2016年5月4日水曜日

結婚記念日は憲法記念日

昨日は憲法記念日だった。
それと同時に、めでたくも甥っ子の結婚式が虎ノ門の霞山会館で執りおこなわれた。
親族紹介があるから10:30までに式場に来てくれ、というので
朝から夫婦で大忙しだった。

まず和光市駅から副都心線で新宿3丁目まで行き、そこで丸ノ内線に乗り換え赤坂見附へ。
さらに銀座線に乗り換え虎ノ門駅まで行き、徒歩1分でめざす会場に。
その間、およそ40分強。車内では「日本国憲法」をざっと読み返しておいた。
電車内で無粋な「憲法」を精読玩味している人間などそうはおるまい。

巷間、相変わらず護憲派と改憲派の議論がかまびすしい。
が、ギャーギャー騒いでいる連中に限って、肝心の憲法全文を読んでいない。
あんなもの20分もあれば1条から103条まで読み切れるのだから、
通勤・通学電車の中でさっさと読んでしまえばいいものを、それもしない。
するのは、バカのひとつ覚えのように「平和憲法を守れ!」「戦争法制反対!」
などと叫ぶだけだ。

憲法改正は9条のためだけにあるのではない。
戦後70年、世界の情勢は時々刻々と変わってきている。
その変化に現行憲法は追いつかず、いろんな齟齬をきたし、
きしみを生じさせている。苦しまぎれの拡大解釈や解釈改憲では
とうてい追っつかなくなってきているのである。

2013年のデータだが、諸外国では憲法改正が頻繁に起こっている。
なぜか? 世界標準に自国憲法を合わせるためだ。
ドイツ59回、フランス27回、イタリア16回、アメリカ6回、日本0回……
日本ではなぜか憲法9条だけが神格化され、憲法そのものが
神聖にして犯すべからざる「不磨の大典」と化している。

福田恆存は『日本への遺言』のなかでこう言っている。
《現行憲法に権威がない原因のひとつは、その〝悪文〟にあります。
悪文というよりは死文というべく、そこには起草者の、いや翻訳者の
心も表情も感じられない…(略)…こんなものを信じたり、
ありがたがったりする人は、左右を問わず信じられない

さらに、
《これは明らかに押しつけられてしかたなく作った憲法です。
いかにもふがいないとは思いますが、当時の実情を考えれば
情状酌量できないことではない…(略)…今のままでは自国の憲法に対して、
人前には連れて出られないメカケのような処遇しかできません。もっとも、
それを平和憲法として誇っている人もたくさんおりますけれど、
それはその人たちがメカケ根性を持ち、事実、メカケの生活をしている
からに他なりません》
そういえば、社民党の前身である旧社会党や共産党はソ連などからの
支援をしっかり受けていたものね。

そんなこんなをつらつら想いながら電車に揺られていたら、
あっという間に式場に着いた。霞ヶ関コモンゲート西館の37階。
窓からは皇居や国会議事堂が一望できた。まさに絶景である。
ボクはさっそく姉夫婦にお祝いを述べ、兄弟たちとも久闊を叙した。

甥の結婚式は気持ちのいい式だった。
中国料理の料理人である甥っ子は相撲取りみたいな巨体で一見恐そうだが、
根は心やさしき好漢である。新婦も気立てのよさそうなお嬢さんだった。
この二人ならよき家庭を築いてくれるだろう。

結婚記念日は憲法記念日
のんびり屋の甥っ子でも、生涯忘れることはないだろう。

※追記
日本国憲法はアメリカがフィリピンを植民地にしていたときの憲法を
そのままコピーしたもので、第一条の「天皇」の項を除けばほとんど
そっくりと云われています。それがいわゆるマッカーサー草案
(日本国憲法草案)なのです。フィリピン国民と日本国民が未来永劫、
アメリカには決して刃向かわない、骨なし民族でい続ける、
ということを約束させられた憲法なのです。メカケ根性のある人間にとっては
こんなありがたい憲法はありません。




←霞山会館の窓から眺めた風景。
右に皇居を遠望し、左に国会議事堂が
見える。東京の真ん中に緑あふれる
皇居があることで、どんなに救われているか。

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