2013年2月26日火曜日

脳はバカ、腸もバカ

ボクがまだ小学生の頃の話だ。突然、厠のほうから悲鳴が聞こえてきた。
2歳ちがいの弟の声だ。スワッとばかりに母とボクが駆けつけると、
和式便所に座った弟の尻から何やらヒモのようなものがぶら下がっている。
「こりゃ、サナダ虫だよ。ずいぶん立派なサナダ虫だねえ」
母が妙に感心している。弟はすでにヒィヒィと半べそをかいている。
「ちょっと引っぱってみな」
母が命令口調で言うもんだから、恐る恐る引っぱってみると、
これが長いのなんのって……。優に10メートル以上はあっただろうか。
(こいつ、こんなものも飼ってたのかよ)
昆虫やら鳩やら、やたら生き物を飼いたがる弟だったが、
まさか腸の中でもこっそりペットを飼っていたとは知らなかった。

サナダ虫はちょっとゾッとするが、ぎょう虫や回虫くらいなら当時はみな飼っていた。
で、定期的に学校で健康診断をし、ペットと認定されると虫下し用のチョコレートを
与えられ薬殺されるのである。正式名はアンテルミンチョコレート。それほどうまいチョコ
ではなかったが、貧しかった当時は、たとえ虫下し用でももらうとみんなから羨ましがられた。

東京医科歯科大の名誉教授で回虫学が専門の藤田紘一郎という人が、
脳はバカ、腸はかしこい』という本を書いた。実におもしろい本で、
彼に言わせると、脳にはモラルがなく、だまされやすく、意志薄弱だけど、
腸は反対に意志強固で、かしこいのだという。

本もおもしろいが著者もおもしろい。この先生はわざわざ腸の中にサナダ虫を
飼っているのである。5代目のマサミちゃんが亡くなったあと、淋しい思いをしていたが、
今度ようやく6代目のホマレちゃんが腸にぶじ着床したという。サナダ虫を愛称で
呼び、心から慈しんでいるのだから、この先生、相当変わっている。

《腸は消化の目的だけで働くというのが広く一般的な考えです。しかし実際は
人間の感情や気持ちなどを決定する物質はほとんど腸で作られています。
腸の中で食べ物から人間に幸せと愛情をもたらすセロトニンやドーパミンを
合成しているのです》
なんと人間の体内に存在するセロトニンの90%が腸に存在し、脳にはわずかに
2%のセロトニンしかないという。この2%が人間の精神活動に大きく関わっている。

地球上に最初に生物が生まれたのは約40億年前。生物は初めに腸ができ、
脳を獲得したのは今から5億年くらい前のことだ。つまり生物の歴史から見ると、
8~9割の期間、生物は脳を持っていなかったのである。したがって、人類は
腸はうまく使いこなしているが、歴史の浅い脳はまだ身体になじまず、
うまく使いこなせていないというのが現実らしい。

腸を鍛え健康にすれば、脳も健康になるというのが藤田先生の意見で、
そのためサナダ虫を飼ったり、腸内細菌を増やすため土を食べたりしているという。
人間の腸には500種類以上、100兆個以上の細菌が生息し、その重さは大腸内に
生息するものだけでも2キロ近くになるといわれている。人間は数キロにおよぶ
細菌をお腹の中に飼っている――ちょっと驚きの報告だ。

ボクはかつて〝土を食べる男〟を取材したことがある。群馬県は渋川市にある
針塚農産という漬物会社の社長で、彼は自分のところの田んぼや畑の土を毎日
食べているのである。田んぼも畑ももちろん無農薬で、
漬物にする野菜も無農薬で栽培したものだ。取材した日も、
「実は先ほどまで来客があったんだけど、お客の前でもうひとつかみほどの土を
食べてきたところなんだ」と社長さん。
還暦をとうに過ぎているのに、髪は黒々、まだあっちのほうも現役バリバリであった。

藤田先生(74歳)も土を食べているおかげで、いまだに〝朝立ち〟があるというから、
せっせと土を食べ、土壌菌を腸内に増やすことが若さを保つ秘訣なのか。
ついでにサナダ虫や回虫を飼い、「ナナちゃん」などと愛称をつけるといいのかも。

