の皆さんが聞く耳を持たなくなってきた」などと、
自分の無能を棚に上げ、国民に責任をなすりつけようとさえしている。
あきれ果てた男である。これじゃ、一億総懺悔とか云って、
戦争責任に頬っかむりした先の大戦の指導者たちと同じである。

ハト山、じゃなくてサル山では、かわいい小猿ではなく大猿にエサをやろう。
いざとなったら群れを守るために外敵と戦うのだから、腹ペコじゃァつとまらない。
ハトよりサルのほうがnoblesse obligeの何たるかを知っている。

2010年6月2日水曜日

泣くな小鳩よ!

鳩山のお坊ちゃまがついに辞任した。
小沢一郎も詰め腹を切らされた。
ふたり仲良くご退陣、めでたいかぎりである。

「不徳の致すところ」「ふつつかな私」「宇宙人と呼ばれている」
などという退陣の弁だったが、バカ云ってんじゃない、お前さんなんざはじめから、
不徳でふつつかな宇宙人が背広着て歩いてるようなものじゃないか。
そもそも生き馬の目を抜く政治の世界で生きていけるような器ではないのだ。

美辞麗句でさんざっぱら沖縄の基地問題を引っかき回し、
実現の可能性もないのに勝手な夢を見させたあげく、
収拾がつかなくなると、はいサヨナラ。
これほど罪つくりな無責任男は見たことがない。

目立ちたがり屋の鳩山夫人はサミットの晴れ舞台で、
目いっぱいオシャレをし、奇矯な言動でマスコミの注目を集め、
ここを先途と夫の人気回復に手を貸したかっただろうに、
まことに残念至極。せいぜい夫婦で思いっきり泣いてくださいな。

あの虚ろな目をしたエイリアンが官邸を去ってゆく。
まことに慶賀に堪えないが、次なる総理も、さらにうわての
「軽くてパー」じゃ、いよいよニッポンもおしまいだ。

2010年5月31日月曜日

ハトがガンになる日

ハト山のお坊ちゃまが、とうとう馬脚(鳩脚?)を現し、ハトからガンになってしまった。
お坊ちゃまの低能ぶりは、昔からつとに知られるところで、僕なんか
機会あるごとに揶揄、嘲弄、罵倒してきたものだが、「鳩山=ハト派=善玉」という
短絡的分類が久しく横行してきたおかげで、「ボンクラの正体見たり……」
という具合には、なかなかならなかった。

政治家のレベルは国民のレベル以上にはならない、とはよく云われる言葉だが、
まさにその通りで、お坊ちゃまの低能ぶりは、われら日本国民の低能ぶりを
そのまま写したものと云っていい。情けない話だが、史上最悪のバカ殿を戴いた
日本国民は、史上最悪のおバカな家臣団なのだ。

お坊ちゃまは「友愛」をその政治理念に掲げ、先の日中首脳会談では、
東シナ海を「友愛の海にしましょう」と提案した。しかるに現実は、
中国海軍の艦船がわがもの顔に遊弋し、あからさまに示威行動
を示すに至っている。御しやすし、と侮られたのである。

そもそも「民主主義」とは何なのか?
簡単に云ってしまうと、人間同士、お互いにつかみ合いや取っ組み合いの
ケンカをしない程度の秩序だけは守ろうよ、というのが基本概念で、
「democracy=でも暮らしいい」な~んてのんきに洒落てる場合じゃなく、
中身はまっことリアリスティックで泥くさ~いものなんじゃ。(←龍馬か、おまえは!)

つまり、人間は放っておくと何をするかわからないし必ず衝突する。
マキャベリではないが「ヒトはみな悪党だ」とする「性悪説」に立脚している。
ハト山のお坊ちゃまが掲げる「性善説」など、誰も信じちゃいないのだ。

そんなことは東西の歴史をちょっとばかり囓れば、誰にだってわかることで、
お坊ちゃまの人間観、歴史観は空想家が抱きそうな甘っちょろい幻想に過ぎない。
政治家に求められるのは健全なリアリストであって、夢見ることではない。
その点、お坊ちゃまはあまりに幼稚で、実に危険極まりないのである。

よりにもよってこの時期に、朝鮮半島にはキナ臭い暗雲が垂れ込めてきている。
有事法制さえままならない日本が、いざ中原に覇を競うという事態になったとき、
ハト山総理の最高司令官でやっていけるのか。ぶじ難局を乗り切れるのか、
不安はつのるばかりなのである。

この際、何度でも云う。
あの焦点の定まらないような目つきをしたノーテンキな総理を、
キャピキャピはしゃぎ回る奥方共ども、早くニッポン丸の操舵室から引きずり下ろしてくれ。
そして永久に政界から追放してくれ。このオメデタ夫婦にふさわしいのはバカタレ
(おバカなタレントの略)どもが跳梁跋扈する〝芸ノー界〟しかないのだ。

2010年5月25日火曜日

本棚が消える日

学生時代、友人Y君の下宿を訪ねたら、6畳一間にミカン箱と
読みさしの本が数冊置いてあるだけで、あとは何もなかった。
テレビはおろか、机もなければ本棚もない。殺風景といえば、
これほど殺風景な部屋はなかった。

大学卒業後、英字新聞の記者となったY君は、秋田出身の英才で、
猛烈な読書家だった。ところが彼の下宿には、読書家を思わせるような
痕跡がまるでなかった。それも道理で、Y君は読んだはしから古本屋へ
売り飛ばしていた。そしてその代金で、また新しい本を買う。

僕は彼の合理的かつシンプルな読書生活をカッコいいと思い、
さっそくマネてみた。買う→読む→売る→買う……おかげで学生時代の
蔵書数は実に貧寒なものとなった。そして今はというと、増えるにまかせている。
当然ながら本棚に収まりきらず、床に積み上げたり納戸に押し込んだり……。
数えたことはないが、駄本の数はおそらく万の単位になるだろう。

しかし、これからは「本に埋もれた生活」というものを想像すること自体が
むずかしくなるかもしれない。アップル社のiPadは13ミリの厚さで重量は
たったの680グラム。が、約50万冊分(最大64ギガバイトの場合)の本を
すっぽり収めてしまうという。へたな図書館の蔵書なんかiPad1台あれば
すべて飲み込んでしまう。

紙の本と電子本。どっちも長短あるが、世の趨勢は徐々に電子本のほうへ
傾いている。金利のかさむ物流倉庫は不要だし、絶版なんてものもなくなる。
iPadひとつあれば、とりあえず読書人を標榜できるのだからこんな便利なものはない。

そのうち、紙の本で育った世代と電子本世代との間で、
空前のジェネレーション・ギャップが生まれるだろう。
「あのインクの匂いとかページをめくる時の指の感触がたまらないんだよな」
と旧世代が夢見がちに言えば、
「なに、それ? 俺たちだって指でページをめくってるよ」
と新世代が訝しがる。

文庫本をポケットに突っ込んでのひとり旅。
河原の土手に横になり、緑風に吹かれながら読みさしの詩集を開く。
気のきいた一節には傍線が引かれ、書きこみがしてある。
幾度となくひもといたお気に入りの本。青春期の悲喜こもごもが、
その一冊に丸ごと詰めこまれている。紙本が持つこうした風情や余韻を、
後代の電子本世代にどうやって伝えたらいいのだろう。

いま、五木寛之の『親鸞・上巻』をパソコン上で読んでいる。
無料公開されているので、ためしにダウンロードしてみたのだ。
たしかにページを〝めくる〟のだが、マウスでクリックしてめくる
という感覚になかなか馴染めない。むしろ指先でめくれるという
iPadのほうが、われら旧世代には馴染めるかも。

読書のスタイルもどんどん変わっていく。
ペンでなければ原稿が書けない、と駄々をこねていた自分も、
いまや「キーボードでなけりゃ一文字も打てない」とうそぶいているのだから、
そのうち、「やっぱ電子本だよね」などと、鳩山君みたいにあっけらか~んと
宗旨替えをするに決まっている。《それ君子は食言せず……》か……。
とてもじゃないけど、君子なんぞにはなれそうにない。

2010年5月22日土曜日

デジタル美人

ケータイも持たず、パソコンも使えず(ワープロだけはどうにか操れる)、
デジカメもだめ。21世紀にいながら、ほとんど19世紀に生きている僕は、
IT社会の何たるかも知らず、道端にまるで棄民のようにうち捨てられている。

先日、老母の米寿を祝う小旅行があったが、その際に女房が撮った写真を
画像編集ソフト「Picasa3」にアップしてみた。娘たちは以前からこのソフトを
利用していたようだが、僕と女房は初めて。使ってみると意外と簡単で、
デジカメで撮った写真を好きなように編集することができる。

色の調整やコントラストの強弱、傾いていた身体をまっすぐにする、
なんてことはお茶の子さいさいで、トリミングなども自由自在。驚いたのは、
顔のシミや傷を取り除いたり、白髪を染めたりするのも簡単、ということだった。

実際の話、シミを取ったりシワをのばしたりするには金とエネルギーが必要だが、
デジタル写真の中では、簡単にできてしまう。さっそくレタッチの技術で母の白髪を染め、
兄や義兄の顔のシミを落としてやった。そしたら案の定、見違えるくらい若くなった。

あんまり面白いので、兄の顔を実験台にいろいろためしてみた。
「額のあたりが後退してきてるようだから、リーブ21で殖やしてやっか!」
「姿勢はまっすぐにできるけど、根性まではムリだろうな……アハハハ」
などと、むちゃくちゃ言いながら勝手にいじくり回している。
これって、けっこうサディスティックな快感が味わえる。

それにしても、顔のシミやシワ取りが、パソコンの画面上でいとも簡単に
できてしまうとは、実に恐るべき時代といわねばなるまい(←時代劇かよ?)。
お見合い用の修正写真など、専門業者を介さずとも簡単にできてしまう。
実年齢が50ン歳?でも、写真では30代後半? 

