2015年12月10日木曜日

ユダヤの恩人はA級戦犯

6000人のユダヤ難民の命を救ったとされる外交官・杉原千畝(ちうね)。
その杉原を主人公にした映画『杉原千畝』がいま公開されている。
杉原に扮したのは唐沢寿明で、その迫真の演技が評判だという。

リトアニアの日本領事館に赴任していながら日本政府の命令に背き、
ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人たちに日本通過ビザを発給しつづけた杉原。
その人道的功績によって「日本のシンドラー」などと呼ばれているわけだが、
そもそも金目当てでユダヤ難民を救ったとされるオスカー・シンドラーと並称される
こと自体が不面目なこと、とボクは考えている。人格高潔な杉原に比べれば、
女たらしで遊び人のシンドラーなどは虫ケラも同然で、むしろシンドラーこそ
「ドイツの杉原」(志の気高さは月とスッポンだけどね……)と称されるべきなのである。

さてヘンリー・S・ストークスの書いた『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』
という本によると、ユダヤ難民の命を救った日本人は杉原だけではないことが分かる。

1930年代末、およそ2万人のユダヤ難民がナチスの迫害を逃れ、シベリア鉄道で
満州国境へ押し寄せていた。当時、関東軍ハルビン特務機関長だった樋口季一郞
少将(後に中将)が、新京に司令部を置く関東軍参謀長にユダヤ難民の入国の許可を
求めた。当時の参謀長は東條英機中将だった。もし入国を許可しなければソ連が
ドイツへ送り返してしまう。

東條は「民族協和と八紘一宇の精神」にしたがって2万人のユダヤ人を入国させた。
当然ながら同盟国ドイツの外務省からは猛烈な抗議だ。しかし東條は少しも動じず、
「当然なる人道上の配慮である」として一蹴した。もしも東條が部下の樋口に許可を
与えなかったら、ユダヤ難民の命が救われることはなかっただろう。

イスラエルの首都エルサレムに『ゴールデンブック』なるものがある。ユダヤ民族に
貢献した者、ユダヤ人に救いの手を差しのべた人たちを顕彰するためのものだが、
そこに樋口とその部下、安江仙弘(のりひろ)大佐の名が刻まれている。本来なら東條
の名がいの一番に掲載されるべきものなのだが、悲しいかなハルビンのユダヤ人社会
のリーダーは樋口らの上官・東條の存在も、その果たした役割も知らなかった。

靖國神社に当時の小泉首相が参拝した時、支那の李肇星(り・ちょうせい)外相は、
「戦後、ヒトラーやナチスを崇拝したドイツの指導者はいない」などと、
口をきわめて非難した。東京裁判で「A級戦犯」として処刑された東條英機は
もちろん靖國神社に合祀されている。そもそも東京裁判を認めていない立場の
ボク(ブログ内『座して死を待つよりは……』参照)からすると、A級もB級もないわけで、
「戦犯」などとはとんだお笑いぐさなのだが、日本を永久に「戦争犯罪国家」にして
おきたい支那からすれば、東條英機はヒトラーと同列に扱うべき極悪非道な人間
なのだろう。ふざけた話だ。

杉原千畝は6000人のユダヤ人にビザを発給して「日本のシンドラー」あるいは
「東洋のシンドラー」などと讃えられている。だが2万人のユダヤ人の命を救った
東條英機の功績はほとんど知られていない。ユダヤ人だけでなく、世界中の人たちに
この隠された事実を知ってもらいたくてささやかな一文を草した。



←「日独伊三国同盟」の祝賀会に
同席した東條英機(当時は陸相)。
東條はユダヤ人に対しては一貫して
同情の念を持ち続けていた







※追記
作家の野坂昭如氏が9日、不帰の人となった。
ボクにも少なからぬ縁があって、そのことは
ブログ内の「大きな栗の木の下で」に書いた。
享年85。ご冥福をお祈りする。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ROUさま、