藤田説によると、腸内細菌のバランスがいいと、ウンコもどっさり出るという。
彼は世界中のウンコを調査したらしいが、日本人のウンコは貧弱で、
ウンコの健康度と自殺率は反比例するという。貧弱なウンコを出す人間は
自殺願望が高く、逆に立派なウンコを大量に出す人間は自殺と無縁らしい。
「世界一立派なウンコをするのはメキシコ人です。
メキシコは世界一自殺の少ない国でもあるんです」
先日、テレビに出演していた藤田先生はそんなことを言っていた。

腸さえ健康に保てば、アトピーにもうつ病にも無縁だという藤田先生。
その〝健康〟の中身は腸内細菌のバランスを保ち、サナダ虫や回虫、ぎょう虫を
恐れず、できればペットとして飼うのが望ましいという。

弟の尻からむりやり引っ張り出して死なせてしまった薄幸のサナダ虫ちゃん。
なんだかひどく罪深いことをしてしまったのではないかと、
今は深く反省している。ゴメンね、サナダ虫のモクランちゃん。




←抗菌グッズなどで身辺を清潔にし過ぎると
かえって病気になるという。ウンコのついた手を洗わず
食事をする。これが健康のおケツ、ではない秘ケツだ。
要は細菌と共存共栄を図ることこそが健康の元、
ということだ。
 

2013年2月22日金曜日

仔豚とクロワッサン

ボクが〝Cochon(仔豚ちゃん)〟と呼んでいるフランス人学生のAlexiaが今夏、再来日する。
彼女はリヨン大学の学生で、このたび慶應義塾大学への交換留学が決まったのだ。
彼女がわが家に泊まっていた時は、実によくめしを食った。そしてよく寝た。
だから〝仔豚〟というわけではない。彼女の両親がつけた愛称だ(同じ理由だったりしてw)。

豚のように何でもむしゃむしゃ食べる彼女も、近所のパン屋のクロワッサンには不満だった。
でも、一軒だけ「どこかフランスの味がする」と褒めた店がある。志木駅構内にある
クロワッサン専門店で、ボクにはその味の違いがよくわからなかったが、
たしかにまあまあの味がした。

ヨーロッパに行く楽しみはいくつもあろうが、乳製品と肉加工品、そしてパンのうまさが
群を抜いている。たとえ馬肉入りでもハム・ソーはけっこうな味だし、チーズやパンの
豊饒さといったら言葉がない。ホテルの朝食に出るクロワッサンの美味しさ。あれは
ちょっとマネできないうまさだ。Alexiaが日本のクロワッサンに不満を漏らしたのも
故なきことではない。

クロワッサンはオーストリアのキプフェル(三日月型のパン)が原形で、
18世紀、同国ハプスブルク家のマリー・アントワネットがフランス国王ルイ16世に
お輿入れする時、お抱えパン職人と共にフランスへ持ち込んだといわれている。
真偽のほどは定かではない。なにしろ伝説の多い人だから、噂話に尾ひれがつく。
そのため間違った伝説もある。それをここで訂正しておこう。といっても、
実際に見たわけではもちろんない。歴史的事実を指摘するだけである。

彼女の伝説で有名なのは、革命直前のフランスで民衆が飢えに苦しんでいると聞いて、
彼女が「パンがないのならお菓子を食べればいいのに」と言ったという話。
これは浪費家の彼女が世情にうとく、庶民の生活に無関心だったエピソードとして
広く知られている。しかし、これは明らかに誤伝だ。

誤伝のもとは18世紀の啓蒙思想家ルソーの著作『告白』にある。
ここに、《さる高貴な后(王女)が、『農民にはパンがありません』と言われ、
『ブリオーシュを食べればいいわ』と答えたのを思い出した》というくだりがある。
これはルソーが、1740年、フランスはリヨンで家庭教師をしていた時の出来事を述べたものだ。

このエピソードがいつしかマリー・アントワネットの豪奢な暮らしぶりに重ねられ、
間違って後世へ伝わってしまった。いかにもありそうな話だが、
当時、マリー・アントワネットはまだ生まれていなかった(1755年生まれ)。
《さる高貴な后(王女)》が彼女であるはずはないのだ。
彼女にはさまざまな伝説がついて回る。が、明らかな間違いは正してやらないと、
彼女の名誉にも関わるし、断頭台の露と消えた彼女の魂も浮かばれまい。

