2012年12月29日土曜日

100円ライターの悲哀

いよいよ右手首の腱鞘炎がひどくなってきた。
頭は冴えわたっていて、いくらでも書けそうなくらいテンションは上がっているのだが、
肝心の手首がいかれてしまっていては、思うように文字が打てない。
以前、ペンで書いていた頃にも、この腱鞘炎に悩まされたものだが、
パソコンに代わったら、今度はキーを叩くのが難儀になってしまった。

この数週間、朝起きるとすぐにパソコンに向かい、ひたすら原稿を打ちまくっている。
腰痛が相変わらずなので、コルセットを巻きながらがんばっているのだが、
いかんせん手首がいかれてしまってはどうにもならない。

金さえあれば秘書を雇って、口述筆記をさせたいところだが、
そんな甲斐性などどこを探してもありはしない。
きつい肉体労働をもっぱらとしている悪友の一人は、
「机に座っているだけでおまんまが食えるんだから、優雅なご身分だね」
などとからかうが、いったいどこが優雅なものか。
ボクみたいな肉体派は、身体を動かし汗をかいているほうが数段楽チンなのである。

今年も余すところ、あと2日になってしまった。
2日間で果たして原稿の残り90枚が書けるだろうか。
ちょっと絶望的な思いがしている。

こんな時は駅前の歯医者に出かけて、例の〝頭ツンツン〟をやってもらえば、
とたんに鼻血ブーで元気百倍、数百枚の原稿も一気呵成に書いてしまうのだが、
そのツンツンをやってもらっているヒマがない。

そういえば、去年の暮れもこんな具合だった。突然、雑誌社から、
「調査捕鯨とシー・シェパードとの闘いについて急いでまとめてください」
などという原稿依頼があり、畑違いのこともあって、
資料読みやら何やらでひっちゃかめっちゃかになってしまった。

ボクたち〝100円ライター〟は、どんな仕事の依頼にも応えなくてはならない。
贅沢を云える身分ではないので、仕事の選り好みなどもってのほかなのだ。

飽きられたらポイと捨てられる、使い捨てライター。
よくぞここまで生きのびてきたと思うが、
そろそろ年貢の納め時が来たのかもしれない。

もともと志の低い人間なので、ベストセラー作家になりたい、
などという大望はハナから抱いていない。またそんな才能もない。
『敦盛』ではないが、人生なんて〝夢幻〟の如きもので、
有名になろうがなるまいが、線香花火みたいにあっという間におわってしまう。

ああ、ほんとうはこんな閑文字を連ねているヒマなどないのだ。
腱鞘炎はどうなったかって? これ、左手1本で書いてます。
やっぱシンドイわ。もう寝ます。


 

2012年12月27日木曜日

うさぎのパジャマ

Xmasイヴの晩は、若いイタリア人女性サブリナとにぎやかに過ごした。
キリスト教徒にとって、クリスマスは特別な行事で、
日本ではよく恋人同士で過ごす日、みたいに思われているふしがあるが、
クリスチャンにとっては、昔から〝家族とともに過ごす日〟と決まっている。

イタリアから遠く離れ、日本で暮らしてちょうど1年。
女房がたまたま表参道にあるイタリア菓子専門店Sで知り合い、
急速に親交が深まった。去年のクリスマスは、まだ日本に着いたばかりで、
友だちもなく、アパートの自室でひとりさびしいイヴを過ごしたという。

異国に暮らしていると、人の親切が身にしみる。
それは一時期外国で暮らした娘たち2人の話からも察することができる。
ボクは善意の押し売りをするつもりはないが、
困っている人を見ると、つい声をかけたくなってしまう。
何ともお節介で、うっとおしい性格なのである。

