2014年11月28日金曜日

バカは死ななきゃ

こどもの頃は友達が1人もいなかった、とは何度も書いた。
あんまり書くものだから、傍目には「どうだ、すごいだろ!」と映るらしい。
こうなると卑下ではなく、ほとんど自慢である。

孤立無援の理由はいくつかあった。その1つは極度の恥ずかしがり屋で、
人の目を見て話をすることができなかったことだ。
対人恐怖、赤面恐怖……いまや白面の美少年もすっかり色黒になり、
はにかんで赤くなっているのかどうかも、にわかに判別し難くなっている。
信じられないと抗議する者があるかもしれないが、実のところ人に対すると、
いまでもわずかにポッと赤らんでいるのだ(←美人だとポッポッポと真っ赤になる)。

ボクのこども時代は、いかにこの対人恐怖症を乗り越えるかに費やされた。
他人なんぞ恐れていたら、生き馬の目を抜くジャーナリズムの世界では到底生き残れない。
といっても、それはずっと後になってからの話で、自分が将来ジャーナリストになるなんて
思いも及ばなかった。

ボクは自分の中にある女々しい心を鍛え直そうと、言動は常に男らしさを心がけた。
男っぽさは土方歳三や坂本龍馬の生き方などから学んだ。
近藤勇や土方など新撰組の中核を担った隊士たちは、多摩の百姓や町人の出身で、
真正の武士ではない。士族でない負い目からか「局中法度」と呼ばれる厳しい隊規を設け、
武士以上に武士たらんとした。士道に背くと切腹、局を脱すると切腹、勝手に金策に
走ったりすると即切腹というように。覚悟というものは、もう後戻りできないというところに
自分を追い込んで初めて固まっていく。

人間は弱い存在である。弱いから強くなりたいとムリに強がったりする。
ボクも人一倍背伸びをし強がって生きてきたクチだが、これがふしぎなもので、
強いフリをしているうちに強い人間であると自他ともに錯覚してしまうことがある。
ボクは思うのだ。この錯覚の積み重ねによって少しずつホンモノの強さに
近づけるのではなかろうかと。

現に、ホンモノかどうかはわからないが、かつて自分を悩ませていた対人恐怖的な
厭人症はすっかり影をひそめ、むしろ自分から積極的に声をかけるような人間に
変わってしまっている。当然だろう、ありとあらゆる業界の人から話を聞き出す稼業なのだ。
相手の視線を避け、うつむいてモジモジやってたら取材なんかできっこない。

思うに、思いっきり強がり、やせ我慢をくり返していくうちに、
「心の強さ」みたいなものが自然と養われていったようなのだ。

こどもの頃や青春期には悩みがつきものだ。悩むことが彼らの仕事みたいなもので、
生きることの意味を知ろうと人知れず煩悶しない若者など無価値なものと
踏み倒していい。死ぬほど悩めば、そのうち何かをつかみとる。

もっとハッキリ言ってしまおう。青春期の悩みなど、不惑を過ぎる頃になれば、
ほとんど消し飛んでいってしまう。その齢なりの別様の悩みは常につきまとうのだけれど、
ボクの悩んだ対人恐怖的な悩みはみごとに消え去ってしまった。なぜこんなつまらない
ことに頭を悩ませていたのか、よくまあ青春期の貴重な時間をムダに費やしたものだと、
いまにして思えば実にバカバカしく思うのだが、当時のボクにとってはそれこそ
生きるか死ぬかの問題だった。

ボクは正直な人間だが、バカがつく正直者で、思ったことをズバズバ言ってしまうところがある。
時にその言葉が相手を傷つけてしまうこともある。女性同士の会話などを聞いていると、
互いの親和を高めるようなことばかり話していて、何やら尻がこそばゆくなってくる。
(ホンネじゃないな……)と、すぐ分かるのだ。相手を傷つけないよう、相手の表情を見ながら
細心の注意を払って話しているからで、つまりは自分が傷つけられたくないという
自己防衛本能に根差している。これでは人間性がどんどん衰弱していってしまう。