ブリオーシュもいいが、久しぶりにおいしいクロワッサンが食べたくなった。
ちょっくら志木駅まで車を飛ばすとしようか。











 

2013年2月17日日曜日

化粧のすゝめ

男が車内で手鏡なんか出して化粧を始めたりしたら、周囲のものはみな眉をひそめる。
とりわけ朝鮮民族でもないのに〝火病(anger syndrome 憤怒症候群)〟患者のボクなんか、
頭に血がのぼって、いきなり飛びかかっていくかもしれないが、
男の化粧は実は珍しいことではない。ボクの熱烈愛読書でもある『剣客商売』にも
〝眉ずみの金ちゃん〟という奇妙奇天烈な剣術遣いが登場する。

平安時代の殿上人たちが白粉を塗り、お歯黒をし、美しく着飾っていたのは事実だし、
桶狭間の戦いで信長に首を取られた駿河の今川義元はお歯黒に高眉、
薄化粧をしていたといわれている。男が化粧したりしなかったりするのは、
その時代の男女の力関係にもよるという。

早い話、女が強くなると男は化粧し始める。聞くところによると、近頃は女みたいな
男がやけに増えていて、なかにはビューラーを使って睫毛を上げ、全身のむだ毛を剃り、
香水をふりまき、場合によってはエステに通っている豪のもの(軟弱もの?)もいるらしい。
まさに女性上位時代の象徴的な現象といえるだろう。

「武士道といふは死ぬことと見つけたり」で有名な『葉隠』が出たのは18世紀の初め、
ちょうど8代将軍吉宗のころだ。佐賀鍋島藩の山本常朝が口述筆記させたもので、
どうかするとミリタリズムの教科書みたいに思われている。

その中に〝化粧のすゝめ〟みたいな一条がある。たとえば朝起きたら顔の色つやが悪い。
寝起きが悪いためなのか、二日酔いのせいなのかは知らない。
いずれにしろ生気のない顔をしている。こんな時に外出すると、相手に悪い印象を与え、
つまらぬことで斬り合いになるかもしれない。それを避けるために、武士たるもの、
手鏡と頬紅の粉ぐらい持って歩け、と化粧を勧めているのである。

武士は路傍でわけもなく民を「無礼打ち」にし、「斬り捨て御免」が横行したかのように
思っている人がいるが、とんだ誤解である。それは戦後の左翼思想や日教組による
「封建制度は親の仇も同然」といった悪意に満ちた歴史観と社会科教育によるもので、
あまりに実態とかけ離れている。

江戸期における武士の帯刀は、いわば倫理の象徴であり、志操を守るためであり、
そしてまた身分の象徴にすぎず、武器という要素はほとんどなかった。
〝鯉口は切ってはならぬ〟というのが当時の武士の掟であり倫理であったから、
抜刀して斬り合うなどということは、ほとんどあり得なかった。

武士がやたら斬り合うというのは、大正時代の大衆小説が勝手につくりあげた
ファンタジーで、実際に刀を振りかざしていたのは上州筋や街道筋のヤクザだけである。
もしも抜刀し、刃傷事件を起こしたら、武家諸法度による「喧嘩両成敗」で、
お家断絶は免れない。抜刀自体が罪であり負けである、という倫理観によって
武家社会は成立していたからだ。

江戸城内において大老堀田正俊が若年寄の稲葉正休に刺殺されるという事件が起きた時、
堀田はついに刀を抜かなかった。異変を知って駆けつけた人たちに、自分の刀を指し示し、
抜刀しなかったことを強調して息絶えたといわれている。このことによって堀田家は
お家断絶を免れ、家の子郎等が守られた。

帯刀しているが抜刀はしない。これが武士の掟であり倫理だった。
『葉隠』にはまた、人からお招ばれされたら、「ああ、いやだなあ」なんて思ってはだめ。
その気持ちが顔に出て、相手にもさとられ、へたをすると斬り合いになってしまうかもしれない。
だから、招待されたら「今日は必ずいいことがある」と思ってルンルン気分でうかがえ、
と書いてある。まさに現代に通ずる社交術ではないか。

となると、車内で化粧する男たちは倫理のかたまりともいえるサムライの子孫か? 
そうかもしれないし、ただルンルンしているだけのおバカなチャラ男かオカマかもしれない。
というわけで、ボクの隣にまちがって手鏡男が座ったりしたら、
「おい、臭いからあっちへ行け」
と、やさしくたしなめることにする。





