2015年8月19日水曜日

泣くんじゃねえよ、男だろ

早実が仙台育英に負け、関東第一が東海大相模に負けてしまった。
一年生ながら打率4割7分、打点8、ホームラン2本という怪物の清宮幸太郎や、
チームを率いるキャッチャーの加藤、2打席連続ホームランの富田など、錚々たる
スラッガーを擁する早実が決勝まで進んでくれるものと期待していたが、叶わなかった。
テニスの錦織が敗れ、清宮やオコエ瑠偉までもが消えてしまったら、
(明日から何を楽しみに生きていったらいいんだ……)
と、正直ガックリくる。

格別、高校野球が好きなわけではない。むしろ無関心に近く、夏の甲子園などは
(見てるだけで暑っ苦しい)と完全無視。バンビ君やハンケチ王子にも縁がなかった。
唯一、記憶にあるのは1969年、青森三沢高校と松山商業との熱闘2日間で、この時
ばかりは三沢高校の白皙のピッチャー・太田幸司を真剣に応援したものだ。

高校野球がなぜ苦手かというと、「汗と涙の甲子園」といった浪花節的ムードが
イヤなのだ。負けると、身も世もないくらいに泣きじゃくる選手たち。
喜怒哀楽は素直に出したほうがいい、と日頃言ってるくせに、
負けると判で捺したように泣きじゃくる選手たちの顔を見るのがきらいなのである。
(力いっぱい戦って敗れたのだから、いっそ爽やかに笑顔でいてほしい)
そのほうがどれほどカッコいいか――ボクはそう思うのだが、世間はどうやら逆らしい。

公衆の面前で恥ずかしげもなく泣くという行為に対して、日本人は概ね寛容だ。
「それだけ純真だってことだよ」と、むしろ泣くことを期待しているフシがある。
「世界水泳」の渡部や星が金メダルを取って大泣きした時もそう思ったのだが、
日本の観客は「涙は美しい」と考えているのではないか。
テレビ局のインタビュアーはよく、
「天国のお父さんもきっと喜んでいるでしょうね」
などと、選手の涙を誘うようなセリフを必ず吐く。
泣かない奴は人でなし、みたいな雰囲気が自然と作られてしまう。

男は一生の間で2度泣くことが許されるという。
1つはオギャーと生まれた時、2つめは母親が死んだ時である。
てなわけで、母が死んだ時は思いきり大泣きしたものだが、
もうあとがない。

「娘さんの結婚式の時も、たぶん大泣きこくだろうな」
口さがない悪友どもは、こう言ってボクの涙を期待したものだが、
みごとにハズレた。そんなつまらないことで泣くようなヤワな精神ではないぜよ。
見損なっちゃあいけませんぜ。

清宮も敗戦インタビューで少し泣いていた。
「コラッ、泣くんじゃない! 男がすたる!」
ボクはテレビ画面に向かって咆えた。
このおやじは年がら年中、テレビに向かって咆えている。

「また甲子園に舞い戻ってくるから砂なんか要らない」
と清宮。彼らしいセリフで、ボクは少しだけ見直してやったが、
それなら砂と同じく涙も要らなかった。

嗚咽しながら甲子園の砂を袋に詰める選手たち。
あの光景を美しいと見るか、情けないと見るか――
ボクはむろん後者で、どうしても
「未練ったらしい……」
と思えてしまう。

お父さんは甲子園に行ったんだぞ、といつの日か、
その土を披露して、子や孫に自慢したいのかい?
まだ10代という若い身空で、50年後に自慢するための証拠品集めかい?

彼らの涙を責めはしない。
甲子園の砂を袋いっぱいに詰めるのも、まあいいだろう。
ただボクなら泣かないだろうし、土なんか死んでも持ち帰らない。
すべては美意識の違いだと思っている。
甲子園球児たちをバカにしているわけではもちろんない。
ただ一言いいたいむずかしい年頃なのだよ、このおやじは。
青年よ、赦せ!





←今やお馴染みになった
甲子園の砂集め。
ボクの目には「未練」と映る

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