こんな手品みたいなことが、マウス操作ひとつでできてしまうのだからスゴイ。
デジタルの世界はまさにフェイクな偽物天国と云っていいだろう。
19世紀の遺物である僕にとっては、ただひたすら怖ろしい。

2010年5月18日火曜日

母が菩薩になる日


母の米寿を記念して、兄弟揃って1泊旅行に出かけた。(←夫婦単位で)
場所は群馬・みなかみの鄙びた温泉宿。すぐ近くに奈良俣ダム
と人造湖ならまた湖(写真)がある。雪解け時期になると、洪水吐き
から勢いよく放流され、観光客の目を楽しませてくれる。

子供の頃はいざ知らず、それぞれに独立してからは、兄弟が一堂に揃うのは
正月と法事の時ぐらいで、泊まりがけで旅行することなどただの一度もなかった。
今回の小旅行は文字どおりの記念すべき旅行となった。

僕には兄、姉、弟がいる。それぞれにクセのある性格を持っているが、共通項が
1つある。揃ってひねくれ者だ、ということだ。それも異常なほどに。
父は偏屈で通っていたが、これほどまで歪んではいなかった。
母は荒っぽいが、根は陽気で屈折したところはない。僕ら兄弟の
病的なまでの頑迷さと角々しさは、実に突然変異的なのである。

偏屈同士が顔を合わせると、必ずといっていいくらい衝突する。
現に、旅行直前に長兄とひと悶着あった。弟ともメールのやりとりの中で
ささくれ立った言葉の応酬があった。嫁さんたちは「四六時中いっしょだったら、
いったいどうなっちゃうのかしら?」と生きた心地もしなかっただろうが、
幸い「母のお祝い」という一点でブレーキがかかり、角突き合わせることなく、
ぶじ祝賀セレモニーは終わった。

血は水よりも濃し、というが、水より薄い血だってある。また近くの他人のほうが
遠くの親戚などよりよほど大事な場合だってある。兄弟と過ごした期間は20年
そこそこだが、女房とは26年、友人にいたっては40年近くつき合っている。
「去る者は日々に疎し」というが、音信が途絶えたり、顔を合わせる機会が減ってくると、
たとえ血肉を分けた兄弟であっても、ついつい関係が疎遠になってしまう。

そんな薄い血であっても、母の力は偉大だ。かつての気丈さこそ見る影もないが、
その求心力たるやいまだ衰えを知らない。薄い血の兄弟であっても、
「母さんのためなら」と目的を一にして集まってくれる。

血のつながりというのは時にありがたく、時に鬱陶しい。
末の弟などは絶えず上から押さえつけられ、
今でも陰に陽に圧力を感じているだろうから、
鬱陶しさの度合いもまたひとしおだろう。

「たまたま出てくる順番が先だっただけで、どうしてこう兄貴風を吹かしたがるんだ?」
弟の心中を忖度すれば、おそらくこんな感じか。こっちは威張ってるつもりはないし、
上から目線で物を言ってるわけではない。だが、弟にしてみれば、兄や姉たちは、
いつだって目障りで鬱陶しい存在なのだろう。それに兄弟だからという甘えで、
ついぞんざいな言葉づかいになり、礼を失してしまうことがある。

それぞれに独立した家庭をもち、曲がりなりにも社会人として
立派に生活しているのだから、兄弟とはいえ、互いに一片の敬意を
払うべきなのに、なかなかそうはならない。つい子供の頃の調子で
馴れなれしい口をきいてしまう。兄弟同士のつき合いは本当にむずかしい。

今回の小旅行はいろいろなことを教えてくれた。
兄弟はやっぱりいいもんだ、と思う反面、
「おいおい、勘弁してくれよ」とその場から逃げ出したくなる瞬間もあった。
そんなすべてを了解し、森羅万象を真綿でやさしく包み込むかのように、
老母は童女のような笑顔で静かに見守っていた。
母は知らぬ間に慈母観音菩薩と化していた。

2010年5月10日月曜日

惚れたが因果か

夫婦で両国の江戸東京博物館へ行ってきた。特別展示『龍馬伝』を見るためだ。
NHKドラマ『龍馬伝』の人気(福山雅治人気といったほうがいいかも)はすさまじく、
今まで歴史ドラマにさほど興味を示さなかった女房までも、福山龍馬にはぞっこんで、
おかげで結婚26年目にして初めて共通の話題を持てるようになった。
福山龍馬サマサマである。

平日にもかかわらず、館内は客であふれ、老若男女を問わず、日本人がいかに
龍馬を好いちょるか、よ~くわかった。展示は龍馬の遺品や書簡集などが中心で、
よほどの歴史好きでなければ、地味で退屈極まりないものなのだけれど、
誰もみな熱心で、無学な僕などにはサッパリの、達筆で書かれたさまざまな書簡を
丁寧に目で追っていた。

いわゆる「歴女」と呼ばれる若い女性たちも「龍馬のことならぜ~んぶ識りたい」
とばかりに、難物の崩し書きを倦かずに眺めていた。正直、この光景には驚き、
感動もした。日本もまだ捨てたものではないぜよ。

何が面白いって、歴史を学ぶほど面白いものはない、とは僕の師匠・小林秀雄
の言葉だ。歴史といっても堅く考える必要などない。歴史学者ではないのだから、
小難しい史料を読む必要はないし、重箱の隅をつついたような新解釈をものにしよう
というのでもない。気に入った時代小説や歴史小説、雑学本の類を勝手気ままに
読み散らかすだけで十分なのだ。

僕の友人に歴女のはしりとも云えるA女史がいる。彼女は戊辰戦争の際、
朝敵とされた会津武士に肩入れするあまり、早乙女貢の長編小説『会津士魂』
全13冊をたちどころに読破してしまった。僕など、とてもそんな根性はない。
女は強い。惚れたら一途、なのである。

歴史好きの人間は話題が豊富だ。おしゃべりしていても飽きさせない。
A女史などはその典型で、ドラえもんのポケットみたいに、話題が縦横無尽、
いくらでも湧き出てくる。たとえ芸能ゴシップ話であっても、「彼は慶喜的な性格かな。
頭が良すぎて、いざとなると臆病になっちゃう……」などと、歴史上の人物に
仮託して話したりするから、どこかアカデミックな色彩を帯びてくる。
そして次から次へと話題が広がっていく。歴史好きは話し上手でもある。

龍馬が三味をつま弾きながら歌ったとされる端唄をひとつ。

   ♪何をくよくよ川ばた柳 水の流れを見て暮らす 

さて、福山龍馬もますます快調だが、龍馬を支えた京・寺田屋の女将、お登勢
を筋肉マッチョのヌードで話題となった草刈民代が演じるという。A女史は
この配役に「イメージが壊れる」と大反対、うちの女房も『Shall we ダンス?』以来、
大の草刈り嫌い(大根のうえにいじわるそうだから、がその理由)になっているから、
もちろん不同意の大ブーイング。許しがたい暴挙だ、と息巻いている。
わけわかんないけど、ああ、女性ファン、恐るべし!

