2012年12月29日土曜日

100円ライターの悲哀

いよいよ右手首の腱鞘炎がひどくなってきた。
頭は冴えわたっていて、いくらでも書けそうなくらいテンションは上がっているのだが、
肝心の手首がいかれてしまっていては、思うように文字が打てない。
以前、ペンで書いていた頃にも、この腱鞘炎に悩まされたものだが、
パソコンに代わったら、今度はキーを叩くのが難儀になってしまった。

この数週間、朝起きるとすぐにパソコンに向かい、ひたすら原稿を打ちまくっている。
腰痛が相変わらずなので、コルセットを巻きながらがんばっているのだが、
いかんせん手首がいかれてしまってはどうにもならない。

金さえあれば秘書を雇って、口述筆記をさせたいところだが、
そんな甲斐性などどこを探してもありはしない。
きつい肉体労働をもっぱらとしている悪友の一人は、
「机に座っているだけでおまんまが食えるんだから、優雅なご身分だね」
などとからかうが、いったいどこが優雅なものか。
ボクみたいな肉体派は、身体を動かし汗をかいているほうが数段楽チンなのである。

今年も余すところ、あと2日になってしまった。
2日間で果たして原稿の残り90枚が書けるだろうか。
ちょっと絶望的な思いがしている。

こんな時は駅前の歯医者に出かけて、例の〝頭ツンツン〟をやってもらえば、
とたんに鼻血ブーで元気百倍、数百枚の原稿も一気呵成に書いてしまうのだが、
そのツンツンをやってもらっているヒマがない。

そういえば、去年の暮れもこんな具合だった。突然、雑誌社から、
「調査捕鯨とシー・シェパードとの闘いについて急いでまとめてください」
などという原稿依頼があり、畑違いのこともあって、
資料読みやら何やらでひっちゃかめっちゃかになってしまった。

ボクたち〝100円ライター〟は、どんな仕事の依頼にも応えなくてはならない。
贅沢を云える身分ではないので、仕事の選り好みなどもってのほかなのだ。

飽きられたらポイと捨てられる、使い捨てライター。
よくぞここまで生きのびてきたと思うが、
そろそろ年貢の納め時が来たのかもしれない。

もともと志の低い人間なので、ベストセラー作家になりたい、
などという大望はハナから抱いていない。またそんな才能もない。
『敦盛』ではないが、人生なんて〝夢幻〟の如きもので、
有名になろうがなるまいが、線香花火みたいにあっという間におわってしまう。

ああ、ほんとうはこんな閑文字を連ねているヒマなどないのだ。
腱鞘炎はどうなったかって? これ、左手1本で書いてます。
やっぱシンドイわ。もう寝ます。


 

2012年12月27日木曜日

うさぎのパジャマ

Xmasイヴの晩は、若いイタリア人女性サブリナとにぎやかに過ごした。
キリスト教徒にとって、クリスマスは特別な行事で、
日本ではよく恋人同士で過ごす日、みたいに思われているふしがあるが、
クリスチャンにとっては、昔から〝家族とともに過ごす日〟と決まっている。

イタリアから遠く離れ、日本で暮らしてちょうど1年。
女房がたまたま表参道にあるイタリア菓子専門店Sで知り合い、
急速に親交が深まった。去年のクリスマスは、まだ日本に着いたばかりで、
友だちもなく、アパートの自室でひとりさびしいイヴを過ごしたという。

異国に暮らしていると、人の親切が身にしみる。
それは一時期外国で暮らした娘たち2人の話からも察することができる。
ボクは善意の押し売りをするつもりはないが、
困っている人を見ると、つい声をかけたくなってしまう。
何ともお節介で、うっとおしい性格なのである。

以前、地下鉄のプラットホームで、白い杖をついた女性が道に迷っていた。
ボクはすかさず彼女の手を引き、出口まで連れて行ってやった。
すると「ここの出口ではないようです」と彼女が遠慮がちにつぶやいた。
なんと反対側の出口へ案内してしまったのだ。
すかさず引き返したのだが、けっこうな道のりだったもので、
2人は汗だくになってしまった。ああ、ミステイク。
かえって迷惑をかけてしまった(笑)。あれは暑い暑い夏の日でありました。

