2014年5月29日木曜日

『不良長寿のすすめ』のすゝめ

「~ねばならぬ」という「マストmust」の好きなマジメ人間は早死にするのだそうだ。
また医者に従順な人間、健康オタク、スポーツをやりすぎる人間、
無農薬・有機食品にこだわる人間、粗食を旨とする人間、女っ気のない人間なども
長生きできないという。

要はくそマジメをやめ、明るくマイペースで、多少アバウトでちゃらんぽらんな人間が
長生きするのだという(←マジメでいい人はいつだって先に逝っちゃうもんね)。
こういう凡骨の張三李四(ちょうさんりし)みたいな人間のほうが、
マジメ人間より免疫性が高く、ウィルスやガン細胞に負けないそうだ。

銀座「カフェ・ド・ランブル」の関口一郎氏は今月26日(月)で満100歳を迎えた。
多少足と目が弱くなったとはいえ、タバコは吸うわコーヒーは飲むわ、
女っ気のあるなし(いまのところ独身です)はわからんが、すこぶる付きの元気印で、
この本『まじめは寿命を縮める 不良長寿のすすめ』(宝島社新書)の冒頭にも
〝不良長寿者〟の一例として取り上げられている。

120年と237日生き、1986年に大往生した泉重千代さんも、120歳の時に
ギネスブックの編集長に「好みの女性のタイプは?」と聞かれ、
「年上、かのう……」と涼しい顔して答え爆笑を誘ったという。
巧まざるユーモア精神も長生きの秘訣にちがいない。

身近な人で、ガンに斃れたものはいっぱいいるが、われわれの体内では、毎日1兆個の
新しい細胞が生まれると同時に、およそ3000~5000個のガン細胞も生まれるという
それをうまく見つけだして叩き潰してくれるのが免疫系で、なかでも最前線で戦っている
のがNK(ナチュラルキラー)細胞だ。

年を取ったり精神的なストレスで落ち込んでいたりすると、NK細胞の働きは低下し、
その分、ガン細胞やウィルスの働きが活発になる。NK細胞の労働生産性を上げるには、
一にも二にもストレス解消に尽きるという。

ならばどうしたらいいのか? 
答えは簡単だ。ボクみたいに「~ねばならぬ」というくそマジメな生き方にサヨナラし、
適度に運動し、医者の言うことはいいかげんに聞き流し、農薬や食品添加物入りの
菓子や野菜をガツガツ食べ、気のおけない仲間と酒を食らってゲラゲラ笑い、
たまに美食を楽しみ、いつも女たちに囲まれてる(←女を廃業したおばさんかおばあさんだろ!)
ような、華やかでいいかげんな生活を送ればいい。

著者の順天堂大学医学部教授の奥村康氏によると、
コレステロール値の低い人は短命》と言ってるし、《コレステロール値が低いほど
ガン死亡者が多い》とも言っている。おまけにコレステロール値の低い人は
概ねネクラで、仕事もできないという。コレステロール大国の米国医学界では、
《300㎎/dl以下は放っておいて大丈夫》などと言われているそうだ。

それに血圧も、
140以上あっても、頭痛もめまいもふらつきもなければそれでいい
と降圧剤など飲む必要なし、と言い切っている。常時140以上あるボクなんか、
これぞ天の声とばかりに、思わず手を叩いてしまったほどだ(←悲しいほど単純なヤツ!)。

ストレスをはね返すコツは何か?
とにかく前向きで、決して絶望しないこと。ガン細胞に冒されても「なにくそ」と
ファイティングスピリッツをむき出しにするような人間は、ガン宣告を従容と受け入れた
人間に比べ、生存率に3倍以上の開きが出た、と英国の科学雑誌が報じている。
「ガンなんてぶっ飛ばしてやる」と強気になれる人間は免疫力が高まり、
ダメージが軽くなるためだそうだ。「病は気から」というが、
なるほど性格や気の持ちようは免疫活性に大きな影響を及ぼす