 

2013年2月12日火曜日

教育のある無教養人

『あらすじで読む世界の名著』あるいは『~日本の名著』、『~世界のビジネス名著』のたぐいが
人気なのだという。どんな人が読んでいるかというと、忙しいビジネスマンや大学の先生たち、
受験生、そして意外や海外赴任のビジネスマンたちも愛読しているという。

『カラマーゾフの兄弟』や『戦争と平和』、『モンテ・クリスト伯』、『白鯨』、『城』、『悪霊』と、
世界には名だたる長編小説がごまんとある。いや長編だけに限らない。
本好きなら読んでおくべき名著が星の数ほどもある。しかし読みたくとも時間がない。
いや時間はあるけれど、それ以前に読み通す根気と根性がない。
だからせめてあらすじだけでも知っておきたい、というのがその動機らしい。
何のために? 
恥をかきたくないから――そんな需要に応えたのがこの『あらすじで読む~』のシリーズだ。

どんな生活シーンで恥をかくのかというと、たとえば大学の教室。学生からプルーストの
『失われた時を求めて』に関する質問をされ、教壇の上で立ち往生ではいかにもカッコ悪い。
で、教授たちは陰でこっそり虎の巻のお世話になっている。あるいは海外での商談の場や
パーティ会場での会話シーン。あっちのトップ・マネジメントは歴史や文学、哲学などに
通じていて、会話の中にごくふつうにシェイクスピア劇の科白なんかを織り込んできたりする。
そして、日本から来たビジネスマンに対しても、
「三島の『仮面の告白』にあるあの◎△という科白だけど、あなたはどう思う?」
なんて質問を浴びせてきたりする。

あるいは、
「江戸時代は士農工商となっていたけど、欧州と違い、なぜ農民は工商より上だったの?」
と、これはロンドン駐在の商社マンが、取引先の家に招かれた時、実際に受けた質問だ。
こうした際に、気の利いた受け答えができないと、
「こいつは金勘定しかできない無教養な人間だな」
と見切りをつけられてしまう。つまらない人間と見られたら、次にはもう招かれなくなり、
ひいては商談も進まなくなる。で、ここでも恥をかきたくないからと、こっそりお勉強だ。

日本人は教育はあっても教養がない、とよく言われる。まことに耳が痛い。
それはそうだろう。大学生であってもまともな本など一冊も読んだことがなく、
読むといったらコンビニで、漫画を立ち読みするだけ、という人間がごまんといる。
シェイクスピアもへちまもない。だいいち漢字がまともに読めるかどうか。

徳富蘇峰は4歳で漢詩を読み、5歳頃には四書五経まで読んだという。
これはまあ天才の話だが、昔はそういう人がいっぱいいた。
『万葉集』には天皇や皇后の歌はもちろんのこと、旅の売春婦の歌まで入っている。
売春婦まで歌を詠める国が他にあるか? それほどに昔の日本人の教養レベルは高かった。

あれから幾星霜。いま、日本では大学の教授までもが『あらすじで読む~』というお手軽本
を恥ずかしげもなく手に取り、学生たちの前でとり澄ました顔をしている。
あらすじなんか知って、いったい何になるんだ? と、
あまりの情けなさで、〝火病〟患者のボクなんか舌を噛み切りたくなってしまうが、
これが偽らざる日本の現状だろう。
日本人はここまで情けない国民に成り下がってしまっている。

瀬戸内寂聴さんはこう言っている。
《人生の愉しみは、食べること、セックスすること、そして読書することに尽きます》と。
ボクもまったく同感。これ以上の愉しいことがあるのなら、誰か教えてくださいな。

2013年2月7日木曜日

鼻曲がり貴婦人

体罰や暴力が学校やスポーツの現場で日常的におこなわれ、
女性までもがその被害にあっているという話になると、
欧米かぶれの似非インテリたちは、鬼の首でも取ったみたいに、
「日本はやっぱ遅れてるな。今こそ女性上位の欧米諸国に学ぶべきだ」
などとしゃしゃり出てくる。おまけに、よせばいいのに騎士道精神やレディファースト
なんぞを古い抽斗から引っ張り出してくるものだから、こっちは、
(おいおい、そんなものをマジメに信じているのかよ)
と、ついその軽忽さをせせら嗤ってしまうのだ。