以前、地下鉄のプラットホームで、白い杖をついた女性が道に迷っていた。
ボクはすかさず彼女の手を引き、出口まで連れて行ってやった。
すると「ここの出口ではないようです」と彼女が遠慮がちにつぶやいた。
なんと反対側の出口へ案内してしまったのだ。
すかさず引き返したのだが、けっこうな道のりだったもので、
2人は汗だくになってしまった。ああ、ミステイク。
かえって迷惑をかけてしまった(笑)。あれは暑い暑い夏の日でありました。

最近、やたらと〝感情失禁〟が多くなった、という話を以前したことがある。
歳をとって人間が円くなったのか、それとも焼きが回ったのか、よくわからないが、
他人に対してやさしい眼差しを向けられるようになった、というのは事実だろう。
そのやさしさの100倍くらいの量をもっているのが長女で、頻繁に被災地を訪れ、
汗を流してきたところにも、その一端が現れている。

サブリナをクリスマスの夜に泊まりがけで招待したのも、たぶんその延長線上にある話だ。
若い娘が、ひとり自室にこもってクリスマスを祝っている図は、なんともさびしすぎる。
で、お節介にも声をかけ、手づくりのクリスマスを楽しんでもらったのである。

リビングに入って彼女がまず驚いたのは、ピアノの上に掛けられた
やたら大きいイタリアの三色旗だった。
長女がイタリア留学した時に、ホームステイ先でもらったもので、
それを納戸から引っ張り出し飾りつけたのだ。
「うわっ、これ何? アハハハハ……」
いきなり大笑いしていたが、目にはうっすら涙がにじんでいた。

食卓には手巻きずしとスペアリブ。キリスト教徒はイヴの晩に肉を食べない、
と聞いていたが、仏教&神道&似非キリスト教信者の嶋中家は、
そんなことは知っちゃァいない。
「サブちゃんは食べなくていいよ。ボクたちがぜ~んぶ片づけるから」
云うなり、みな無遠慮に骨付きポークにかぶりついた。
すると横目で見ていたサブちゃんも、いつの間にか手を伸ばしてムシャムシャ。
どうやら彼女も、謹厳な原理主義とは無縁のええかげんなクリスチャンだったようだ。

さて透け透けネグリジェを持参するものと期待していたのだが、
湯上がりのサブちゃんが着ていたものは、ウサギの耳のついた
フード付きのピンクのパジャマだった。サブちゃんは殊の外うさぎが好きなのである。
おじさんはひどくガッカリしたものだが、まあ、それはそれでとても可愛かった。

翌日の昼は練馬区光が丘のそば屋でもりそばと天丼をきれいに平らげ、
その翌日に、新年を家族と過ごすため、元気よくイタリアへ飛び立っていった。
サブちゃん、また来年会おうね。




←サブリナの守護神がこのうさちゃん。
  なんだか淋しそうな顔してる







←サブちゃんと田舎そば。
  このあと天丼も平らげた
 

2012年12月22日土曜日

Xmasの夜は

ぜんぜん仕事がはかどらない。まるで言葉が出てこないのだ。
もっとも、ない頭からむりやり言葉を絞りだし、
300枚の原稿を3週間そこそこで書き上げようというのだから、
ハナから無謀な試みというべきなのかもしれない。
というわけで、またまた気分転換をする。←こればっか!

ボクにもし取り柄がひとつあるとすれば、ひとを肩書きで見ないところだろうか。
これはおそらく小林秀雄や福田恆存、山本夏彦といった師匠連から学んだことだ。
何がきらいって、企業名や役職、肩書きといった威光をかさに着て、
いばり散らす人間ほどきらいなものはない。

高級官僚がまずこれに当たる。「外務省の役人ときたら……」
横浜APECの際、博報堂の社員などと一緒に外務官僚とやり合った女房は、
「もうこりごり」ともらしていた。慇懃無礼ですべてが上から目線。
エリート意識のかたまりで、民間の人間など虫けらくらいにしか思っていない。

