2014年12月28日日曜日

ボクのきらいなもの2014

2014年、思いつくままに「ボクのきらいなもの」を挙げてみました
  1. 小日本など歯牙にもかけんよという顔で記者会見する傲岸不遜な支那の報道官
  2. コーナーワイプテレビの端に出る小窓画面)で大げさに目をむくバカタレ(お馬鹿なタレントのこと)ども
  3. テレビ番組で、さもしたり顔で論評する偉っらそうな評論家センセー
  4. 韓流ドラマに出てくる金太郎飴みたいな整形美女たちと男優のダサい髪型
  5. 習近平主席の分別くさい豚顔とレイムダックになったオバマ大統領の暗~い馬づら
  6. 口をほとんど開かずしゃべる猪八戒みたいな顔した民主党の枝野幸男幹事長
  7. 盗撮してください、と言わんばかりの超ミニスカートで大道を闊歩する女子高生
  8. メール打ちしながら自転車や車を運転する上海雑伎団もどきの不心得なドライバー
  9. こそこそ茂みに隠れてスピード違反を取り締まる正義感あふれる交通課のおまわりさん
  10. マツコ・デラックスやミッツマングローブなど、テレビでわが物顔のカマちゃん系タレント
  11. ハンパない」などと半端なしゃべり方をする〝無脳〟な若者たち
  12. 「すげぇ」「でけぇ」「やべぇ」などと耳障りな言葉で奇声をあげる芸ノータレントたち
  13. 連ドラ『マッサン』で可愛いエリーちゃんを執拗にいびる姑役の泉ピン子
  14. 「お帰りなさいませ、ご主人様」などとメイドにかしずかれヤニ下がるおたく系男子
  15. いい年をしてコンビニで群れを成しマンガを立ち読みするKY男たち
  16. 全身をブランド物で覆い尽くす〝外華内貧〟の成金おばちゃんたち
  17. せっかくの食事を台無しにする、ガマンと気遣いの足らない隣席のスモーカー
  18. こどもたちの遊び声がうるさい、と保育園に苦情を持ちこむ無粋な年寄りたち
  19. 車内でおもむろに手鏡を取り出し、髪の毛をいじくりまわすジャニーズ系の男の子
  20. 何を見ても「鳥肌が立ちました」と大げさにいうサメ肌の女の子
  21. それでも朝日が好き、という反体制ぶりっ子の似非リベラリスト
  22. さわると必ずボクだけをちくりと刺す、女房が自慢のバラの鉢植え
  23. 外人がそばにいると、途端にそばをモソモソ食い始める自称そばっ食い男
  24. アカ新聞嫌いな家に「旦那さ~ん、朝日をお願いしますよ」と勧誘に来るマヌケな拡販員
  25. 道草をお食べになる食うだろ!)」などと、何でも〝お〟をつける丁寧語フェチおばさん
  26. 底抜けのバカを雛壇に並べ、バカ笑いで日本人の白痴化を図る国辱的バラエティ番組
  27. 汝人民飢えて死ね、と言わんばかりに肥え太った3代続く北の将軍様
  28. 朝鮮中央テレビにいつも出てくる、大仰で威圧的なしゃべり方をする名物おばちゃんアナ
  29. これほど話題なのに、またぞろ「振り込め詐欺」に引っかかってしまう愚かな年寄りたち
  30. 「欺した側」ばかりを責め、「欺されるほうも悪い」とは決して言わない偽善的メディア
  31. 実はテレビ局の「声」なのに、「街の声をひろってみました」と公正さを装う嘘つきメディア
  32. スーパーで所在なげに女房の後に従い、買い物客の障害物と化している役立たず亭主
  33. 「昔は機動隊と激しくやり合ったんだ」などと、さも自慢気に語る白髪頭の全共闘世代
  34. 「話し合えば人間はきっと理解し合える」と夢見がちの眼をする底抜けオプティミスト
  35. 現役時代に偉かったものは、定年後も偉いままだと勘違いしているノーテンキおやじ
  36. 各国要人と握手をするとき、反射的に頭も下げてしまう日本の政治家や財界人
  37. 総理や大臣が靖國を公式参拝するたびに「公人か私人か?」と問う売国的メディア
  38. お歯黒以来のDNAか、笑うと決まって手で口を蔽ってしまうシャイな大和撫子たち
  39. 混雑したレジで自分の番が来たらおもむろに財布を取り出す、万事スローな老婦人
  40. 会話こそ最良のつまみなのに、ただ酒を食らうだけの話柄の貧しいおじさん
以上、ランダムに挙げてみましたが、実はまだまだあるのです。
とりあえず今年も中韓と朝日新聞への批判で明け暮れました。
たぶん来年も変わらないと思います。
来年の干支は未(ひつじ)だといいます。stray sheep(迷える仔羊)にならぬよう、
心して歩んでいきたいと存じます。みなさま、良いお年をお迎えください。



                     


←『マッサン』でエリー役を演じている
シャーロット・ケイト・フォックス。
日本語をまったく知らずに撮影に臨んだというから、
人知れず努力をしたのだと思う。
表情がとても可愛くて、日本人好み。
豚まんじゅうみたいな泉ピン子では
縁起が悪そうなので、写真換えました。


♪エリー My Love So Sweet

2014年12月24日水曜日

ホストファミリーになりませんか?

来年あずかる予定の留学生(チェコ人、17歳)は英語の能力がexcellent(優秀)だという。
こっちは女房ともどもpoor(劣弱)そのもので、毎度のことだが、意志疎通がきびしい。
英語は好きだし得意だったハズなのだが、いかんせん会話ができない。

受験期、「赤尾の豆単」を丸暗記したクチだから、いまもって語彙力だけはある。
小説は読めるし、もちろん英字新聞だって読める。しかし、しゃべれとなるとからっきしで、
自己紹介すら満足にできやしない。学校で10年以上学んでいるのに、初歩の会話も
おぼつかないというのは、いったい何なんだろう。教育が悪いのか、
それともおれの頭が悪いのか?

たぶん両方なのだろう。実際、外国人を前にして、ただ単語を並べるだけとか、
身ぶり手ぶりだけというのでは、いかにも情けない。せめて〝ピジン英語〟くらい
しゃべりたい、と思うのだが、それすらままならない。ピジンとは、英語と現地語が
チャンポンになったような言語で、たとえばLong time no see.(お久しぶり)などが
いい例だ。明らかに英語の構文からは逸脱しているが、アメリカ・インディアンが
しばしば使った語法だという。

会話はpoorだが、読み書きができるのだから、いざとなれば筆談という手はある。
昔むかし、空海や道元といった僧侶は学問するために海を渡った。当然ながら
コミュニケーションの手段は筆談だったと思われるが、空海は会話(唐音といった)
にも長けていたという。天才の面目躍如たるところだ。

こっちは天才どころか、凡骨の最たるもので、筆談だって手に余る。
だいいち、まだるっこしくて留学生のほうが先に音を上げてしまうだろう。

あいにく英語の会話力に長けた娘たちはすでに親元を離れている。
「ときどきは顔を出して助けてやっから、心配しないでチョー!」
などと言ってはくれるが、いざとなったら娘頼みというのがいかにも情けない。

そんなこんなで、最初は互いに苦労すると思うが、
慣れてくれば意思疎通もできるようになり、
そのうち日本語だってしっかりしゃべれるようになる。
現に、短期ながらわが家であずかった留学生たちは、
もともと優秀なのだろうが、帰国間際の段階では、
ほとんど日常会話に支障がないくらいのレベルに達していた。

なぜ留学生をあずかるのか? けっこうな物入りだし、余計な神経も使わなくてはいけない。
また毎朝、早起きして弁当を作ってやらなくてはいけない。女房の最大の悩みである。
そんな七面倒くさいことをよくやるな、という声がないわけではない。たしかに滞在費用は
すべてこっち持ちだから、金は出ていくばかりだが、うちの娘たちだって同じように、
すべてあっち持ちで世話になった。イタリアに行った長女なんかフィンランドまで旅行させて
もらった。ホスト側だって余計な出費で大変だっただろう。だから、せめて恩返しをしたい。
それが1つの理由である。

しかし理由はそればかりではない。同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食うということは、
家族同然ということ。帰国後も、その絆は消えない。事実、来春、次女が結婚する
予定なのだが、式にはアメリカ・シアトルのホストファミリーも招待するし、
外国の友人たちも駆けつけてくれる。

髪の色、目の色、肌の色の異なった家族がいたっていい。
それもこれも、すべては娘たちの高校生留学から始まった。
留学先の同級生たちが観光を兼ねて日本へ遊びに来る。
また高校生の時に日本留学した子が、こんどは日本の大学に留学する。
あるいは次女がイギリス留学した時の同級生3人は、いま日本で働いている。
長女の同級生などは、もう何度も来日し、日本中をぐるりと回った。

外国人とまるで縁のなかったわが家も、にわかに出入りが激しくなってきた。
そしてまた、そのことがボクたち夫婦の生きがいにもなってきている。
人生は1回こっきり。どうせ生きるのならエキサイティングなほうがいい。
世界中にボクたちの息子や娘たちがいて、会うたびに「お父さん」「お母さん」と
慕ってくれる。なんだかふしぎな心持ちがするものだが、決してわるいものではない。
草の根の国際交流。あなたもホストファミリーになってみませんか?






←冬枯れのわが団地。
真正面にあるのがボクの住む棟。
留学生たちはみな一様に
「緑が多いですね」と言ってくれる。
でも今は葉が落ち、その面影はなし








2014年12月23日火曜日

居眠り磐根と金髪美少女

もういいかげんにしてほしい。
佐伯泰英の『居眠り磐根 江戸双紙』をここ数年来愛読しているのだが、
いかんせん長すぎて、いつ終わるとも知れず、キリがないのだ。

現在発売中のものが47巻目。そして48巻目が正月明けには上梓される。
よくまあここまでいろんなストーリーを展開できるものだと、同業者のはしくれとしては
大いに感心しているのだが、もうそろそろ幕を引いていただけませんか、
というのが正直な気持ちだ。

佐伯の作品には多くのシリーズ物があって、代表的なのはこの『居眠り磐根』と
『酔いどれ小藤次』、そして『吉原裏同心』、『古着屋総兵衛影始末』なども人気だ。
どれもみな長丁場というのも共通していて、『酔いどれ……』と『古着屋』は
新シリーズがすでに始まっている。

本代と酒代にはカネを惜しまないボクとしては、余生を楽しく過ごさせてもらっている
だけでも佐伯先生様々なのだが、どの作品もみな似たようなところがあって、
いささか粗製濫造の感がしないでもない。

シリーズ物の時代小説で一番好きなのは池波正太郎の『剣客商売』(16巻)、
だとはすでに述べたが、佐伯の『酔いどれ』と『居眠り磐根』もなかなかの
力作だと思っている。そしてどれもが、ふしぎなくらい似通っている。

『剣客商売』は無外流の老剣客・秋山小兵衞を中心に、息子大治郞や女剣客佐々木三冬
などが繰り広げる江戸市井もので、そのintimateでfriendlyな雰囲気が読者のハートを
がっちり掴んでいるのだが、おもしろいのは、『剣客商売』と『居眠り磐根』に出てくる
老中田沼意次の扱いが正反対なところだ。

『剣客商売』の田沼は秋山父子のパトロン的な役割で、世に言う賄賂政治の極悪人
というのとは違う。大治郞の妻・三冬が田沼の妾腹の娘という設定で、田沼の評判の悪さは
どっちかというと宿敵・松平定信が流したデマではないのか、とする立場をとっている。

一方、『居眠り磐根』では主人公・坂崎磐根の命を執拗に狙うのが田村意次・意知父子という
設定で、作者の佐伯が先輩の池波正太郎の向こうを張り、いかにして差別化を図ろうかと、
相当意識して書いたのではないか、とボクは勝手に想像している。

考えてみれば、この数十年、小説は時代小説しか読んでいない。
現代小説はせいぜい外国のミステリーとか探偵小説くらいで、
あえてお気に入りを挙げればR・D・ウィングフィールドの『フロスト警部シリーズ』だろうか。

ふだんは政治や経済のお堅い本ばかり読んでいるので、
せめて蒲団に入ってからは小説を読んで頭をリラックスさせたい、
とたぶん身体が要求するのだろう、自然と小説に手がのびている。

ボクはノンフィクションやエッセイじみたものは書くが小説は書いたことがない。
というより書けない。ゼロから話をつくって、それを発展させる才能がないのだ。
いまどき小説なんて流行らんよ、といわれるかもしれないが、
小説ではなくノンフィクションばかりの世界だったら、たぶん息が詰まってしまうのではないか。
完全な作り物というのは、これはこれで必要なものなのだ。

たぶん今夜中に『居眠り磐根』の第47巻は読み終わってしまうだろう。
まだ多くの本が〝積ん読〟状態で、本棚に鎮座ましましているから、
当分の間、退屈することはないのだが、圧倒的に小説が少なく、
ほとんどがキナ臭いノンフィクションや政治評論の類ばかりなので、
ボクの表情は今しばらくは暗く沈んでいることだろう。

来年はヒツジ年だという。
草食系が喜ぶような静かな年になるのだろうか。
春には次女が結婚し、秋にはチェコから留学生が来て、半年間世話をする予定だ。
金髪美少女でなけりゃイヤ、と強く願っていたのだけれど(←バカ)、
あいにく男の子になってしまった。
それも身長186センチの大男だという(←あとで分かったが実際は190㎝だった)。
ということは、半年間、上から目線に耐えなけりゃいけないわけだ(笑)。
不謹慎なことを考えていたから、たぶん天罰が下ったのだと思う。
あ~あ、男かよ……と言いつつも、楽しみにしてっからね(わが家の女どもが)。




←AFSの高校留学生。
わが家は埼玉にあるが、なぜかAFS練馬支部に属し、
来年、チェコの高校生(17歳)を預かることに。
雲をつくような大男と聞いている。
メシをいっぱい食べるんだろうな……




2014年12月20日土曜日

日本人は底抜けのお人好し

先の衆院選で安倍政権圧勝の報道を受けた支那のネット上には、
「日本は民族、国家を挙げて軍国主義に傾きはじめた」
「日本人という民族は悔い改めない民族であることがわかった」
などといった書き込みが目立ったという。

阿倍の葬式はウチで出す」と、かつて朝日新聞幹部は豪語したものだが、
その朝日も「吉田調書」や「従軍慰安婦」の誤報問題でケチがつき、
逆に自分たちの葬式を出さざるを得ないところまで追いつめられている。
加えて〝安倍政権打倒〟の社是をあざ笑うかのように、自民党が圧勝してしまったものだから
さあ大変。その嘆きようは無知蒙昧な支那人の嘆きとまったく同じである。

ボクの願いはただ1つ。生きている間に、支那の共産党政権と朝日新聞が
完膚なきまでたたき潰され、それを目の当たりにすることである。
それを正夢にするためには、陰に陽に両者への反撃の手を休めず、
窮地へと追いつめなくてはいけない。ところが実際は、それどころではない。
日本の外務省は何を勘違いしているのか、敵に塩を送って得々としているのである。

「塩」の中身はもちろんODAである。驚くべきことに、あの暴虐非道な支那に対して、
毎年300億円ものODA(政府開発援助)を供与し続けている。考えても見てくれ、
支那は世界第2位の経済大国で、GDP(国民総生産)は日本の2倍もある。
外貨準備高に至っては日本の約3倍。およそ390兆円もあり、もちろん世界一だ。
こんな金持ち国に対して、日本はいつまで資金援助をしなくてはならないのか。