ところで、男は女房を亡くすと、後を追うようにすぐ死んでしまうが、女は逆で、
ダンナがいないほうが長生きする》のだそうだ。ダンナにつきまとわられると、
イライラするし、家事も増える。それがストレスになるから、むしろ亭主はいないほうがいい。
真に女房孝行したいのなら、早くおっちんでしまうのが一番だろう。

それにしてもこの本はおもしろい。実にためになる。
NK細胞を増やす手っとり早い方法は「よく笑うこと」だという。
アニマル浜口のおっさんは「気合いだ! 気合いだ!」といつもガハガハやってるが、
あれが免疫力を高める最良の方法なのだそうだ。奥村先生曰く。
健康だから笑うのではない。笑うから健康になるのです》。
これは反語ではない。けだし名言だろう。



←人に弱みを見せるなんてみっともない、
弱音を吐くなんて恥だ……なんて思っている
マジメ人間は早死にするというから
気をつけましょう。兼好法師も言っている。
《おぼしきこと言わぬは腹ふくるるわざなり》と。
欲求不満をためこむとNK活性が落ちますぞ!












※注意
ここでいう「不良」とは、
やりたいことをやって「今」を楽しみ、よく笑う、陽気な人》(著者)の意ですから、
くれぐれも誤解のないように。

2014年5月25日日曜日

書を捨てて「文楽」を見にゆこう

先日、柄にもなく女房といっしょに国立劇場で人形浄瑠璃「文楽」を鑑賞してきた。
天皇陛下もご覧になられたという七世竹本住大夫の引退公演(5/10~5/26)である。
ただしボクたちの観たのは第二部の『女殺油地獄』と『鳴響安宅新関』で、住大夫の
語る第一部ではない。

女房が文楽を観るのは初めて。ボクは大阪の国立文楽劇場でいっぺん観ているが、
どんな演目だったか忘れてしまった。ただ実に面白く、食い入るように見たのを憶えている。
初めて見たときは人形遣い(主遣い、左遣い、足遣い、黒衣)の存在がうっとうしく、
人形の動きに集中できなかったものだが、見ているうちに人形の動きだけが見えるように
なってくる。ふしぎな体験だった。

近松の『女殺油地獄』は歌舞伎などでもお馴染みだが、やくざな放蕩息子が金目当てに
殺人を犯すという、いわゆる〝処罰物〟で、実在の事件を元に書かれた演目だという。
殺す側も殺される側も、油まみれになって、右から左へ、左から右へツルリツルリと
滑るわ滑るわ。人形遣いも汗だくである。しかし、いかんせん話が暗すぎる。
その暗さを太棹三味線の重く物悲しい響きがいやでも増幅させる。
なんだか気が滅入ってくる。

『鳴響安宅新関』はいわゆる〝勧進帳の段〟で、義経をかばう弁慶と関主富樫との
息詰まる問答が見せ場である。大夫は弁慶が豊竹英大夫、富樫が竹本千歳大夫。
この二人の掛けあいが実になんともすさまじい。迫真の語りといっていい。

午後4時から延々4時間。腰痛持ちなもので、途中休憩を挟むとはいえ、座りっぱなしは
ちょっぴりこたえた。それでも、富樫と弁慶のやりとりは腰の痛みを忘れさせたほどだ。

「シテ篠懸(すずかけ)の因縁は?」
「これぞ九会曼荼羅(くえまんだら)を表す」
「黒き脚絆(きゃはん)は?」
「胎蔵界の黒色なり」
「八つ目の草鞋は?」
「八葉の蓮花を踏むに象(かたど)る」
「シテ山伏のいでたちは?」
「すなわちその身を不動明王の尊容に象るなり」
「出る入る息は?」
「阿吽(あうん)の二字」
                       (床本(台本のこと)より)

浄瑠璃の言葉はむずかしい。舞台の左右に字幕も出るのだが、
字幕ばかり追っていると肝心の「人形・太夫・三味線」が織りなす三位一体
パフォーマンスを楽しめない。初心者は鑑賞前に物語のあらすじや
主な登場人物を調べておくことが肝要だろう。