政治家も同じ。選挙の時こそ米搗きバッタみたいにへいこらするが、
当選した途端に「おい、そこな町人」というような目つきになる。
だからボクは、できるだけ政治家という人種には近づかないようにしている。
人類の中でも、あまり上等とはいえない種族なのだ。

男には肩書き人間が多い。肩書きこそすべてで、それを失うことを死ぬほど恐れている。
その肩書きをすでに失ってしまったご隠居たちが、わが団地にはウヨウヨしている。
彼らは何かというと、現役時代の肩書きを持ちだしては胸を張ってみせる。
おとうさん、そんなものは何の役にも立たないのですよ。誰も畏れ入ったりはしませんよ
懇々と言い聞かせてやりたくなる。
なんとも哀れな光景ではないか。

人間の真の価値はどこにあるのだろう。
ボクは究極のところ、「人に対するやさしさ」ではないか、と思っている。
せっかくこの世に生を受けたのだ。世のため人のため、何かお役に立てることを
してからあの世に行きたい。人を幸せにするためのお手伝いを何かしてみたい。
こんなことを臆面もなく云うのは、実はとても恥ずかしいことなのだが、
いろいろ考えると、この結論にならざるを得ない。

口なんか悪くたっていい。乱暴者の酒乱でもいい。
どこかに一片のやさしさが感じられれば、ボクはその人を許し愛しもする。
ボクの友だちは数少ないが、みんな心やさしい人ばかりだ。
やさしさは心の余裕と教養から発するものだというから、
たぶんみんな揃って教養人なのだろう。

今年も押しつまってきた。毎年のことながら、ぜんぜん心に余裕がない。
仕事に追いまくられている割には金もない。ないない尽くしで、
今年も暮れようとしている。

Xmasの夜にはお目々パッチリのサブリナが透け透けのネグリジェを抱えて
泊まりに来るという。だからビング・クロスビーばりの美声で『ホワイトXmas』を
歌ってあげることにする。その美しい歌声が天にとどけば、
ひょっとすると、窓外は白銀の世界に一変するかもしれない。
それでは皆さん、メリー・クリスマス!



←♪ 雪は降る あなたは来ない
   雪は降る 重い心に 
              (アダモ)

   ああ、早く仕事が終わらないかな……
  

2012年12月21日金曜日

雪の上で眠りたい

朝から晩まで、原稿書きに追われている。
ここ数年は、自分の本を書かずに他人の本ばかり書いている。
奥付に名前が出るから、いわゆるゴーストライターとはいえまいが、
やっていることは同じで、地味な黒衣(くろこ)の仕事である。

その黒衣仕事が年末になって複数重なってしまった。
あちらが立てばこちらが立たず。どうにも八方ふさがりの状態だ。
同時に進行すればいいじゃないか、と言う人があるかもしれないが、
千手観音じゃあるまいし、いっぺんにいろんなことはできない。
凡人の悲しさか、ひとつずつ片付けていくしかないのだ。

そんなに忙しいのに、ブログなんか更新していていいのか、
とお叱りを受けそうだが、なにこんなもの、ものの数分で書いてしまう。
気分転換にはもってこいなのだ。

40年、活字をこねくり回して銭を得るという生活を繰り返してきた。
考えてみれば、言葉という符丁を用いて、妙な理屈をひねり出し、
世間を煙に巻いてきた。まさしく虚業というやつで、
ハナから商売往来には載っていない。

天職かと聞かれても困る。他の仕事を何ひとつ知らないからだ。
仕事がおもしろいかと問われれば、
「まあ、おもしろいと云えばおもしろいが、
つまらないと云えばこれほどつまらない仕事もない」
と答えるだろう。物書きというのは、実にとらえどころがない。

それにしても疲れた。右手首が軽い腱鞘炎を起こし、キーボードをうまく叩けない。
肩も猛烈にこっている。ギックリ腰が完治していないので、コルセットを巻きながら
パソコンに向かっている。目もしょぼしょぼして、画面の字がちらつく。
いよいよ体力と知力の限界なのかもしれない。

