2013年4月1日月曜日

『椏久里の記録』

福島県相馬郡飯舘村に「椏久里(あぐり)」という自家焙煎コーヒー店があった。
「あった」と過去形にしたのは、2011年4月11日をもって店を閉めたからである。
福島第一原発の事故で、放射線量の高い飯舘村全域が計画的避難区域と
なったため、店をたたまざるを得なかったのだ。

椏久里のオーナーである市澤秀耕・美由紀夫妻のことは、かねてより知っている。
奥方の美由紀さんが南千住の「カフェ・バッハ」でコーヒー焙煎を学んだというので、
取材で2度ほど飯舘村の店におじゃましたことがある。

2人のなれそめが変わっている。当時、秀耕さんは役場の職員で、美由紀さんは県の
生活改良普及員をやっていた。担当は飯舘村で、農家の暮らしをよくするための
アドバイスをするというのが仕事である。ひょんなことから、美由紀さんは農家実習を
することになった。2泊3日の農業研修でお世話になる家は秀耕さんの実家だった。
美由紀さんと過ごしたこの3日間、秀耕さんは彼女と絶対目を合わそうとはせず、
ひと言も口を利かなかった。←意識過剰だったんだね。わかるなその気持ち。ウンウン……

半年後、美由紀さんは交通事故に遭ってしまう。車にはねられてしまったのだ。
ぶつけてきたのは何を隠そう秀耕さんだった。
「あれっ? あの時の実習生でねえの?」
交通事故の加害者と被害者。なんというドラマティック?な再会だろう。
この奇縁(あんまりありがたくないだろうけど)によって2人はめでたく結婚する。

秀耕さんは朴訥で物静かな純情男。美由紀さんは目のくりっとした勝ち気なお嬢さん。
おまけに美人である。2人は1男2女に恵まれ、実家の敷地内に「椏久里」をオープンする。
地域の人たちに愛される店にとどまらず、「飯舘村に椏久里あり」とその盛名は日本中に
轟いていた。そのコーヒーの名店が原発事故のあおりを食い立ち退きを余儀なくされたのである。

いま、椏久里は福島市野田町にある。2011年7月、二本松市から移築した古民家を
改造し、「ニュー椏久里」として再開したのだ。コーヒーの挽き売りを始める直前、
「コーヒーの放射線量は大丈夫ですか?」
お客さんからそんな電話がかかってきた。市澤さんはさっそく専門機関に測定してもらい、
不検出という結果を得た。

飯舘村にはいつ帰れるかわからない。もう帰れないかもしれない。
それでも故郷の村に帰れる日を夢見ながら、日々、がんばっている。
そんな2人が『山の珈琲屋 飯舘 椏久里の記録』(言叢社)という本を書いた。
焙煎の師匠であるバッハの田口護氏お薦めの書でもある。
興味のある人はぜひ手にとってほしい。

ボクも先日、遅蒔きながら福島のいわき市へボランティア支援に行ってきた。
震災から2年。わが家の女たちは陰に陽に被災地を支援してきたが、
ボクは口ばっかりで実質何もしてこなかった。せいぜい東北の酒を飲むくらいであった。
ようやく腰を上げたというていたらくで、ほんとうに情けなく思っている。

いわき市は地震、津波、火災の三重苦に見舞われ、死者数は441人。
過去に津波が来たことがなく、チリ沖地震の時も被害がなかった。
そのためか三陸の〝津波てんでんこ〟みたいな言い伝えもなく、
最新の津波対策もなかったため、被害が広がってしまった。

生徒会長をやっていた優秀な高校生が病院に入院していた老人たちを何人も救いだし、
もう1人救おうと戻ったところで津波に飲まれてしまった、という悲しい話も伝わっている。
海岸沿いには無残に破壊された堤防があちこちにその残骸をさらしている。
いかにものすごいエネルギーだったかが思い知らされる。

ボランティアに参加する人たちは、若い女性に混じってポツリポツリと
中年のおじさんがいる、という感じで、若い男性とおばさんたちがほとんどいない。
若い男の人はほとんど無関心というか、来てくれないよね
岩手・大船渡へすでに十数回支援に通っている長女もそんなことを言ってたっけ。
ボクだって偉そうなことを言えた義理ではないが、まだまだ支援の手を必要としている。
これからも都合がつけば参加したいと思っている。

福島産というだけで野菜も魚も買ってもらえない。
いわれなき風評被害は甚大だ。瓦礫(この言葉は使いたくないのだが)
も引き取ってもらえない。市内の至るところにある瓦礫の山が、
冷たい雨に打たれていた。





←飯舘村は美しい村だ。
その美しい村にもう帰れないかもしれない。
避難する時、雑誌の取材があり、市澤さんはこう訊かれた。
「あなたにとって一番大切なものは何ですか?」
「焙煎機です」
思わず答えてしまったという。

4 件のコメント:

ナカガワ さんのコメント...

応援ありがとうございます。これからも気にかけていただければ幸いです。ナカガワ

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

ナカガワ様
福島市に行く折があれば寄ってみます。
数カ月前に神宮前で偶然秀耕さんにお会いした時は、ボクは最初誰だか分かりませんでした。
もう何年も会っていませんでしたからね。

奥さんはお元気でしょうか。
自分の考えをしっかり持った方で、
ボクの書いた記事が気に入らないと
ダダをこねていたことがありました。
彼女には負けます。
秀耕さんもたぶん尻に敷かれていることでしょう(笑)。

他所の地でもがんばってほしいですね。

帰山人 さんのコメント...

労師、篤志奉仕活動、お疲れさまでした。
大坊さんで、労師がボラに行ったので来れないよ、
と聞かされて、最初はホラの間違いかと思いました。
こちらYTK集会は予定通りに進めましたが、
YとTが予定通りに論争を続けておりました。
やはりオタクといえどもまずはマトモなヒトである、
それは私だけなのだ、と改めて理解できました。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

帰山人閣下

やっぱね。そんなことだろうと思いましたよ。
Y氏とT氏は浮世離れというか、世間並みの
ジョーシキってものがわかっていませんからね。

ま、頭はいいのだろうけど、あんまり良すぎて
周りが見えなくなってしまっている。
何てったって東大と京大だもんね。

そこへいくと帰山人閣下はまだましかな。
くるくるぱー度は断トツの一番だけど
少なくとも空気は読めてる。

今年の後半はT博士との道行き。
アホがうつらないように、
せいぜいがんばります。