ODAには大きく3つのタイプがある。
①低利で資金を貸す円借款
②返済義務のない無償資金協力
③専門技術者などを派遣し開発を支援する技術協力

円借款は支那国内の空港や港湾、鉄道、発電所などの大型インフラ整備に使われ、
今日の支那の発展を支える基礎となった。しかし借款なので、使い途については
いっさい口出しできない。元東急エージェンシー社長の前野徹は、
《日本からの〝上納金〟を使って軍備を拡張し、北鮮にも多額の経済援助をしている。
日本人が汗水たらして稼いだカネが、中国経由で北鮮にわたり、そのカネで作った
ミサイルが日本に向けられている》
などと語っている。こんなマンガみたいなことが現実に起きているのだ。

終戦直後、中国共産党の蒋介石はこう言って胸を張った。
恨みに報いるに恨みをもってせず》と。
日本への戦後賠償の請求をすべて放棄する、と高らかに宣言したのだ。

ところが日中国交回復の際、日本の田中角栄首相は政治的野心からか、
賠償金代わりの経済援助を中国政府に申し出てしまう。事実上、ここで賠償問題が
復活する。そしてこの30年間、日本から引き出した円借款という名のODAは6兆円、
旧輸出入銀行経由の借款を含めると約10兆円にもおよぶという。

円借款はいずれ日本に回収されようが、②の無償資金協力と③の技術援助は
「贈与」であり、1円たりとも戻ってはこない。①の円借款は幸い2007年に終了した。
インフラ整備が結果的に支那の軍事力増強を下支えするという危惧が生まれたからだ。
ところが②と③はいまだに継続され、その額、年間300億円を数える。

尖閣諸島への領海侵犯をくり返し、東シナ海上空に防空識別圏を一方的に設定。
また最近は、サンゴ密漁船を日本の領海内に送り出し、無法な乱獲をくり返した。
支那の膨張主義的な政策はとどまるところを知らない。おまけにPM2.5が日本に
流れ込んだり、反日暴動が頻発したりと、ODAによって「親日派を育成する」とする外務省の
思惑はみごと外れてしまった。親日どころか、支那は反日の温床になっている。

こんな反日国家にせっせとカネを贈り、なけなしの技術まで教えこんでいる。
いったい日本という国はどこまで世間知らずのお人好しなのか。
陰ひなたとなって支援を惜しまなかった「あしながおじさん」に対して、
貧しかった子どもたちが長じて乱暴者となり恩を仇で返す、といった構図である。
これをマンガと言わず何と言おう。

やることなすことがトンチンカンで、日本の国益に反することばかり
くり返す外交オンチの外務省などもう要らない。
あんな売国的省庁など、
中韓&朝日とともに消えてしまえ!






←支那の十八番となった反日暴動。
こうして内政への不満をガス抜きさせている。








※注
ボクは中国という国名をできるだけ使わないようにしています。
「中国」とは「世界の中心の国」の意で、そこには中華民族の
抜きがたい優越意識がうかがわれるからです。支那には
いまだに〝華夷秩序〟が存在します。支那が世界の中心で、
その四囲に夷狄〈東夷,北狄,南蛮,西戎〉がいるという
発想です。その時代遅れの考えに与したくないので、
ボクはあえて「支那」という言葉を使います。中国人は
この支那という言葉がきらいなようです。英語ではChinaと
いうのにね。ボクは東夷ニッポンの野蛮人ですから、
ずっと支那と言い続けます。

2014年12月12日金曜日

エリーと蘭ちゃんがいる朝

ボクは「ながら族」なので、ラジオとかテレビをつけっぱなしにしていないと仕事ができない。
以前は、朝起きるとまずラジオのスイッチを入れた。TBSラジオの『森本毅郎・スタンバイ』
を聴くためである。しかし、いまはNHK総合の『おはよう日本』に乗り換えている。
理由は『TBSと朝日は底なしのバカップル』に書いたとおりだ。

『おはよう日本』には鈴木奈穂子がいる。美人である。しかし土日祝日担当の
和久田麻由子はさらにその上をゆく超美人である。起き抜けの寝ぼけ眼には美人がいい。
美人は頭をスカッと覚醒させ、背筋をピンと伸ばしてくれる。
これが泉ピン子やマツコ・デラックスのような醜女(??)だったら、
一日中不快な気分にさせられてしまう。
寝覚めのいい朝には何といっても美人が特効薬なのだ。

鈴木奈穂子には妹がいる。この妹、わが家に一度遊びに来たことがある。
実は彼女(妹)とボクの長女は、高校の同級生なのだ。だから結婚式にもよばれ、
美人の姉とも会った。
「どうだった? お姉さんはきれいだった?」
結婚式から帰った長女にまっ先に訊いたのは鈴木奈穂子のことだった。
美人好きの助平な父を持つと娘も気骨が折れる。

おじさんの好みなんか聞きたくないだろうけど、ほんとうのことを言うと、
鈴木奈穂子はタイプじゃない(大きく出たね)。また和久田麻由子はたしかに美人だけれど、
なんだか美しすぎて近寄りがたいところがある(東大出というところも気に入らん)。
そこへいくと気象予報士の渡辺蘭はいい。
超美人というのではないけれど、愛嬌があって、実にカワユイのだ。
「蘭ちゃ~ん! がんばってねェ~!おじさんが応援してっからねェ~」
彼女が出てくると、ボクはついテレビ画面に向かって手を振ってしまう。
これを見た娘たちは、「ウウウ……変態おやじッ」と蔑むような視線を向けたものだ。
(いいもんね、蘭ちゃんはお父さんのものだもんねェ。ヒヒヒヒ)
変態おやじはめったなことではへこたれないのである。

美人をたっぷり鑑賞したあとは、いよいよ『マッサン』の出番だ。
今日はエリーシャーロット・ケイト・フォックス)が階段から転げ落ち流産してしまうという
悲しい場面だ。両手で朝食のお盆を持ち、二階の居候のもとへ運ぶと聞いた時、
ボクは「ダメッ! エリー、危ない!」と思わず叫んでしまった。そしたら案の定、
エリーはどうとばかりに脳天逆落としに。(あ~あ、とうとうやっちまったよ……)
病院で流産を告げられた時、ボクはエリーとともに泣いた。

それにしてもエリー役のシャーロット・ケイト・フォックスはカワユイな。
エリーが劇中で歌う『The Water is Wide(「広い河の岸辺」)』は、いまやボクの十八番だし、
ニッカウヰスキーの「竹鶴」もボクの欠かせぬナイトキャップとなった。
ああ、こんな女房がいたら、どんなにか幸せだろうと、ついつい不心得なことを
考えてしまうのだが、かたわらで必死になって原稿を書いているカミさんの姿を見ると、
(おれに甲斐性がないばっかりに、苦労ばかりかけてしまうな)
と、これまた深く反省してしまうのだ。

遠い異国から嫁いできたエリー。モデルとなった竹鶴リタの苦労話は
「マッサン」と呼ばれた男、竹鶴政孝の夢』を読めばよくわかる。
そんなけなげで可愛いエリーを、マッサンの母親役の泉ピン子がいびり倒すのだから
たまらない。その憎々しげな顔といったら。もともと〝いじめ〟というものを心底嫌悪して
いるボクとしては、「いじめの権化」と化したこのバアさんがどうしても赦せない。
(おのれ、この糞ババア! よくもボクのエリーを……そこに直れ、手討ちにしてくれる!)

年老いたせいか、フィクションと現実の見分けがつかなくなっている。
(ピン子のやつ、覚えてろよ。目にもの見せてやるからな)
テレビのこっち側で、おじさんはひとり力みかえっている。
今朝も変わらず平和でのどかです。





←気象予報士の渡辺蘭ちゃん。
カワユイね。あなたの笑顔で
おじさんは救われてます。






※追記
「最近のブログの内容、ちょっと堅すぎるんじゃない?」
と、秩父にいる従兄弟の嫁はんから苦情とお叱りを受けた。
彼女は気性のサッパリした女性で、どっちかというとボク好み。
というわけで、お堅い政治経済の話は脇におき、
エリーと蘭ちゃんの話にした。「朝ドラ」なんて『おはなはん』以来、
見たことなかったが、今回の『マッサン』は別。エリーよ、いじめ
なんかに負けるな! そのうちピン子は死ぬ。淋しくなったら
わが家へおいで。鍋でも囲んでにぎやかにやろう!←こればっか

2014年12月5日金曜日

愚民をなめたらいかんぜよ!

第47回衆院選が始まった。
この師走の寒空のもと、日本中のあっちこっちで、たすき・鉢巻き姿の候補者たちが、
声も嗄()れよとばかり、街行く人に訴えかけている。また、誰の入れ知恵なのか、
「本人」などというマヌケなたすきを掛けた候補者もいて、よせばいいのに
汗だくになって自転車をこぎ、「握手の数=得票数」などと秘かに票を読んでいるのか、
手当たりしだい握手をねだっては頭を下げまくっている。あの臆面のなさはいったい
何なんだろう。

十年一日のごとく変わらないこの選挙風景を見ていると、ボクはいつも思うのだ。
本来ならこの人に市政なり国政の場に出ていってもらい、おらが村、おらが国のために
誠心誠意がんばってもらいたい。国民のために汗をながしてもらいたい――
だからどうかぶじ当選してくださいと、有権者の側が頭を下げお願いすべき筋合いだと
思うのだが、頭を下げているのはいつだって立候補している側で、米搗きバッタどころか、
土下座さえしかねない低姿勢の候補者もいる。これはちょっと異常ではないのか。
議員になるために、なぜそこまで卑屈になる。

(今後は有馬の温泉につかったり、SMバーで可愛いネエちゃんに思いっきり
いたぶってもらったりと、政務活動費を思うぞんぶん使わせていただく所存であります。
有権者のみなさまにおかれましては、後日、わたくしの似顔絵入りの団扇を贈らせて
いただくつもりであります。わが家およびわが一族の繁栄のために、みなさまのお力添えを
たまわり、まことにありがとうございました。祝勝会のあとは、馴染みのSMバーでひと汗
ながしてまいりますので、お先に失礼いたします。それではみなさま、ごきげんよう)
みごと当選した候補者が、壇上でバンザイを三唱している映像をよく見るけれど、
心のうちをのぞき見れば、おおかたこの程度のことしか考えていないのではないだろうか。
不必要に頭を下げ、大衆に媚びを売る姿を見ていると、ついそんなふうに思ってしまうのだ。

民主党の海江田党首は、
「阿倍さんが経済の舵取りをしてから早や2年が経ちました。この2年で、ほんとうに
みなさんの暮らしがよくなりましたか? よくなったのはホンのひと握りの人たちだけで、
庶民の暮らしは少しもよくなっていない。みなさん、アベノミクスは失敗したんです。
この選挙はアベノミクスの失敗隠しのための選挙なんです」
などと、やっている。ほんまにアホとちゃうか。

野党に限らず与党もそうだが、候補者たちの頭の中にある認識はみんないっしょだ。
つまり、「目の前にいる愚民どもをだまくらかすにはどうしたらいいか」という一点である。

(忘れっぽい愚民どもは、民主党政権時の数々の失敗など、
もうとうの昔に忘れている。経済の話なんてどうせ分かりっこないんだから、
適当にお茶を濁し、笑顔で握手していれば、愚民たちはすぐだまされてくれる。
こんなもん、赤子の手をひねるよりたやすいわい。ヒヒヒヒ……)

ああ、それにしても共産党党首のSや維新の党の江田何とかいう共同代表の、
底意地のわるそうなマヌケ面はなんとかならないもんか。顔も悪相で貧しければ、
演説の中身も貧寒そのもの。このレベルでよく党首なんぞが務まるなあ、
とむしろ感心してしまうほどなのである。

愚民と侮るかもしれないが、ボクは民主党政権下の〝何ひとつ決められなかった政治〟を
よーく覚えている。彼らは財源のメドもつかないまま、子ども手当などのバラマキを公約した。
いまもまた若者に対する支援を訴え、若者たちの可処分所得を増やし、分厚い中間層を
復活させる、などと息巻いている。彼らができるのは大衆迎合主義ともいうべき給付金の
バラマキだけ。日本経済の生産性を高め、経済自体のパイを大きくするというマクロの視点が、
決定的に欠けている。

前回の衆院解散時(民主党野田政権)の株価はどうだった?
2012年11月16日時点で9024円。今回はどうか。2014年11月21日時点で1万7357円だ。
雇用者報酬(働く人の給料の合計)は246兆円から254兆円にのびている。
失業率だって4.1%から3.6%へと改善されている。著名な経済学者が言ってたが、
世界のエコノミストに見せたら、ほぼ全員が〝すばらしい!〟と評価するデータ
なのである。この経済政策のいったいどこが失敗だったのだ。

地方や消費の弱い層にまで、まだその恩恵が行きわたっていないというのは事実だろう。
しかし考えてもみてくれ。日本は10年以上、いや20年もデフレが続いていたのですぞ。
末端までお金が回るのは、もう少し時間が必要なのですよ。20年辛抱したのだ。
あと1~2年待ったとしてもバチは当たらんでしょ。

「アベニミクスではだめなんです。アベノミクスは失敗したんです」と偉そうに講釈を垂れている
野党の候補者たちよ! そんなに批判するのなら、世界中のエコノミストたちを唸らせるような、
すばらしい対案を示してくださいな。その対案もないくせに、人の揚げ足ばかり取る。
ボクが「アホとちゃうか?」と呆れるのはそこなのだ。

おれたち庶民を政治経済オンチの愚民、などと思っているような候補者は、
いつかきっと手痛いしっぺ返しを受けるだろう。
口先ばかりで中身のない、民主党や共産党、社民党といった有象無象は
今年こそ年貢の納め時になるにちがいない。
夢見がちで薄っぺらな左翼リベラリストどもよ、
朝日・毎日新聞ともども、早くこの世の中から消えてなくなってしまえ!