女どもはのんきに旅行に出かけ、2~3日帰ってこない。
ふつうなら万歳を三唱し、すぐに飲みに出かけるか、友達を呼んでドンチャン騒ぎ
をやらかすのだが、今度ばかりはそれもできない。もしそれをやったら、
担当の編集者が刺客を送り出すだろう。

ああ、なんて因果な商売なのだ。
おれの書いた文章は少しは世の中のお役に立っているのだろうか。
最近はそんなことばかり考える。たぶん疲れているせいだ。

今晩は雪が降るかもしれないと報じていた。
雪が降ったら、立ち小便をして「バカヤロー!」という字を書きたい。
誰に向けて発するわけでもない、生きている手応えを感じたいだけだ。

2012年12月17日月曜日

ああ、思いこみ

自民党の圧勝。すでに新聞・テレビでは各界著名人の論評がかまびすしい。
素人のボクなど何も言うことはなし。だから選挙のことは書かない。
「思いこみ」について書く。

これは実際あった話。
新米社員同士の会話で、AがBに尋ねた。「なるきち・おもあせ」って何だ?
問われたほうも分からない。しばらく思案してニッコリ。成吉思汗(じんぎすかん)だろ?

ふたつ目。これも実話。
「アシホっていいよね」
「どんなの書いてるの?」
「ほら、『少年愛の美学』とか『一千一秒物語』とか」
「それって、もしかしてタルホ(足穂)じゃないの?」
そういえば、福岡のコーヒー店「美美」のMさん、このイナガキ・アシホが好きだったな。
特に『一千一秒物語』が最高、と言ってたっけ。さっそく買って読んでみたけど、
なんだか夢を見ているようでよく分からなかった。
そういえば野坂昭如とアシホがブチューッとディープなキッスをしたことがあったな。
なんともおぞましく、気色わるかった。

三つめ。これも悲しい実話。
「きょうはシベリアヨクリュウについて話す」
と学生たちに向かって教授が一言。
「えっ? シベリアに翼竜がいたんですか?」

笑えるけど、笑えない。ボクも読み間違いではずいぶん恥をかいてきた。
「間断なく」を「マダンなく」と読み、「小康状態」を「コヤス状態」と読み、
「居住空間」を「イジュウ空間」などと読んでいた時期があった。
いまでも女房は、
「やーい、やーい、コヤス状態のイジュウ空間やーい!」
とバカにする。

むかし、経営コンサルタントで「日常茶飯事」を「日常チャワンゴト」と言う人がいた。
講演などでもこのチャワンゴトをやたら連発するものだから、
こっちはヒヤヒヤ・ニヤニヤしたものだが、誰も教えてやるものはなかった。
「ほら、またやったよ」
けっこうみんな楽しみにしていたのかもしれない。

あんまり偉くなってしまうと、周囲のものが指摘しづらくなってしまう。
つまり〝裸の王様〟になってしまう。
「言及する」を「ゴンキュウする」という偉い人が身近にいるのだが、
だれも正してやらないから、いまでもゴンキュウが続いている。
ボクも底意地がわるいから知らんぷりしている。
しばらくはゴンキュウで楽しませてもらうことにする。



←ああ、気色わるッ!
アシホとアキジョのフレンチキッス


 

2012年12月14日金曜日

白バイ隊、大っきらい!