最近、やたらと〝感情失禁〟が多くなった、という話を以前したことがある。
歳をとって人間が円くなったのか、それとも焼きが回ったのか、よくわからないが、
他人に対してやさしい眼差しを向けられるようになった、というのは事実だろう。
そのやさしさの100倍くらいの量をもっているのが長女で、頻繁に被災地を訪れ、
汗を流してきたところにも、その一端が現れている。

サブリナをクリスマスの夜に泊まりがけで招待したのも、たぶんその延長線上にある話だ。
若い娘が、ひとり自室にこもってクリスマスを祝っている図は、なんともさびしすぎる。
で、お節介にも声をかけ、手づくりのクリスマスを楽しんでもらったのである。

リビングに入って彼女がまず驚いたのは、ピアノの上に掛けられた
やたら大きいイタリアの三色旗だった。
長女がイタリア留学した時に、ホームステイ先でもらったもので、
それを納戸から引っ張り出し飾りつけたのだ。
「うわっ、これ何? アハハハハ……」
いきなり大笑いしていたが、目にはうっすら涙がにじんでいた。

食卓には手巻きずしとスペアリブ。キリスト教徒はイヴの晩に肉を食べない、
と聞いていたが、仏教&神道&似非キリスト教信者の嶋中家は、
そんなことは知っちゃァいない。
「サブちゃんは食べなくていいよ。ボクたちがぜ~んぶ片づけるから」
云うなり、みな無遠慮に骨付きポークにかぶりついた。
すると横目で見ていたサブちゃんも、いつの間にか手を伸ばしてムシャムシャ。
どうやら彼女も、謹厳な原理主義とは無縁のええかげんなクリスチャンだったようだ。

さて透け透けネグリジェを持参するものと期待していたのだが、
湯上がりのサブちゃんが着ていたものは、ウサギの耳のついた
フード付きのピンクのパジャマだった。サブちゃんは殊の外うさぎが好きなのである。
おじさんはひどくガッカリしたものだが、まあ、それはそれでとても可愛かった。

翌日の昼は練馬区光が丘のそば屋でもりそばと天丼をきれいに平らげ、
その翌日に、新年を家族と過ごすため、元気よくイタリアへ飛び立っていった。
サブちゃん、また来年会おうね。




←サブリナの守護神がこのうさちゃん。
  なんだか淋しそうな顔してる







←サブちゃんと田舎そば。
  このあと天丼も平らげた
 

2012年12月22日土曜日

Xmasの夜は

ぜんぜん仕事がはかどらない。まるで言葉が出てこないのだ。
もっとも、ない頭からむりやり言葉を絞りだし、
300枚の原稿を3週間そこそこで書き上げようというのだから、
ハナから無謀な試みというべきなのかもしれない。
というわけで、またまた気分転換をする。←こればっか!

ボクにもし取り柄がひとつあるとすれば、ひとを肩書きで見ないところだろうか。
これはおそらく小林秀雄や福田恆存、山本夏彦といった師匠連から学んだことだ。
何がきらいって、企業名や役職、肩書きといった威光をかさに着て、
いばり散らす人間ほどきらいなものはない。

高級官僚がまずこれに当たる。「外務省の役人ときたら……」
横浜APECの際、博報堂の社員などと一緒に外務官僚とやり合った女房は、
「もうこりごり」ともらしていた。慇懃無礼ですべてが上から目線。
エリート意識のかたまりで、民間の人間など虫けらくらいにしか思っていない。

政治家も同じ。選挙の時こそ米搗きバッタみたいにへいこらするが、
当選した途端に「おい、そこな町人」というような目つきになる。
だからボクは、できるだけ政治家という人種には近づかないようにしている。
人類の中でも、あまり上等とはいえない種族なのだ。

男には肩書き人間が多い。肩書きこそすべてで、それを失うことを死ぬほど恐れている。
その肩書きをすでに失ってしまったご隠居たちが、わが団地にはウヨウヨしている。
彼らは何かというと、現役時代の肩書きを持ちだしては胸を張ってみせる。
おとうさん、そんなものは何の役にも立たないのですよ。誰も畏れ入ったりはしませんよ
懇々と言い聞かせてやりたくなる。
なんとも哀れな光景ではないか。

人間の真の価値はどこにあるのだろう。
ボクは究極のところ、「人に対するやさしさ」ではないか、と思っている。
せっかくこの世に生を受けたのだ。世のため人のため、何かお役に立てることを
してからあの世に行きたい。人を幸せにするためのお手伝いを何かしてみたい。
こんなことを臆面もなく云うのは、実はとても恥ずかしいことなのだが、
いろいろ考えると、この結論にならざるを得ない。