女房の友人で、月刊『文藝春秋』編集者だったH女史(現在フリーライター)は、
アラブ問題専門の敏腕記者だが、「文楽」にも詳しく、彼女から伝え聞いたところでは、
名人クラスであっても市営住宅のような質素な家に住んでいるという。
信じがたいような話だが、名もない連中の生活は推して知るべしだろう。

2年前、橋下徹・大阪市長が文楽協会への補助金見直しを打ち出した。
その時期のストレスがたまったのか、文楽界の最長老・竹本住大夫は脳梗塞で
倒れてしまった。そして懸命のリハビリの末、ようやく舞台復帰を果たした。
しかし寄る年波には勝てぬのか、今回の東京公演を限りに引退することになった。

大阪市の財政がきびしいのはわかる。が、そもそも「文楽」の興行収入だけでは
技芸員が〝食えない〟のだからしかたあるまい。
少しでも古典芸能という文化財を護っていく気があるのなら、補助金見直しなどという
ケチな料簡は捨て、力強く「保護します」と宣言してもらいたいものだ。
素人が見たって、文楽の洗練と奥深さは十二分にわかる。
世界に誇れるこのすばらしい伝統芸能を絶やしてはならない。




←『女殺油地獄』の一場面。流れる油に
足を取られながら与兵衛がお吉を刺す
クライマックス。主遣いは桐竹勘十郎







※ひとこと知識
「文楽」では人名にかぎり「太夫」を「大夫」と表記します。

2014年5月16日金曜日

つむじ曲がりのダウンシフター

ダウンシフター(減速生活者)という言葉が流行っている。
shiftをdownさせる――つまり生活のペースを「低速ギア」に切り替え、
多少収入が落ちても、シンプルで心豊かに生きていく――。
そんな人間らしい生き方を選択した人たちを「ダウンシフターdownshifter」と呼ぶらしい。

ボクなんかサラリーマンを辞めてから、かれこれ30年近くギアを落としっぱなしで、
根っからのダウンシフターにちがいないが、こればかりは結果的に「低速ギア」を
余儀なくされているだけの話で、意図的にシフトをダウンさせてきたわけではない。

ほんとうはギアをトップに入れ、「そこのけ、そこのけ、俺様が通る」とばかりに、
低速ギアの連中を蹴散らし、彼らボンビー族を尻目に東京湾に豪華ヨットを浮かべ、
きれいなネエちゃんをはべらせて、酒池肉林の栄華を満喫したいのだけれど、
現実は逆で、そんな才覚など微塵もなく、思いっきり蹴散らされ辱められ生きている。

月刊誌の編集をやっている時は地獄だった。そこには〝人間的〟な生活などなかった。
そもそも人間ですらなかった。毎夜、帰りは午前様で、〆切前後は会社に寝泊まりする
ことが当たり前だった。休日はただひたすら寝るだけ。起きれば起きたで、
家に持ち帰った原稿書きの仕事が待っていた。1年365日、ずっと仕事だった。
女性編集者などは、もちろんデートする時間もなく、婚期を逃すものが多かった。

会社を辞めフリーになってからも、そんな無間地獄のような生活は変わらなかった。
ダボハゼみたいに、どんな仕事でも食らいつき、思わず赤面してしまうようなエッチな
原稿もせっせと書いた。贅沢は言ってられない。みんな生活のため、家族を養うためである。

そして30年。ギアは低速に入ったままで、高速ギアはすでに錆びついてしまっている。
80年代のバブル期に、ちょっとだけ高速ギアにシフトされたことがあったが、
しょせん泡沫(うたかた)のごとしで、「虚栄」「虚飾」という二文字だけが頭に浮かぶ

元同僚たちは、当時手帳の予定欄をみな真っ黒にしていた。
雑誌記者なのだから当然といえば当然のことだが、彼らは嘆くどころか、
むしろその繁忙さを誇るようなところがあった。「おれは仕事ができるんだぞ」
と、内心誇示したかったのだろう。会社に飼い馴らされ、忙しさに鈍感になると、
仕事人間であることがついには生きがいになってしまう。