昼頃、隣町の駅前で交通違反を犯してしまった。
罪状は横断歩道上の歩行者を妨害したという一時不停止。
減点2で、罰金9000円。これでゴールド免許からブルー免許に格下げだ。

歩行者3名が横断歩道(15m以上と長い)を3分の1くらい渡りかけていたから、
徐行して通過したのだが、途端に「ウーウー」というサイレン。
(えっ、ウソだろ? どこが違反なんだよ)

車を道路の左側に寄せると、若い白バイ隊員が降りてきた。
「免許証をおねがいします」
こっちはもう半分キレかかっている。

「歩行者の鼻先をかすめていったわけでもなく、
十分な距離があったからこっちは徐行して通過したんだ。
それのどこが悪いんだよ」
「歩行者は横断歩道の中程まで来てました」
「いや、渡りはじめだった」
「私はちゃんと見てましたから」
「いったいどこから見てたんだよ。横から見てたら正確な距離感なんかつかめないだろ」
駅前の人混みを前にして、ふたりして大声で怒鳴り合い。
「あのオッサン、ずいぶんがんばってるじゃないの」
通行人たちはみんな面白がって見守っている。

この程度の違反(こっちは認めてない)なら、昔は「次から気をつけてくださいよ」
と大目に見てくれた。が、今はすべてが杓子定規で、目こぼしすることはまずない。
「もしも人を轢いてしまったら、旦那さん(警官は必ずこう言う)の人生はおしまいです……」

白バイのおニイちゃん、図に乗って偉そうな道徳論までぶちはじめたものだから、
「そんなことは百も承知だよ。こっちはおまえさんがオムツをしている頃から車に乗ってんだ。
つまらない講釈なんか垂れなさんな。それより税金でおマンマを食わせてもらいながら、
善良な市民(ボクのこと)を、それも忙しい年の瀬にいたぶって、いったい何が楽しいんだ?
おれなんかより、もっと悪いヤツは他にいっぱいいるだろ。見えないところに隠れていて、
いきなり飛び出してきて捕まえるなんざ、やり方が姑息で卑怯なんだよ。
おれは卑怯なことをする人間が大きらいなんだ。おまえさんだってせっかく警官になった
んだろ、だったらもっと世の中のお役に立つような仕事をしたらどうなんだ、えーっ?」
どっちが警官だかわからない。

こんな凶暴なバカおやじにつき合っていられない、と思ったのだろう、
説教するのをあきらめ、白バイ隊員は反則告知書をせっせと書き始めた。
以前、別の隣町で一時停止違反で捕まった時は、若い警官に向かって
「おまえみたいな男に俺の娘は絶対嫁にやらないからな」←いらねえや、そんなもん!
などと、わけのわからぬ暴言を吐き、
危うく公務執行妨害罪で捕まるところだった。

「……ったくもう、また一時停止違反? いったい何度やったら気がすむの? 
あ~あ9000円か、もったいない。罰としてしばらく断酒して反省すること。
もう、ホントにバカなんだから」
愛妻からは温か~いお言葉をいただいた。


明朝、わが小っちゃな町の駅頭に安倍自民党総裁がお出ましになるという。
験(げん)直しにさっそく応援に駆けつけ、安倍ちゃんのご尊顔を拝してこよおっと。
それにしても、交通警官ってやつはほんとアッタマ来る。←それが逆恨みだっつーの!



2012年12月9日日曜日

ヒラメ顔と濃ゆい顔

昨日、彫刻みたいに〝濃(こゆ)い顔〟のSabrinaが遊びに来た。
サブリナという名前はオードリー・ヘップバーン主演の『麗しのサブリナ』で知られるが、
イギリスの詩人ミルトンの詩の中に出てくる川の妖精名がその由来なのだという。
さて妖精のような?彼女は来日10ヶ月目の、お茶目でフレンドリーなローマっ子。
歓迎の意を込め、例によってわが家の名物「特製棚卸し風キリタンポ鍋」という
濃ゆい料理でもてなしてあげた。

ご承知のように、わが家は典型的なアジア顔で、揃ってアンパンマンみたいに
まあるい顔をしている。その平べったい顔を真横にすると、ちょうどサブリナみたいに
細長く尖った顔になる。片や目と口が大きく、鼻は天にそそり立ち、顔に凹凸がある、
こなたすべてのパーツが小づくりで、煎餅みたいに平べったくメリハリがない。
同じ人類のはずなのに、どうしてこんなにも顔の造りが違うのか、
ボクは世にも珍しき濃ゆい顔を穴のあくほど見つめてしまった。