欧米人はドアを先に開けてくれたり、エレベーターにも女性を優先的に乗せて
くれたりするので、長い間亭主の後ろからトボトボと付き従ってきた日本の女たちは
「キャーッ、素敵!」とばかりに、つい舞い上がってしまうようだが、
あんなもの女性上位でも何でもない。

レディファーストとか騎士道精神というのはあくまで「建前」の文化で、
実際は力の強い者が勝つという男性優位の考え(machismoマチスモ、男性優位主義)
が欧米文化の「本音」なのだ。

騎士道精神の本質は、力の強い者が弱い者を保護するという、いわば正義の
パフォーマンスを公衆の面前で示すためのものだ。それは厳しい男社会の中で
男が勝ち抜いていくために演ずる一種の〝方便〟と言っていい。

DV(ドメスティック・ヴァイオレンス)の本家本元は欧米で、今でもDV問題はかなり深刻だ。
なにしろ外面のいい紳士が、家に帰ると女房やこどもを殴り、時には殺してしまうのだから
とんだレディファーストであり騎士道精神なのである。日本の女たちはその実態を知らない
から、欧米の男となると誰もみな慈悲深いジェントルマンだと勘違いしてしまう。

「鼻曲がり」というと日本では鮭のことで、「南部鼻曲がり」なんていう呼び方もあるが、
中世ヨーロッパにもその鼻曲がりはいっぱいいた。ところがこっちの鼻曲がりは鮭ではなく、
文字どおり騎士の夫人たちなのだから呆れてしまう。
歴史書のインデックスなどには〝鼻曲がり貴婦人〟という項目があるから、
おヒマな人は調べてみたらいい。

どうして鼻が曲がっているかというと、騎士である亭主にしょっちゅうぶん殴られて
いたからだ。中世の騎士たちはなぜか怒りっぽく(野菜不足で壊血病患者が多く、
そのため怒りっぽいという説もある)、貴婦人への献身を賛美される割には、
裏で暴力をふるう男が多かった。

で、逆に優しい騎士たちが登場する『騎士道物語』のような宮廷文学が、
虐待されている妻たちの慰みものとしてもてはやされたのである。
(ああ、あんな心優しい騎士が夫だったら、どんなにか素敵でしょう……)

二言目には〝人権〟を持ち出し、女性優位社会を喧伝する欧米の先進諸国。
が、裏に回ると鼻曲がり貴婦人の伝統であるマチスモをしっかり受け継いでいるのだから、
彼らが偉っらそうに唱道する「正義」だとか「きれいごと」を真に受けたりしてはいけないのだ。

それにしても、インドの「サティ」といい、イスラム社会の女性蔑視といい、
21世紀になっても女性が真に解放されないのはまことに嘆かわしい。
うちなんか解放されすぎて、逆にたった一人のオノコが孤城落日の思いを噛みしめている。
そのうち〝つむじ曲がり〟に加えて〝鼻曲がり〟にもされてしまうのではないかと、
恐怖におののく毎日を送っている。




 ←こっちは南部鼻曲がりの鮭。

2013年2月2日土曜日

泣くな園田、泣くんじゃねえヨォ

柔道の全日本女子監督の園田隆二氏が暴力問題の責任をとって辞任した。
ボクは暴力を肯定するものでは決してないけれど、マスコミなどから吊し上げられている
彼の哀れな姿を見ると、なんだか人身御供にされているみたいで気の毒でしようがない。

それにしてもマスコミというのは勝手なものだ。「暴力絶対反対!」という
錦の御旗を手にすると、加害者に対して嵩にかかって責めたてる。
誰にも反対しようのない、申しぶんのないセリフというのはいつの時代にもある。
「戦争はしてはいけない」とか「個人の生命より大切なものはない」だとか
「話し合えば分かりあえる」といった類の〝美しいセリフ〟だ。

「暴力は絶対いけない」というのも同類で、世間の大多数が味方についたと見るや、
マスコミは待ってましたとばかり「正義」をふりまわす。園田監督の会見でも、
記者たちは極悪人を衆人環視のもとで断罪する、といった口調で締めあげた。
もう得意の絶頂である。その正義漢面した記者たちが、家に帰れば女房を殴り、
出来そこないの娘や息子に平手打ちを食らわせているかもしれないのだ。

