2013年3月12日火曜日

左右対称は美しい?

異文化を理解するのはほんとうにむずかしい。
東アジアの日本人、支那人、韓国人は見た目がそっくりで、欧米人には区別がつかない
といわれている。しかし外見が似ているからといって内面まで似ているとはかぎらない。

韓国人と日本人の恋人同士が、あらたまったところで食事をすると互いに幻滅するという。
日本人男性は茶碗を口元までもっていき、器の端に口をつける。韓国人女性は味噌汁の
椀中にごはんを入れ、かき混ぜて食べ始める。たぶん二人は内心こう思うだろう。
(ウ、ウ、ウソだろ? なんて下品な食べ方をするんだ……)

日本人と韓国人が不幸なのは、両者が両者の食事作法を互いに下品だと感じてしまうことだ。
韓国人の女性は往々にして立て膝をしながら犬食い(これはお互いさま)するし、食べる際に
くちゃくちゃと音をたてる。韓国では咀嚼音を出すほど「おいしく食べています」の意思表示に
なるため、西洋人が耳をふさぎたくなるほど威勢よく音を立てて食べる。一方、日本人は
銘々膳の伝統からか、器は手にもって口元までもっていく。韓国人はこれを見ると、
(まるで犬だな……)
と心底幻滅してしまうらしい。

さて、ボクはしばしば韓国人の整形好きを批判したり茶化したりしてきたが、
少しく誤解があったようだ。儒教的倫理からすると、父母から受け継いだ
身体髪膚を毀損することは人倫にもとることで、韓国人もそう考えているはず、
と思い込んでいた。実際、儒教思想に凝り固まった両班ともなると、髪や手足の爪に
いたるも父母より受けた恩、切ることかなわぬと、髪はのび放題、爪は熊手のようになり、
外に出てケガでもしたらこれまた父母に申し訳ないと、死ぬまで部屋にこもり四書五経を
読みふけっていた、などという逸話も伝わっている。

しかるに現代コリアンは、整形手術のし放題。ボクはそれを儒教道徳の堕落と見たわけである。
ところがどうも違うらしい。儒教的規範には別に、「外見をきちんと整えることが内面を
きれいにすることに通ずる」という考え方があるらしい。それも非対称はよくない。
左右対称が美しいとされ、整形する時もシンメトリー(相対称)な顔をひたすらめざす。

中国人も漢詩などで対句づくりに腐心してきたが、この〝対概念〟も根は儒教思想にある。
中国人にとって、均衡のとれていないものは「美」ではないのだ。この考え方が朝鮮半島に
伝わり、「左右対称のものが美しい」という美意識を生んだものと思われる。だから、
「KARA」にしろ「少女時代」にしろ、どの顔も左右対称で体つきまでシンメトリーになっている。

一方、日本の誇る「AKB48」は顔も非対称でスタイルもバラバラ。脚も格別長くはない。
韓国人のめざす「スキのない完璧に整ったものが理想的な美」というものにはほど遠い。

そういえば、韓国人は器などでも左右対称を好むが、日本人は逆にややバランスを崩した
左右非対称なものに美しさを感じたりする。手捻りの陶器なども、わざとヒビや〝ゆがみ〟を
入れたりする。これは銘々膳の長い伝統(器を手に持たなくては食べられない)から、
食器を掌で撫でたりさすったりしているうちに、日本独特の美的感覚を育んできたからだろう。

花にしても満開のままの状態を好む韓国人。韓国人の造花好きはそんなところに淵源が
ありそうだ。日本人は逆につぼみの花や散りかけの花に言いしれぬ風情を感じたりする。
両者はまったく逆の美的感性をもっているのである。どちらが正しい、というのではもちろんない。
ただ、異文化交流のむずかしさをあらためて感じてしまうのだ。

しかし理解は誤解から始まるという。
「KARA」より「AKB48」が断然いい、とは思わないし、
あの丸出しの幼児性にはほとほと閉口するが、
やはり人工的な美より自然美のほうがいい、とは思う。
たとえ美しくても造花だけはいただけない

4 件のコメント:

幸運のメガミ さんのコメント...

老先生こんにちは

私が知っている、美人たち2名は、
皆に、整形してるんではないかと、
疑われ嫌になると言っていました。 

一人はうんざりした感じで。
もう一人は、ちょっぴり嬉しそうでした。

私はコンプレックスの塊ですが、
整形するのも怖いし、お金もないです。
不細工でも、生きてます♪



ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

運幸のメガミ様

日本人はどっちかというと整形に否定的ですからね。美人は「どうせ整形したんでしょ?」などと周囲からイヤミを言われる。

多分に嫉妬が入りまじっていますが、
器量よしでない方はそう言って鬱憤を晴らすのです。

メガミ様は不細工でも何でもないです。
勝手に思い込んでウジウジしているだけです。

ボクは今でも自分のマヌケ顔がきらいですが、
「ニャンちゅうみたい」とある女性から言われ、これからはニャンちゅうになりきり、
残りの人生をまっとうしようと思っています。

左右非対称のメガミ様の顔は、
コクとうま味がありそうで素敵です。ヒヒ……

Nick's Bart さんのコメント...

ROUさん、

こんにちは。

左右対称に関する生物学的考察については、京都大学の竹内久美子さん(非フェミニストで有名な)が詳細に述べておられますので、そちらを参考になさってはいかがかと存じます。まことに面白い。

ともあれ、おっしゃられる通り、外面(そとづら)がよけりゃ内面(ないめん)もまぁいいだろうというのは当たっているように思います。(ん?ちがうか・・・)

私は数年前にちょっとした事故に遭うまでは比較的左右対称な顔でしたから、何らかの恩恵を受けていてもよさそうなもんですが、あまり実感はありません。

シンメトリーに対する憧憬は人類にあまねく存在すると言っても大袈裟ではなく、イスラムのモスクに見る気の遠くなるようなタイル細工を目の当たりにすると、憧憬と同時に空白に対する恐怖のようなものも感じますですよ。そんな文化が長い間かかって辺境の地にたどりついたときには、すでにその憧憬も恐れも消え失せ、非対象、空白の美学になったんでしょうな。

要は、人工的な左右対称と細密性に飽きちゃったんだと思います。そんなわけでこのところ右手と左手の指はかなり違う事を同時にやりつつ一つの物(?)を造ろうとしております。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

NICK様

鏡に映ったカミさんの顔を見ると、
ちょっと新鮮な感じがします。
いつも見ている顔と違うからです。

ボクの顔も非対称で、眼の大きさも違います。
NICKさんは整形コリアンみたいにいい男ですが、左右対称ではありません。

内田樹が言うように、NICKさんも他の日本人と同じく、典型的な〝辺境人〟なのです。

ピアノの特訓は進んでいるようですね。
左右の指が織りなす〝something〟に
期待しております。