肝心のディナーだが、鍋に入れたのは骨付き鶏肉、鶏挽肉ベースの肉ボールに、
野菜はセリ、春菊などの青菜。各種キノコ類にキリタンポ、
そしてその他冷蔵庫内の余り物(だから〝棚卸し鍋〟なの)だ。
いつもならせっせと自家製キリタンポを作るのだが、今回はギックリ腰がまだ癒えず、
凝った料理はいっさい省略。横着して市販品で間に合わせた。
鍋の締めは中華麺にサトウの切り餅だ。

サブリナはイタリア人のくせにチーズが食べられず、
辛いものもいっさいだめ。チーズがダメだから、ピッツァなども
よく確認してから食べるという。また辛いものが食べられないのに
激辛の韓国にも行ってみたいという。行ったらたぶん餓死するだろう。

「お餅は食べられるだろ?」
「Si, 焼いたお餅なら、食べたことあります」
「お醤油と海苔をつけて食べたの?」
「No, 何もつけないで食べた。味はしなかった」
当たり前だ。

日本人はガイジンと見ると納豆とか梅干しをむりやり食べさせたがるけど、
彼らにしてみればいい迷惑で、粘りけのある餅も苦手というものが多い。
ところがサブリナは上手に箸を使い、ビョーンとのびる餅と必死に格闘していた。

サブリナは新大久保の外国人向けアパートで、アイルランド人の女性と
room shareをしている。ところがこのルームメイトが衛生観念ゼロのがさつな女で、
部屋は散らかし放題。おまけに「あんたはうるさい」などと暴言を吐くという。
それでも争いを避けたい彼女はひたすら「忍」の一字。
いまや同居人に家政婦みたいにこき使われているという。

以来10ヶ月、溜まりにたまったストレスは爆発寸前だ。
ワインの酔いが回るほどに饒舌になり、目や口や手の動きが激しくなってきた。
そして、いかにこの相方が酷薄な女であるか、身ぶりよろしく語り出した。
つらい話だが、そこはさすがにローマっ子だ。すべてを笑いに変えてしまう。
その表現の豊かなこと。爆笑に次ぐ爆笑で、食卓はたちまち笑いの渦に包まれた。

「今日は遊びに来てほんとうによかった。ここにもう1つの家族ができたんだもの」
そうだね、慣れない異国での暮らしはストレスが溜まるだろうし、
イタリアのお父さんお母さんも心配しているからね。

気分がふさぎがちになったらいつでもおいで。
また一緒に鍋でも囲んで大いに語り合おう。←この家には「鍋」しかないのか
「次に来る時はパジャマ持ってくる」とサブリナはいたずらっぽく笑った。
おじさんとしてはネグリジェのほうが嬉しいんだけど、まあそれはそれとして、
いつでも歓迎するよ、Ciao!





←まあるい顔と長い顔。
「わたし、実はまるい顔にあこがれてるの」
とサブリナ。気を利かせたつもりだろうが、
あんまり嬉しくない。
 

写真を撮る時のピースマークは、
日本の女の子の影響か。
うるさいことを言うようだが、わが家では娘たちに
撮影時のピースマークを厳禁している。
幼稚でバカっぽいからだ。
ただし、お客さまは別です。

2012年12月5日水曜日

メカケ根性が板につき

総選挙を前にして、例によって左翼リベラル政党の党首たちは「平和憲法を守ろう」
「原発のない社会を」などと、相変わらず耳に心地よいスローガンを並べ立てている。
クリーンなエネルギーと簡単におっしゃいますが、どうやったら新たな電力安定供給が
できるのかという具体論になると、途端にしどろもどろになってしまう。