園田監督は女子部員が遅刻したり、気の乗らない練習をしていたりすると、
活を入れようと竹刀で背中や尻をたたき、頭部にはゲンコツ、
顔面には平手打ちを食らわせた。「死ね!」という暴言まで吐いたという。

そういえばボクも、1ヵ月ほど前に一時停止違反で白バイのあんちゃんにとっ捕まったとき、
頭に血が上ったあまり、警官に向かって「おまえなんか死んじまえ!」
と叫んだような叫ばなかったような……暴言の吐きっぱなしだったので、もう忘れた。

体育会系出身のボクとしては、竹刀でたたかれたり、
旧軍隊式の鉄拳制裁を食らうことに対しては、
単純に「そんなの当たり前じゃん」と思っていたので、
つい園田監督に同情したくなってしまう。

ボクが水泳部の下級生だった頃、年初の「泳ぎ初め」はプールにまだ薄氷が
張っているころだった。上級生たちがおもしろがって下級生をプールに
突き落とすのだ。「さあ、泳げ泳げぇ~」
(おれたちは砕氷船かよ!)
少しでも文句を言ったり、上級生に対して反抗的態度をとろうものなら、
平手打ちどころかデッキブラシで殴られ、罰として腕立て伏せを食らった。

夏の合宿時には1日2万メートル以上泳ぎ、精も根も尽き果てて、
ほとんど半死半生状態になってしまうのだが、いたずら好きの上級生は、
そんな下級生が合宿所で爆睡している間に、寝間着を剥ぎ、パンツをおろし、
赤チンで全身にイタズラ書きをした。下級生が睡眠不足でフラフラになろうがなるまいが、
そんなことは知ったこっちゃない。

当時、運動部はどこも鉄拳制裁がふつうにおこなわれていたから、
園田監督のゲンコツや平手打ちが〝かわいい〟とさえ思えてしまう。
だいいち、あんな追放の仕方では、園田があまりに哀れだし、
奥さんの阿武教子さん(78キロ級金メダリスト)だってかわいそうではないか。
夫婦揃って日本のために頑張ってくれた金メダリストですぞ。
かつてはあれほど褒めそやしていたのに、風向きが変わると、
今度はみんなで寄ってたかってなぶりものにする。
ボクは衆をたのんで正義をふりかざす人間が、昔から大きらいなのだ。
少しは惻隠の情ってものがないのかよ!

体罰で有名だったイギリスのパブリックスクールも、
ようやく1986年、男女の区別なくパンツをおろして尻をムチでたたく、
という体罰を禁止した。そのことは以前もふれたが、その後、
校内が急速に荒れ出し、体罰復活を求める父兄の声が澎湃として起こった
という事実も知っておいたほうがいい。

殴る教育が悪いからといって、殴らぬ教育がいいとは限るまい。
熱情のあまり、指導がちょっぴり前のめりになってしまった園田監督。
世間やマスコミは「悪人」のレッテルを貼りたがるだろうが、
少なくともボクは小さな町の片隅からささやかなエールを送りたいと思っている。
くじけるんじゃないぞ、園田!
一方通行の〝愛〟だったけど、がんばったもんな。


※追記
6日付けの読売新聞朝刊によると、園田前監督は、
《昨年10月下旬、海外遠征先で、最初に被害を訴えた選手を「余計なことを言いふらしているらしいな」などと、恫喝していたことが5日、明らかになった。15人連名による集団告発にはこうした背景があった》としている。徐々に真実が明らかになるにつれ、園田前監督へのボクの肩入れが、
〝一方通行の愛〟に終わりそうな雲行きになってきた。というか〝愛〟が急速に冷めつつある。
正義をふりかざすマスコミはきらいだが、卑劣な人間も大きらい。園田も準強姦罪に問われ懲役5年の判決を食らった内柴正人と同じ穴のムジナか。スポーツマンはみな公明正大などとは思わないが、こういう事件が相次ぐと、スポーツ以前の段階で精神が腐っているのではないかと疑われる。ドラマ『八重の桜』によく出てくる「ならぬことはならぬものです」の会津精神をもう一度肝に銘じてほしいものだ。