←やっぱこっちの総選挙のほうが楽しいな


2014年12月1日月曜日

情報は教養じゃない

テレビを観るとタレント(悪い洒落だと思うのですが才能の意です)と称する娘っこが
何かを見るたびに「すごーい、すごーい!」を連発しています。
かと思うと「やべぇ、これマジ、やべぇ」などと、ラーメンをすすりながら叫んでいるバカタレ
おバカなタレントのことです)もいます。どうやら「やべぇ」は「おいしい」と同義らしいのです。

先日、ボクが愛のムチでぶっ叩いてやったアンちゃんも、
「なんだよ、てめえ、うっせぇんだよ!」
「なんか文句あんのかよ、この糞ジジイ!」
とひどく貧しい日本語を叫んでおりました。
警察官がいうには大学生ということらしいのですが、
あの貧寒な語彙から想像すると、教養程度は3歳以下かと思われます。

さてボクはスマホもガラケーも持ちません。
超のつく機械オンチなので、あのように複雑怪奇な機械は操れないのです。
電車に乗ると、老若男女を問わず、みな揃ってスマホとにらめっこをしております。
うちの女房などは分からないことがあるとすかさずスマホを取り出し、
ピコピコピコとやって、「へーえ、そういうことなのか」などとひとり合点しています。
辞書代わりなんですね、スマホが。今のスマホは相当進化していますから、
機能はパソコン並み。みんな携帯用のパソコンを持って歩いているんです。

ボクは車内の少数派になりましたが、二宮金次郎みたいに本を広げます。
スマホは情報を入手するには便利ですが、情報は単なる情報でしかありません。
ボクは情報にはいささか食傷気味で、ありとあらゆる情報ですでに頭の中は
パンパンに膨らんでいます。情報はほんのちょっとだけでいいのです。

職掌柄、ボクは辞書をたくさん持っています。
諸橋轍次の大漢和辞典も全巻揃えています。
むかしは諸橋の漢和辞典を持ってるよ、といえば、みな畏れ入ったものですが、
今の若い人たちは、「モロハシテツジ? 知らな~い。だれ、そのおじさん?」
と、ありがたみがまるで伝わりません。おじさんの心はひどく傷つきます。

習い性になっているのか、辞書はよく引きます。
原稿を書いていていちばん重宝するのは類語辞典です。
同じ言葉を何度も使うのは物書きとして恥ずかしいことなので、
適切な類語をそこに充てはめます。こうして語彙力が自然と身についていきました。

正しい日本語力をつけるには本を読むしかありません。
それにはいい文学作品を読むことです。
ボクは〝青白き文学青年〟のはしくれでしたから、人並み以上には本を読んでいます。
好きな作品があると、その作家の全集を買い込み、数年かけて読破します。
そんなことを小中学校から続けていますので、家じゅう本だらけで、
本棚に入りきらないものは納戸に押し込んであります。底が抜けそうです。

日本のヤングママたちは、「英語、英語」と騒ぎすぎです。
小学校からの英語教育は、それはそれでけっこうだとは思うのですが、
肝心の日本語がおろそかにされたら元も子もありません。
ボクの経験からいうと、日本語力のない人は英語も巧くなりません。

映画字幕翻訳者として知られる戸田奈津子さんも言ってます。
戸田さんは「英語がお上手なんですね」と褒められると、こう切り返すそうです。
《この仕事は英語力より日本語力なんです。4分の3は日本語力だと思います》

本を読むには忍耐力が要ります。何百、何千という本を読むには
とほうもない忍耐力が必要です。あとは馴れでしょうか。馴れればスイスイ読めます。
しかし何といっても重要なのは、読書が他の何にもまして面白いということです。
ボクは本の中毒ですから、身近に本がないと中毒症状が起きます。
本はそれほどに面白く、読むことが快感になります。

永井荷風、小林秀雄、石川淳といった名文家の作品を読むと、
心が洗われるような思いがします。
小林秀雄などは、もういくたび読み返したか分かりませんが、
読むたびに新たな発見があり、深く考えさせられます。
また石川淳の融通無碍、活殺自在な文章にふれると、日本語の持つ力強さ、
優雅さ、品格、すべてが感じとれます。日本語は美しい、とつくづく思います。

戸田奈津子さんはこうも言ってます。
情報は教養ではない。人間の価値を決めるのは教養です。
自分で本を読み、考えなければ、教養は身につきません》と。
まったくそのとおりだと思います。

「すげぇ」とか「やべぇ」とか聞くもおぞましい言葉を吐く〝無脳〟な連中に
用はありません。ボクはこの手の人間には近づかないし、またつとめて
近づけないようにしております。教養の深浅は10分も話せば判ります。
ボクは取材相手に、
「シマナカさんと話してると、30分で丸裸にされちゃいますね。
すべてが見透かされているようで、正直、恐いです」
と言われたことがあります。お世辞半分としても、
この言葉は今でもボクの勲章になっております。

ところで例の事件の顛末ですが、検察庁から何の知らせもありません。
「不起訴処分の時は、何も知らせません。期限は11月いっぱいです」
担当の検察官はこう言っておりました。
つまりボクは不起訴処分になったようなのです。
あの「うっせぇんだよ! この糞ジジイ!」と叫んでいた無教養なアンちゃんは、
さぞ悔しがっていることでしょう。正義は勝つのだよ、この愚か者めが!
まだまだ世の中は捨てたもんじゃありません。

みなさん、本を読んで、美しい日本語を身につけましょう。
本が苦手の人は、代わりにボクのブログを読むことです。
美しい日本語はもちろんのこと、世の中の正邪美醜、、
またどうやったら女の子にもてるようになるのか、
熟読玩味すればそんなノウハウまで自然と身についていきます。
もっとも〝女の子〟には〝元〟という言葉が冠せられますがね……




←完成までに30年を要したという
諸橋轍次の大漢和辞典


2014年11月28日金曜日

バカは死ななきゃ

こどもの頃は友達が1人もいなかった、とは何度も書いた。
あんまり書くものだから、傍目には「どうだ、すごいだろ!」と映るらしい。
こうなると卑下ではなく、ほとんど自慢である。

孤立無援の理由はいくつかあった。その1つは極度の恥ずかしがり屋で、
人の目を見て話をすることができなかったことだ。
対人恐怖、赤面恐怖……いまや白面の美少年もすっかり色黒になり、
はにかんで赤くなっているのかどうかも、にわかに判別し難くなっている。
信じられないと抗議する者があるかもしれないが、実のところ人に対すると、
いまでもわずかにポッと赤らんでいるのだ(←美人だとポッポッポと真っ赤になる)。

ボクのこども時代は、いかにこの対人恐怖症を乗り越えるかに費やされた。
他人なんぞ恐れていたら、生き馬の目を抜くジャーナリズムの世界では到底生き残れない。
といっても、それはずっと後になってからの話で、自分が将来ジャーナリストになるなんて
思いも及ばなかった。

ボクは自分の中にある女々しい心を鍛え直そうと、言動は常に男らしさを心がけた。
男っぽさは土方歳三や坂本龍馬の生き方などから学んだ。
近藤勇や土方など新撰組の中核を担った隊士たちは、多摩の百姓や町人の出身で、
真正の武士ではない。士族でない負い目からか「局中法度」と呼ばれる厳しい隊規を設け、
武士以上に武士たらんとした。士道に背くと切腹、局を脱すると切腹、勝手に金策に
走ったりすると即切腹というように。覚悟というものは、もう後戻りできないというところに
自分を追い込んで初めて固まっていく。

人間は弱い存在である。弱いから強くなりたいとムリに強がったりする。
ボクも人一倍背伸びをし強がって生きてきたクチだが、これがふしぎなもので、
強いフリをしているうちに強い人間であると自他ともに錯覚してしまうことがある。
ボクは思うのだ。この錯覚の積み重ねによって少しずつホンモノの強さに
近づけるのではなかろうかと。

現に、ホンモノかどうかはわからないが、かつて自分を悩ませていた対人恐怖的な
厭人症はすっかり影をひそめ、むしろ自分から積極的に声をかけるような人間に
変わってしまっている。当然だろう、ありとあらゆる業界の人から話を聞き出す稼業なのだ。
相手の視線を避け、うつむいてモジモジやってたら取材なんかできっこない。

思うに、思いっきり強がり、やせ我慢をくり返していくうちに、
「心の強さ」みたいなものが自然と養われていったようなのだ。

こどもの頃や青春期には悩みがつきものだ。悩むことが彼らの仕事みたいなもので、
生きることの意味を知ろうと人知れず煩悶しない若者など無価値なものと
踏み倒していい。死ぬほど悩めば、そのうち何かをつかみとる。

もっとハッキリ言ってしまおう。青春期の悩みなど、不惑を過ぎる頃になれば、
ほとんど消し飛んでいってしまう。その齢なりの別様の悩みは常につきまとうのだけれど、
ボクの悩んだ対人恐怖的な悩みはみごとに消え去ってしまった。なぜこんなつまらない
ことに頭を悩ませていたのか、よくまあ青春期の貴重な時間をムダに費やしたものだと、
いまにして思えば実にバカバカしく思うのだが、当時のボクにとってはそれこそ
生きるか死ぬかの問題だった。

ボクは正直な人間だが、バカがつく正直者で、思ったことをズバズバ言ってしまうところがある。
時にその言葉が相手を傷つけてしまうこともある。女性同士の会話などを聞いていると、
互いの親和を高めるようなことばかり話していて、何やら尻がこそばゆくなってくる。
(ホンネじゃないな……)と、すぐ分かるのだ。相手を傷つけないよう、相手の表情を見ながら
細心の注意を払って話しているからで、つまりは自分が傷つけられたくないという
自己防衛本能に根差している。これでは人間性がどんどん衰弱していってしまう。

友達はいなくては淋しいものだが、決して数多くいる必要はない。
親友なんて気の利いたものは要らない。酒の相手をしてくれるかりそめの友がいればいい。

FBで「いいね!」「いいね!」と拍手を送ってくれる友人が数百人いるという。
メル友も同じく数百人。ボクから言わせれば「それがどうした!」の一言で、
なんだか気持ちわるい。自分が窮地に陥り八方塞がりになったとき、
いったいそのうちの何人がそばに駆けつけてくれるんでしょうね。
a friend in need is a friend indeed――
たしかこんな西洋の諺を教わったことがあったっけ。

ひとはみな孤独である。夫婦といえども例外ではなく、とりわけ老いを迎えれば、
すべからく孤独寂寥に耐えなければならない。そのことにしっかり耐えることが、
人生の総仕上げになるのだと思う。が、言うは易しで、なかなか思うようにはゆかない。

あと何年生きるか分からないが、還暦まではあっという間だった。
若い頃は1日が長く、時間が飴のように途方もなく先まで延びていた。
いまは逆に1日が短く、こどもたちの笑い声やけなげに咲く道端の名もなき花が
無性に愛おしく思えるようになった。エネルギーがまだ身体中に満ちあふれていた頃、
そんな心持ちになることはまずなかった。
(ずいぶん焼きがまわったもんだな……)
苦く笑うほかない。

おれのこれまでの人生は何だったのだろう。
おれは何をするために生まれてきたのだろう。
「不惑」をとうに過ぎ、「耳順」もまた過ぎようとしているのに、
生っちょろい書生のような問いかけが、心の中にこだましてやまない。






←この姿勢正しいけなげな少年を見るだけで
目頭が熱くなってしまう。ホンに齢だねェ……





2014年11月22日土曜日

健さんは稀代の人たらし

高倉健は紛(まが)うかたなきダイコンなり、などとずいぶん憎まれ口をたたいてきたが、
ボクは〝健さん〟という男が心の底から好きなんだ、ということが改めて分かった。
何度も言うが、演技はからっぺたで、いつも一本調子。愚直で不器用な男を演じたら
天下一品、などと世辞をいうものがあるが、なに、ただ眉間に皺寄せて木偶(でく)のように
突っ立っているだけで、およそ演技といえるような代物ではない。

マイケル・ダグラスや松田優作などと共演した『ブラックレイン』では、刑事役の高倉が
凶悪犯を演じた松田優作に完全に食われていた。松田がアンディ・ガルシア演じる
刑事の首を日本刀で刎ねるシーンは圧巻で、あの時の松田の〝狂った目〟は今でも
まざまざと目に焼きついている。撮影当時、松田はすでにガンに侵されていたが、
そのことはひた隠しに隠していたという。松田の次回作にはロバート・デ・ニーロとの共演が
予定されていたが、残念ながらこの『ブラックレイン』が松田の遺作となってしまった。

高倉の演技を撮影する際にはNG(no good)がないのだという。
本番では1テイクしか撮らせないからだ。なぜか? 
これは某ブログからの引用だが、
「余計なテクニックを排し、最小限の言葉で、演じる人物の心にこみ上げる
その瞬間の心情を、セリフや動きで表現したいから――」
事実、高倉自身、
《俳優にとって大切なのは、造形と人生経験と本人の生き方
生き方が出るんでしょうね。テクニックではないですよね》
と言い切っている。

〝心の演技〟はそう何度もできるもんじゃない。だから本番では1テイクのみ。
お吸い物も「一番だし」で、ビールも「一番搾り」、女房だって取っかえ引っかえではなく
初婚の江利チエミの1テイクのみ。健さんは二番だしや二番煎じがきらいなのだ。

健さんは無口どころかよくしゃべる男だったという。
撮影を見物している地元の人たちにも気軽に声をかけ、
世話になった旅館の女将などには、あとで丁寧な手紙を送ったという。
あの〝天下の高倉健〟から直筆サイン入りの手紙をもらったら、
誰だって感激する。手紙は額に入れられ、その家の家宝となるだろう。
司馬遼太郎は豊臣秀吉を日本史上最高の〝人たらし〟と評したが、
高倉健もまた稀代の人たらしではなかったか

《人生で大事なものはたったひとつ……心です》
こういう書生っぽいセリフはなかなか吐けるもんじゃない。
ボクなんか〝泥(でい)〟のごとく酔っぱらっていても恥ずかしくて言えやしない。
このセリフ、健さんだから吐けるし、健さんだからサマになる。

プライベートなことはほとんど語らず、「不器用ですから」というパブリックイメージに
対し、《そんなことはねぇよって、どっかで思ってますけどね……》と語りながらも、
そのイメージに生きた高倉健。死ぬ時も人知れずすっと消えていってしまった。
この消え方が、作家・藤沢周平の言葉にどこかシンクロしている。

藤沢は『周平独言』の中でこう言っている。
《私は所有する物は少なければ少ないほどいいと考えているのである。
物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだんに削りながら、
やがてふっと消えるように生涯を終わることが出来たらしあわせだろうと
時どき夢想する。――》

英雄豪傑ではなく、無名の下級武士を好んで描いた藤沢の小説に、
主調低音のように流れているのは、
どんな人物にも「人それぞれに花あり」という温かい眼差しだ。
この優しい眼差しは高倉健の無骨な生き方や人との接し方などからも
ひしひしと感じられる。高倉は姿勢正しく、心やさしい男だった。
あらためて合掌。



←歳を取ってもカッコいい健さん。
日本男児のホマレですな。

2014年11月18日火曜日

まじめヤクザ昇天す!