まったくそのようなことがあったとは知りませんでした。

とはいえ、この話を酒の肴にするのは骨が折れるでしょうな。
あるいは、間髪入れず了解する人と飲めばいいわけですが。

ただ、物事勝者敗者の二軸で断ずることもできるわけでなく、奇奇怪怪に回っておるように思われます。

自爆テロなど思いも及ばずとの言を耳にいたしますが、かの大戦で行った神風とどこが違うのか明確にすることは、実は、無理ではないかと感じております。

「テロ」とて、どこから見るかと・・・

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

匿名様

神風特攻隊には自爆テロのような殉教精神はありません。

ただ親兄弟を守りたい、愛する人を守りたい、故郷を、国を守りたいという一念だった
と思います。つまり目に見える、手触り感のあるリアルなものを守ろうとした。

一方、アラブ人は聖戦とか殉教とか、ややこしいことを言い過ぎます。
もちろん彼らの言い分は少しはわかります。もともとイギリスやフランスが蒔いたタネですからね、
それを責任を持って刈り取ってもらっている、という意識でしょう。

欧米人はかつてアラブの民を〝サラセン〟と呼びました。
サラセンには「盗賊」といったニュアンスがあるそうです。

十字軍がアラブを征伐に行ったなどと歴史教科書は教えていましたが、
クルセイダーズは正義の軍隊どころか〝盗賊〟軍そのものでした。
サラセン人の国のほうが遙かに文明が高かったのです。

なにしろ欧州とアラブの交易では欧州側はつねに〝入超〟でした。
輸出するほどの気の利いたものがなかったのです。
で、彼らはスラブ人を奴隷として売りました。奴隷のslaveはSlav(スラブ人)
が語源だといわれています。

ヨーロッパとアラブは常に対立してきました。
地中海地方は一時、といってもおよそ1000年ですが、アラブに支配されました。
スペインなどにアラブ文化の痕跡が多く残っているのはそのためです。

イラクのサダム・フセインやリビアのカダフィ大佐を死に追いやったのが
そもそもの間違いでした。彼らはアラブの平和を保っていたキングストン弁だったのです。

木蘭 さんのコメント...

しまふくろうさま、こんばんは(^-^)

おっちょこちょいデパート総支配人、木蘭でございます。
年末ですので、
おっちょこちょいデパートでも大売出ししようかと考えています。
・・・誰も買わないか(笑)


杉原千畝のことを知った頃、
「千畝」という名前が読めませんでした。

「千畝」とは、千枚田や棚田を意味するそうですが、
その美しい景色のような、豊かで美しい心を持った子になってほしいという願いが込められていたのかもしれませんね。

話が横道にそれますが、
私の祖父の名前は「男壽久」。
「おかく」と読みますが、ふつう読めません(^-^;

現代でもキラキラネームといって、普通に読めない名前がありますが、
昔でも読めない名前って結構多かったですね。


東条英機が2万人のユダヤ人を助けた話は、私も初めて知りました。
世間の一部では「悪人」扱い(>_<)
こうした素晴らしいお話はもっと世に弘めるべきですね。


私ももっとお勉強して、
檀信徒さんたちにしっかりお話して参ります。


ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

木蘭様

おはようございます。
住職夫妻が築地へ買い出しに出かけられたとか。
来年11月には豊洲市場がオープンします。
築地ももうすぐ見納めになりますね。

おじい様の名前、やはり読めませんね(笑)。ただ親御さんがこの名にこめた深い思いは分かります。
いまはジュリアとかマリアとか、国籍不明の名が多すぎるような気がします。
キラキラし過ぎていてちょっと気恥ずかしい。


東條についてはボクも詳しくは知りません。
ただ東京裁判の愚劣さについてはよく存じあげております。
アメリカはいまは同盟国ですが、腹黒いところは少しも変わっていません。
「南京事件」などもおそらくアメリカと支那の合作でしょうね。
広島と長崎への原爆投下や東京大空襲というジェノサイドの罪を
少しでも減じようと、ひと芝居打ったのだと思われます。

歴史を勉強していると、人間というものの底知れぬ不気味さ、愚かさが身に染みます。
一方で心の美しさに感泣することもあります。歴史は人間観察の宝庫です。
若い人たちには近・現代史をしっかり学んでほしいですね。