2010年5月6日木曜日

墓場が一番

4日、プール仲間のOさんと下町散歩。
雑司ヶ谷霊園を皮切りにチンチン電車の
荒川線に乗って巣鴨、さらには谷中墓地、
ツツジが満開の根津神社(左写真)と、年寄り
(俺たちのことだ)が好みそうなところをグルリと回ってきた。

雑司ヶ谷霊園では漱石や荷風といった文人たちの
墓参り。ついでに『龍馬伝』に出てくるジョン万次郎
の墓にも掌を合わせてきた。

天気がよかったせいか、どこも行楽客であふれ、
とりわけ巣鴨地蔵通り商店街は、
どこから湧き出てきたのかと思えるくらい
年寄りたちであふれかえっていた。

その熱気ムンムンの群衆にまぎれ込むと、
けっこうすんなりと風景に溶け込んでいるじゃないの、
と認識を新たにする。つまり、どう転んだって、
俺たちは年寄りそのものだってことがよくわかった。


墓場巡りや巣鴨詣でを好むのは、たぶん不快指数が低いためだろう、と思っている。
僕にとって不快指数が最も高まるのは、若者たちの話し言葉を耳にした時だ。
原節子や東山千栄子を今さら引っぱり出すのもなんだが、彼女たちが操った、
耳に心地よい美しい日本語を少しはマネてほしい、と耳障りで下品な
言葉を吐き散らす若者たちを前に、つい説教を垂れたくなってしまう。
いやはや全身が小言幸兵衛と化してしまうのだ。

だから互いに不愉快にならないようにと、僕は彼らが群がる渋谷や原宿
といった街には、用心深く近づかないようにしてきた。なにしろ腰パンをはいた
若者(バカモノともいう)が視界に入ってきただけで、心悸が昂ぶってしまうのだから、
若者ぎらいは宿痾(しゅくあ)みたいなものだ。

ノーテンキなOさんは、そんな僕の気質を知ってか識らずか、
佃煮になりそうな年寄りたちを視界いっぱいに広げて見せてくれた。
本人は何を勘違いしているのか、色気も水気もあるホルモンたっぷりの女性に、
まだ未練がありそうなそぶりだったが、帰宅後にケータイ写真に写った自分の姿
を見て、「ああ、俺もジジババの原宿のクチだった」と、ようやく現実に気づいてくれたようだ。

あの日、谷中霊園内の天王寺駐在所(山手線の内側で唯一警察官家族が
住み込んでいる派出所)の前でウロウロしてたら、当の警察官が自転車でご帰還、
やや不審顔で「何かご用ですか?」と職質(俺たち人相悪いもんね)。

Oさんがニッコリ笑って、
「いや、実は佐々木譲さんの『警察の血』の中に、谷中の天王寺駐在所
だ出てきますでしょ?……で、どんな人たちが住んでいらっしゃるのかなァ、
と話していたところに、ちょうどご本人がお見えになったという次第で(笑)」

人の良さそうな駐在さんは、幸いその本の読者だったようで、
僕たちの不躾な質問にも快く答えてくれた。いや、それどころか、
「花見の季節は深夜まで乱痴気騒ぎでしょ、家族が眠れなくてね……」
などとグチまで飛び出す始末で、すっかり意気投合。
勤務中だっただろうに、しっかり話し込んでしまった。

雑司ヶ谷も谷中もあふれんばかりの緑で、つい墓地にいることを忘れてしまう。
やっぱり行楽は墓場にかぎりますな。







 

2010年4月23日金曜日

合い挽き肉系?

友人のNがわが家に駆け込んでくるなり、「定規と計算機ある?」
「いったい何をおっぱじめるわけ?」
「いいから、右手をパッと開いて」
やおら僕の右手をつかみ人差し指と薬指の長さを測りはじめた。
「おいおい、何すんだよ。そんなに引っぱったら痛いよ」
「うるせえな、肉食系か草食系かを調べるんだよ」
どうやら、どこかで仕入れたにわか知識を実地検証するらしい。

元ネタは竹内久美子(動物行動学者)の『草食男子0.95の壁
という本らしく、巷ではけっこう話題になっているという。

竹内女史に言わせると、右手の人差し指の長さと薬指の長さを比較した
「指比」は幼少の頃から変化せず、その数値を見ると、
成長期のホルモン環境がズバリわかるのだという。計算式は、
〔人差し指の長さ÷薬指の長さ=?〕というもの。

日本人の平均は0.95で、この数値が低いほどテストステロン(男性ホルモン)
のレベルが高いのだという。つまり、指比が小さければ小さいほど
生殖能力が高く、すぐれた男の遺伝子を保有しているということで、
すなわち「肉食度」が高くなるらしい。

「えっ? ウソ……0.91。たまげたなァ。肉食系も肉食系、超のつく肉食系だよ」

さて、ここでおさらいをするが、「草食系」とは協調性があり、家庭的でやさしいが、
恋愛には淡泊で、たとえ据え膳でもむやみに食いついたりしないタイプをいう。
「肉食系」はその反対で、女性に対しては果敢に攻めまくるタイプだ。
近頃は「鶏肉系」とか「豆乳系」などという新種も出てきている。
肉食系よりはあっさりタイプで、草食系よりやや積極的なのだという。
男のタイプにもいろいろあるようだ。

カナダの某研究チームは、男性は胎児の時に浴びたテストステロンの量が
多いほど〔薬指の長さ>人差し指の長さ〕になる、とする研究結果を発表した。
テストステロンをいっぱい浴びた人はより男性的で、右脳の発達が著しく、
芸能やスポーツの分野での才能に恵まれているという。

浅草公会堂のスター手形を測定したところ、肉食系としては
勝新太郎0.91、丹波哲郎0.91、高橋英樹0.90などが挙がったという。
ウソかホントか、僕は座頭市と並ぶ肉食系男子ということになるらしい。

たしかに据え膳は必ず食っちゃうし、他人の持ち物にも見境がないくらいだから、
肉食は肉食なんだろうけど、よき家庭人と自負もしてるから、
たぶん牛豚鶏肉などを混ぜてミンチにした「合い挽き肉系」なんだと思う。

ただディック・ミネが0.95、森繁久弥が0.99となると、この研究結果も
にわかには信じがたくなってくる。芸能界随一のスケコマシで鳴った
ご両者より僕のほうがスケベエだなんて……ンなわけないよね?

2010年4月22日木曜日

幸せ~って何だっけ何だっけ?

「国民総幸福Gross National Happiness」という言葉がある。
ブータンの第4代国王が提唱した理念で、簡単に言ってしまうと、
人間は物質的な富だけでは幸福になれない、というものだ。

国民総幸福という観点から実施された世界初の調査
(英国レイチェスター大学主催)によると、ブータン王国で
「あなたは今、幸せですか?」という質問をしたところ、
「非常に幸せ」が45%、「幸せ」が52%、「あまり幸せではない」が3%で、
世界全体での幸福度は第8位だったという。一方、日本はというと、
178カ国中の幸福度は90位、中国(82位)にも及ばなかった。

GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)は世界有数であっても、
幸せを感じていない日本人。世界最貧国の一つで、人口70万人にも
満たない小王国だけど、国民の97%が「幸せ」と考えているブータン人。
文明の発展とは何なのか、人間の幸せって何なのか。ブータン人の生き方は、
機械文明のただ中にいる我われに、さまざまな疑問を投げかけてくれる。

近・現代人は、産業革命以来、さまざまな機械を発明し、
便利で豊かな生活を追求してきた。が、時々立ち止まっては
「私たちは本当に幸せになったのだろうか?」と自らに問いかける。
そして『パパラギ』のたぐいを読んでは「感動した!」などと言い出すのである。

『パパラギ』はサモアの酋長がヨーロッパを旅し、
白人文明の矛盾をユーモラスに語った文明批評の書(フィクション)だ。
その要諦は、「メカニズムの進歩は人間の幸福とは何の関係もない」
というものである。つまりブータンの「国民総幸福」という理念も、
現代人をふと立ち止まらせる『パパラギ』の一種なのだ。

「少欲知足」「知足按分」と、ヒトが幸福になるためのヒントは、
いつだって用意されている。西洋にもHappiness consists in contentment.
(幸福は満足にあり)という諺がある。これらを実践すれば、今すぐにでも
幸せになれるというのに、もっとお金が欲しい、きれいなおべべを買いたい、
海外旅行に行きたい、美味しいものが食べたい、と欲望を次々とふくらませる。
そしてそれが叶わないと知ると、深い絶望感におそわれ、
「私はなんて不幸せなんだ」と首うなだれるのである。

ヒトは『パパラギ』に感動するが、それはあくまでポーズで、
南海の酋長の言葉を心底噛みしめ実践しようとはしない。
蛇口をひねればお湯が出てくるような生活から、非文明的な生活に
戻るなんてことは決してしないものなのだ。で、時々、思い出したように
「豊かにはなったけど、心の中はカサカサ……」などと呟いては、
癒しを求めて再び三度『パパラギ』をひもとくのである。

2010年4月15日木曜日

愛が世界を救うってか?