口なんか悪くたっていい。乱暴者の酒乱でもいい。
どこかに一片のやさしさが感じられれば、ボクはその人を許し愛しもする。
ボクの友だちは数少ないが、みんな心やさしい人ばかりだ。
やさしさは心の余裕と教養から発するものだというから、
たぶんみんな揃って教養人なのだろう。

今年も押しつまってきた。毎年のことながら、ぜんぜん心に余裕がない。
仕事に追いまくられている割には金もない。ないない尽くしで、
今年も暮れようとしている。

Xmasの夜にはお目々パッチリのサブリナが透け透けのネグリジェを抱えて
泊まりに来るという。だからビング・クロスビーばりの美声で『ホワイトXmas』を
歌ってあげることにする。その美しい歌声が天にとどけば、
ひょっとすると、窓外は白銀の世界に一変するかもしれない。
それでは皆さん、メリー・クリスマス!



←♪ 雪は降る あなたは来ない
   雪は降る 重い心に 
              (アダモ)

   ああ、早く仕事が終わらないかな……
  

2012年12月21日金曜日

雪の上で眠りたい

朝から晩まで、原稿書きに追われている。
ここ数年は、自分の本を書かずに他人の本ばかり書いている。
奥付に名前が出るから、いわゆるゴーストライターとはいえまいが、
やっていることは同じで、地味な黒衣(くろこ)の仕事である。

その黒衣仕事が年末になって複数重なってしまった。
あちらが立てばこちらが立たず。どうにも八方ふさがりの状態だ。
同時に進行すればいいじゃないか、と言う人があるかもしれないが、
千手観音じゃあるまいし、いっぺんにいろんなことはできない。
凡人の悲しさか、ひとつずつ片付けていくしかないのだ。

そんなに忙しいのに、ブログなんか更新していていいのか、
とお叱りを受けそうだが、なにこんなもの、ものの数分で書いてしまう。
気分転換にはもってこいなのだ。

40年、活字をこねくり回して銭を得るという生活を繰り返してきた。
考えてみれば、言葉という符丁を用いて、妙な理屈をひねり出し、
世間を煙に巻いてきた。まさしく虚業というやつで、
ハナから商売往来には載っていない。

天職かと聞かれても困る。他の仕事を何ひとつ知らないからだ。
仕事がおもしろいかと問われれば、
「まあ、おもしろいと云えばおもしろいが、
つまらないと云えばこれほどつまらない仕事もない」
と答えるだろう。物書きというのは、実にとらえどころがない。

それにしても疲れた。右手首が軽い腱鞘炎を起こし、キーボードをうまく叩けない。
肩も猛烈にこっている。ギックリ腰が完治していないので、コルセットを巻きながら
パソコンに向かっている。目もしょぼしょぼして、画面の字がちらつく。
いよいよ体力と知力の限界なのかもしれない。

女どもはのんきに旅行に出かけ、2~3日帰ってこない。
ふつうなら万歳を三唱し、すぐに飲みに出かけるか、友達を呼んでドンチャン騒ぎ
をやらかすのだが、今度ばかりはそれもできない。もしそれをやったら、
担当の編集者が刺客を送り出すだろう。

ああ、なんて因果な商売なのだ。
おれの書いた文章は少しは世の中のお役に立っているのだろうか。
最近はそんなことばかり考える。たぶん疲れているせいだ。

今晩は雪が降るかもしれないと報じていた。
雪が降ったら、立ち小便をして「バカヤロー!」という字を書きたい。
誰に向けて発するわけでもない、生きている手応えを感じたいだけだ。

2012年12月17日月曜日

ああ、思いこみ

自民党の圧勝。すでに新聞・テレビでは各界著名人の論評がかまびすしい。
素人のボクなど何も言うことはなし。だから選挙のことは書かない。
「思いこみ」について書く。

これは実際あった話。
新米社員同士の会話で、AがBに尋ねた。「なるきち・おもあせ」って何だ?
問われたほうも分からない。しばらく思案してニッコリ。成吉思汗(じんぎすかん)だろ?