友達はいなくては淋しいものだが、決して数多くいる必要はない。
親友なんて気の利いたものは要らない。酒の相手をしてくれるかりそめの友がいればいい。

FBで「いいね!」「いいね!」と拍手を送ってくれる友人が数百人いるという。
メル友も同じく数百人。ボクから言わせれば「それがどうした!」の一言で、
なんだか気持ちわるい。自分が窮地に陥り八方塞がりになったとき、
いったいそのうちの何人がそばに駆けつけてくれるんでしょうね。
a friend in need is a friend indeed――
たしかこんな西洋の諺を教わったことがあったっけ。

ひとはみな孤独である。夫婦といえども例外ではなく、とりわけ老いを迎えれば、
すべからく孤独寂寥に耐えなければならない。そのことにしっかり耐えることが、
人生の総仕上げになるのだと思う。が、言うは易しで、なかなか思うようにはゆかない。

あと何年生きるか分からないが、還暦まではあっという間だった。
若い頃は1日が長く、時間が飴のように途方もなく先まで延びていた。
いまは逆に1日が短く、こどもたちの笑い声やけなげに咲く道端の名もなき花が
無性に愛おしく思えるようになった。エネルギーがまだ身体中に満ちあふれていた頃、
そんな心持ちになることはまずなかった。
(ずいぶん焼きがまわったもんだな……)
苦く笑うほかない。

おれのこれまでの人生は何だったのだろう。
おれは何をするために生まれてきたのだろう。
「不惑」をとうに過ぎ、「耳順」もまた過ぎようとしているのに、
生っちょろい書生のような問いかけが、心の中にこだましてやまない。






←この姿勢正しいけなげな少年を見るだけで
目頭が熱くなってしまう。ホンに齢だねェ……





2 件のコメント:

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

こんばんは!

労さま、分かるような気がします。田舎者は上がり症でした。
大勢の前で話をすることが出来ませんでした。ホテルマン時代も
大きな婚礼・テーブルマナーの進行、講師など、今、考えてみると
恥ずかしいかぎりです。

それが回数を重ねるうちに何時の間にか人前で話せるようになり、
今では、その経験から直売組合の組合長として挨拶などがあるのですが
喜んで行っている自分がいるように感じています。

錯覚ですね。

これもまた、自分の宿命だと想い出来ることをするようにしています。
ただ一つ条件があります。これは、組合の長老からの教えの一つですが。

《人に喜ばれる仕事をする。》ということです。

労さま、今回の日誌とは関係がないのですが、白菜キムチを漬けようと
考えています。新大久保で調味料を買い求めるということですが、ヤンニョム
キムチの素も手作りなさるのでしょうか。ポイント等がありましたなら、ぜひ
アドバイスをお願いいたします。

よろしくお願いします。

明日からは師走です。お体をお大事になさってください。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

田舎者様
おはようございます。

おっしゃるように、人前で話すことに慣れてしまうと、こんどは図々しくも自分から進んで人前に立ちたくなるんですね。つまりは、「慣れ」ってことです。場数を踏めば、苦手だったことも得意技になるのです。

でもボクはいまでも大勢の前で話すのは苦手。ただし酒が入っていればいくらでも話せます。危険ドラッグですね、まるで(笑)。

白菜キムチですが、新大久保にある数軒のコリアンスーパーで仕入れします。すべて手作りで、たしかNHK出版の『男の食彩』(いまは廃刊)とか『きょうの料理』
を参考にしたと思います。

実際、韓国にも3回ほど取材に行ってます。現地で大きな甕から出してくれたキムチは、それはおいしいものでした。ごはんとキムチがあれば何も要りませんね。

キムチづくりのアドバイスなんてできません。ボク自身、何度も挑戦したのですが、
これぞという成功例がないのです。どれも
何かが足りない(うまみ?)、という印象でした。白菜も韓国のものとは微妙に違うんですよね。

日本のぬか漬けもそうだけど、漬物は実際やってみるとなかなか免許皆伝まではいきません。奥が深いんです。キムチも同じですね。