テレビの前で、女房と2人で昼飯を食べていたら「俳優の高倉健さんが死去」という
ニュースが飛び込んできた。聞けば今月10日、悪性リンパ腫のため亡くなり、すでに
近親者だけで葬儀は済ませたという。

享年83。高倉に対しては特別な想いはないのだけれど、若い頃、「昭和残侠伝」や
「網走番外地」シリーズなど任侠映画はよく観た。ヤクザに扮した高倉はとてもカッコよく、
ひとり殴り込みをかける健さんの後ろ姿にはストイックな男の色気が漂っていた。

昔、健さんを間近に見たことがある。川越の喜多院でヤクザ映画の撮影をしていたのだ。
ボクは当時中学生。喜多院はボクの遊び場で、たまたま境内を通りかかったのだが、
健さんが長脇差(ドス)片手にもろ肌脱いで立ち回りをやっていた。「しめた!」とばかりに、
かぶりつきで見物。(意外と痩せてるじゃん……)というのが印象で、銀幕の中では大きく
見えるんだな、と子供心に得心した憶えがある。

高倉健はダイコンなり」にもすでに書いたが、高倉健が〝名優〟とは到底思えない。
どっちかというと吉永小百合と同類のダイコンではないのか、と正直に書いたら、
賛否両論、ずいぶんと反響があった。そして当然ながら、今日はいつになくブログへの
アクセス数が多くなっている。

ノンフィクション作家の野地秩嘉(つねよし)が言うことには、
健さんの出演した映画180本余をつぶさに観察し、健さんがしゃべるセリフをカウントしたら、
「すみません」「お願いします」「ありがとう」が頻出数のベスト3だったという
要はこの3つのセリフだけで大スターに登りつめたということだろう。
半分呆れもしたが、一瞬、
(これだったら、俺だって超大物スターになれたかもしれねーぞ)
なんて柄にもなく思ってしまった。

『幸福の黄色いハンカチ』は何度も観た映画で、その中に出所して夕張に戻った健さんが、
妻役の倍賞千恵子と再会する場面があるが、ボクはどうにも気に入らない。「不器用ですから」
が健さんらしいというのはけっこうなのだが、2人は見つめ合うばかりで手も握らない。
健さんにハグやキッスは似合わないというかもしれないが、ふつうの精神だったらハッシと
ばかりに恋女房を抱きしめるに決まってる。それがごく自然な行為だろう。
ましてや女房役はべっぴんの倍賞千恵子ではないか。

(不器用な健さんに代わって俺が抱きしめてやる。背骨が砕けるほどに抱きしめてやる)
映画を観ながら何度そう思ったことか。留学生でも何でも、若い娘となるとやたら
ハグしたがる助平なおじさんの目には、木偶(でく)のようにただ突っ立っているだけの
健さんがあまりに歯がゆく、ストイック過ぎるように思えるのだ。

《ぼくには妻も子もいません。たった1人の、100パーセント外食の生活です。
よく知らない人とは一緒にメシを食わない。食事をしながら仕事の話をしない。
きらいなものは食べない》(46歳の時、週刊誌のインタビューに答えて。'77『週刊現代』より

食事をしながら仕事の話はしない、というところは共感できるが、
「よく知らない人とはメシを食わない」というのはよくわからない。←シャイだからかしら?
「1年を通じて、初対面の人と会った数は多くて3人」(健さんの所属事務所の弁)というくらいだから、
そのポリシーは徹底している。ボクなんかは知らない人から耳新しいことを
聞くのが大好きで、酒もいつもの仲間と飲むより見知らぬ人と飲むほうが楽しく飲める。
根っから人が好きで(おっそろしくシャイなくせにね)、好奇心が強いのだろう。

高倉健。1931年2月16日生まれ。水瓶座。
水瓶座というところがボクと同じだが、
それ以外に共通点は特になし。

役者としてはからっぺただったと、今でも信じて疑わないが、
人物としては第一級だったようである(人柄がやさしいもんね)。
昭和を体現した銀幕スターが、またひとり消えてしまった。
淋しいねえ。
心より合掌。





←夫婦再会の場面。
恋女房だろ? 抱いてやれよ。
どこまで堅物なのかね、勇さん(役名)は……

2014年11月15日土曜日

少女の大勇と匹夫(ひっぷ)の勇

●11月某日
陸上自衛隊朝霞駐屯地・自衛隊体育学校にてオリンピック強化選手などの練習風景を
見学させてもらった。肝煎り役は水泳仲間で「水連」幹部でもあるIさん。見学者は総勢
11名で、だいぶとうがたったおっさん、おばちゃんばかりだが、見かけによらず
トライアスロン大会などに出場する猛者たちでもある。

見学したのは水泳、レスリング、ボクシング、射撃、近代五種、ウエイトリフティングなどで、
その迫力に度肝を抜かれた。50㍍プールでは高桑健選手などが両手にパドルを着けたり、
足にフィンを着けたりして泳いでいた。ボクも時々フィンガーパドルを着けて泳ぐことがあるが、
やりすぎると肩や肘を痛めてしまうので、ほどほどにしないといけない。
よく「パドルを着けると魚みたいに速く泳げるんですか?」と訊かれることがあるが、
負荷がかかる分遅くなるのがふつうで、あれは筋力アップのための練習用に使う。
それにしても、さすがにオリンピックに出るような選手は速い。パドルを装着していても
イルカみたいにすいすい泳ぐ。われら11名も、水泳には自信があるものばかりだが、
「さすがに一流はちがう」と、出るのは感嘆の声とため息ばかり。いい勉強になった。

写真はロンドンオリンピックのレスリング・フリースタイル66㎏級で金メダルを獲得した
米満達弘選手を囲んでのもの。通常、身長とリーチ(腕の長さ)はほぼ同じくらいと
されているのだが、米満選手の場合、身長が168㎝に対してリーチが184㎝もある。
まるで手長猿みたいに両腕が長いのである。このリーチの長さが彼の最大の武器になった
といわれている。
←中央が米満選手で、ま後ろにいる怖そうな
白いお髭のおじさんが老生。
見学者が若い娘どころか、みんなくたびれた
おっさん、おばさんばかりで、米満さんもさぞ
ガッカリしたことだろう。
心から同情申し上げます










●11月某日
さいたま地方検察庁に出頭する。
例の「あたしゃ悪くないもんね」で報告したように、8月某日の朝まだきに、
団地内で騒ぎ立てていた悪漢バラを注意したら、逆に凄まれ、もみ合いになってしまった。
どうにもしかたなく天誅を加えてやったのだが、結局警察沙汰になり、
のちに被害届(左下顎部打撲)も出たので、書類送検されることになったのである。

検事さんは言っておった。
「正義感にかられ注意するのはいいのだけど、相手がどう出てくるかわかりませんからね。
へたをするとケガしちゃうかもしれない。そんなときは、まずは警察に連絡してください」
おっしゃることは重々承知。でもねえ、「義を見てせざるは勇なきなり」と言うじゃありませんか。
電車内でいたずらされて困っている娘さんがいたらどうするんです。見て見ぬふりですか?
曲がりなりにも男なら、「およばずながら助太刀いたす」と反射的に飛び出していくもんでしょう。
そこで男の値打ちが問われるんです。ボクは〝現代の遺物〟といわれようが
〝ええかっこしぃ〟とバカにされようが、見て見ぬふりだけはしたくない……とまあ、
精一杯力んでみるのだけど、さて実際はどうなりますか。
起訴されるか不起訴になるかは、まだ未定。今月いっぱいに結果が出ます。

●11月某日
「すべても子どもたちに教育を」と訴え、イスラム武装勢力に銃撃された16歳の少女・マララ。
彼女の手記『I Am Malala』をいま読んでいる。国連で彼女はこんなふうに演説した。
‘Let us pick up our books and our pens. They are our most powerful weapons.
One child, one teacher, one book and one pen can change the world.’
なんて気高く凛とした少女なのだろう。ボクは素直に感動してしまった。
日本語訳もあるが原文は比較的平易で読みやすい。彼女の勇気と高貴な精神に乾杯!

←国連で演説するマララさん。
少女ばかりが乗り込んだスクールバスを
イスラム過激派が襲撃、
「マララという名の子はどいつだ!」
との問いに、毅然として‘I am Malala’
(その勇気ある言葉がそのまま本の題名に)
と返答。すかさず頭部を銃弾で撃ち抜かれた。
 

2014年11月1日土曜日

老人よ、からだを鍛えておけ!

永年悩まされていた腰痛がウソのように治まった
以前は、朝起きるとすぐにコルセットを巻き洗面台に向かっていた。
そうしないと持病のギックリ腰が再発しかねないからである。

いまはコルセットともおさらばし、前屈も中腰姿勢も平気の平佐になった。
重いものを持ち上げる際に脳裏をかすめていた緊急アラームの警報音も消えた。
どうやら十数年越しの腰痛から解放されたようなのだ。

理由は単純明快だ。腹筋と背筋の強化、それと体幹を徹底的に鍛えあげたおかげである。
左膝を悪くして以来(変形性膝関節症)、毎日、リハビリを欠かさないようにしているが、
その延長で腹筋や背筋、体幹を鍛えるようになった。

トレーニングの前には、まず軽く柔軟体操をし、身体をほぐす。
次に両足首に1キロ(その後、1.5キロ、2キロとアップ)のアンクルウエイトを巻きつける。
基本的には、家にいる間中、ずっと巻きつけたままで、
ついこの間までは就寝中もウエイトをつけたままだった。
さすがに寝る時は外すことにしたが、それ以外はずっと〝足枷〟をつけている。
もちろん腹筋と背筋のトレーニングもウエイトをつけたままでおこなう。

膝のリハビリには太もも、すなわち大腿四頭筋(だいたいしとうきん)を鍛えるのが
一番とされている。太ももの筋肉をつけることで、大腿骨を上に吊り上げ、
脛骨(けいこつ)との摩擦を少なくするという理屈である(軟骨がすり減っているから)。

ボクがよくやるトレーニングは椅子に座って脚上げをする運動だ。
左右の脚を交互に上げ、数十秒間そのままにしたり、上げ下ろしを数十回繰り返したりする。
ボクは1キロのアンクルウエイトの他に5キロのダンベル用ウエイトを足首にぶら下げて
これをやる。つまり片脚に、合わせて6キロの負荷がかかる計算だ。これがけっこうきつい。

この筋トレをやると、同時に腹筋も鍛えられる。
6キロの重しを足首にぶら下げ、交互に10回ずつ上げ下げをする。
この運動を何セットも繰り返すのだから、太ももと腹の筋肉は悲鳴を上げる。
何事にも極端に突っ走る性格で、おまけに自虐趣味もちょっぴり持ちあわせているから、
めきめき効果が上がり、いまでは細身のジーパンをはくと、太もも部分が
パンパンになってしまう。筋力トレーニングの効果絶大というわけだ。

一般に60歳過ぎると筋肉がつきにくくなるといわれているが、
それでも筋力トレーニングを欠かさなければ、それなりのマッチョな肉体は
獲得できるし、維持もできる。腹筋・背筋、それに体幹を鍛えておけば、
スイミングでも如実に効果が出てくる。身体がぶれないため直線的に効率よく泳げ、
タイムもいくぶん縮まるのだ。

膝がいかれ、持病のギックリ腰にも悩まされていた時期は、
(もう昔みたいに跳んだりハネたり走ったりはできなくなっちゃうのかな……)
と目の前が真っ暗になったものだが、筋トレのおかげで人工関節のお世話に
ならずに済みそうだし、うまくすれば今一度跳んだりハネたりができるかもしれない。

露出症と勘違いされかねないから、裸の写真はお見せできないが、
クリスティアーノ・ロナウドの〝割れ腹筋〟を思い浮かべてもらえればいい。
ほぼボクの鍛え抜かれた肉体とイメージが重なるからだ(プッ)。

ウソだと思ったら、プールサイドまでお越しくださいな。
「クリスティアーノ・ロナウド」もミケランジェロの「ダビデ像」も真っ青の
とびきり美しい肢体がそこにありますから。





←この顔にボクの顔を重ねるだけでいい。
いや、ボクのほうが数段美しいな……(プップッ)


photo :blog-imgs-47.fc2.com



2014年10月26日日曜日

満100歳の夢追い人

昨日は「銀座とよだ」でランチの会食。女房の10日遅れの誕生日を家族で祝ってやった。
ミシュランガイドにも星付きで載っている懐石料理の店で、秋の到来を感じさせる
「松茸と鱧の土瓶蒸し」がとりわけ空きっ腹の鼻腔をくすぐった。

娘たち2人もおめかしして出席。話題はもっぱら女房と長女が弥次喜多道中と洒落込んだ
クロアチア&スロベニア旅行の話だった。開けっぴろげで陽気な長女の話はとにかく楽しい。
身ぶり手ぶり、それに顔の表情が多彩で、へたなお笑い系タレントなどより遙かに面白い。
次女は逆に「しとやか系」。喜怒哀楽をあまり表に出さないのは女房の血筋だろう。
姉妹といっても、体つきや性格が天と地ほども違うのだから、
子育てほど奇っ怪で、ワクワクするものはない。2人の娘たちを前にして、
もろ〝イクメン〟だったボクとしては、掌中にわが作品を眺めるような思いがする。

さて昼食後、オンナ3匹はウインドショッピング、ボクはひとり別れ、ある人物を訪ねた。
銀座「カフェ・ド・ランブル」の関口一郎さんである。大正3年生まれの関口さんは今年5月で
満100歳を迎えた。さすがに目や足腰が弱ってきたようだが、それでも週に何回かは
焙煎機に向かっている。おそらく現役最高齢の「コーヒー焙煎人」だろう。

膝を悪くして以来、遠出ができなくなり、ランブルにはすっかりご無沙汰していたが、
関口さんはいつに変わらず元気だった。足弱になったので、毎日甥っ子の林不二彦
(店主)氏にスクーターで送り迎えしてもらっているという。これから寒空に向かって
スクーターでの通勤(痛勤?)はさぞかし身体にこたえるだろうが、
本人はまったく意に介していない。老いてますます意気軒昂なのである。

「この本、なかなか面白いよ。著者はコーヒーの素人らしいんだけど、好きが昂じて本を
書いちゃった。よくまあ、ここまで調べあげたもんだと、感心してるんだ」
関口さんが一冊の本を見せてくれた。『珈琲飲み 「コーヒー文化」私論」』という本だ。
ペラペラめくってみたら、後ろの参考資料の中にボクの本や関口さんの本が何冊か
入っていた。それにしても帰山人の例を出すまでもなく、世の中にはコーヒーフリーク
とかコーヒーフェチと呼ばれる物好き人間の何と多いことか。

「目が悪くなったというのに、こんな分厚い本をよく読みますねえ。ボクなんか年がら年中
酔っぱらってるから、数行読んだらもう寝ちゃいますね。100歳とはとても思えませんよ」
敬老精神を発揮してちょっぴりおべんちゃらを言ってやったら、関口さんは大笑い。
それどころか、生来の探究心はいまだ衰えを見せず、
「今ね、超音波を使ってコーヒー生豆の熟成(エイジング)を速められないか、
という研究に取り組んでるところなんだ」
と、ややこしい話を開陳。こっちは会食でいささか微醺(びくん)を帯びているので、
むずかしい説明をされてもチンプンカンプンだ。

ご承知のように、ランブルはオールドコーヒーで有名な店。コーヒー生豆を
10年以上寝かせ、枯れてべっこう色に変色した生豆を焙煎し、ネルドリップで丹念に
点滴抽出。とろりとしたエキスのような液体を小さなカップで舐めるように飲む。
この10年寝かせるプロセスを超音波を使って10分の1に縮めようというのである。
100歳過ぎても尽きないこの探究心。こっちは還暦を過ぎたばかりだというのに、
すでに楽隠居を決めこんでる。怠け者の自分がなんだか無性に恥ずかしくなってしまった。

店内にはやたらと外国人が目につく。
「近頃は外国からの取材が多くてね。つい最近もフランス人の取材を受けたばかりなんだ。
特に台湾なんかじゃ、ボクは有名人らしく、そのおかげで台湾からのお客さんも
けっこう多い。100歳で現役ってところが受けてるんじゃないのかね」
関口さんもまんざらじゃないという顔をしている。

ボクと関口さんとはもうかれこれ30年以上のおつき合い。
互いの気性は充分すぎるくらい分かっているから、何を言っても大丈夫だ。
昨日はよくおしゃべりをし、よく笑った。
「6年後の東京オリンピックはなんとしても見なくちゃね」
ボクがハッパをかけると、
「ウーン、そこまではムリかもしれないな……」
と関口さんも苦笑い。
「何をおっしゃる。へたすりゃボクのほうが先に逝っちゃいますよ。
その時は、気の利いた弔辞をよろしく(笑)」
と言ったら、またまた大笑い。
これで寿命は6年分くらい延びたはずだ。まずはめでたい。