ふたつ目。これも実話。
「アシホっていいよね」
「どんなの書いてるの?」
「ほら、『少年愛の美学』とか『一千一秒物語』とか」
「それって、もしかしてタルホ(足穂)じゃないの?」
そういえば、福岡のコーヒー店「美美」のMさん、このイナガキ・アシホが好きだったな。
特に『一千一秒物語』が最高、と言ってたっけ。さっそく買って読んでみたけど、
なんだか夢を見ているようでよく分からなかった。
そういえば野坂昭如とアシホがブチューッとディープなキッスをしたことがあったな。
なんともおぞましく、気色わるかった。

三つめ。これも悲しい実話。
「きょうはシベリアヨクリュウについて話す」
と学生たちに向かって教授が一言。
「えっ? シベリアに翼竜がいたんですか?」

笑えるけど、笑えない。ボクも読み間違いではずいぶん恥をかいてきた。
「間断なく」を「マダンなく」と読み、「小康状態」を「コヤス状態」と読み、
「居住空間」を「イジュウ空間」などと読んでいた時期があった。
いまでも女房は、
「やーい、やーい、コヤス状態のイジュウ空間やーい!」
とバカにする。

むかし、経営コンサルタントで「日常茶飯事」を「日常チャワンゴト」と言う人がいた。
講演などでもこのチャワンゴトをやたら連発するものだから、
こっちはヒヤヒヤ・ニヤニヤしたものだが、誰も教えてやるものはなかった。
「ほら、またやったよ」
けっこうみんな楽しみにしていたのかもしれない。

あんまり偉くなってしまうと、周囲のものが指摘しづらくなってしまう。
つまり〝裸の王様〟になってしまう。
「言及する」を「ゴンキュウする」という偉い人が身近にいるのだが、
だれも正してやらないから、いまでもゴンキュウが続いている。
ボクも底意地がわるいから知らんぷりしている。
しばらくはゴンキュウで楽しませてもらうことにする。



←ああ、気色わるッ!
アシホとアキジョのフレンチキッス


 

2012年12月14日金曜日

白バイ隊、大っきらい!

昼頃、隣町の駅前で交通違反を犯してしまった。
罪状は横断歩道上の歩行者を妨害したという一時不停止。
減点2で、罰金9000円。これでゴールド免許からブルー免許に格下げだ。

歩行者3名が横断歩道(15m以上と長い)を3分の1くらい渡りかけていたから、
徐行して通過したのだが、途端に「ウーウー」というサイレン。
(えっ、ウソだろ? どこが違反なんだよ)

車を道路の左側に寄せると、若い白バイ隊員が降りてきた。
「免許証をおねがいします」
こっちはもう半分キレかかっている。

「歩行者の鼻先をかすめていったわけでもなく、
十分な距離があったからこっちは徐行して通過したんだ。
それのどこが悪いんだよ」
「歩行者は横断歩道の中程まで来てました」
「いや、渡りはじめだった」
「私はちゃんと見てましたから」
「いったいどこから見てたんだよ。横から見てたら正確な距離感なんかつかめないだろ」
駅前の人混みを前にして、ふたりして大声で怒鳴り合い。
「あのオッサン、ずいぶんがんばってるじゃないの」
通行人たちはみんな面白がって見守っている。

この程度の違反(こっちは認めてない)なら、昔は「次から気をつけてくださいよ」
と大目に見てくれた。が、今はすべてが杓子定規で、目こぼしすることはまずない。
「もしも人を轢いてしまったら、旦那さん(警官は必ずこう言う)の人生はおしまいです……」

白バイのおニイちゃん、図に乗って偉そうな道徳論までぶちはじめたものだから、
「そんなことは百も承知だよ。こっちはおまえさんがオムツをしている頃から車に乗ってんだ。
つまらない講釈なんか垂れなさんな。それより税金でおマンマを食わせてもらいながら、
善良な市民(ボクのこと)を、それも忙しい年の瀬にいたぶって、いったい何が楽しいんだ?
おれなんかより、もっと悪いヤツは他にいっぱいいるだろ。見えないところに隠れていて、
いきなり飛び出してきて捕まえるなんざ、やり方が姑息で卑怯なんだよ。
おれは卑怯なことをする人間が大きらいなんだ。おまえさんだってせっかく警官になった
んだろ、だったらもっと世の中のお役に立つような仕事をしたらどうなんだ、えーっ?」
どっちが警官だかわからない。

