2012年6月10日日曜日

ものいわぬは腹ふくるるわざ

今日は叔母の四十九日忌の法要が秩父札所第12番野坂寺でしめやかに
執り行われた。叔母は去年死んだ母の妹で、晩年は長く病床に臥せっていたが、
詩吟、剣舞と趣味の多彩な明るい女性だった。

母と叔母は仲のいい姉妹で、よく一緒に旅行をした。が、2人の佐渡への
小旅行は最悪だった。例によって万事に粗雑でそそっかしい母が、着いた途端に
スッテンコロリンと激しく転倒。そのまま病院へ担ぎ込まれた。母はとかくケガの
多い女で、入院といえば決まって外科だった。生涯にいったい何度外科医の世話に
なったか。病院にとっては一番のお得意先だった。

かわいそうなのは叔母だ。せっかく楽しみにしていた佐渡観光なのに、
粗忽な姉の看護に付き添わなくてはならない。けっこう重症だったので、
島外への移送はゆるされなかった。結局、丸々1ヶ月、叔母は母に付き添い、
母の隣にしつらえた簡易ベッドで寝起きした。
(いったい私は何しに来たの? )
身内に見放された2人(長兄は母にお灸を据えるため、あえて見舞いにも迎えにも
行かなかったと後に証言)は文字どおりの「島流し」にされてしまった。

そんな疫病神の母()だったが、姉妹は仲が良かった。そのため、
無用のショックを与えてはいけないというので、母の死は固く秘して、
病床の叔母には伝えなかった。本年4月24日、叔母は大好きな姉の死を
知らずにあの世へ旅立っていった。まるで姉の影に惹かれるみたいに……。
知らせないことがよかったのかどうか、それはわからない。
が、ボクはこれでよかったと思っている。

叔母の葬儀のようすはブログ内の「弔電粉砕!」でやや戯画化して描いた。
まさか従兄弟の施主が読んでいようとは思わないから、思いきり葬儀を茶化したら、
今日、法事の後の粗餐の席(←おまえが言うな)で、施主の奥方がツツと寄ってきて、
ボクにそっと耳打ち。
「ブログ……読んでますよ、フフ」
というなり、謎めいた含み笑い。
ドッキーン!
ボクはしばし全身が硬直。あわてて笑顔でごまかしたが、
なんとかその場を取り繕うので精一杯だった。
まさに冷汗三斗の思いとはこのことだ。

いやあ、きょうの坊さんの法話はすばらしかった。心に滲みました。←わざとらしいんだよ!
結婚披露宴みたいに次々と繰り出されるスピーチ(これも秩父流か?)も、
それぞれに生きるヒントを示唆してくれそうなものばかり。
感動で胸が熱くなりました。←半分寝てたくせに

というわけで、叔母の法要もぶじに済み、めでたしめでたし。←バカ、めでたいは禁句だろ!
施主夫人のM代さん! ふつつかな私ですが、どうかお手やわらかにね。
T夫ちゃん、M代さん、今日はほんとうにお疲れさま。
粗餐(←まだ言ってる)、おいしかったです。腹へってたから……(笑)。



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