←銀座の歩行者天国で。
サングラスをしたワン公やお洒落をした
ミーアキャットなど、面白ペットたちが
注目の的だった。日本は平和ですな。

2014年10月18日土曜日

日本はそんなに悪くない

支那と韓国はよほど日本のことを小面(こづら)憎く思っているのだろう。
二言目には70年も前の戦争を持ち出して、日本の暴虐非道を非難する。
たしかに軍部独走という側面もあり両国に迷惑をかけたことは否めない。
しかし大陸への進出はロシアの脅威から日本を守るというやむを得ない自存自衛の
一環でもあった。贖罪意識に悩むのもいいけれど、そうした事実も忘れないでほしい。

1910年の韓国併合。1932年の満州国誕生。日韓併合は英語ではannexation(建て増しの意)
という言葉を充てる。宗主国だけが豊かさを享受するcolonization(植民地化)とは自ずと
異なるのである。西欧列強はアジア・アフリカ諸国で何をやったのか。
資源の収奪、住民の奴隷化――つまり白人たちは自分たちの豊かさを追求するがあまり
他国を侵略、むりやり植民地化し苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)をほしいままにした。

日本はどうしたのか。朝鮮・満州における教育・インフラの整備のために、
乏しい財源の中から巨額の資金を注ぎ込んだ。東北など国内の貧しい地方からは、
「なぜ外地に投資して内地に投資しないのか」という不満の声が上がっていた。

1957年5月、インドネシアのブン・トモ情報宣伝相はこんなふうに日本への謝意を述べた。
《インドネシアは350年間もヨーロッパ人に対して独立戦争を試みたが、成功しなかった。
しかし日本軍がアメリカ、イギリス、オランダ、フランスを打ちのめしてくれた。そもそも
この戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。それなのに
日本だけに担当させてしまい、まことに申しわけなかった》

1942年、日本軍はジャワ島に上陸。たった9日間でオランダ軍を退けた。
350年もの間、オランダの苛斂誅求と弾圧に苦しめられたインドネシアは
日本軍を歓呼して迎えた。しかし日本は敗戦。オランダ軍は再びインドネシアに進駐した。

このことを嘆き悲しんだ日本の敗残兵は現地に残り兵士となった。
インドネシア国軍に合流した日本人兵士の数は、スマトラ島で約500人、
ジャワ島で約300人、軍属や民間人有志を加えると、その数1000~2000人に
およんだ。そして、そのうちの400人が独立戦争で斃れたのである。

あの大東亜戦争の意義とは何であったのか。
終戦後、アジアには続々と独立国が生まれた。
フィリピン、インド、パキスタン、ビルマ、セイロン、マレーシア、ベトナム、
ラオス、カンボジア、インドネシア……
アジアの民族自決運動はやがてアフリカへと飛び火し、
アフリカ大陸でも次々と独立国が生まれた。

500年にわたって続いた白人による有色人種支配。
近・現代は白人たちの天下で、アジア・アフリカは彼ら白人たちの草刈り場だった。
そこに彗星のごとく登場したのが日本で、西欧列強と干戈(かんか)を交えることで、
結果的に白人の植民地支配に幕を引いた。
換言するなら、あの大戦はアジアの同胞たちを解放するための「独立解放戦争
でもあった。もし日本という国がなかったら……歴史はずいぶんと違った絵柄を
見せてくれたことだろう。

安倍首相の地球儀外交でも垣間見えたが、アジア諸国の多くは、
日本の戦争犯罪を難じるどころか、逆に深く感謝している。
日本はアジアの孤児などではなく、多くの友人をもつ彼らの憬れの国なのだ。
日本を嫌っているのはわずかに支那と韓国だけ。遠交近攻」が外交の基本というから、
嫌われて大いにけっこう。ボクなんかむしろ痛快とさえ思っている。
あんな出来損ないの国に嫌われたって、いささかも痛痒を感じない。
かえって清々するというものである。

イタリアでおこなわれているASEM(アジア欧州会議)の場で、安倍首相と支那の
李克強首相が握手したとかしないとか……そんなつまらないニュースを耳にしたもので、
(安倍さんも何かと苦労が絶えないねェ)
と心から同情するとともに、上掲のようなことを徒然なるままに思ったのだ。
ニッポン、がんばれ!



※追記①
1971年、昭和天皇がオランダを訪問した際、街には「ヒロヒトは犯罪者」
「ゴーホーム、ジャップ!」などというプラカードが掲げられ、両陛下に
卵や魔法瓶が投げつけられた。350年間もインドネシアを支配しておきながら、
そのことを恥じるでもなく、インドネシアの独立を助けた日本国の君主に向かって
「犯罪者!」とは、何という無知と横暴。オランダ人よ、恥を知りなさい、恥を!

※追記②
朝鮮の日本統治を「植民地支配」というが、当時のイギリスの文献には
「colonization」は使われておらず「annexation」(合邦、併合)と表現している。
西洋人の感覚ではcolonizationは〝掠奪〟に近いイメージになる。



 

2014年10月13日月曜日

父ちゃんの安酒場

カミさんと長女は一昨日から海外をほっつき歩いている。
旅行先はクロアチアとスロベニア。今朝の長女からのメールでは、
「明日は『紅の豚』や『魔女の宅急便』の舞台になったといわれてる
ドゥブロヴニクという街に移動しまーす。とっても楽しみ\(^ ^)/」
などとあった。長女は稼いだカネをすべて旅行に費やする考えらしい。
ま、俺のカネじゃないからどう使おうと勝手だけど、
根っからジッとしていられない性格なんだな。いったい誰に似たんだ……

←世界遺産に登録されているクロアチアの
プリトヴィツェ湖群国立公園。
長女がメールで送ってくれた。





おかげで留守居役の父ちゃんは、大いに羽を伸ばしている。
「毎晩、宴会やるつもりなんでしょ。ちゃんと分かってんだからね」
カミさんは出発前にドスの利いた声で、こんなふうに釘を刺していった。
毎晩はシンドイから1日置きかな(笑)。
なにしろ俺の周りにはタチの悪い飲んべえばかりいて、
虎視眈々と〝安酒場(←わが家のことです)〟が開くのを待ちかまえている。

そうはさせじとカミさんはお目付役を用意していた。
横浜に住む次女だ。連休だからと転がり込んできたが、監視役でもあるらしい。
案の定、わが家に到着した時(3pm)は、すでに宴会が始まっていた。
ウワバミのようなNICKがお酒持参で勝手に入りこんでいたのだ。
その後はもうグチャグチャで、あとからNICKの奥方まで繰り込んできて、
大騒ぎとなった。みんなよく飲みよく食べた。

NICKのかあちゃんK子は、中学・高校と次女に英語を教えてくれた家庭教師。
ネイティブ並みに英語を操るおばさんで、次女がTOEIC満点をとれたのも彼女のおかげだ。

話柄は広範に及んだが、残念なことに父ちゃんは話の中身をまったく覚えていない。
深酒した翌日はいつも記憶が飛んでいて、何を話したのか、さっぱり覚えていないのだ。
いや、深酒していなくとも同じようなもので、ボケの症状はかなり進んでいる。
「何度も同じこと言わせないでよね!」
これがカミさんや娘たちの決まり文句だ。情けないことおびただしい。

昨晩、次女が引きあげていった。台風に直撃される前に帰ろうと思ったのだろう。
火曜と水曜が暴風雨でヤバイみたいだよ、と言うと「わーい、わーい!」
と大ハシャギ。鉄道が混乱して会社が休みになることを秘かに期待してるのだ。
(こいつ、まるで子どもだな……)
父ちゃんは呆れてしまったが、その子どもっぽいハシャギようが妙に懐かしかった。
親というものは子の「現在」を見ながら、同時に「過去」の姿をいつも重ね合わせている。


さてさて、小うるさいお目付役もいなくなった。
新ヘパリーゼ・プラスの準備もしっかり整っている。
店開きはいつにしようかな。



←アニメ『紅の豚』の舞台になったという
クロアチアのドゥブロヴニクの街並み。
さすが統一感があって美しいですな
















 

2014年10月8日水曜日

世界一美しい国歌

子どもの頃は「君が代」が好きになれなかった。
荘重ではあるのだが、どこか陰気で、子供心にも「カッコ悪い」と思ったのだ。
それに比べ、アメリカやフランスの国歌は雄々しくてカッコよかった。

いまは違う。「君が代」が世界で一番美しい国歌だと思っている。
スポーツの国際大会などで君が代が演奏されると、思わず居ずまいを正したくなる。
サッカーなどの国際試合で、国歌斉唱時、歌ってるんだか歌ってないんだか、
口の中でモゴモゴやっている日本代表選手をしばしば見かけるが、
そんな時ボクは、テレビに向かって叫ぶのだ。
「こらっ! モゴモゴやってんじゃない! 大きく口を開けて腹の底から声を出せッ!」

韓国・仁川のアジア大会。水泳の「男子リレー400m」で、
日本をおさえて優勝した支那人の孫楊は、試合後にこう発言している。
日本人に勝って気分がいい。正直言って日本の国歌は耳障りだ
おそらく支那人の多くはそう思っているのだろうが、公の場で言うせりふではない。
もし日本の選手が、「正直言って中国の国歌は耳障りだ」などと発言したらどうだ。
在中国日本大使館などは暴徒と化した群衆に十重二十重と取り囲まれ、
おそらく焼き討ちにあってしまうだろう。

 
愛国教育の申し子で、見るからに憎(にく)ていな顔をした孫楊だが、
「イギリス人に勝って気分がいい。正直言ってイギリス国歌は耳障りだ」
とは決して言わないだろう。阿片戦争で支那人の誇りをズタズタに引き裂かれ、
自国領の香港を150年以上も植民地にされたというのに、「女王陛下万歳!」
と歌った「God Save The Queen」はたぶん赦せるのだ。
耳障りどころか、逆に「耳に心地よい」などと言うのかもしれない。

たしかにアメリカや支那、ロシアなどの国歌は愛国心を鼓舞するような曲調で、威勢がいい。
世界で唯一の和音階でつくられた「君が代」は、西洋音階でないだけに、
外国人には耳慣れないところがあるかもしれないが、あえて西洋音階に与(くみ)せず、
東洋の孤高を守ったところが、いかにも日本国らしく、
ボクなどは誇らしさで胸がいっぱいになってしまう。

「君が代」は国歌としては世界一短い歌詞なのだという。
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」などは全部で7番まである長大なもので、
いちばん有名な1番の歌詞には、
《子どもや妻たちの首をかっ切るために》とか《われらの田畑に、穢れた血を
飲み込ませてやるために》といったような凄惨な歌詞が連なっている。

「日の丸」と「君が代」は血塗られている、などと左翼のおバカさんたちは
お題目のように唱えているが、近現代の歴史を学べばすぐに解るように、
イギリスやスペイン、フランスの国旗・国歌のほうがその数百倍も血塗られている。

ちなみに明治36年、ドイツでおこなわれた「世界国歌コンクール」で、
日本の「君が代」はみごと一等を受賞している。

話変わって、ニューヨークの超高級ホテル「ウォルドルフ・アストリア」が、
支那の保険企業グループに買収されたという。歴代のアメリカ大統領や
昭和天皇までもが宿泊したという由緒あるホテルが、成金チャイニーズに
売却されてしまったのだ(1989年、三菱地所に買収されたロックフェラーセンターを彷彿させる。
成金ニッポンの30年遅れが現在の支那ってとこか)。

ボクは30年ほど前、身のほどもわきまえずこのホテルに泊まったことがある(仕事です)。
まだ景気がよかった頃の話で、着いた時はちょうどハロウィーンの時季だった。
ティファニーにも行ったしブルックス・ブラザーズにも行った(もちろん見るだけ)。
高級レストランで食事もしたっけ。

ああ、盛者(じょうじゃ)必衰の理ことわり)とはいうものの、
権門の末路は哀しいものである(俺のことかしら?)。

何度も言うけど、支那人と朝鮮半島人の心根はひどく貧しい。
言論と報道の自由もないくせに、いっぱし先進国を気取っている
産経新聞の前ソウル支局長が在宅起訴された事実を見よ)。笑わせやがる。
こんなイカレたお隣さんとは金輪際つき合いたくないものだ。





←「日本の国歌は耳障りだ」と発言した孫楊君。
君の尊大なマヌケ面も目障りなんです。

2014年10月2日木曜日

コーヒーに憑かれた女たち

昨日(10/1)は「コーヒーの日」なのだそうだ。
なぜコーヒーの日なのかは知らない。
全日本コーヒー協会がボクに相談することもなく(当たり前だ!)勝手に決めたことで、
つむじ曲がりのボクなんかは〝要らぬお節介〟だと思っている。

「コーヒーの日」だろうと何だろうと、コーヒーは毎日飲んでいる。
酒も毎日だが、コーヒーも毎日で、どちらもほとんど中毒気味なのだ。
本日、「ダフニ」の桜井美佐子からコーヒーが2袋送られてきた。
エチオピア・イルガチェフと珍しいコロンビア・モカの2種である。

桜井は今は亡き標交紀コーヒーの鬼と呼ばれた吉祥寺「もか」店主)の兄弟弟子で、
標の師匠筋に当たる襟立博保の秘書をやっていた。
標がもっとも信頼していた女性で、新しいブレンドを開発すると、
「桜井さんの感想が聞きたい」
と、まっ先に連絡した。桜井には非凡な味覚が備わっているらしい。

その桜井も70の坂を越えたという。
《コーヒーのことはいまだ解っておりませんが、食べ物の「おいしさ」と「うま味」に
関しては、今どきの若者たちより深く理解しているつもりです(笑)》
と、これはまあ、コーヒーに添えられた手紙からの抜粋である。

コーヒーにもホンモノとニセモノがある。
ボクと女房は、40年間、ホンモノかそれに近いコーヒーばかり飲んできた、
と自負しているが、それがホンモノだったかどうかは神のみぞ知るだ。

桜井のコーヒーには、むろん桜井のキャラクターが色濃く投影されている。
が、名人・標交紀のコーヒーを少しばかり彷彿させるところもある。
つまり、飲むほどに陰翳豊かなさざめきが湧出してくるような味で、
そんじょそこらの凡庸なコーヒーでは追いつこうにも追いつけない、
一筋縄ではいかない味なのである。

標の一番弟子は福岡「美美」の森光宗男だが、森光のコーヒーは
標のコーヒーとはまったくの別物である。森光独自のもので、
焙煎も森光しかできないオリジナルなものだ。

山形・鶴岡の「コフィア」が標の味を継承しているじゃないか、というものがあるが、
継いでいるのは標の志であって、コーヒーの味ではない。店主・門脇祐希も
彼ならではのコーヒーワールドをしっかりと形成している。

古稀を迎えた桜井はこう言っている。「ただ今修業中」だと。
まだまだめざす味には届かないというのだ。
この不断の探究心こそ桜井の真骨頂で、
その成果のほどがすべてコーヒーの出来に現れている。
ボクが言うのも何だが、みごとな出来映えである。

いただいたものだから、世辞のひとつも言うべきなのだろうが、
桜井のコーヒーはそんなつまらぬ慮りをはるかに超えたところに屹立している。
焙煎技術世界一になった福岡「豆香洞」のコーヒーも立派なものだが、
桜井のコーヒーはまったく別次元のところで、密やかに、そして力強く息づいている。

師匠の襟立は、
女にはどうしても越えられぬ壁がある
と、桜井の〝限界〟を予測したものだが、
その予測はみごとに外れたようだ。

飲んでみて、あまりに味わいが深かったもので、
その感動が薄れぬうちに一文にまとめてみた。
コーヒー物狂いの世界に男も女もない。
                                       (文中敬称略)


←東京・田町にある「ダフニ」の外観。
慶應大学のほど近くにある。













※追記
木村衣有子氏著の『もの食う本』(ちくま文庫)の中で、拙著『コーヒーに憑かれた男たち』
が紹介されている。木村氏は文末にこう書いている。
《『コーヒーに憑かれた男たち』は、コーヒーを男だけのものにしておきたいようだが、
私は『コーヒーに憑かれた』女を探しに出かけてみたい》。
木村さ~ん! ここにあなたのお目当ての女(ひと)がいますよ~。
すぐにお出かけくださいな。







 

2014年9月29日月曜日

ああ、定年!