鳩山お坊ちゃまのマヌケな顔がますます鼻についてきた。
テレビにあの不気味な、焦点の定まらない、火星人みたいな目をした男
が出てくると、すぐにチャンネルを変えることにしている。日本人はあんな男しか
長に戴けないのか、と思うとほんとうに情けなくなる。

元産経新聞論説委員の花岡信昭氏が、永田町で流行っているという
戯れ歌を紹介してくれた。
《永田町には奇っ怪な鳥が1羽いる。アメリカ人にはサギ、中国人にはカモ
と見られているが、本人はハトだと言っている。しかし日本人にはガンだと
思われている》

何度も言うが、外交というのは、にこやかに握手を交わしながら、
テーブルの下では互いに足を蹴飛ばし合う行為をいう。しかるに、
あの温室育ちのお坊ちゃまは、「友愛」をポリシーに掲げ、テーブルの下でも
足をやさしくからめ、相手の膝小僧を撫でさすりたいと考えている。
この男は、Love will save the world.(愛は世界を救う)――まるで統一教会
のお題目みたいなことを恥ずかしげもなく唱え、世界中の失笑を買っているのだ。

米ワシントン・ポスト紙の人気コラムでは、核安全サミットにからめて、
こんなふうに鳩山のお坊ちゃまをこきおろしている。
《このショーの最大の敗北者は断然、不遇でますます頭のいかれた
(hapless and increasingly loopy)日本の鳩山由紀夫首相だった》

鳩山首相に冠された言葉は、《a rich man's son》というもの。
「ますます頭のいかれた」の評価は、「オバマ政権高官たちの評価」だという。
政権高官の評価がそれなら、オバマの評価も辛口に決まっている。

ああ、だれかこの悲しいピエロを壇上から引きずり下ろしてくれ。
日本の栄誉と、日本人の尊厳を守るために。
 

2010年4月9日金曜日

よっこらしょっ党

「たちあがれ日本」がついに立ち上がった(みたい)。
平均年齢は70歳(四捨五入で)。声はかすれ、目はかすみ、
足がもつれ、かろうじて二足歩行しているという印象だが、
老骨にムチ打ち、新党を結成した心意気をまずは諒としたい。

口さがない者たちは、「立ち枯れ日本」だの「たそがれ日本」、
はては「家出老人党」「日本ポンコツ党」「新党ろうがい」などと
言いたい放題。ケッサクなのは「よっこらしょっ党」なんていうのもあった。
ずいぶんおちょくりバカにしたものだが、老人たちが掲げる政策綱領は
それほどバカにしたものではない(と思う)。

まず「真の保守再生」が党の理念ということらしい。
政策の中には、自主憲法の制定や所得税、法人税の見直し、
消費税の値上げといったものがある。今まで自民党が先送りしてきた
ものばかりで新味はないが、これをやらないと日本が危うくなる。
個人的には相続税の見直し(税の二重徴りだから原則廃止すべき)
も加えてほしいところだ。

「たちあがれ日本」と命名したのは石原慎太郎だという。
『太陽の季節』であの衝撃的な〝障子破り〟のシーンを描いた
彼らしい命名だ。が、この新党に結集したロートルの面々では、
ティッシュペーパーでさえ破ることができないだろう。
そもそも〝息子たち〟が立ちあがれるかどうかもおぼつかない。

左翼進歩主義者たちは、老残の右翼ナショナリストたちが
集団で家出した、などと囃し立てている。ある女性評論家は、
「愛国主義はゴロツキの最後の拠りどころ」と英国はサミュエル・ジョンソン
の言葉を引用し、老兵たちをゴロツキと決めつけた。

ジョンソンの原文はPatriotism is the last refuge of a scoundrel.
中国共産党政権は、しばしば愛国主義を鼓吹し、
反日運動を燃え上がらせるのを常套としている。ジョンソンがいうように、
たしかに愛国主義はゴロツキたちの最後の砦になり得るのだ。

しかし、たとえ老残の愛国主義であっても、売国主義よりは数段ましだ。
僕がポンコツの愛国者たちにエールを送る由縁である。

2010年4月8日木曜日

食文化を考えるのココロだァ~

和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を盗撮した『ザ・コーヴ』
が第82回アカデミー賞のドキュメンタリー映画賞を受賞した。
イルカについては「カンガルー肉を考えるー」(1/10日付)
ですでに述べたとおりで、エスノセントリズム(自国文化中心主義)が
首をもたげてくるとロクなことにはならない、とあらためて思う。

映画の中には、海を赤く染める残酷シーンが登場するだけでなく、
イルカ肉が鯨肉と詐称して売られたり、肉は水銀に汚染されている、
といった事実(漁民たちは否定)も告発されているという。

この映画を見た中国人たちも、インターネット上で「日本人は残酷だ」
などと書き込みをしているらしい。これには笑った。
「あんたら中国人だけには言われたくないね!」
大人気ないかもしれないが、中国人の〝おぞましい美食〟
の伝統に想いを馳せると、つい憎まれ口の一つも叩きたくなってしまう。

A long time ago,斉の桓公のお抱え料理人に易牙という者があった。
年来の美食に飽きた桓公は、ある時、易牙を前に
「人の肉というのはどんな味がするものかのォ?」とふと呟く。
そこで桓公の意を察した易牙は幼いわが子の首を落とし、
蒸し焼きにして捧呈した、という実話である。
歌舞伎の『先代萩』みたいな話だ。

中国における「喫人」の歴史には筋金が入っている。
最も盛んだったのは唐代で、戦乱や飢餓による
やむにやまれぬ喫人もあったが、趣味や嗜好で
人を食べるという習慣も実は根強くあった。

市場では人肉は「両脚羊(2本足の羊)」などと呼ばれ、
鈎に吊され売られていた。『資治通鑑』には犬の肉よりも安かった
(狗肉が1斤500銭に対して人肉は100銭)との記述があるから、
味はそれほど上等ではなかったのだろう。
羊頭狗肉どころか「狗肉を掲げて人肉を売る」の図だ。

もっとも女性や子供、酔っぱらいなどはうまかったらしく、
酔っぱらいの肉などは粕漬けの豚肉と同じくらい美味だった、
との記述もあるから、いかにも食にこだわる中国人らしい。
黄巣の乱の時などは、人肉用の食肉工場まであって、
数百の臼で良民をギシギシと生きながら砕き、骨ごと食べたという。
「アンデスの聖餐」どころの話ではない。

喫人・食人の伝統は実は中国以外にもあって、
つい7年ほど前の話だが、アフリカはコンゴのピグミー族の代表が、
国連の先住民フォーラムの会場で、「どうか、われわれを食わないでくれ!」
と世界に向けて訴えたことがある。

コンゴ民主共和国では久しく内戦が続いていたが、その間、
森林地帯で狩猟生活を営んでいるピグミー族の人々は
「獲物」として狩られ、食用にされていたという。食べていたのは、
政府軍側と反政府軍側で、彼らに言わせると、矮軀のピグミー族は
とても人間とは思えず、「人間以下のモノ」だから食用にして当然なんだという。
また彼らはピグミー族の肉を食べれば不思議なパワーが授かる、
と信じていたらしい。

21世紀に入っても喫人が行われていた、という事実にまず驚くが、
食べた側にしてみれば、「これは昔からの伝統的な食文化なのだから、
ほっといてくれ!」という理屈なのかもしれない。
イルカやクジラを食べるのは日本民族の食文化なんだから、
外国人がとやかく言うな、というのと、これも同列の理屈なのかしら?

それともピグミー族は「イルカと同じ賢い動物?」なのだから、
食べてはかわいそう、ってか?