ここでも「脱原発」か「続原発」かの単純な二元論を掲げ、「続原発」支持派を民意を
無視した悪者に仕立て上げようとしている。そりゃあ、原発なんかないほうがいいだろう。
でも仕方ないではないか。段階的に廃炉にしていくのはいいとしても、
いきなり風力だ地熱だといわれたって、世界第3位の経済大国がそんなものでやっていける
わけがない。それに世界一の原子力発電技術(アメリカも日本に依存している)をみすみす
捨ててしまうのか? 失業した技術者が中国や韓国、イランなどに流出したらどうするのだ。
原子力は国家安全保障の問題とも密接にからんでいるのである。

自民党の安倍総裁は憲法を改正して自衛隊を「国防軍」に変えると主張している。
それとともに、「集団的自衛権」の行使を認めるよう政府解釈を変更するとも言っている。
この発言をとらえて「今にも戦争が始まるぞ」みたいに恐怖心をあおっているおバカさん
たちがいるが、支那や朝鮮の回し者が何を言うか、である。

集団的自衛権というのは、たとえばあなたが仲のいい友だちA君と歩いていたら、
いきなり数人の不良に囲まれ、金を出せと脅されたとする。勇気あるA君が突っぱねると、
不良たちは「生意気だ!」と彼に対し殴る蹴るの暴行を加えた。
さて、あなたならどうする? A君を助ける? 
それとも君子危うきに近寄らずで、スタコラサッサと逃げちゃう?

現行憲法では、第9条が「武力行使」を認めていないため、たとえ親友のA君が
ボコボコにされても助けることはできず、せいぜい「がんばってね。応援してるから」
と声援を送るしかない。数週間後、今度は同じような状況下で、あなたがボコボコに
される立場になったとする。「痛い、殺されちゃうよ。A君! 助けて~!」
まだ傷(心の傷もある)の癒えないA君が、薄情な君をはたして助けてくれるだろうか。

集団的自衛権などという難しい用語を使うからよく分からないけど、要はこういうことで、
A君はすなわちアメリカのことだ。11月29日、アメリカ上院は尖閣諸島に対して
日米安保条約の適用を明記した条項を国防権限法案に盛り込んだ。つまり尖閣が
第三国から侵略ないし攻撃を受けたら、「日本に助太刀いたす」と明確に宣言して
くれたのである。当然ながら、支那は猛然と反発している。

日本はホッとひと安心、といったところかもしれないが、いざとなったら自分を助けてくれない
薄情な日本をほんとうに救ってくれるだろうか、という一抹の不安は残る。ボクがA君だったら、
卑怯で薄情な友だちとはとっくの昔に縁を切っている。「困ったときの友が真の友」というが、
集団的自衛権の問題はまさにそれなのである。

戦後67年、日本はアメリカというお大尽の旦那から「平和憲法」という貞操帯を押しつけられ、
浮気もせず妾宅にこもって旦那一筋に生きてきた。67年も経つと、さすがにメカケ根性も
板につき、「できればずっとお気楽な妾でいたい」などと思うようになってきた。
かつての「サムライの子孫」という気概はとっくの昔に失われている。平和さえ続いて、
ゴージャスな生活が送れれば、国や民族の生き方などどうなってもいい、
とさえ思うようになっている。

ボクは個人の生命より大事なものがある、と考える古いタイプの人間なので、
「平和、平和」と念仏のように唱える連中とは一線を画したいと常々思っている。
要は「お妾さん」を廃業し、ギックリ腰であっても自分の足で立ってみたいのである。
自分の身は自分で守りたいのである。誇りと気概を持って生きたいのである。
そして友だち(A君は自分勝手でけっこう嫌なヤツだけどね)は大事にしたいのである。

これからにぎやかな選挙戦が始まる。
候補者名を連呼するだけの、
あの貧しい選挙戦が。




 ←こっちはAKB48の総選挙。
  投票率は80%近いという。
  ボクもこっちのほうがいいな。