先日、スーパーの袋詰めカウンターで老夫婦が人目をはばからずケンカをしておった。
「アナタ、どうしてこんなもの買ったの?」
「そんなこと、いちいち俺に指図するんじゃない!」
「そう言ったって、料理するのは私じゃないですか!」
「お前は口うるさいんだよ。いったい誰のおかげでメシが…………思ってんだ!」
とまあ、諍いの中身は実に月並みでたわいがない。

またこんな光景を目撃したこともある。ここでも老夫婦のお買い物だ。
どこか所在なげに女房殿のあとをトボトボとついていく夫が、
晩酌の肴にしたかったのだろう、タコブツの刺身をさりげなく買い物かごの中に滑り込ませた。
するとおカミさんは素知らぬ顔してタコブツを売場へ戻してしまったのだ。
夫はすかさず反撃するかと思いきや、無言で首うなだれ、
またトボトボと細君の後に従ったのである。

年金生活に入ると、タコブツさえも満足に食べさせてもらえないのか……)
なんだか身につまされる光景で、見ているこっちまで涙を誘われてしまった。

男も定年で第一線から退くと、夫婦の力関係は俄然変わってくる。
老妻に言わせれば、月給をもらってこない男は、ただ口うるさいだけの粗大ゴミ。
いっそ熨斗でもつけてゴミ収集車に持っていってもらいたいくらいなのかもしれない。
ここで不変の定理を一つ。

ニッポンの男-仕事=零(ゼロ)

定年退職し、心豊かな年金生活を送っている男がいないわけではないが、
現役を退いた男は総じて急激に色褪せ、心身ともに輝きを失ってしまう。
仕事人間だったものほどその度合いが強く、ほとんど脱け殻みたいになってしまう。
これはボクが観察していて確信した悲しいファクトである。

わが棟にもその〝脱け殻たち〟がいっぱいいる。
ボクが「むかし偉かったおじさん」と揶揄する連中のことで、
隠居なら隠居らしく、みなから愛され、若者たちの手本となるような生き方をすれば
いいものを、むかしの〝栄光〟が忘れられないのだろう、何かというと権高な態度をとる。

ボクはおばさんやおばあさんに絶大なる人気がある(←あまり自慢にならんけどね)。
若い娘にはさっぱりなのだが、男でも女でもない〝第三の性〟には、
なぜかモテモテなのである。或るとうのたった人妻がしみじみ言っとった。
「Sさんは気さくで飾らないからいいわね。ふつうの男はそうじゃないから……」
どうやらボクは、「ふつうの男」ではないらしい。

プール仲間のM子さん。ご亭主がそばにいるというのに、コースロープにもたれながら、
「Sさんの鍛え上げられた筋肉モリモリの〝上半身〟は、ほんとうにステキ!」
これって、誘惑してるのかしら? 言うことが開けっぴろげで、少しも悪びれない。
こっちはゲラゲラ笑いながら、
「ほんとうは〝下半身〟のほうがステキなんですよ」
と返してやると、夫婦そろって大爆笑。
文字どおりの裸づき合いしている仲間たちは、屈託がなくていい。

ボクは「明日からおばさんになります」とすでに〝おばさん化宣言〟を発している。
陰気なおじさんに属していることがいやで、〝白い煙と赤い玉〟が出たのを潮に、
おじさんを廃業し、おばさんになることに決めたのである。

おばさんは気楽でいい。
地位や名声などハナからないし、権力欲もおじさんほど強くはない。
もちろん見栄を張ったりはするが、ご愛敬の範囲内で、それほど臭みはない。
ただし金持ちの有閑マダムは別。わが団地にも数人見かけるが、
虚栄虚飾に充ち満ちていて、自分の〝身の丈〟を測りかねているのか、
亭主自慢と子ども自慢に明け暮れ(←自分は自慢できるものがひとつもない)、
やたらと背伸びをしたがっている。
人間の出来としては下の下の部類だろう。

ボクの敬愛する毎田周一はこう言ってる。
《世の中で一番大切なことはどういうことであるか。
頭を下げること。
一番詰まらぬことは。
高慢。》

《人間最高の徳は?
謙虚。
人間最大の不徳は?
高慢。》

皆さん、身の丈に合った生き方をしてますか?





















 

2014年9月22日月曜日

嬉し悲しき独立記念日

スコットランドは幸か不幸か〝独立ごっこ〟に終わってしまったが、
わが家の長女は昨日みごと「独立」を果たした。
親元を離れて暮らすのは高校時にイタリアはトリノで1年間ホームステイして以来のこと。
数年前に親元を離れていった妹に刺激されたのか、
(このまま親元でぬくぬくと惰眠を貪っていてはいけない)
と危機感を感じたのかどうかは知らないが、突然、「家を出たい」と言い出した。

おじさんはショックだった。次女はすでに横浜暮らしだから、
これで娘2人が親を捨てて出ていってしまうことになる(←大げさだろ!)。
残されたのはジジとババ。これからいったい何を支えに生きていけばいいのか……。

女親は息子が巣立つと号泣し、男親は娘が巣立つと号泣するという。
ボクは兵庫県の野々村〝号泣議員〟を「男の風上にも置けないフニャチン野郎
と蔑んでおったが、いざ娘たちが「ほな、サイナラ」とあっさり出ていってしまうと、
「ウワーン! やっと育てた娘なんですゥ! 世の中を……ウッ……ガエタイ(変えたい)」
などと泣き出したくなる。


アパートのお隣さんはどうやらオトコらしい。
「挨拶に行ったら、男の人が出てきた。別にふつうの人だったよ……」
〝おたく〟みたいな人だったらイヤだな、と長女はちょっぴり心配しておったが、
ごく〝人並み〟の男だったらしく、安心したという。でもおじさんは心配だ。
「洗濯物に男のパンツ(父ちゃん愛用のユニクロパンツがいいな)を混ぜときなさい」
「表札には複数名書いとくといいんだ」
などと貴重な防犯上のアドバイスをしてやったが、娘は鼻でせせら笑ってた。

「子の親離れより親の子離れのほうが深刻だね」
女房は意気消沈しているおじさんに対して非情な言葉を浴びせかけるが、
おじさんは反論する気力すら失せてしまっている。

Mさんから頂戴した大きな栗(渋皮煮が甘くておいしい)をモソモソ食べ、
ようやく元気を取り戻せそうな気分になりかけたが(おいしかった。Mさん、ありがとね)、
やっぱり長女の賑やかな話し声と飛びっきりの笑顔が目の前から消えてしまうと、
「ウワーン! だからァ……グズッ……命がけでェ……ウワーン!」
となってしまいそうで、自分でも自分が怖い。

昨日は次女のボーイフレンドとも会った。一緒にプールで泳ぎもした。
キャッチボールもした。メシも食った。長女の引っ越しを手伝ったあとの
ハードトレーニングだったから、もうヘロヘロだったが、とても充実した一日であった。
でも……おじさんは未練たらしく長女の心配ばかりしている。


長女もいつの日かカレシを見つけ、わが家に連れてくるだろう。
いや、へたをすると生涯その日が来ないかもしれない。
結婚するにしろしないにしろ、彼女が選ぶ人生である。
しかしいずれにしても、娘たちは雄々しく親元を巣立っていく。
ああ、喜び半分、さびしさ半分……おじさんという生き物は悲しい運命の下にある。
「ウェーン! だからァ…この日本はァ…アゥアウゥアゥ…ウェーン!」(←一生やってなさい








←ケニヤで赤ん坊を抱く長女。







※追記
しかし考えてみれば、女房の亡父(浜松)は1男2女を全員東京の大学に行かせ、
3人はそのまま東京と埼玉に所帯を持つことになってしまった。息子や娘たち、
そして孫たちに会えるのは年に数回。
(ずいぶん淋しい思いをしていたんだろうな……)
義父や義母の気持ちがいま、ようやく分かったような気がする。
こっちは巣立ちといっても、電車に乗ればすぐに会える距離にいる。
贅沢を言ってはバチが当たるな。反省、反省……

2014年9月18日木曜日

スコットランドの独立ごっこ

早稲田大学在学中、次女がイギリス北東部のニューカッスル大学に留学したという話は
すでにしたが、大学を選ぶ際、スコットランドのエディンバラ大学という選択肢もあった。
どちらでもOKだったのだ。エディンバラはスコットランドの首都。
旅好きの女房は次女在英中に渡英し、母子でスコットランドをぐるっと巡ってきた。

そのスコットランドが今、分離独立するかどうかで揉めている。
そのあたりの事情は『独立ごっこ』の中でも少しふれたが、
どうやら〝ごっこ遊び〟では収まらない雲行きになってきた。

承知のようにイギリスの正式名称は「グレートブリテン、および北部アイルランド・
連合王国」というが国名が長すぎるので、、一般には連合王国(United Kingdom)と
呼ばれている。

そのUKを民族別に腑分けすると、
●イングランド=ゲルマン系のアングロ・サクソン人
●スコットランド=アイルランドから来たケルト系のスコット人
  
●北アイルランド=ケルト人
●ウェールズ=ケルト系のブリトン人(大陸に追いやられた人たちはフランスの
ブルターニュ地方に住みついた。ブルターニュとは「ブリトン人の地」の意)

ということになる。

つまり現在のイギリスは、5~6世紀、北海からやってきたゲルマン民族のアングル人と
サクソン人が先住のケルト人を追っ払って多数派となった、という国なのである。
イギリス人といっても1500年前はドイツ人だった――まず必要なのはその認識だ。

スコットランドの国土面積はUK全体の約30%、人口は8%に当たりおよそ530万人だ。
GDPは約9%を占めるに過ぎないというから、仮に独立しても深刻な影響はおよぼさない、
とする声もあるようだが、はたしてそうか。

スコットランドの独立運動が盛んになったのは北海に油田が発見された1960年代からだ。
この原油収入のほとんどを中央政府が持っていってしまい、スコットランドへの配分が少ない
というのが、彼らの大いなる不満の一つなのである。もし分離独立に成功すれば、
油田からの税収だけで530万の人口を養える、という理屈なのだが、どれだけもらえるかは
中央政府との交渉次第だから、そう簡単には事は運ばない。
それに産出量が毎年落ちてきている。北海油田だけに頼るのは危険な賭けでもある。

いずれにしろ独立問題がこじれれば、ポンドの大幅下落は避けられず、
イギリスの存在感も相対的に薄れていくだろう。
それにスコットランドにはSLBMを搭載した原潜基地を有している。
防衛戦略も大幅な変更を迫られることは必至だ。

もしスコットランドが分離独立することになると、ウェールズや北アイルランド、
さらにはスペインはカタルーニャ地方にもナショナリズムの大波が押し寄せるかもしれない。

世界には少数民族も含めると、約3000~3200の民族があるとされている。
国の数をおよそ200とし、平均すれば1国が約16の民族を抱えこむことになる。
その民族がそれぞれ〝民族自決〟を掲げ、独立運動に血道を上げるようになったら
どうなるか。安易に住民投票や国民投票が多用されると、国家や社会が不安定化し、
とても危険な事態が招来されるのである。

ドイツには《痛みのある終わりのほうが、終わらない痛みよりよい》とする諺がある。
どんな決着になるか分からないが、もともと北ドイツから渡ってきたイギリス人も、
この諺を噛みしめる日が早晩来るのかもしれない。

次女のニューカッスル大学での同窓3人が、
いまAET(アシスタント・イングリッシュ・ティーチャー)として
日本の学校で働いている。エマやダニエル、スチュワートがそれだ。
みな固唾を飲んで投票のゆくえを見守っている。




←スコットランド独立のために戦った
実在の人物ウィリアム・ウォレスの
生涯を描いた映画『ブレイブ・ハート』。
主演のメル・ギブソンがカッコよかったなァ。
今年はイングランド軍を撃破した「バノックバーンの戦い」
からちょうど700周年に当たるという。
独立派の鼻息が荒いのも当然か





 

2014年9月12日金曜日

「1億総介護社会」をどう生きる

赤ん坊や幼児はほんとうに可愛い。
ベビーカーに乗り、ちっちゃなアンヨをふてくされたように投げ出している赤ちゃん。
保育園の柵付きリヤカーに揺られ、にぎやかに押し合いへし合いしている園児たち。
ボクはこうしたあどけない幼児(おさなご)たちを見ると、つい目元口もとがゆるんでしまう。

そして同時に、わが娘たちが床をハイハイしていた頃のことを思い出す。
泣き叫ぶ娘のオムツを替え、お尻をきれいに拭いてやると、肌はもうサラッサラ。
指でつつくとマシュマロみたいにやわらかい。あの感触はいまもボクの手指に残っている。

その赤ん坊も80年、90年と齢を重ねれば、こんどは大人用オムツのお世話になる。
団地内のゴミ置き場にある生ゴミ用コンテナ内は、用を足した大人用オムツでいっぱいだ。
年々、その数が増えているような気もする。要介護の老人が殊の外多いのだろう。

1億総介護社会」を迎え、大人用オムツの市場規模は年々膨らんでいるという。
'12年に子供用オムツの市場を追い抜き、現在、その市場規模は1600億円にのぼる。
ボクもそのうち、「アテント」や「ライフリー」といった老人用オムツの世話になるのかと思うと、
正直、気分が落ち込んでしまうが、そうなる前にポックリ逝かなくっちゃ、
と切実に思う(←ポックリ願望がある人ほどポックリに縁遠いそうだ)。

よくポックリと同様に「ピンピンコロリ(PPK)」という言葉が使われる。
死ぬまでピンピンして、長患いせずにコロリと逝く生き方を理想としているわけだが、
現実は病院のベッドで長期の寝たきりになって死ぬ「ネンネンコロリ(NNK)」が
大半を占めるという。老人用オムツが売れるわけだ。

改めていうまでもないが、赤ん坊はかわいいし、肌もきれいで、心もまっさら。
ウンチは臭いけど、あのあどけない笑顔を想えば、オムツ替えも苦にならない。
しかし老人は違う。見た目もしわくちゃだし、憎まれ口はたたくし、少しも可愛くない。
排泄物は大量で、おまけにその臭いときたら……(笑)。

さて人間の子は十月十日で生まれてくる。なかには生まれてすぐに7歩あゆみ、
右手で天を左手で地を指し、「天上天下(てんげ)唯我独尊」(この世で自分が一番尊い、と
〝自己チュー〟的な解釈がまかり通っているようだが、それは違う。「自分という存在は他に代わりのない
かけがえのない人間として生まれており、その命のままが尊い」の意である)と唱えた偉い人もいる。