2010年4月6日火曜日

天保老人の繰り言

人間を2種類に分ける。これが人間理解の近道だ、
としたのは辛口コラムニストの山本夏彦である。
美人か不美人か、ノッポかチビか、捕まえる人か捕まる人か……。
夏彦の弟子を自任する僕も、もちろん師に倣っている。

見れる出れる、の「ら」抜き言葉を使う人か、そうでないか。
「愛する」という言葉を平気で口にする人か、そうでないか。
「地球にやさしい」などと言うエコ人間か、そうでないか。
ラーメンのために行列に並ぶ人か、そうでないか。
「肉ジャガ」をおふくろの味とありがたがる人か、そうでないか。
相田みつをの人生標語が好きな人か、そうでないか。
朝日新聞を愛読している人か、そうでないか……etc。

キリがないからやめるが、もちろん僕は後者の側で、
できれば残り少ない人生を、省エネの見地からも
後者のグループの中で心安らかに送りたいと思っている。
言葉は僕にとって生理そのものだから、
生理になじまないものは迷わず拒絶することにしている。

「私って、面食いじゃないですか~」
こんなふうに「じゃないですか~」を連発する人がけっこういる。
どこか押しつけがましい響きがある。僕は意地悪く、
「知らんがな、そんなもの」と突っ込みを入れたくなるのだが、
そこはぐっとガマンする。
「お友達とかに言われて、とりあえずそうかな、みたいな……」
「友達以外の人ってどんな人なの?」
「いえ、友達とかひとりなんですけど……」
「…………」

ああ、「ら」抜き言葉のない世界は美しかった。心地よかった。
できるなら美しい日本語を話す人々といっしょに暮らしたい。
奇妙な日本語を操る人たちは、自分に自信がないのか、
それとも心に傷を負うのが恐いのか、すべてを曖昧にぼかし、
「あたし、こう思うんだけど……」といった意思表示を極力避けようとする。
そのため、何が言いたいのかさっぱり伝わってこない。
癇癪持ちの僕などは、ついイライラしてしまう。

「でもお父さんとかも、けっこう曖昧に言うときがあるじゃん」
娘が上目づかいに反発したことがある。
「おまえのお父さんは『オトウサントカ』ではない。唯一無二のオトウサンだ!」
そう、天上天下唯我独尊の「オトウサン」なのだ、
な~んてムリに強がって、失笑トカ買ったりするみたいな~。

2010年4月4日日曜日

『冬の蝿』から「五月蠅」に

  ♪花は散りても 春また咲くが 人に来世はあるものか 
   ハテ、ゆめのゆめの夢の世を うつつ顔して何しようぞ
   一期は……一期はゆめ、よ    チトン、チトシャン……

これは〝えんぴつ無頼〟を自称した竹中労が、少年の頃
「アラカンの他に神はなし」と憧れた嵐寛寿郎へ捧げたオマージュである。
   
   色は匂えど 散りぬるを 吾が世たれぞ 常ならむ

わが家のバルコニー越しに小学校の校庭の桜が見える。
テレビでは千鳥ヶ淵の桜が満開になったと報じていた。
この季節、わが家は市内の樹林公園へ毎年花見に行く。
弁当とワインを1本ぶらさげ、枝振りのいい桜の樹を見つけたら、
ゴザを敷きのべ、しばし花見酒を楽しむ。

しかし今年は、ハテ、どうしよう。
脚をケガしていて、とても公園までは歩けない。
車椅子で観桜と洒落てもいいけれど、気分はすでに萎えている。
もともと花より団子のクチで、ほんとうは桜などどうでもいいのだが、
われら日本人が「桜、サクラ」と大騒ぎする気持ちはわからないでもない。

桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。
何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか》

これはご存知梶井基次郎の『桜の樹の下には』の冒頭の一節だ。
青春期に、この作品を読んで病的な主人公(作者でもある)の資質に
同類に似たニオイを嗅ぎとり、深くのめり込んだことがある。

あの頃は、とにかく精神が不安定だった。
劣等感のかたまりがそのまま着物を引っ被っているようなもので、
この世の中を渡っていく自信がまるでなかった。
現実に押しつぶされそうな自分を必死に支えていた。

どうやって生きていったらいいのか、
自分の精神が憩える場所はあるのか、不安で一杯だった。
手探りで生きている時、ふと手にしたのが梶井のこの小品で、
『檸檬』『冬の蠅』などという一連の作品を夢中になって読んだ憶えがある。

僕は死んだように生きている「冬の蠅」そのものだった。
そしてあれから幾星霜。腺病質の少年は、ごっついおじさんに変身した。
桜の樹の下には屍体が埋まっている、とするイメージに共感した
柔らかな感性をもった青年は、もうどこにもいない。
そこに憮然とした顔で突っ立っているのは、
もののあはれを感じとるセンサーが著しく鈍磨した、
ただの説教臭いおやじだけである。

生きていくことがあれほど困難に思えたのに、
四十路を越えた頃になると、図々しくも
(あの頃の悩みって、いったい何だったの?)
と過去を悠然と、また他人事のようにふり返っている。
心は軽くなったけど、これって進歩なの? それとも退歩? 
まさに、ゆめのゆめの夢の世……。
うつつ顔して、サテ、何して生きていこう。

2010年3月26日金曜日

Be a good sport!

今朝、女房がイギリスへと旅立った。
ニューカッスルに留学中の次女に会うためだ。
ついこの間、コッツウォルズ地方へ行ったばかりなのに、
再び三度、機上の人となってしまった。

パニック障害者の俺には、とてもじゃないけど同伴などできない。
狭いシートに縛り付けられているわが身を想像しただけで、
もう息苦しくなってしまう。

今はだいぶよくなって、国内線ぐらいなら大丈夫だが、
15~16時間かかるヨーロッパはまだちょっとムリだろう。
泥酔するか気絶するか、いずれにしろ前後不覚の状態でないかぎり、
長時間の密閉状態は自殺行為に等しい。

男というものは、よほど女房が恐いのだろう。
ちょっと留守にするというだけで、無邪気にバンザイをしている。
嬶(かかァ)とは〝鼻につく女〟と書くが、別段、女房が鼻についている
わけではない。たとえそうであっても、そんな怖ろしいこと、
ブログに書けるわけがない。書く奴はよほどの身のほど知らずか
愚か者に決まっている。

いずれにしろ愛情の多寡の問題ではなく、単純に「~からの自由」、
すなわちlibertyの問題だと思う。しかしそのlibertyをみごと獲得しても、
悲しいかな何もできない。数日前に激しい運動をして、右脚ふくらはぎ
を筋肉断裂、つまり肉離れを起こしてしまった。

ようやく平蜘蛛のような状態から解放され、曲がりなりにも
二足歩行ができるようになったが、杖なしでは数メートルも歩けやしない。

昔、亭主がお伊勢参りの長旅に出かけると、女房は待ってましたとばかりに
命の洗濯をしたという。

  ♪女房も岩戸を開く伊勢の留守

立場は逆だが、歩行不能でおまけに手元不如意じゃあ、自由もヘチマもない。
いやでもbe a good sport!(いい子でいてね!)に従順であるしかないのだ。
羽を伸ばそうにも、そもそもその羽が抜け落ちてる。
英国のにゃお(娘の呼び名)よ、父はせいぜいいい子にしていると、
嬶サマに伝えてくれたまえ。

2010年3月22日月曜日

shake it up,baby

広末涼子と矢沢永吉がきらい、という話を書いたら、
ガールフレンドから、「私も蹴飛ばしたいくらい嫌い」
という過激なコメントが寄せられた。

昨夜もNHKテレビの『龍馬伝』の中で、加尾役の広末は、
時代劇だというのに頭のてっぺんからトッポジージョみたいな声を出し、
思いきり白けさせてくれた。俺はいつものようにありったけの罵詈雑言、
苦言怨言、悪たれ口を浴びせ、このぶりっこ女を呪ってやった。

矢沢という男もよくわからない。
コンサートには「ヤザワ教」の教徒数万人が駆けつけるそうだが、
あの男のいったいどこがいいわけなの? 歌はうまくないし、顔とスタイル
は下の部類。振りつけなんかほとんどマンガ(クリス・ブラウンとかアッシャー
と比較したら、ちと酷だけどね)で、自分のことを「ヤザワ」と呼ぶあの
ナルちゃんぶりも気色わるい。

もとヤンキーのアイドルだった、というのはわかる。
還暦過ぎても、一挙手一投足が思いっきりツッパッてるものね。
でもそのツッパリがサマにならないんだよなァ。
まだ〝シェキナベイビー〟の内田裕也とか安岡力也のほうが
可愛げがあるだけマシな気がする。

矢沢は自分のことをマジに「ビッグ」だと思っているのかしら?
いい年の取り方をしてきたと本気で思っているのだろうか?
大いなる勘違いだった、との思いが脳裏をよぎることはないのだろうか?