いま、そんな風潮が変わりはじめている。育児に精を出す「イクメン」が出てきたり、
専業主夫願望の男たちが堂々と名乗りをあげたりしている。
「脱成長&脱消費」社会の中で、新しい生きがいを見つけ出そうとしている
若者たちである。つまりスローライフの延長線上に彼らはいる。

特徴的なのは、この「減速」をよしとする生き方が、競争社会からの「敗北」でも
「退行」でもないということだ。ある人はこの現象を「不活性化」などではなく
「活性化」なのだと説いていたが、ボクもその意見に賛成だ。

幸せな生き方とは何か――ボクはそのことをずっと考えてきたし今も考えている。
負け惜しみでいうわけではないが、「ローコストで生きるにはどうしたらいいか」
をひたすら考えてきた。女房や娘たちのことはいざ知らず、ボクに限っては
貯金と呼べるものなどほとんどない。

「稼ぎに追いつく貧乏なし」という諺がある。マジメに働いていれば貧乏になることはない、
とする説教くさい戒めだが、マジメに働いていても貧乏になるケースはいっぱいある。
むしろそのほうが一般的といっていい。

ポジティブな「ダウンシフター」があれば、ネガティブな「ダウンシフター」もある。
ボクは明らかに後者で、いつの日かシフトを上げ、「きれいなネエちゃんと……」
などとよからぬことばかり夢見ている。

何度も叫んでしまうが、この際だ、また叫んでしまおう。
世の中に、金と女は仇なり。どうか仇にめぐり会いたし!


←ボクは高速ギアでも
自由に生きられるんだけどな……
著者の店「たまにはTSUKIでも眺めましょ」
略称「たまつき」は池袋西口にある。
ボクのテリトリーだから、今度のぞいてみること
にする。

ピースボートとか反原発的な発言が
ちらちら。ボクとは思想信条が合わないかも











※追記
右上の池で泳いでいた金魚4匹が突然家出してしまいました。
エサをやらずほったらかしておいたら、人間不信に陥ったのか、
人生を悲観してすたこらさっさと逃げ出してしまったのです。
そんなわけで、ちょっぴり淋しいですが、家出しないものに替えました。
月と地球のライブ映像です。金魚が詫びを入れて戻ってきたら、
厳しく叱責してまた復活させます。

2014年5月13日火曜日

続・厚顔(キ)無恥の国

キムチが好きで、以前は冬になると白菜キムチをよく漬けた。
粗挽き唐辛子粉やアミの塩辛などの材料は、新大久保のコリアンタウンにある
スーパー「韓国広場」などで手に入れた。ついでに酒のつまみに最適なチャンジャ
タラの内臓の塩漬け)も大量に買い込み、ちょっとずつ箸でつまんでは韓国焼酎(ソジュ)を
ガンガンあおったものである。ボクの血圧が高くなったのは、数年におよぶこの新大久保
通いが契機になっている。

キムチやチャンジャに恨みはないが、新大久保に行くことは絶えてなくなった。
竹島問題や慰安婦問題がしこりとなって、コリアンタウンに行くことがつい
ためらわれてしまうのである。この街でよく遊んだ親友のTさん(東海大教授のコリアン
とも自然と疎遠になってしまった。韓国批判に傾くボクのブログを読み、
声をかけづらくなってしまったのだろう。ほんとうに申しわけない。

竹島問題のいきさつについては「厚顔無恥の国」で詳しくふれた。
竹島が日本に帰属することは「ラスク書簡」にも書かれている。
竹島は1905年から日本の島根県の管轄下にあり、
韓国から自国の領土であるとの主張がなされたことはない
韓国側は激しく反発した。

韓国は不法にも日本漁船328隻を拿捕し、日本人44人を死傷させ(うち5名が死亡)、
3929人を抑留した。日韓基本条約の中身を有利に進めるため、人質に取ったのである。

先のロンドン・オリンピックのサッカー会場において、韓国の朴選手は「独島はわが領土」
というプラカードを掲げてピッチ上を走り回った。このように韓国人は世界中で竹島が
自国領であると声高に主張し続けている。