またボクの敬愛する「老子」は母親の胎内がよほど居心地がよかったのか、
生まれ出るのに80年もかかっている。生まれた時は白い髯が生えていたというから、
さぞ母親はビックリしたことだろう。

ブラッド・ピット主演の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』という映画は、
第81回アカデミー賞の作品賞、美術賞、視覚効果賞などを受賞した名品だという。
ボクはあいにく観ていないが、この主人公も老子みたいに80歳の状態で生まれ、
年を経るごとに若返って、最後は赤ん坊として死んだという。

大人用オムツをつけて死ぬか、子供用オムツをつけて死ぬか……that is the question?
まるでハムレットみたいな心境だが、どっちにしてもあまりカッコよくない。

どうせ死ぬならカッコよく死にたい。
戦場で敵弾に当たって散華する、なんていうのが理想なのだが、
北九州市の特定危険指定暴力団「工藤組」の近所に住んでいないかぎり、
そんな僥倖にめぐり合うことはまずない。「常在戦場」がモットーではあっても、
オムツを着けたままの散華だけは願い下げだ。

人の一生は「オムツからオムツまでの間」だという。
どんなに栄耀栄華を極めても、その成れの果てが〝オムツ〟では、言葉がない。
まあ、それが人生といえばそれまでだが、それだけになおのこと、
セリーヌの墓に刻まれたという「否(ノン)」の一語が身に沁みる
実際は海の絵とヨットの絵が刻まれている、というのですがねw)。



←実家の孫(長兄の孫です)。
赤ん坊ってティッシュをぐちゃぐちゃにする
のが好きなんだよね。
健やかに育ってねHちゃん。







 

2014年9月10日水曜日

ユニクロ大好きおじさん

全米テニス準決勝、「錦織圭vsノバク・ジョコビッチ」は壮絶な戦いだった。
別名〝ユニクロ対決〟とも呼ばれたように、この2人がユニクロのブランドイメージを一気に
押し上げてくれたのは確かだろう。ユニクロ愛好者としてはまことに慶賀に堪えない。

ボクはユニクロがまだ海の物とも山の物ともつかない時代からの愛好者だった。
こう言うといかにも先見の明があったかのように聞こえようが、
何のことはない。要はカネがなくてユニクロしか買えなかった、というだけの話だ。

昔は「なんだユニクロか」と言われた。そこにはいくぶん蔑みの響きがあった。
「あっ、貧乏人の行く店ね……」
言葉にせずとも、そんな含みが感じられた。

ボクは靴以外は靴下、パンツ(下着です)、ズボン(今でいうパンツです)、
上着(Tシャツやフリースジャケットなど)、帽子とすべてがユニクロ。
昔はジーパンなどはリーバイスかエドウィンと決めていたのだが、
今はほとんどユニクロ製だ。伸縮性がいいから、とてもはきやすいのである。
ボクみたいなスレンダーな身体(←「虚偽報告!」の声も。だんだん朝日に似てきたか)には、
ユニクロのスキニーフィットジーンズがよく似合うのだ(勝手に言ってなさい!)。

ボクがもっとも軽蔑し、憐れみさえ覚えるのは、いわゆる「ブランド人間」だ。
バッグはエルメスやシャネルにヴィトンで、靴はフェラガモと超高級ブランド品を
身にまとい、これ見よがしに見せびらかす。韓国や韓国人を形容する言葉に
外華内貧」という流行り言葉があるが、まさにそれで、外見を飾れば飾るほど
内面の貧寒さ、心の空虚さが映し出されてくる。

ボクはユニクロの〝ブランド人間〟だが、全身をユニクロで固め、
「どうだ、すごいだろ」と自慢する気にはならない(←だれも畏れ入らないよ)。
そのうちユニクロブランドがシャネルやエルメスと拮抗するようになる
かもしれないが、どうせそこまでは生きられまい。

虚栄物欲を捨て去るのはほんとうにむつかしい。
人間は例外なく煩悩のくびきからは逃れられないようにできていて、
禅語で言うところの「本来無一物」という境地にはなかなか到達できない。

しかし質素を本(もと)とし、一瞬であっても虚栄虚飾を排することができれば、
すがすがしい風が心の中に吹きわたっていくのではないか。

ここでボクの敬愛する〝えんぴつ無頼〟竹中労の小文を引用させてもらう。
まるでボクの現在の心境を歌ったものではないか、と思えるからだ。

《フリーのもの書きになってから、
およそ四半世紀の日々を、
追い立てられるように私は生きてきた。
過去に一刻の安息もなく、
未来に向かって一文の貯えもなく、
六十の坂(原文は五十の坂)を越えてしまったのである。
嘆いているのではない。
〝三文文士〟の人生はかくあるものかと、
いっそ私は爽快なのだ……》

これって、貧乏人のひがみなんでしょうかね。
それとも開き直りか(笑)。

でもね、名利や財貨なんてものは所詮塵芥(ちりあくた)に過ぎず、
死んでしまえばすべてがパーです。
近頃は歳のせいか、そんなことばかり考えてしまうのです。
ニヒっているのでしょうかねェ(笑)。

マタイ伝福音書第6章にはこうあります。
汝ら己がために宝は天に積め』と。



←世紀のユニクロ対決。
 

2014年9月5日金曜日

「朝日」憎けりゃビールまで……

世の中には2種類の人間がいます。
「朝日新聞が好きな人」と「そうでない人」の2種類です。
ボクは後者で、ボクの友だちの多くも後者に属しています。

かつてボクは、朝日新聞が過去に犯した誤報や虚報を詳しく調べたことがあります。
ずいぶんありました。「従軍慰安婦問題」は虚偽報道の代表的なものですが、
もっと大きいのは「南京大虐殺」の捏造記事です。どちらも支那と韓国を利する
ための外交カードに使われ、日本の名誉が著しく傷つけられています。

朝日新聞は日本や日本人が誇らしく思うような記事はあまり書きません。
支那や韓国が喜びそうな記事ばかり書きます。彼の国が喜ぶのは
日本を貶め、日本人の尊厳を傷つけるようなニュースです。
朝日の報道姿勢は一貫して〝反日〟で、まるで支那や韓国の新聞社のようです。
そして今回の「従軍慰安婦」報道の訂正と取り消し(決して謝罪とはいえない)……。
言い訳ばかりに終始していました。

ハッキリ言いましょう。
朝日新聞社は爪先から頭のてっぺんまで腐り切っています。
あのような国賊的新聞は、メディアの責任として「廃刊にすべきだ!」
とする怒りの声が、いま日本国中に澎湃として巻き起こっています。

近頃は、「朝日」嫌いが昂じてか、「アサヒ」と名のつくものはみな癪のタネで、
アサヒビールさえ忌み嫌うようになってしまいました(←関係ねえだろ!)。

内閣改造で法務大臣の席を射止めた松島みどりは、元朝日新聞政治部の記者。
道理で赤いスーツがお好きなわけだ(永田町でのニックネームが「レッド松島」)、
とひとり合点したものですが、朝日を蛇蝎のごとく嫌う安倍首相が、
よくまあ朝日出身者を大臣にしたものだ、と半ば感心し、半ば心配もしていたのですが、
「従軍慰安婦問題」では公然と古巣の朝日を批判しているようですから、
おそらくは〝改心・転向〟して、ようやくまっとうな頭になったのでしょう(それでも親中・親韓派)。

おバカな韓国人は朝日新聞こそ日本の〝良心〟を代表するクオリティペーパーだと、
思っています。実際、日本の左翼文化人やインテリが好んで読む、というのは事実で、
そのことだけでもリベラルな文化人やインテリの〝浅学菲才ぶり〟や〝うさん臭さ〟が
透けて見えるというものですが、その「良心」が「K・Yサンゴ事件」や「吉田調書事件
でも得意の〝マッチポンプ〟ぶりを発揮し、日本人の尊厳を著しく傷つけています。

朝日新聞はなぜそこまでして日本および日本人を貶(おとし)めたいのでしょうか。
とりわけ「従軍慰安婦問題」では、その〝捏造報道〟のおかげで、日本の国益が
どれほど損なわれ、日本人への信頼と尊敬がどれだけ失われたか、
想像するだに恐ろしくなります。

なにしろ旧日本軍や日本政府が韓国・済州島において、12歳から25歳までの若い女性を
片っ端から連行し、「性奴隷」として兵隊たちの慰みものにした、という虚偽報道を
世界中にばらまいたのですから、その罪は万死に値します。そしてこの捏造記事を
32年間(ああ、32年間も!)も放置し、その間、訂正も謝罪もおこなわなかったのです。
そして今回の〝釈明記事〟ですが、よーく読んでみると、手のこんだ言い訳ばかりで、
謝罪の一言もありません。往生際が悪いというのはこのことです。

以前も書きましたが、戦後70年間のほとんど、日本は自民党政権によって運営されて
きました。つまり政治でも経済でも、朝日の主張と〝正反対〟のことをやってきた。
おかげで国は安泰、経済も活況をきわめ、世界有数の経済大国にのし上がることが
できたのです。

朝日の言うことと逆のことをやっていれば、
日本の平和と安全は保てる――この事実は
とてつもなく重いものです。

日本の悪口ばかり書き、日本人の誇りを傷つけることに生き甲斐を感じている朝日新聞
とその記者たち。経営の中枢に〝支那と韓国の影〟といったものを感じてしまうのは
ボクだけでしょうか。

それでも朝日を読み続ける、という熱烈朝日ファンはいるでしょう。
また「昔から読み慣れているから」と、軽い気持ちで購読を続ける人もいるでしょう。
別に咎めやしません。どうぞご勝手に。

でも、ひと言だけいわせてください。
この〝マッチポンプ・ペーパー〟とでも呼ぶべき朝日新聞の虚偽報道のおかげで、
いわれなき非難にさらされ泣いている海外在留邦人がいっぱいいるのです。
彼らの子どもたちが学校で「残虐非道な日本人!」などといじめられているのです。
日本人になんか生まれてこなければよかった、と悔やんでいる子がいるのです。

「言論の自由」「思想信条(良心)の自由」「報道の自由」はたしかにありましょう。
しかし嘘八百を並べ、好き勝手に記事を書き、日本および日本人を貶める自由が
はたしてあるのでしょうか。そんなことが許されていいものでしょうか。

ボクは今、とても腹を立てています。
(朝日と日教組は必ずぶっ潰してやる)
などと年甲斐もなく力み返っています。
蟷螂の斧であることは重々承知しておりますが、
微力ながらもひと太刀浴びせてやりたいのです。

日本の〝敵〟「朝日新聞」は即刻廃刊にすべきです。
社長以下、経営陣は総退陣すべきです。
それがまっとうな「良心」というものでしょう。



←ボクのお気に入りのプラカードです
もちろん「バカ=左翼文化人+インテリ」で、
「ヤクザ=新聞拡販員」のことです。
とにかくしつこいんだ、こいつらは……












 

2014年9月1日月曜日

小椋佳と「うなぎパイ」

毎月、老母の介護のため浜松の実家に戻る女房が、
時々手みやげに買ってくるのが春華堂の「うなぎパイ」(←ボクはもう食べ飽きた)だ。
浜松みやげといえば「うなぎパイ」で決まり、というくらい有名で、
全国の名物土産物ランキングでも「白い恋人」(北海道)「長崎カステラ」(長崎)に次ぎ
堂々第3位の栄誉に輝いている。

この〝夜のお菓子〟と謳った「うなぎパイ」には『うなぎのじゅもん』という名の
PRソングがある。作詞・作曲は小椋佳で、小椋が第一勧銀(現みずほ銀行)の
浜松支店長をやっていた時の作品だという。春華堂が担当取引先だったもので、
おそらく義理でつくらされたものだろう。

小椋佳を知ったのは高校生の時だった。深夜のラジオから流れる甘い歌声を聴き、
いっぺんで好きになってしまった。『シクラメンのかほり』は今でもボクの十八番だし、
気分が落ち込んだりした時はギターをつま弾きながら『少しは私に愛を下さい』を歌って
自分を慰めたりする(←愛に飢えているんです)。

小椋佳は今でこそテレビなどに露出しているが、銀行員との掛け持ちをやっていた時は、
いっさいテレビに出なかった(←会社との約束だったから)。ボクはラジオを聴きながら、
声のイメージから福山雅治みたいな美男子を想像していたのだが、
実際は想像とはまるで違っていた(笑)。

《ひと目見て、さて何と言って断ろうかと思った……》
これはレコード会社のプロデューサーT氏の言葉で、やはり美少年を想像しながら、
まだ見ぬ有望株を約束の喫茶店で待っていたのだが、現れ出たのが
とても歌手という風貌ではない》男だったもので、ひどくガッカリした、
と後に語っている。T氏はまた、《当時はアイドルにしろ歌手にしろ、
必ずテレビで売るから、容貌が悪いのは問題外だった》と正直に語っている。
小椋もボロクソに言われたものである。

小椋は東大法学部卒の学業優秀な男で、ウソ偽りなく第一勧銀の頭取候補だった
浜松支店長をやっていたのは'91年からほんの2年ほどで、その後、
本店の財務サービス部長となり、'93年、歌手に専念するため退職している。

わが家には小椋佳直筆の色紙がある。女房の唯一のお宝である。
そこには《ねむの木の揺さぶり止まず逢いたき時》という歌が添えてある。
義父が末娘(ボクの女房です)のために書いてもらったものだ。

義父は当時、第一勧銀浜松支店長だった小椋とビジネス上のつき合いがあった。
義父の会社は同支店の重要取引先のひとつだったのである。

小椋はすでに2000曲を超える楽曲をつくっている。
銀行員をやっていた時、すでに〝副業〟で年間24億円も稼いでいたというから、
才能というものは恐ろしいものである。天は二物を与えず、というが、その格言は
凡夫匹夫の嘆きを鎮めるためのもの、ということがよく分かる。
天より選ばれし者は二物も三物も与えられているのである。

しかし小椋の人生は決して順風満帆ではなかった。
次男が14歳の時、突然、若年性脳梗塞で倒れ、全身不随の重体に陥ってしまう。
医者も「回復不可能」と非情な宣告。そんな中、いつものように次男を病院に見舞い、
ベッドの傍らで、ふと自作の歌を口ずさんでいたら、口もきけなかった次男が、
父親の声に合わせてかすかに歌い出した。
「空耳か?」
息子が歌をうたっていると分かった時、小椋は感極まって涙が止まらなかったという。

その奇跡的な出来事を契機に、次男はめきめき快復し、
今は日本に3人しかいないという「さつま琵琶製作師」(神田宏司)として活躍している。

胃がんの手術で、胃の4分の3を切除してしまったという小椋佳(70)。
すっかり痩せさらばえてしまったが、あの甘やかな美声は昔のままだ。
小椋は自分でこさえる歌詞についてこう語っている。
個人的なことを書けば書くほど、その詞は普遍性をもつ
この言葉から、ボクはこんなふうに考える。
domesticであればあるほどinternationalなものに近づいていくと。
名言というより普遍性をもった至言だな。




←このご面相だもんね。
《とても歌手という風貌ではない》
と言われちゃうのもわかりますよ。
そういえばマラソン解説者の増田明美
もウグイス嬢みたいに美声だったよね。
(『増田明美大っきらい』参照)