俺には見てくればかり気にしてる、さえない中年男に見えるんだけど……。
永ちゃんファンには叱られそうだけど、あなたたちの教祖様は
ただひたすら鈍くさく薄っぺらなのですよ。

話変わって、靖国神社のサクラがついに咲いたという。
花より団子で、梅一輪のほうをこよなく愛す俺にとっては、
飲める言いわけが増えただけの話で、格別の興趣もわかないが、
憎まれ口ついでに藤原家隆の名歌を一首添えておきましょう。

   花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや

2010年3月20日土曜日

麒麟は老いても

若い頃、吉本隆明(ばななの父)に心酔していた時期があった。
全集を読み、吉本主宰の雑誌『試行』を読み、読書ノートをつけた。
吉本は文字どおり目の前に聳える「知の巨人」に思えた。

あれから30年。吉本の本を手にすることはマレになった。
晩年の著作に以前ほど共感できなくなった、というのが主たる理由だが、
あの独特のクセのある文体への違和が、ここへ来て増幅されてきたのかもしれない。

吉本の文章は凹凸があり、読みにくい。対談集などは繰り返しばかりである。
私は小林秀雄や石川淳といった江戸っ子の啖呵みたいな文章に親しんできたので、
一語一語、石版をノミで削るような吉本の文章は、鈍重で田舎くさい感じがした。
しかし同時に、あれだけ緻密で堅牢な論理を組み立てるには、硬質そのものの、
色気も素っ気もない文章が必要なのだろう、とも思っていた。

NHK教育テレビで『吉本隆明語る~沈黙から芸術まで』を見た。
昭和女子大の人見講堂で2000人の聴衆を前に語った講演を編集したものだ。
相変わらずしゃべくりはへただった。が、(俺の話を遺言だと思って聴いてくれ)
とする魂の叫びみたいなものは伝わってきた。この世の中の仕組みが分からなくて
悩んでいた若い頃、経済学を学ぶに如くはないと、アダム・スミスからマルクスまで
徹底的に読み込んだ、という話がとりわけ印象的だった。

吉本の作品は数々あれど、個人的に最も大きな影響を受けた作品は、
『マチウ書試論』と『共同幻想論』だ。マチウ書(マタイ伝)試論は、いかにして
原始キリスト教がユダヤ教の教典を自らに取りこみ、新たな教義を確立していったか、
その過程をマチウ書を通して分析した書だが、そこに厳としてあるのは
〝剽窃と憎悪の感情〟である、と吉本は断じた。一読巻措く能わず。
私は衝撃のあまり、その後しばらくはボーゼンとしていた。すごい本だと思った。

イエスの存在はまったくのフィクションではあるけれど、
イエスに象徴される強い思想の意味は無視できない。
マタイ伝の仮構はその発想を逆向きに辿ることによって、
そのメカニズムを容易にさらけ出す、とする吉本の手並みは
マジックを見せられているような見事さだった。

講演には新たな発見というものは特になかった。
これは多少残酷な感想だが、正直、「吉本老いたり」の感を深くした。
やせさらばえた腕にこけた頬。白い鼻毛ばかりがやけに目立って悲しかった。
作家や思想家は作品を読むだけで十分だ、と思った。

しかし86歳の高齢で、いまなお真理への探求心が衰えないのは凄い。
若いうちは吉本「ばなな」などではなく、もっと噛みごたえのある
吉本「隆明」を読んだほうがいい。青春期に思いっきり咀嚼力を高めておかないと、
大人になっても蒸しパンみたいな本しか読めなくなってしまうからだ。

一般に、団塊の世代が吉本の影響を強く受けた世代と云われているが、
ほんとうにそうだろうか? 俗にあの世代は妙に理屈っぽく尊大で、
やたら群れたがるという癖(へき)がある、なんていわれてるけど、
吉本御大は理屈っぽいことは理屈っぽいが、尊大じゃないし群れもしない。
だいいち「戦争を知らない子供たち」だとか「We shall overcome」などという、
思わず赤面したくなるような嘘くさい歌を、得意になって歌った
坊ちゃん嬢ちゃん世代とは断固一線を画してる、と思うのだけどね。

竜頭蛇尾に終わった全共闘運動を、いまだに手柄話のように語るおっちゃんたち
がいるけど、アホかいな、と思う。
吉本を読むのもいいけど、正しい咀嚼力を身につけた上でないと、
こうした甘ちゃんのアホ世代の二の舞になるよ、とここで改めて念を押しておきたい。
あ~あ、これで団塊世代の友人は確実にサヨナラしたな。ま、仕方ないか……。

2010年3月14日日曜日

ピッツァの縁(ふち)

その昔、イタリアはミラノのピッツェリーアで
ひとりピッツァを食べていた(と思いねえ)。
アメリカ映画を見慣れた人なら、
ここは手づかみで食べたいところだろうが、
周囲のイタリア人はみな楚々とした手つき
で、ナイフとフォークを操っていた。
(ヘーエ、ずいぶん気どって食べるんだな)
ちょっと驚きだった。

で、こっちもマネして気どったまでは
よかったが、食べた後が違った。
隣のテーブルで澄まし顔で食べてた
妙齢の女性の皿の上を見たら、
生地の縁だけきれいに残されていたのだ。
あわてて他のテーブルを見たら、やっぱり縁は残されていた。

僕なんか、あの硬い縁のところが好きで、パエリアでいうなら一番美味しい
おこげのところじゃないの、と思っているのだけれど、
イタリア人はそうは思わないらしい。縁は硬いし、
ソースが塗られていないところを食べても味気ない。
ソースと一体になってこそピッツァはおいしい、
と考えるのがイタリア流なのだそうだ。

またスパゲッティの食べ方で、日本では一時期、スプーンのくぼみに
スパゲッティをのせ、フォークでくるっと巻いて食べる方式が流行ったことがある。
(今でもいますよね、スプーン派が)イタリア人はみなああやってお上品に
食べているのだろう、と思いがちだが、さにあらず。
平均的イタリア人は決してスプーンなど使わない。

あれはシチリアの一部に定着している食べ方で、
おそらくアメリカに渡ったシチリア移民が広げたもので、
それが日本に伝わったものだろう、といわれている。
僕なんかてっきり「上品な食べ方」だと思い込んでいたが、
イタリア人の目には「幼稚で田舎くさい」食べ方に映るらしい。
(なにしろ、北イタリア人はローマ以南をアフリカだと思ってるからね)

僕の友人に吉川敏明という料理人がいる。
イタリア料理界の重鎮で、生き字引といわれるほどの博聞の士でもある。
趣味はイタリアの辞書・辞典を読むこと(ついでに食べたりして)。
とにかくイタリア料理に関しては、右に出る者がないという
スーパー・イタリアン・フリークなのである。

そのイタリアおたくが、『ホントは知らない イタリア料理の常識・非常識
という本を出した。編集をお手伝いしたのは、やはりイタリアおたくのはしくれ
を自称する僕の女房だ。

●パスタをズルズルすするべからず ●リゾットはフォークで食べるもの 
●エスプレッソのダブルは野暮 ●シーザーサラダの発案者はメキシコのシーザーさん
などなど、目からウロコ(イタリアでは『目から生ハム』という)のおもしろ話が
楽しいイラストと共に解説されている。

ちょっぴり宣伝めいてしまいましたが、カミさんが手塩にかけて作った
できたてホヤホヤの本です。いわゆる雑学本ですから肩がこりません。
イタリア料理がお好きでしたら、ぜひ手にとってみてください。
一読するだけで、ちょっとしたイタリア料理通になること請け合いです。

宣伝ついでに、悪のりしてもう一冊(←カミさんが隣りで脅すもので……)。
これは『チーズのソムリエ ハンドブック』という本で、
チーズおたくでもある女房が、編集したものです。
ついででけっこうですので、これもひとつよろしく。

2010年3月10日水曜日

あの日から65年

3月10日は「東京大空襲」のあった日です。
1945年のこの日、午前零時8分、折からの強風
(北西の風、風速30㍍)の中、B29爆撃機350機は、
江東区、墨田区、台東区にまたがるおよそ40k㎡の周囲に
約100万発(2000㌧)もの焼夷弾を投下しました。

日本の家屋は紙と木でできている。
だから通常爆弾より焼夷弾で焼き払ったほうが効率的だ、
とアドバイスしたのは、建築家のアントニン・レイモンドでした。
レイモンドは、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの
助手をつとめた男で、大の親日家でした。

焼夷弾は油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾、エレクトロン(高温発火式)焼夷弾
など数種で、燃焼温度は約2000~3000℃。エレクトロンなどは、
水や消化剤では消すことができず、燃え尽きるまで待つしかありません。
おまけに酸素がなくても燃えるため、水の中でも燃え続けます。
川や海に飛び込んで難を逃れようとしてもムダなのです。

これら鉄の雨はまず外縁を描くように投下されて退路を断ち、
次第に内側におよんで、住民を猛火の中に閉じこめました。

行き場を失って逃げ惑う市民には、低空から容赦なく機銃掃射が浴びせられました。
死者の数およそ10万人、負傷者11万人。そのほとんどが非戦闘員、
すなわち無辜の市民でした。

この天人ともに赦しがたい大虐殺を指揮したのはカーチス・E・ルメイ将軍で、
戦時中は「鬼畜ルメイ」と呼ばれていました。その鬼畜にもとる男が、戦後、
航空自衛隊の育成に功があったとして、勲一等旭日大授章を授与されています。
昭和39年、佐藤栄作内閣の時でした。

この栄えある勲章は日本でいちばん最初に制定された勲章で、
国家に〝功績〟のあった男子に与えられると云います。
よりによって広島・長崎の原爆投下にも関与したとされるこの男を、
なにゆえ敵国だったわが国が麗々しく顕彰しなければいけないのか、
理解に苦しみます。ゲスの勘ぐりかもしれませんが、佐藤内閣時のことですから、
ひょっとするとアメリカとの間に各種の「密約」やら裏取引があったのかもしれません。