そんなに自信があるのなら、ピッチ上を走り回ったように、ハーグの国際司法裁判所
でも「独島はわが領土」と世界に向けて堂々と発言すればいいものを、
それだけは頑なに拒否している。なぜか? 
裁判で決着をつけたら自国主張のウソがばれてしまうからだ。

国際司法裁判を実現するためにはどうしたらいいか。
以前も書いたが、徹底して経済制裁を貫けばいい。日本の領土を勝手に実効支配し、
韓国軍の総司令官(李明博前大統領)までもが不法に上陸しているのだ。
対韓制裁は十分に正当化されるはずである。

韓国経済がサムスン1社に支えられているとはすでに述べた。
韓国は電化製品や半導体をつくるのに不可欠な純度の高いレアガスをほぼ100%、
日本からの輸入に頼っている。日本がレアガスの対韓輸出をストップすれば、
サムスン電子やLG電子などの工場ラインはたちまち止まってしまうのだ。

こうした輸出停止措置は中国の〝レアメタル輸出規制問題〟にあるように、
WTO(世界貿易機構)によって禁じられている。しかし例外規定があって、
その1つが「安全保障」である。WTOが日本に対して是正を求めてきたら、
「日本と韓国は現在、深刻な安全保障上の問題を抱え争っている」
と突っぱねればいいのだ。そうすればイヤでも韓国の非道なふるまいが世界に知れる。
愚かにも、李前大統領はやってはいけないことをやってしまったのである。

韓国経済は日本からの資本財輸入がなくなったら、輸出が成り立たない構造に
なっている。韓国の輸出依存度はGDPのおよそ半分に達し、資本財のほとんどを
日本に依存している。

資本財とは機械などの工場設備や精密部品など消費財の材料となるもので、
日本の輸出総額の7割以上が「工業用原料」と「資本財」で占められている。
電化製品や車など「消費財」が輸出の中心である支那や韓国と比べ、
為替に影響されにくいという点で断然強いのである。ちなみに日本における
自動車などの輸出は全体の18%を占めるにすぎない。

以上のようなお寒い経済事情を鑑みれば、
韓国は本来、日本に逆らえるような国ではないのである。

「分際を知れ、分際を!」という言葉があるが、
あらためて「厚顔ムチ」な韓国政府に向かって声を大にして叫びたい。
「分際を知れ、分際を!」



←オリンピックを政治宣伝の場にしないでね!
ムチムチの朴ちゃん、わかった?

2014年5月11日日曜日

台所はオトコの砦です

わが家の朝食は各自てんでんバラバラだ。
長女は豆乳にバナナ、きな粉、黒すり胡麻などを加えたウンコのような液体を
飲んでいる。カミさんはヨーグルトにバナナ、きな粉、ハチミツを加えて練った、
やはり乳児のウンチみたいな液体をすすっている。女という生き物はなんであんな
不気味なものを愛飲するのだろう。その心底がまずわからない。

ボクはというと豆乳1杯にバナナ1本。これで昼までは十分もつ。
特に泳ぎに行く日はバナナ1本と決めていて、激しく泳ぐと心なしか
お腹周りが数センチ分へっこんだような気になる。

昼食・夕食はボクの当番だ。もうかれこれ30有余年、ボクが炊事係をつとめている。
昨晩は「母の日」のために次女が泊まりがけで帰宅しているので、数年ぶりに
「ロールキャベツ」をつくった。それとカブの甘酢漬け。最近はなぜか甘酢漬けに凝っていて、
大量につくったものが常備菜として食卓に彩りを添えている。

主夫をやっていて驚くことは、揚げ物フライものをしない主婦が多いということだ。
「レンジ回りを油で汚したくないから」というのがその大きな理由である。
いつも台所をきれいにしておきたい、という気持ちはよく理解できる。が、これでは
何のための台所かわからない。油で汚れたらきれいに拭き取ればいいだけの話で、
要は油を使っためんどうな料理を避けたい、というだけのことではないのか。
余計な脂肪を摂りたくないという女心もあるかもしれない。亭主こそ哀れである。

