埼玉県和光市はHONDAの町であり、理化学研究所の町でもある。
理研はもともと文京区駒込にあって、古くは鈴木梅太郎、寺田寅彦、
中谷宇吉郎、池田菊苗、湯川秀樹、朝永振一郎といった
錚々たる科学者を輩出してきた。和光市に移転したのは1967年で、
現在の理事長はノーベル化学賞を受賞した野依良治である。
理研には世界中から優秀な科学者が集まっている。
ボクが通っているプールに外国人が多いのはそのためだ。
仲良くなったドイツ系米国人のクルツ、ドイツ人のスザンナ、韓国人のキム、
そういえば、わが家の台所で一緒にめしを作った毛むくじゃらのアルメニア人
も理研の若き研究者だった。みんなエリート中のエリートである。
話変わって、広島の原爆碑にはこう書いてある。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」
主語はない。読みようによってはまるで日本が過ちを犯したように受け取れる。
原爆を投下したのはアメリカで、無辜の民20万余を殺傷したのだから、
ボクは「過ちはきっと償わせますから」に差し替えてもらいたいのだが、
碑文を制作した広島大教授によると主語は「人類」なのだそうだ。
日本人は何かというと広島・長崎の惨禍を持ち出すが、なに日本だって
同じ破壊兵器をせっせと開発していた。ただアメリカに先を越されただけの話で、
開発に当たっていたのは理研の仁科芳雄博士の研究グループである。
敗戦後、マッカーサーに先んじて乗り込んできたアメリカの特殊部隊は、
まずまっ先に仁科研究所を破壊し、その研究機材をすべて東京湾に
投棄してしまった。もし原爆の完成がアメリカに先んじていたなら、
攻守はにわかに逆転し、原爆碑はアメリカのどこかの都市に建てられて
いたかもしれない。
孟子は『地を易(か)うれば皆然り』と言った。その意味するところは、
「人は置かれた立場によって意見や行いを異にするが、
立場が入れ替われば、やることは同じ」という意味である。
日本は被害者面をして原爆の非を唱えているが、
ひとつまちがえれば非を鳴らされる側に立っていた。
原爆は悲惨なもので、願わくば用いてもらいたくはない、
と考えるものだが、だからといって非核論者というわけではない。
むしろ逆で、核抑止力をとりあえずは信じている。実際に行使しないまでも、
経済、軍事を含めた有効な外交のためには必要なインフラ、
と考えてもらえばいい。ムダといえば最たるムダだが、
それが冷徹な現実なのだ。
理想はアメリカの核の傘から離脱し、自前の核を保有すること。
その詳しきは控えるが、中国、北朝鮮、ロシアという餓狼のような
核保有国に囲まれている現実を直視すれば、
その結論が最も現実的かつ妥当なものに思える。
「核」という言葉を聞いただけでヒステリックに大騒ぎし、
思考停止状態になってしまう極度のトラウマから、
日本人はいったいいつ解放されるのだろう。
あ~あ、また余計なことを言ってしまった。
これで平和主義者の女性ファンが2~3人は確実に減るな。
ボクは改憲論者であり、核保有論者でもある。愛国者であるがゆえに、
たどり着いた結論がそれだ。持ったが病で、こればかりはどうしようもない。
理研はもともと文京区駒込にあって、古くは鈴木梅太郎、寺田寅彦、
中谷宇吉郎、池田菊苗、湯川秀樹、朝永振一郎といった
錚々たる科学者を輩出してきた。和光市に移転したのは1967年で、
現在の理事長はノーベル化学賞を受賞した野依良治である。
理研には世界中から優秀な科学者が集まっている。
ボクが通っているプールに外国人が多いのはそのためだ。
仲良くなったドイツ系米国人のクルツ、ドイツ人のスザンナ、韓国人のキム、
そういえば、わが家の台所で一緒にめしを作った毛むくじゃらのアルメニア人
も理研の若き研究者だった。みんなエリート中のエリートである。
話変わって、広島の原爆碑にはこう書いてある。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」
主語はない。読みようによってはまるで日本が過ちを犯したように受け取れる。
原爆を投下したのはアメリカで、無辜の民20万余を殺傷したのだから、
ボクは「過ちはきっと償わせますから」に差し替えてもらいたいのだが、
碑文を制作した広島大教授によると主語は「人類」なのだそうだ。
日本人は何かというと広島・長崎の惨禍を持ち出すが、なに日本だって
同じ破壊兵器をせっせと開発していた。ただアメリカに先を越されただけの話で、
開発に当たっていたのは理研の仁科芳雄博士の研究グループである。
敗戦後、マッカーサーに先んじて乗り込んできたアメリカの特殊部隊は、
まずまっ先に仁科研究所を破壊し、その研究機材をすべて東京湾に
投棄してしまった。もし原爆の完成がアメリカに先んじていたなら、
攻守はにわかに逆転し、原爆碑はアメリカのどこかの都市に建てられて
いたかもしれない。
孟子は『地を易(か)うれば皆然り』と言った。その意味するところは、
「人は置かれた立場によって意見や行いを異にするが、
立場が入れ替われば、やることは同じ」という意味である。
日本は被害者面をして原爆の非を唱えているが、
ひとつまちがえれば非を鳴らされる側に立っていた。
原爆は悲惨なもので、願わくば用いてもらいたくはない、
と考えるものだが、だからといって非核論者というわけではない。
むしろ逆で、核抑止力をとりあえずは信じている。実際に行使しないまでも、
経済、軍事を含めた有効な外交のためには必要なインフラ、
と考えてもらえばいい。ムダといえば最たるムダだが、
それが冷徹な現実なのだ。
理想はアメリカの核の傘から離脱し、自前の核を保有すること。
その詳しきは控えるが、中国、北朝鮮、ロシアという餓狼のような
核保有国に囲まれている現実を直視すれば、
その結論が最も現実的かつ妥当なものに思える。
「核」という言葉を聞いただけでヒステリックに大騒ぎし、
思考停止状態になってしまう極度のトラウマから、
日本人はいったいいつ解放されるのだろう。
あ~あ、また余計なことを言ってしまった。
これで平和主義者の女性ファンが2~3人は確実に減るな。
ボクは改憲論者であり、核保有論者でもある。愛国者であるがゆえに、
たどり着いた結論がそれだ。持ったが病で、こればかりはどうしようもない。