2013年4月15日月曜日

オムツからオムツまでの間

よく「間がもてない」などという。
会話が途切れ、沈黙が続くと、気まずい〝間〟ができる。
若い頃はこの〝間〟が苦手だった。話の接ぎ穂を探すのにひと苦労した。
しかし、爺(じじい)になった今は、その悩みから完全に解放されている。

昔はタバコを吸ったり、酒を飲んだりしてその「間」をもたせようとあがいた。
酒やタバコは「間をもたせる」ためのツールで、いまでも酒を飲まなきゃ
間がもてない、などという人がいる。その気持ちはよ~くわかる。

昨日は叔母の一周忌の法要があり、秩父まで車で出かけた。
和光から秩父まではおよそ2時間半(渋滞なしの場合)。4~5月の観光シーズンともなると、
国道はどこも大渋滞だ。なにしろ埼玉県の南の端から北の端まで行くのだから、
渋滞に巻き込まれたら大変だ。日頃から心がけのいいボクは、万一のことを考え、
朝まだきに出かけ、秩父に着いてから喫茶店に入ってのんびり時間をつぶした。

札所十二番・野坂寺での法要と墓参が終わったあとのお斎(おとき)は
「かわ伸」での鰻と蕎麦料理。献杯の音頭で始まった歓談は気のおけないものだったが、
車で参会した者はもちろん酒が飲めない。で、例によってウーロン茶や
ノンアルコールビールで喉をうるおした。目の前に座った実兄は、ノンアルコールの
ビールなんか飲めるか、とヤケクソ気味にウーロン茶をあおっていた。
兄の言うとおり、ノンアルコールビールの味はいつだってひどいものだ。

さて「間をもたせる」という話だが、あれほど気まずい沈黙をきらったボクが、
やはり年の功で面の皮が厚くなったのか、近頃はその沈黙がまったく気にならない。
もちろんタバコやら酒といった小道具も必要ない。終始、春風駘蕩とした気分で
「間」をもたせることができるのである。たぶん他者に余計な気をつかわなくなった、
というのが大きいのかもしれない。
「あなたは要するに自己チューなのよ。人を人と思わないもんね」
女房はいつもこう言ってバカにするが、半分は当たっている。

法要の際の会食に集まったのはごく内輪の者ばかりで、
ほとんどが50~60代の従兄弟同士。こどもの頃はカワイイ顔をしていたが、
半世紀も経ってしまうとみな無残に変わり果てた姿になってしまう。
男たちは髪が抜け、醜く太り、腰が痛い膝が痛いとまずは病気自慢から会話が始まる。
女たちも文字どおりオンナを捨てた抜け殻となり、
往年の美貌と艶っぽさは見る影もない。
が、どこか煩悩から解き放たれたような顔をしていて、
〝オバサン好み〟のボクからすると、みな味わい深いいい顔をしている。

従兄弟同士といっても、小さい頃に〝遠くから顔をながめ合った〟程度の仲で、
遊んだ記憶もなければケンカした記憶もない。ただ血がつながっている(らしい)
というだけで、なぜか気安く声をかけ合っているのだから、なんともふしぎな関係だ。
お互いにお互いを知らない。そもそも飲んだり旅行したりという共通体験をもたないのだから、
それこそ話の接ぎ穂がない。若い頃だったら、さぞ気まずい雰囲気になっただろうが、
今はごくふつうに軽口をたたき合っている。それぞれ苦労して生きてきて、
それなりに年輪を重ねたおかげなのだろう、「間をもたせる」などという
つまらないことに神経を使わなくなっている。

五十路を過ぎると、身体のあちこちのパーツが錆びついてくる。
腰痛膝痛は言うにおよばず高血圧に糖尿病、白内障まで発症したものもいる。
みんな満身創痍だ。施主のT君も膝がいかれちまったようで杖をついていたが、
挨拶の中で、
「こういうあらたまった席ではなく、ごくふつうに会って酒を酌み交わしたいですね」
などと言っていた。そうだねえ、そんな時間が持てればいいねえ。
もうそれぞれの持ち時間がなくなってきているものね。

一方、母方の川越本家の跡取り息子K君は、スピーチの中で、
「毎月1回、父の墓と嫁さんの実家の墓にお参りしてます」
と殊勝なことを言い出した。若い頃に悪行の限りを尽くしたからだろう、
還暦を前にして心を入れ替えたのか、いきなり真人間になってしまった。
「どうしちゃったの? 身体の具合でもわるいの?」
「なんか魂胆があるんじゃないの?」
遠慮のない冷やかしが飛び交っていたが、善人に変身したK君はうろたえることなく、
穏やかな笑みを返していた。なんだか気味がわるい。

還暦を迎えると純真なこどもの心に先祖帰りするのか、
俗塵にまみれた心身が、洗濯されたみたいにまっさらになる。
ボクが善人になった?時機とみな歩調を合わせているから、
おそらく誰のもとにも訪れる自然現象なのかもしれない。