高脂血症のボクには油料理は御法度なのだけれど、つい油を使った料理をつくってしまう。
酒のつまみにはどうしても唐揚げや炒め物といったパンチのある料理が必要なのだ。
ボクはものの20~30分もあれば、つまみの5~6品はつくってしまうので、ひと声をかけると
意地汚い酒飲みたちがわらわらと集まってくる。連休中などは家人の留守をいいことに、
毎夜、飲めや歌えの大騒ぎだった。わが家は安上がりで居心地のいい居酒屋なのだ。

なかには女房と一緒にいるより男同士のほうが気楽でいい、などというものもいる。
夫婦関係が〝ビミョー〟なのだろう。あるいは目下失業中で、家にいても肩身が狭い、
というものもある。問題児ならぬ〝問題おやじ〟ばかりである。

わが家には職掌がら、料理書だけはいっぱいある。壁一面、、料理書に埋め尽くされている。
料理書も玉石混淆で、いいかげんな料理研究家のレシピを鵜呑みにすると、極端な味つけ
になることがある。土井善晴のレシピなどはその典型で、どの料理もやや濃いめに味がつく。
だから、こっちも塩や醤油の量を少なめに調整する。

逆に浜内千波などのレシピは淡味すぎてパンチがない。
編集者時代はよく彼女の料理スタジオに通い、取材をしたものだが、
彼女の掲げる〝ヘルシー&ビューティ・レシピ〟もゆき過ぎると
老人向け宅配弁当みたいな味になってしまう。

その点、ウー・ウェンさんの支那料理レシピはとってもバランスがいい。
シンプルでなおかつうまい。段取り要らずだから誰にでもできて、
しかも味はしっかりついている。

ボクは気に入った料理があると、そのページだけ切り取ってファイリングしてしまう。
「パパのお気に入り」というファイルがあって、三々五々、取り出しては、
評判のよかった料理を再現するのである。その中には「飲んべえに受けた料理」、
「外国人に受けた料理」「娘たちのお気に入り」といったジャンルがあって、
ファイルの数は増えるばかりである。

おふくろの味ならぬ「おやじの味」で育った娘たち。
どんな男と一緒になるのか知らないが、ちゃっかり者のふたりである。
「男は台所に入るものよ」などと、いいようにだまくらかして、
むりやり亭主に包丁を握らせてしまうにちがいない。

「女は甘やかすと図に乗る」というが、
結婚して30年、そのことを身にしみて得心した。
だから不幸か、というとそうではない。
料理は豊饒の世界である。段取りがよくないとできないので、
バカではつとまらない世界でもある。

先にカミさんがおっちんでしまっても、ボクならたくましく生きてゆける。
無聊をかこつ世のおじさんたちよ、創意工夫の宝庫でもある料理の世界へ、
いまこそ飛び込もう。そしてカラダに悪い料理をいっぱいつくろう。
つくったら腹いっぱい食べて飲んで、早く死んでしまおう。
オトコが幸せになれる道はそれしかない。




 

2014年5月7日水曜日

バッハで「ゲイシャ遊び」再び

去る3日(土)、同じ棟に住むKさん(76)と南千住の「カフェ・バッハ」に行った。

Kさんは元は有楽町そごうデパートの店員で、外商部にいたこともあったのか、
大きな商談をまとめたこともあるという。今は隠居の身で悠々自適なのだが、
奥さんが10年ほど前から認知症を患ってしまったため、自由の利かない生活
を強いられている。今回のバッハ行きはちょっとした息抜きである。

実はKさんはボクと知り合う以前からバッハに通っていた。奥さんの妹さんが
バッハの目と鼻の先にある隣町の竜泉に嫁いでいるからだ。
嫁ぎ先は「目玉屋中道義眼製作所」というところで、剥製やテディベアーなど
ぬいぐるみの目玉をつくっている。日本でも数少ない珍しい業種だという。

コーヒーに関してはまったくの素人だが、Kさんは田口さんの著作『珈琲大全』を読んでいる。
おいしさの方程式』も買って読んだという。その編集にボクが関わっていたなんて、
知る由もない。だいいち、棟の住人たちは、一部を除いてボクがどんな仕事をしているか
知らない。昼間から団地内をフラフラしているから、どこか〝怪しいおじさん〟だと
思われている。嶋中労というペンネームがあるなんて、もちろん知らない。
階下のメールボックスには「小林・河合(女房の旧姓。仕事はこの名でしている)・嶋中」とあるから、
おそらく同居人がいるのだろう、と思われているにちがいない。

