2015年6月22日月曜日

‘タタミゼ化’する外国人

ファットボーイならぬファットおやじのNICKは、
かつて仕事の関係でアメリカに6年暮らしたことがある。
もちろんアメリカ通で英語も達者だが、アメリカびいきかというとそうでもない。
むしろアメリカという国をきらっている。

NICKはこんなことを言っている。
英語という言語を使うと、つい攻撃的になってしまうんだ
アメリカだけではない、西欧文明そのものが〝個人主義〟で彩られ、
無意識下にも相手に対して闘争的・対立的なスタンスをとってしまう。
そうしないと足許をすくわれ、不利益をこうむってしまうからだ。

NICKはさらに言う。
「日本語をしゃべってると、自分はこんなにも
礼儀正しい人間になれるものかと、驚いてしまう」と。
もっともNICKがそれほど礼儀正しい人間かどうかは知らない。
ただ目上のボクに対しては少なからぬ敬意を払ってくれていることはたしかだ。

フランス語に‘tatamiser(タタミゼ)’という言葉がある。
日本語の「畳」をフランス語の動詞にしたもので、
意味するところは〈日本かぶれする、日本びいきになる〉というものだ。

タタミゼ化した外国人はいっぱい知っている。
娘たちの外国人の友人たちは揃ってタタミゼ化しているし、
留学生たちも日を追うごとにタタミゼ化している。
日本の生活や日本人に馴染むにつれて、闘争的・対立的感覚が
徐々に和らぎ、親和的・宥和的な感覚に満たされていくのだ。

GHQのマッカーサー総司令官は、
日本人は太陽や山やキツネを拝む救われない民族
と決めつけたものだが、キツネを拝んでいるおかげで、
黒人教会での無差別銃乱射事件のような陰惨な事件は起きないし、
憲法9条を拝んでいるおかげで、「ノーベル平和ボケ賞」がもらえそうな
環境が整えられつつある。まことに慶賀に堪えない。

昨日、8月半ばからわが家の居候となる予定の高校留学生トマーシュに会った。
190センチはあろうかというチェコ出身の大男で、話しているだけで首筋が痛くなった
ものだが、彼も日本の生活に馴染むにつれ、徐々にタタミゼ化していくことだろう。
そのためにはやわらかな手触りの美しい日本語をいっぱい憶えなくてはならない。

世界の人々がみんなタタミゼ化すれば、無用の争いごともなくなると思うのだが、
柄でもなくそんな甘っちょろいことを言うと、どこか宗教的な色合いを帯びてきそうだし、
へたをすると「世界人類が平和でありますように」と謳った例のマヌケなステッカーと
勘違いされかねない。

トマーシュと同時期に来日したデンマーク出身のヴィクター(こっちも大男)とも
話をした。彼は会話の中でしきりに「やべぇ」を連発していた。何か食べれば
〝おいしい〟が「やばい」となり、何かやれば〝楽しい〟が「やばい」になる。
高校の同級生たちが使っている言葉をオウム返しに使っているだけなのだろうが、
最初に覚えた日本語が「やばい」ではちょっとヤバイ。

いずれにしろ、文字どおり〝上から目線〟の大男どもを、
徐々にタタミゼ化させていかなくてはならない。あいにくわが家には
畳敷きの部屋はないけれど、ここはどうあってもタタミゼ化させる必要があるのだ。

ああ、ならばなおのこと、日本人の中でも例外的に攻撃的・闘争的な
性格を持つボクの家にホームステイしなければならないトマーシュこそ憐れである。
はたしてタタミゼ化は可能なのか? せいぜいがんばってくれ、トマーシュ君!





←なかなかお似合いですね。
ただ帯にちょっと色のアクセント
がほしいな



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