2013年3月15日金曜日

ウソで固めた独立記念日

安倍内閣が4月28日を日本の「独立記念日」にするという。
サンフランシスコ講和条約が発効し、日本がアメリカ単独占領から解放され、
真の主権を回復したのが1952年4月28日だ。1945年8月15日の敗戦から6年とちょっと。
この間、国際法上は日本はずっと〝戦争状態〟にあった。

ボクはブログの中で再三にわたって自分を〝戦中派〟と言ってきたが、
その意味はボク(1952年2月生まれ)が法律上の〝戦時下〟に生まれてきたからだ。
日本人の多くは「8月15日」の意味を知ってはいるが、「4月28日」のことを
知る人はまれで、今回の政府決定は遅きに失している、とボクは思っている。

さてここで、ボクは日本の独立記念日(主権回復日)のことを言いたいわけではない。
隣国・韓国の独立記念日のことに少しふれたいのだ。韓国では日本の敗戦記念日に
合わせ、1945年8月15日を「日本の植民地支配から解放され独立した日」として
〝光復節〟のお祝いをしているが、これがとんだインチキなのである。

1945年8月15日、朝鮮は日本の降伏とともに自治権(独立権ではない)を獲得する。
当時の朝鮮総督府が統治権を朝鮮人に付与すると発表したのだ。すると、すかさず
朝鮮総督府から日の丸がおろされ、代わりに太極旗が翩翻とひるがえった。

ところが9月8日にアメリカ軍が進駐してくると、その太極旗は引きずりおろされ、
代わりに日章旗が再び掲げられた。当時のアメリカとソ連は朝鮮人に統治能力など認めず、
朝鮮半島はあくまで「日本の一部」としたのである。そして翌9日、日本の朝鮮総督府と
アメリカとの間で統治権移譲の手続きが完了し、今度はアメリカの星条旗が掲揚される
こととなった。

そしてほどなく、ソ連は朝鮮半島の北半分を、アメリカは南半分をそれぞれ占領支配し、
軍政下におくことになった。そして3年後の1948年8月13日、韓国は〝アメリカの軍政〟
からようやく独立した。アメリカとしては独立させる気などなかったのだが、米ソ冷戦の最中、
戦略上どうしても独立させざるを得なかった。韓国の独立はアメリカによるご都合主義の
たまもので、いわば棚からぼた餅式に獲得した代物なのだ。

しかるに韓国の初代大統領の李承晩はこの事実を歪曲し、8月15日を「光復節」とする
ことで、「我われは(アメリカなどではなく)日本の植民地支配から解放された」と喧伝、
愛国心を煽って求心力を高めようとした。

またソウル特別市にある「独立門(旧迎恩門)」は清からの独立を記念して建てられたもの
日清戦争に日本が勝利し、下関条約によって朝鮮国は大清帝国からの独立を果たしたで、
屈辱的な中華帝国の属国という立場(1000年以上続いた)から日本が救い出してくれたのに、
日本に独立させてもらったという事実もまた恥ずべき歴史なので、旧迎恩門のことも
下関条約のことも、現在の韓国の歴史教科書には載っていない。
そしてあろうことか、「独立門」は日本からの独立記念というふうにねじ曲げてしまった。
都合のわるいことはひた隠しに隠し、自分らの都合のいいように平気で歴史を捏造する。
「ウソで固めた国」というより、この国はほとんど病気なのだ

独立記念日でさえ自分たちの都合のいいように変えてしまう韓国。
こんなインチキだらけの国が図々しくも「日本は歴史を直視してほしい」などと
お説教まで垂れるのだから開いた口がふさがらない。あの国の人間は〝恥〟というものを
知らないのだろう。

歴史も大ウソ。何でもかんでも韓国起源(キリストも孔子も韓国人で、最近ではメソポタミア文明も
韓国人が興したなどと言っている)を唱えるウソ八百。高度産業技術だけでなく仏像までも
盗んで頬被りしようとする厚顔無恥。そして顔も身体も整形手術で変えてしまおうとする
ウソで凝り固まった歪んだ精神構造。
韓国=ウソで固めた国」という定理は、まず当分崩れることはないだろう。



4 件のコメント:

帰山人 さんのコメント...

労師、私の主観では
1945年8月15日大東亜戦争敗戦記念日
1945年9月2日大東亜戦争概ね休戦記念日
1952年4月28日不当な概ね講和記念日
1956年10月19日不当な対ソ講和記念日
今に至るまで、国際法上で違法な敵国暴挙により、
大日本帝国大東亜共栄圏の主権並びに領土は
いまだ完全回復しておりません。
まだ、戦時下です。私は戦時下の左傾国民です。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

帰山人様

閣下は左傾なんだか右傾なんだか包茎なんだかサッパリわかりません。が、ボクの周囲にはなぜか左側の好きな人が多く、現に南千住の親分も番頭さんもしっかり左に傾いてるし、
例のくるくるぱートリオの「YTK48」のブタンジオン先生以外はみ~んな左側通行であります。

ですから軍国老人のボクだけが浮いちゃって、
なんとも居心地がわるいのであります。

これもみんな戦後教育のかわいそうな犠牲者
かと思えば、少しは慰められるのですが、
こうも敵が多いと、時々心が折れそうになります(ならねえか)。

今月末には表参道の某喫茶店で、
YTK48の秘密会議が開かれると仄聞しております。凶暴な特高の手入れがあるかも知れません。どうかお気を付けてくださいませ。

Nick's さんのコメント...

ROUさん、こんにちは。

隣の独立記念日なんざぁどうでもよござんすが、あたしゃこの国の主権ちゅうもんが未だ回復してないんじゃないかと思っとります。

1945年8月15日に、たしかに降伏しましたよ。でも、無条件降伏っちゅうのは軍隊に対するもんであって、そのほかの諸々も無条件に差し出すなんてことは言ってないんじゃないかと思うわけです。

かの白洲さんをして、その辺がわからんかったのかと、正直、かなり訝っとるんですが、ROUさん、どう思います?

百歩譲ってですよ、サンフランシスコ講和条約発行によって日本の主権が回復するとしたなら、戦後すぐ出来上がった「日本国けんぽー」は主権のない日本人が作ったことになって、国の根幹たるけんぽーがその土台も屋台骨も存在しない、クラゲのようなものになっちまわんでしょうかね?

私の解釈がおかしいんですよね、きっと。だってこれまで名だたる歴史学者、憲法学者、その他もろもろの思想家の方々がこんなこと言ったの聞いたことがないですからね。

どこがちがうんでしょう?

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

NICK様
無条件降伏に関してはNICKさんのおっしゃるとおり。間違いないと思われます。

日本国けんぽーに関してもおっしゃるとおり。物の本によると1907年に改正された「陸戦の法規慣例に関する条約」の付属書第43条に、
「一国の主権が侵害されている時に、その国の根本的な法体系や憲法を占領軍が変えてはならない」(大約)とする条項があるそうです。

しかし当時、この陸戦法に関する条約のことを言う人が誰もいなかった。で、GHQの草案をそのまま受け入れてしまったのです。

大酒飲んでぶっ倒れていたので、
返事が遅れました。ご容赦あれ。