車を義妹の家の近くに停め、ボクとKさんはバッハへと向かった。
吉原を抜け、山谷の「いろは会商店街」を抜け、マンモス交番を右折すればもうすぐだ。
シャッター通りと化したこの商店街は人通りが少なく、街おこしのために掲げられた
あしたのジョー」のフラッグも悲しくはためくのみ。例によって、道の真ん中で
マグロのようにのびている男がいれば、車座になって酒盛りしているおっさんたちもいる。
慣れない人はこの光景にまず肝をつぶす。

バッハは盛況だった。というより店内にも店外にもウェイティングが出ていた
ボクはこの店にかれこれ100回以上通っているが、客が店の外にまであふれ出し、
椅子に座って順番を待っている光景を見たのは初めてだ。
いくら連休中とはいえ、何事が起こったのかと思ってしまう。

御大の田口さんと奥方の文子さんもボクたち2人を温かく迎えてくれた。
オペラ」という新作のケーキまでサービスしてくれた。
聞けばSCAJ(日本スペシャルティコーヒー協会)会長職の任期を全うした田口さん、
近く喜寿を迎えるに当たって四国八十八ヵ所の札所巡りを敢行するのだという。
〝コーヒーの神様〟がお遍路さんになって霊場を巡るなんて想像だにしなかったから、
ボクにはちょっとした驚きだった。

バッハでは「ドンパチ・ゲイシャ・ナチュラル」もごちそうになった。
飲む前にKさんにちょっとした解説を加えてやったが、はたしてわかったのかどうか、
いきなり砂糖をドバッと加えて飲んでしまった。

それにしてもバッハの盛況ぶりは何なのだろう。
「いろは会商店街」の凋落ぶりとは対照的で、
山谷地区でこの店だけが誘蛾灯のように客を引き寄せている。
店の若いスタッフたちもどこか誇らしげだ。

山谷には名店が3つある。
コーヒーの「カフェ・バッハ」に飲み屋の「大林」と「丸千葉」である。
丸千葉などは午後2時の始業からもう店は満席である。
あいにく下戸のKさんをお連れするわけにはいかなかったが、
あの独特の雰囲気だけは味わわせてやりたかった。



←ドヤ街の住人もみな年をとった。
「あしたのジョー」で街おこしをしている
いろは会商店街。

 

2014年5月1日木曜日

「昔偉かったおじさん」の悲哀

ボクの住む棟は15階建てのえんぴつビルで、2機のエレベーターによって東西(28戸ずつ)
に分かれている。ボクは西側の人間で、友人は概ね西側に集まっている。西側の住人から
すると東側は「奇人変人の巣窟」で、東側も西側の住人をそんなふうに思っている。

同じエレベーターを使っていれば、いつしか言葉を交わすようになり、
そのうち「お茶(or酒)でも飲みませんか」という話になる。しかし東側の住人はちがう。
顔を合わせるのはせいぜい棟の総会とか防災訓練の時などに限られ、
接触時間が短い分だけ自然と関係は疎遠になる。棟総会時に発言した片言隻句を
針小棒大にとらえられ「あいつの頭はおかしい」などという評判を立てられてしまう。

以前もふれたが、わが棟には「昔偉かったおじさん」がいっぱいいる
いまは隠居の身だが、昔は有名一流企業で辣腕をふるっていたとか、
超有名大学で教鞭を執っていたとか、そこそこ名の通った会社を経営していたとか、
医者とか弁護士とか、それこそ高給取りだった人がいっぱいいるのである。
おまけに東大出が佃煮にするくらいウジャウジャいる。