2014年8月27日水曜日

まず獣身を成すべし

渋谷道玄坂にある防犯用グッズの店には鋭利なナイフがいっぱい置いてある。
なかには軍事用ナイフなどもあって、いったいどこが防犯用なのかと首を
かしげてしまうが、店主に訊けば「みんな護身用に買っていくんです」とあっけらかんとした
答え。当節は護身用にナイフをポケットに忍ばせるのが流行っているのだという。

数年前、市内の図書館で大声を上げてふざけている高校生がいたので、
静かにするようにと注意したら、やっこさん、射るような視線をボクに向け、
腰を低くして右のポケットに手を突っ込んだ。ボクはとっさに、
(このバカ、抜く気だな……)
と思い、視線を外さなかったが、館員が駆けつけてくれて事無きを得た。
たぶん〝護身用〟のナイフで脅すつもりだったのだろう。

近頃の若者は、大人にちょっと注意されただけで「ムカつき」、そして「キレる」。
野蛮人のボクなんかは、この手合いに対しては「殴ったり蹴ったり」して世の中のルールを
教え込むのが一番、と思っていて、それ以上の教育法がまるで思い浮かばないのだが、
「こども性善説」に立つ〝良心的〟な大人たちは、キレるのは子ども自身にではなく、
子どもの外に原因があると信じていて、
「キレるのは子どもの魂の叫び。大人は真摯に向き合わなくてはいけません」
などともっともらしいことを言って騒ぎ立てる。

ただ単純に人格が未熟なだけだろ……)
そもそも「こども性悪説」に立っているボクは、決して猫なで声など出さず、
断固たる態度でルールを守らせること、譲ってはならないところは絶対譲らないこと、
と自分に強く言い聞かせている。

子どもの自我の形成に決定的な役割を果たすのは「父親の存在」だ。
自我(identity)というのは、簡単にいうとその人の「価値体系」のことだ。
正邪美醜を場面場面で瞬時に判断していく。「正しいこと」「大切なもの」「美しい行為」
といったことどもを中心に自分なりの価値体系をつくり、それを基準に物事を判断し、
生きていく。その価値体系が未成熟だと、正しい行動指針が生まれない。

いま、母性の肥大化と裏腹に父性の矮小化が進行している
父性が矮小化するとどうなるか。たとえば、教室では静かに先生の話を聞き、
公共の場では周りに気を遣い、勝手気ままにふるまわない。目上のものには
進んで挨拶をする――矮小化した父性でもって育てられた子は、
こうした当たり前のことができない。

先日、ボクにいちゃもんをつけ、哀れ鉄拳制裁を食らってしまった若者も、
たぶん自我の形成が遅れ、正しいこととと間違ったことの区別がつかない未熟な
人格なのだと思う。年かっこうから想像すると、父親はおそらく団塊の世代で、
「親と子は対等」などという美しい理念の下で子育てをしたのだろう。

福澤諭吉は《先ず獣身を成して後に人心を養え》と教えている。
子どもを育てるに際しては、まずケモノのごとく頑丈な肉体をつくり、
その後に知育・徳育をほどこす。部屋にこもってテレビゲームばかりやってきた世代は、
獣身もなければ清く正しい人心もない。「うっせえーんだよ、このクソじじい!」と下卑た言葉を
投げかけるばかりで、若者らしいすがすがしい気概などかけらもない。

「現代の遺物」を自任するボクは、「怯懦(きょうだ)は恥」と、心のどこかで思っている。
男は、負けるとわかっていても戦うべき時には戦う――たしかバイロン卿の言葉だった
と思うけど、この単純で原始的なプリンシプルがいまのボクを支えている。



小賢しい勘定など抜きに修羅場に飛び出していく本能的な瞬発力。
そのやみくもな瞬発力を養うため、いまだ老いた獣身にムチ打っている。
昔から言うではないか。
男は度胸、女は愛嬌、坊主は読経と。
 

2014年8月22日金曜日

あたしゃ悪くないもんね

昨日、朝霞警察署のご厄介になった。
朝まだきに、団地内で騒ぐ酔っ払いの若者2人を注意したら、逆にからまれ、
数発パンチ(署での供述書には〝強く叩いた〟と表現しました)を食らわせてしまったのだ。
すぐにパトカーが呼ばれ、署員6人ほどが駆けつけたが、その間、この男女の酔っ払いは
乱暴狼藉のし放題で、若いオンナのほうも「ジジイ、てめえが悪いんだろ!」などと、
口汚くののしっておった。

「もう少しきれいな日本語を使おうね」
やさしく諭してやると、ますます怒り狂い、「うっせえんだよ、このくそジジイ!」
手がつけられない。おまわりさんも呆れていたが、一応、相手のアンちゃんが
「アゴと腹に1発ずつ食らった」
と証言しているものだから、「旦那さん、申し訳ないですが署までご同行ねがえませんか」
とあくまで辞を低くして頼んでくる。しかたがないからパトカーに揺られ、
朝のドライブと洒落てみた。

ボクはたしかにジジイだが、とっても血の気の多いジジイで、
昔からケンカっ早いので有名だった。で、ケンカが強いのかというとそうでもない。
チンピラヤクザに死ぬほどボコボコにされたことがあるし、電車内で狂犬のような若者と
血を流しながら殴り合ったこともある。車内は阿鼻叫喚の大騒ぎだった。

TVコマーシャルの中で、ある年老いたプロレスラーが言ってたな。
「男はイザとなったら、両腕に女房子どもを抱えて走れるくらいの体力がなければ
ダメだ。年を取っても同じ。男とは元来そういうものなんだ」
ボクもまったく同感。イザとなったら、自分が楯になって家族を守る。
男は死ぬまで番犬で、凶暴な番犬の機能が衰えたら男を廃業するしかない。
だから、日頃から身体を鍛え、筋肉マッチョを維持している。

今どきの若者なんて、口ばっかり達者で体力はなし。殴り合いのケンカなんか
生まれてこの方したことがないから、1発アゴに食らったりするとすぐにビビってしまう。
次いで強烈なボディブローを浴びせてやれば、もう勝負は決まりだ(これ、あくまで創作ですから
誤解なきように。ボクはあくまで強く叩いただけ。もちろん自分の身を守るための正当防衛であります)。

その昔、毎日新聞コラム「余録」の名コラムニストが、バカ騒ぎしている若者たちを
注意したら、逆に返り討ちにあって死んじゃった、という事件があった。
ボクも警察署で言われた。
「へたに注意したりするともみ合いになってケガをすることがありますから、
まずまっさきに110番してください」
つまらぬ義侠心がアダになり、『無名の100円ライター 返り討ちにあってくたばる
なんて見出しが新聞の三面記事に出たりして(笑)。

でもね、ボクはそれでもいい。誰が何と言おうと〝ワル〟に対しては
ドンキホーテのように遮二無二立ち向かっていきたい。
あとで死ぬほど後悔するような臆病者にはなりたくない。
「義を見てせざるは勇なきなり」
と孔子様も言っておるではないか。
タマはもう出ないけど(最後に白い煙が出た)、「タマ無し」と呼ばれたくはないからな。

以前も言ったが、
「平和とは戦いのない状態をいう」
戦いを避けるには戦いに備えるしかない。
今回の騒ぎの一因は相手に〝タマ無しジジイ〟と見くびられてしまったためか(笑)。
あのアンちゃんもガールフレンドの前で〝ええかっこしぃ〟をしたかったのだろう。
(ふふん、こんなジジイ1匹、震え上がらせるなんぞワケないわ)
ってね。

ところが、案に相違して手強かった?
ま、あくまで正当防衛ではあるが、相手を傷つけてしまったのはまずかったな。
深く反省しておりますでございます。
まだまだ修行が足らんのよね。









あのガキ、今度会ったらタダじゃおかないからな(こりゃあかん、ぜんぜん反省しとらん)。









 

2014年8月19日火曜日

信州ぶらり家族旅

家族で信州をぐるりと旅してきた。
プランはすべて女房と娘たちが立て、おじさんはただ車を運転するだけ。
娘二人も免許証を持ってはいるが、ハンドルを握ると頭の中が真っ白に
なってしまうらしいので(筋金入りのペーパードライバーなのです)、運転はご遠慮ねがった。

運転手のつらいところは、旅館に落ち着くまでお酒が飲めないことだ。
(ああ、生ビールが飲みたい…)
と思っていても、グッとがまんしなくてはいけない。
そんな時、つい恨めしげに娘二人をにらんでしまう。
(この親不孝者めが!)

〝晴れ女〟を自任する女房と長女が同行しているにもかかわらず、
信州はあいにくの雨。それでも車から降りるたびに雨がやむのだから、
〝晴れ女〟の面目躍如たるところか。結婚して30年、この「霊力」のおかげで、
どれだけ助かったことか。

初日の昼飯は、軽井沢にあるイタリアンの「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ
この長ったらしい店名だけはいただけない。たぶん客に意地悪しているにちがいない)でとった。
シェフは小林幸司という〝ふつうじゃない〟男で、拙著の中にも出てくる天才的料理人である。
彼の料理本を何冊もまとめたフードジャーナリストの女房は、
「小林さんの料理は決してふつうにならないの。味が複雑なのよ」
と絶賛する。ボクも同感だ。彼は好んで複雑をめざしているわけではない。
単純をめざしつつも、ついには複雑の相を帯びてしまう。資質なのだろう。

この「フォリオリーナ何とか」からほど近いところに、星野リゾートの開発した
星野ハルニレテラス」がある。9棟の建物に14の個性的なショップが
ウッドデッキでつながっていて、中央には湯川の清流が流れている。
ちょっとした小粋な〝街〟というべきだろうか。

このショップの中に名にし負う「丸山珈琲」が入っていたので、
冷やかし半分に深煎りブレンド2種を買ってみた。
あとで飲んでみたが、ボクと女房の評価は「コンビニ〝街カフェ〟とどっこいどっこいかな」という辛口のもの)
このコーヒーチェーン店のオーナーは商売人としては傑出しているようだが、
コーヒーの味づくりに関しては悲しいかな二流だ。飲むたびにその思いを強くする。

さて雨空の中、軽井沢に始まって中条、上田、須坂小布施、長野と
いろんなところを回った。宿にした「やきもち家」では、信州名物の「おやき」
をいただいた。以前、信州を回ったときも腹いっぱいおやきを食べたが、
今回はほどほどにし、代わりに自家製を味わってみることにした。

さっそく昨日作ったのが野沢菜入りのおやき。で、今日は茄子をみそと砂糖で炒めた
〝茄子あん〟のおやきを作った。あんをくるむ皮は強力粉と薄力粉を同割にし、
そこに少しばかりベーキングパウダーを混ぜる。
できあがったおやき2種12個ずつは、それぞれタッパーに入れ、冷凍庫へ。
こうしておけば食べたいときにレンジでチンし、トースターでカリッとさせればいい。
ちょっと小腹の空いたときなどに、これがあれば何かと助かる。

家族旅行は楽しい。車の中は笑いが絶えず、
ふだんは横浜にいる次女も思いっきり羽を伸ばしたようだ。
娘たちがまだ小さかったころは、こうやっていつも4人で旅行した。
全員そろっての家族旅行は今回が最後だろうか…
ハンドルを握りながらも、ついそんなことを思ってしまった。



←信州名物「おやき」。
宿泊先の旅館で焼いてくれた。
辛味の効いた「野沢菜あん」の
入ったのがうまかったな
旅館やきもち家にて







 

2014年8月14日木曜日

神楽坂で日本情緒を味わう

あのマイクが帰ってきた。
アメリカ西海岸で優雅な生活をしているマイクはAll Hands Volunteersの一員でもある。
東日本大震災の際にはいち早く駆けつけてくれて、岩手・大船渡を中心に、同じく
All Handsの会員である長女といっしょに瓦礫の撤去や遺品の整理などに汗を流してくれた。

そのマイクが1年ぶりに来日した。しばらく大船渡でボランティア活動に従事していたが、
東京に戻ってからはもっぱら観光三昧。嶋中家と食事をご一緒したいというもので、
神楽坂に一席設け、歓待した。いや、実際は歓待されてしまった。勘定をぜんぶ持つと
いうのだ。ふふ……参ったな(笑)。仕方がないからご好意に甘えることにしたが、
2軒目の分はこっちが持った。

わが家の参加者はボクら夫婦と長女の3人。
相変わらず飯場人足みたいなカッコウをしたマイク。禿げ上がった頭にはいつもの
くたびれた帽子、首にはタオルを巻いていた。こっちもTシャツに短パンという貧乏人
スタイルだから、ひとのことをとやかく言えないが、飛行機はファーストクラス、
宿泊先は超一流ホテル、都内の移動はすべてタクシーというリッチな男にしては、
見た目がいかにもバランスを欠いている。

マイクは英語、それも巻き舌の〝モゴモゴ米語〟しかしゃべれないから往生する。
それも早口でまくしたてるから、さっぱり聴き取れない。
Mike, speak more slowly, please.
鍛え抜かれた?Queen's Englishで応戦すると、しばらくはゆっくりしゃべってくれるが、
そのうち忘れてしまって元の木阿弥に。もっぱら長女に通訳をたのんだ。

1軒目は創作料理の店だったが、2軒目は勝手知ったる居酒屋の「伊勢籐(いせとう)」。
〝国宝級〟などと言われるくらい昭和情緒のあふれる店で、創業は昭和12年。
今は3代目だが、先代店主には幾度も取材させてもらったことがある。

縄のれんをくぐると、左手にL字状のカウンターがあり、囲炉裏端には頭を丸め、
作務衣姿の店主が正座姿でお燗番をしている。この店には「白鷹」の燗酒しかなく、
どうしてもという客にかぎって冷や酒も出してくれる。ビールや焼酎はもちろんなし。
黙って座れば、いやも応もなく一汁四菜の料理がポンと出てくる
見れば鴨居には「静希」と書いた額が。声高にしゃべる客があると、
「お静かに願います」と店主にピシャリとたしなめられる。
酒は静かに飲むべかりけり――この店の創業来の掟である。

マイクもこんなお店は初めてなので、入るなり店のぐるりを見回して興味津々。
小上がり席の客たちが揃ってヒソヒソ声でしゃべっている光景を不思議そうに
眺めていた。谷崎の『陰翳礼讃』を地でいっているようなたたずまいは、
外国人の眼には殊のほか珍奇に映るようで、しきりに小声でvery nice! を連発していた。

たっぷり昭和初期の雰囲気を楽しんだボクたち4人は、
心もお腹も満たされ、至福のひとときを夜の神楽坂で過ごした。
マイクも十二分に満足してくれたようで、ご相伴にあずかったボクたちも
何やらホッとした気分だった。

神楽坂下までゆっくり散策したボクたちは、マイクとハグを交わし別れた。
マイクは宿泊先のホテルまでタクシーでご帰還、ボクらボンビー一家は
地下鉄で帰路についた。
「伊勢籐は気に入ってもらえたようだね」
長女がニコリと微笑むと、みな無言でうなずく。

飲むんだったら神楽坂で。
これがここ数年来のボクの心得である。
スペイン風のバルやタベルナ、トラットリアや無国籍料理の店。
ありとあらゆる酒場や料理屋が軒を並べている。
そしてときたま、芸者衆のそぞろ歩きに出くわしたりする。
こんな艶っぽい街で、艶っぽい女の子とデートをしてみたいですな。
なに? 女房が聴いてる? くわばら、くわばら。





←昔から変わらぬ「伊勢籐」のたたずまい。
自在鉤の下には炉が切ってある。







(写真提供:東京カレンダー)