揃って好々爺になってしまった従兄弟たち。
善人ぶるのは気の弱りの証拠か。
もう長くはないんじゃないか、といささか心配になってくる。
ひとの一生はオムツからオムツまでの間。せいぜいみんな長生きしようね。

突然だが、ミュージカル『The Cats』の〝Memory〟の歌詞が思い出されてしまった。
Memory, all alone in the moonlight
I can smile at the old days
I was beautiful then
I remember the time I knew what happiness was
Let the memory live again

ご存知、娼婦猫のグリザベラが若く美しかった日々をふり返り、
明日の幸せを願って絶唱する曲だ。ボクはこの歌が好きで、
I was beautiful thenのくだりになると、いつも泣けてしまう。
ボクは人一倍美しかったもんね。
言ったもの勝ちだから、先に言っときます(笑)。




 

6 件のコメント:

老門下生 さんのコメント...

老先生ご無沙汰しております。

老先生はちゃんと法要に行かれて、偉いというか、なんて言えばよいかわからないです。
私なんか.....。

間って大事ですよね。
私は音楽を聴いてるわけでもなく、
考えてるわけでもなく、本を読んでもいない
のに、よ~~く電車を乗り過ごしてしまいます。隙間だらけですが何とか生きてます。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

老門下生様

こんにちは。
ボクは結婚披露宴は苦手ですが葬式は好き、
と自著の中に書いているくらいですから、
ごく内輪の葬式や法事にはつとめて出るようにしています。

結婚披露宴のバカバカしさに比べれば、
坊さんの生臭話のほうがまだマシです。

そうはいっても、やはり坊主の話はつまらない。ほとんど心に響かない。たぶん真剣に
仏道に生きていないからでしょうね。一つ一つの言葉に命が吹き込まれていないのです。

言霊というくらいですから、
言葉には魂が入っていなくてはなりません。
魂をこめるためには、お仕着せではなく
自分の言葉で語りかけることです。

情報過多の時代になると、
自分の発している言葉が、どこかの本から
引用した言葉なのか、自分の内側から
自然とわき出てきた言葉なのか、
区別がつかなくなります。

言葉を肉体と一体化させるには、
まず紙の上に書くことです。
しゃべるだけではだめ。書かないと肉体化されません。そうした行為を最低でも10年続ければ
〝自分の言葉〟がもてるようになります。

隙間だらけの人でもできますから、
ぜひ実行してみてください。

スキあり門下生 さんのコメント...

わたくしも歯の浮くような。お世辞だらけの
結婚披露宴はもう飽きました。

書くのですね。
手紙しか書く事ないかなあ、私の場合は。

先日はお坊さんから、正式な焼香の仕方を
習いました。なるべく使いたくないですが..。

ではまた。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

不肖の門下生様

ボクも先日の法要で、
同じように正しい焼香の仕方というのを
レクチャーされました。

臨済宗南禅寺派のやり方で、
もう忘れちゃいましたが、
けっこうややこしいやり方でした。

みんなしかつめらしい顔をして、
言われたとおりの作法に従って焼香して
いましたが、たぶん心の中では
「そんなもの、どうだっていいだろ」
と思っていたに違いありません。

形式主義というのは時にバカにされますが、
型から入るものはいっぱいあります。
茶道然り華道然り、「型」はどうして
バカにできません。

流派によって焼香の仕方は違います。
それぞれにもっともらしい理屈があります。
ボクは天台宗ですが、どんな焼香スタイルなのか、誰も教えてくれないので知りません。

門下生様の宗派は知りませんが、
法要の場での立ち居振る舞いは
あなたの評価に大いに関わってきます。
美しく凛々しい所作を身につけておいて
ください。

Nick's Bar さんのコメント...

ROUさん、

こんにちは。

I was beautiful then.という事は I am not beautiful now.という事になるか否か。単にとある過去の一点の事実を述べているだけで、現在にその事実が及んでいる、もしくは違う事実があるという事を内包しているのか。昔、お勉強したような気がするんだけど、老化の為思い起こせなくなっているのは事実のようです。内包とかいうと外延とはこの場合なんなんだって考え始めてしまうわけで・・・そうなるともうだめです。

とはいえ、I have not been beautiful since then.なら一目瞭然なんですがね。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

NICK様

毎度のことながら、夢のないコメントを
ありがとね。

NICK様はボクがbeautifulだった(今も)
ことを、どうあっても認めたくないわけね。

内包だとか外延だとか、またまたわけのわからん用語で、煙に巻こうとしているのだろうけど、どう転んだって
I've been beautiful since then
だったわけよ。

さっきも鏡に全身を映してみたら、
お腹がぽっこり出ていた。
ウン、たしかに美しい。