努力して偉くなったのだから、それはそれで慶賀すべきことで、
文句のつけようなどないのだけれど、彼らがつい「上から目線」になりがちなのは
いただけない。おそらく現役時代に身についてしまった習性なのだろう。
が、すでに退職され、肩書きのないふつうのおじさんになったのだから、
威張ってばかりいないで、誰と会っても優しく微笑みかけるような
和顔施(わがんせ)〟の実践こそが求められる。

たとえば横柄な態度のAさん。噂では一部上場企業のお偉いさんだったと聞くけど、
ボクはあんたの家来じゃないし、あんたと利害関係があるワケじゃない。
だからせめてその説教くさい物言いを改めてもらえませんか? 
陰ではみんなあんたのことを煙たがっているんですよ。

「昔偉かったおじさん」たちの活躍の場は団地総会や棟総会の場だ。
なかには六法全書を持ち込んで、管理組合規約の不備を執拗に追求するものもいる。
あるいは元建築設計家だったのだろう、大規模修繕工事の細目について、
愚にもつかぬ熱弁を延々とふるうものもある。
ハッキリ言いますが、ありがた迷惑なのである。

オトコという人種はまことに窮屈な生き物で、焼き場で「灰」になるまで、
「自分という人間はいかに衆に優れた人間であるか」ということを機会あるごとに
訴えかけたいという病癖を持っている。たとえ隠居の身であっても、
「おれみたいな才能ある人間は、こんな市井に埋もれていてはいけないんだ」
などと考えている。「◇△商事・元営業本部長」なんて名刺を持ち歩いている人も
いるらしい。おそらく〝元〟という一字に万感の思いを込めているのであろう。

「社畜」の身分から解放され、晴れて裸一貫になれたというのに、
哀れ社畜だった頃が懐かしいのか、「現役で海外を飛び回っていた頃はね……」
「バブル時には毎夜、銀座で豪遊してね……」などと、事あるごとに昔の武勇伝を
披露したがる。凡骨の身であるこっちは「ハァ、なるほど」などと適当に相槌を
打ってはいるが、なに半分も聞いちゃァいない。おじさんって奴は、ほんとうにめんどくせェ。

その点、おばさんはいい。「元ナントカ」なんていうややこしい名刺など出さないし、
自慢といえば、せいぜい息子や娘や孫を自慢するくらいで、実にたわいがない。
おじさんたちもこうしたおばさんたちの「身軽な生き方」を少しは学べばいいのに、
そんなことはオトコ(もう上がってるけどね)の沽券にかかわるとばかりに、傲然と胸を反らす。
おじさんという生き物は実に何とも可愛いげがない。

ボクが超有名企業の取締役だったりしたら、それこそ「元ナントカ」の名刺を出しかねないが、
幸か不幸か、そうした才覚に恵まれず、「ライター&ゴーストライター」などという
〝虚業・賤業〟の世界に身を沈めることになってしまった。

そのおかげなのか、上からでも下からでもない「ふつうの目線」を獲得することができ、
聞いたところでは、「Sさんって気取りがなく、ざっくばらんな性格でいいわよね」などという
評判を生んでいる。ボクは団地内のおばさんやおばあさんの間で、
絶大な人気を誇っているのである。←そんなもん、自慢になるか!

ああ、60年もオトコをやってるとほんとうに疲れる。
残された余生は、ぜひともオンナもしくはオンナもどきとして生きてゆきたい。
最近は主夫歴が長いせいか、おばさんたちとの立ち話も板についてきたし、
ダイコンや長ネギをぶらさげて歩いている姿が実にサマになってきた。
だんだん細胞が〝おばさん化〟しているのだろう。
こうなったら、ぜひとも白い割烹着姿の「オボちゃん」に分析をお願いし、
「〝おばさん化細胞〟もあります!」
と力強く宣言してもらいたい。←「理研」の本部は和光市だもんね

カフカの『変身』ではないが、そのうち
《ある朝目覚めたら、巨大なおばさんになっていた……》
なんて珍事が起きるかもしれない。

またまたハッキリ言っちゃうけど、おじさんはきらいだ。
はやく進化系のおばさんに脱皮して、屈託なく朗らかに生きてゆきたい。
生物学的な〝性〟を超越してしまったおばさんは偉大だ。
おばさんバンザイ!