また驚くことに、ほんの数年前、靖国神社内に「カーチス・ルメイ顕彰館」
を創ろうという話まで持ち上がりました。靖国神社は偏向している、
という世間の批判をかわすため、とされているのですが、
我らが同胞を虐殺した「戦争犯罪人」をみんなで褒め称えましょう、
とする神経は、おかしいというより、そうとう狂っているとしか思えません。

勝てば英雄で、敵国から勲章までいただき、
負ければ断罪され戦犯にさせられる。
春秋に義戦なし、と孟子は言いましたが、
所詮、歴史というものは勝者の歴史でしかないのでしょうか……。

2010年3月9日火曜日

墓参りのはしご

雪の中、柄にもなく墓参りのはしごをした。
3月9日は父の祥月命日。
足腰の弱った老母と姉、義姉と4人で、
川越の長徳寺へお参りした。

タワシで墓石をゴシゴシ洗い、
植え込みをきれいに刈りあげ、
花を供え、お線香をあげた。
「お父さん、嬉しいねえ。みんな来てくれたよ」
母が涙声で泉下の父に呼びかけた。

父の墓のほんの近くには、私の親友も眠っている。
北朝鮮国籍のY君は小学校時代からの悪友だった。
彼にも花のお裾分け。掌を合わせたら、
(ずいぶんお見限りじゃないの)
と、sneerな笑いを浮かべた彼の顔がふっと目の前に浮かんだ。
「100年後にまた来るよ……じゃあな」

長徳寺を出た我われは、一路川島町へ。
父の実弟の墓参りである。この兄弟、何の因果か、
同じ月の同じ日に死んでしまった。
いや、この叔父だけではない。母方の叔父も3月9日が命日で、
なんと兄弟3人が、団子3兄弟みたいに数珠つなぎになり、
数年を経ずして次々と鬼籍に入ってしまったのだ。

そのため母は、「きっとお父さんが招んだんだね」
と、3月9日を「呪われた日」として恐れ、
(はやく明日になってちょうだい……)
と、毎年、首をすくめながら見送ってきた。

雪がひどくなってきた。母も「寒い、寒い」を連発するので、
今回は2軒のはしご(←赤ちょうちんじゃないッつーの)
で打ち止めにした。K叔父のところは、
去年行ったので勘弁してもらおう(←叔父貴ゴメン)。

帰りぎわに、母はジーッと私の顔を見つめた。
(最近、やたらと見つめるんだよな……猫みたいに)
猫になってしまった母に「また来るからね」と言い残し、雪の中へ駆けだした。

2010年3月8日月曜日

塩豆をかじりながら

下ネタが多すぎると友人からやんわりお叱りを受けたので、
今回は、悪口ネタにいたします(←反省してねーな)。

俗に塩豆をかじりながら他人の悪口を言うのは人生最高の快事、
と申しますから、僕は塩豆ならぬ毛饅頭(やっぱ、反省してねーや)、
じゃなかった栗饅頭をもそもそ食べながら、
悪口を楽しむことにいたします。

突然ですが、僕は女優の広末涼子がきらいです。
顔がきらい、声が嫌い、発声法がきらい、演技がきらい、性格がきらい……。
とにかく丸ごと全部がきらいです。特に口を尖らし、
腹の底からではなく、口先だけで甲高い舌足らずの声を出す、
あの幼稚なしゃべり方は、なんとかならないものかと、
いつも不愉快にさせられます。

NHKの『龍馬伝』は楽しく見ております。なんてったって龍馬役の
福山雅治がカッコいい。おっそろしく汚い(特に歯が)
岩崎弥太郎役の香川照之もいいですね。
ただ一点、番組キャストに瑕疵があるとしたら、
龍馬の恋人役・平井加尾に扮した広末涼子の大根ぶりでしょうか。

あれはひどい。時代劇やってるのに、彼女が出てくるといきなり、
きゃぴきゃぴのギャル言葉になってしまいます。アカデミー賞外国語映画賞を
受賞した『おくりびと』にも、モックンの女房役で出ていましたが、これも
どうしようもないミスキャストでした。余貴美子の深みのある演技と比べたら、
もう月とゲジゲジ。そのお粗末さときたら、幼稚園の学芸会レベル以下でした。

それにしても、あの口先だけでふにゃふにゃ呟く軽忽なしゃべり方は
いったい何なんでしょう。昔のアナウンサーとか役者志望は、
必ず「滑舌(かつぜつ)」をみっちりやって発声の基礎を学びました。
そんな役者のイロハさえ今はやらないのでしょうか。
自然に発声するほうがリアルでいい、というわけなんでしょうか。
それが今風というのなら、僕はまったくついて行けません。

永ちゃんこと矢沢永吉も広末みたいに口を尖らしてしゃべり、かつ歌います。
だから永ちゃんもきらいです。腰をくねくねさせる爬虫類みたいな動きも気色がわるい。
団塊世代のアイドルで、カッコいいという人がありますが、
いったいどこがカッコいいのでしょう。
いい年ぶっこいて何やってんの?(お下品で申しわけない)、
って感じがするのです。

他にきらいなのは、イの一番に鳩山由紀夫、そして福島瑞穂、
次いで久米宏、古舘伊知郎、みのもんた(←こいつは下品すぎる)……。
キリがないけど、とにかく口先だけのクネっとした輩はみなきらいです。
僕が体育会系だからでしょうか、男だか女だか判然としないような人間は、
気色わるいからきらいなんです。

ああ、さっぱりした。やっぱり、他人の悪口を言うのは身体によさそうです。
そういえば、金棒引きのKさん(近所のおばちゃん)はすこぶる元気であります。
僕も少しは見習おうっと。

2010年3月5日金曜日

ナニをナニして

  ♪汽車の窓から 小便垂れて
   これで汽車チン 二度出した

出物腫れ物で、大小便をがまんするのは本当につらい。
あの公爵岩倉具視(加山雄三の母方の曾祖父)でさえ、
汽車の中で〝漏水〟ががまんできず、とうとう
被っていたシルクハットの中にシャーッ……

さすがに近頃は、立小便を見ることマレになったが、
情けないことに私の住むアパートには、外階段の踊り場で、
ジャージャーやるような不心得者がまだいる。

昔なら「此の処 小便無用」と、
お稲荷さんの鳥居を描いた貼り紙を打ちつけたものだ。
お稲荷さんに小便をひっかけたらアレが曲がっちゃうぞ、
という脅しである。そういえば、
ミミズにひっかけるとチンポコがミミズ腫れになるよ、
とお袋がよく言ってたっけ。

さて立小便というと男の専売特許みたいなものだと、
勝手に思い込んでいたが、どうもそうではないらしい。
物の本によると、楚々としたイメージのあの京女が、
よく尻をまくっては道端でシャーシャーやってたらしい。
もちろんうずくまるのではなく、堂々と仁王立ちでやる。
江戸では見られぬ珍な光景だと、
上方旅行をした曲亭馬琴先生が驚いている。

明治末年になっても、女の立小便はいっこうに減らず、
福岡県の女子師範や高等女学校などでは、
《女子学生の立小便をなんとかしなければ……》
と、風紀取り締まりの協議会で議題にのせている。
かなり深刻な問題だったようだ。

それにしても、昔の大和撫子はやることが豪快ですな。
ただ一つ気になるのは、どうやって、その……したたるアレをですね、
ナニしたのかという点。やっぱ自然乾燥でしょうかね?

2010年3月1日月曜日

ナメクジウオの末裔

15分以上、休みなく連続して泳いでいると、
気分がだんだん高揚してきて、このまま永遠に
どこまでも泳いでゆけそうな気になってくる。
なんだか魚になった気分なのである。

水泳仲間のYさんは「これがスイマーズ・ハイというやつだよ」
と教えてくれた。ランナーズ・ハイとかクライマーズ・ハイ
というのは聞いたことがあるけど、
どうやらスイマーズ・ハイもあるらしい。

マラソンみたいに長時間泳ぎ続けていると、
脳内麻薬と呼ばれるエンドルフィンが分泌される。
この神経伝達物質はモルヒネの6倍以上の鎮痛作用があり、
恐怖や苦痛から精神を解き放してくれるという。

この一瞬ハイになった高揚感は、一種の酩酊状態に近く、
荒かった呼吸も次第に楽になってくる。そして、
極楽できれいな天女の舞をながめているような
ゆったりした気分になってくる。

実際はひどく疲れているはずなのだが、
エンドルフィンが分泌されている間は、
そのことを忘れさせてくれるようで、
まるでマイケル・フェルプス
になったみたいにスイスイと泳げるのである。
しかしそのハイな状態は長くは続かず、
再び魚から人間に舞い戻ってあたふたする。

あのラリった状態はマリファナを吸った時の気分
(もう時効でしょうがロサンゼルスの友人宅で吸ったことがあります。
ゴメンナサイ。もっとも彼は健康食品だとうそぶいていましたがね)
に近いかもしれない。そのためかどうか、一度味をしめたスイマーたちは、
あの状態にトリップしたいと、再び三度挑戦する。

人間の祖先はナメクジウオに近い生き物だったという。
何億年も前の話だが、その遠い記憶が、
泳いでいる時にふと蘇り、自分がヒトであることを
一瞬忘れかける。

僕の好きな内田樹(たつる)はこう言っている。
《人間の身体についてのすべての修行は、
人間が身体を持っていることを忘れさせるためにある》

そう、僕は密かにサカナになることを夢見ている。

2010年2月25日木曜日

だれもが選良

旧制の高校では「デカンショ節」なるものがよく歌われたという。
デカンショとはデカルト、カント、ショウペンハウエルのこと。
今の高校・大学生にはサッパリだろうけど、「末は博士か大臣か」
といわれた旧制高校の生徒は、弊衣破帽でバンカラを気どり、
小難しい哲学書なんぞを読みふけっては、日夜酒を飲み、
杯盤狼藉を繰り広げておったのじゃ。

  ♪デカンショ デカンショで 半年暮らす(アー、ヨイヨイ)
   あとの半年ャ 寝て暮らす(ヨーイ、ヨーイ、デッカンショ)

こちらは正調ではないデカンショ節

  おやじおやじと威張るなおやじ おやじ息子のなれの果て
  息子息子と威張るな息子 息子おやじの一滴(ひとしずく)

  「論語」「孟子」を読んではみたが 酒を飲むなと書いてない
  酒を飲むなと書いてはないが 酒を飲めとも書いてない

このデカンショ節は「アルプス一万尺」の節でも歌えるから、ドーゾ。

僕もおよばずながら一滴(ひとしずく)を搾りだし、
ようやく2人の娘をもうけることができた。
他にもしずくがあっちこっちに垂れ流されているという話がないではないが、
おそらくアルコール濃度の相当高いしずくだっただろうから、
わがオタマジャクシ君はへべれけになり、
哀れ〝酔死〟してしまったことだろう。

さて唐突だが、卵子に向かって突進するオタマジャクシ君の
バタフライで泳ぐスピードをご存知だろうか?
これが秒速0.1ミリだ。(エーッ? そんなに遅いの?)
精子の大きさは約0.06ミリで、1回の射精でおよそ3~5億匹の精子が飛び出るという。
卵子にたどり着く(約30分かかる)のは、その中のたった1匹だから、
競争率たるや大学受験どころの比ではない。

だれもがこの猛烈に厳しい鉄人レースに打ち勝って生まれてきている。
つまりは、根性も体力も持久力もある「選良」ばかり、といっていい。
5億ものライバルたちを蹴落としてきた超エリートのあなたが、
つまらぬ受験競争や出世競争に敗れたからといって、
「負け組」などと首うなだれていてどうする。

生きていればつらいことだってあるさ。
そんな時こそ、デカンショ節でも歌いながら酒を飲むのだ。

  私ひろげて あなたがさして さしつさされつ 蛇の目傘(アー、ヨイヨイ)

2010年2月23日火曜日

蜜の味と鴨の味

スポーツ選手は、とかく「正々堂々」とか「フェアプレイ精神」を云々され、
あまつさえ高潔な人格を求められたりするが、朝青龍の例にもあるように、
それはあくまで「そうあってほしい」という願望であって、
現実は逆の場合のほうが多い。

そのことはサッカーやアイスホッケーを見れば一目瞭然で、
試合中は反則技のオンパレードとなる。
審判さえ見ていなければ、選手たちはどんな汚い手だって使う。
それがスポーツ競技のまぎれもない現実だ。

蹴る、たたく、肘打ち、頭突き、ツバを吐く……。
有名なのはマラドーナの「神の手ハンド」だろう。試合後、彼は、図々しくも
「ゴールはマラドーナの頭と神の手のおかげだ」と空っとぼけた。
負けたイングランドのゴールキーパーは、
「マラドーナのふるまいはスポーツマン精神にもとる」と非難したが、
なに、立場が替われば、彼だって同じことをするに決まってる。

スポーツマンは正々堂々としていなければならない?
そんなものは嘘っぱちで、建前に過ぎない。

読売新聞のコラムに独語のSchadenfreude(シャーデンフロイデ)
という言葉が出てきた。トヨタたたきに狂奔するアメリカ人の深層心理に
当てはめた言葉だというのだが、意味は「他人の不幸を喜ぶ気持ち」だ。
中国語では「幸災楽禍」、日本ではさしずめ「人の不幸は蜜の味」とか
「隣の貧乏は鴨の味」といったところだろうか。

バンクーバーオリンピックの各競技を見てつくづく思うのだが、
日本選手のライバルたちが転倒したり、失格になったりすると
このSchadenfreudeがむくむくと頭をもたげ、ついニンマリしてしまう。
おまえは他人の不幸を喜ぶのか? 面と向かってそう問われると、
気恥ずかしさとバツの悪さを感じはするが、
これが正直な気持ちなのだからしかたがない。

浅田真央とキム・ヨナは良きライバル同士だ。
キム・ヨナは可愛くて妖艶でスタイルも抜群、
スケベなおやじとしてはどこか幼稚な真央よりも
色っぽいヨナのほうが断然好みなのだが、
日本人としてはやはり真央ちゃんを応援せねばなるまい。
で、キム・ヨナにはたいへん気の毒なのだけど、
ジャンプでこけ、ステップでこけるという尻もちの3連発を期待したい。

一方、韓国人はこれとまったく逆のことを考えているはずで、
だからどちらも正直で、健康なのである。
すばらしい演技にはもちろん拍手を惜しまぬつもりだ。
でも、日本選手のライバルたちには、ことごとくズッコケてもらいたい。
それも再起不能なくらいに。

こう考えると、Schadenfreudeこそ人間というものの本性を
正直に、あけすけに語った言葉だと思うのだけど、
あなたはどう思う?

2010年2月21日日曜日

年寄りの佃煮

日曜日の午後、ジジババの原宿といわれる巣鴨のとげぬき地蔵に行ってきた。
おるわ、おるわ……えらい達者なジジババが佃煮にするくらいぎょうさんおった。

そして、このジジババが実によく食べるんだわさ。
煎餅屋、餅菓子屋、佃煮屋の前は黒山の人だかりで、
試食と称して、茶ァ飲んだり、くず餅食べたり……。
おまけにピーチク、パーチクとおしゃべりが止まらない。
まるで「雀の学校」だ。

それにしても、この地蔵通り商店街は元気だ。
シャッターのおりてる店など1軒もない。
とにかく何を出しても売れそうな雰囲気で、
ジジババの購買欲はすこぶる高い。

一方、巣鴨駅にほど近いレコード店の軒先では、
若者3人が懐かしの昭和歌謡を歌っていた。
ボーカル、ウッドベース、アコーディオン
という組み合わせで、3人ともモボ(モダンボーイ)のスタイルだ。

東京大衆歌謡楽団というグループで、これが実にいい。
歌といい格好といい、ジジババの原宿にピッタリのバンドなのだ。
レパートリーは古賀メロディを中心とした昭和初期の懐かしい歌ばかり。

「東京行進曲」に「啼くな小鳩よ」、「東京ラプソディ」などが次々と
演奏され、藤山一郎ばりの高音が美しいボーカル君が、
直立不動で歌い上げる。二重三重と取り囲んだジジババは、
1曲終わるたびに盛大な拍手だ。

最後の「青い山脈」は皆さんもご一緒にどうぞ、というものだから、
出しゃばりのわたくしめは、人垣を押し分け最前列に。
ボーカル君を凌ぐほどの大声で、朗らかに歌い上げた。

  ♪若く明るい 歌声に 雪崩(なだれ)は消える 花も咲く

   青い山脈 雪割桜 空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ

ああ、いい気持ち。やっぱ藤山一郎が一番だなや。
ジジババたちも、青春時代を懐かしむように
楽しそうに歌っていた。
 
「お年寄りの原宿」とはよく言ったものだ。
本家の原宿なんぞカネを貰っても行きたくないが、
こっちの原宿は味があっていい。
年寄りパワー、恐るべしだ。

ついでに宣伝してしまうが、ボクも引っ込み思案のくせに舞台に立つのが
好きで、しょぼくれたオヤジ仲間を集めてエレキバンドを組んでいたことがある。
名づけて「Flying fossils(空飛ぶ化石)」。その勇姿がこれ↓