こんな凶暴なバカおやじにつき合っていられない、と思ったのだろう、
説教するのをあきらめ、白バイ隊員は反則告知書をせっせと書き始めた。
以前、別の隣町で一時停止違反で捕まった時は、若い警官に向かって
「おまえみたいな男に俺の娘は絶対嫁にやらないからな」←いらねえや、そんなもん!
などと、わけのわからぬ暴言を吐き、
危うく公務執行妨害罪で捕まるところだった。

「……ったくもう、また一時停止違反? いったい何度やったら気がすむの? 
あ~あ9000円か、もったいない。罰としてしばらく断酒して反省すること。
もう、ホントにバカなんだから」
愛妻からは温か~いお言葉をいただいた。


明朝、わが小っちゃな町の駅頭に安倍自民党総裁がお出ましになるという。
験(げん)直しにさっそく応援に駆けつけ、安倍ちゃんのご尊顔を拝してこよおっと。
それにしても、交通警官ってやつはほんとアッタマ来る。←それが逆恨みだっつーの!



2012年12月9日日曜日

ヒラメ顔と濃ゆい顔

昨日、彫刻みたいに〝濃(こゆ)い顔〟のSabrinaが遊びに来た。
サブリナという名前はオードリー・ヘップバーン主演の『麗しのサブリナ』で知られるが、
イギリスの詩人ミルトンの詩の中に出てくる川の妖精名がその由来なのだという。
さて妖精のような?彼女は来日10ヶ月目の、お茶目でフレンドリーなローマっ子。
歓迎の意を込め、例によってわが家の名物「特製棚卸し風キリタンポ鍋」という
濃ゆい料理でもてなしてあげた。

ご承知のように、わが家は典型的なアジア顔で、揃ってアンパンマンみたいに
まあるい顔をしている。その平べったい顔を真横にすると、ちょうどサブリナみたいに
細長く尖った顔になる。片や目と口が大きく、鼻は天にそそり立ち、顔に凹凸がある、
こなたすべてのパーツが小づくりで、煎餅みたいに平べったくメリハリがない。
同じ人類のはずなのに、どうしてこんなにも顔の造りが違うのか、
ボクは世にも珍しき濃ゆい顔を穴のあくほど見つめてしまった。

肝心のディナーだが、鍋に入れたのは骨付き鶏肉、鶏挽肉ベースの肉ボールに、
野菜はセリ、春菊などの青菜。各種キノコ類にキリタンポ、
そしてその他冷蔵庫内の余り物(だから〝棚卸し鍋〟なの)だ。
いつもならせっせと自家製キリタンポを作るのだが、今回はギックリ腰がまだ癒えず、
凝った料理はいっさい省略。横着して市販品で間に合わせた。
鍋の締めは中華麺にサトウの切り餅だ。

サブリナはイタリア人のくせにチーズが食べられず、
辛いものもいっさいだめ。チーズがダメだから、ピッツァなども
よく確認してから食べるという。また辛いものが食べられないのに
激辛の韓国にも行ってみたいという。行ったらたぶん餓死するだろう。

「お餅は食べられるだろ?」
「Si, 焼いたお餅なら、食べたことあります」
「お醤油と海苔をつけて食べたの?」
「No, 何もつけないで食べた。味はしなかった」
当たり前だ。

日本人はガイジンと見ると納豆とか梅干しをむりやり食べさせたがるけど、
彼らにしてみればいい迷惑で、粘りけのある餅も苦手というものが多い。
ところがサブリナは上手に箸を使い、ビョーンとのびる餅と必死に格闘していた。

サブリナは新大久保の外国人向けアパートで、アイルランド人の女性と
room shareをしている。ところがこのルームメイトが衛生観念ゼロのがさつな女で、
部屋は散らかし放題。おまけに「あんたはうるさい」などと暴言を吐くという。
それでも争いを避けたい彼女はひたすら「忍」の一字。
いまや同居人に家政婦みたいにこき使われているという。

以来10ヶ月、溜まりにたまったストレスは爆発寸前だ。
ワインの酔いが回るほどに饒舌になり、目や口や手の動きが激しくなってきた。
そして、いかにこの相方が酷薄な女であるか、身ぶりよろしく語り出した。
つらい話だが、そこはさすがにローマっ子だ。すべてを笑いに変えてしまう。
その表現の豊かなこと。爆笑に次ぐ爆笑で、食卓はたちまち笑いの渦に包まれた。

「今日は遊びに来てほんとうによかった。ここにもう1つの家族ができたんだもの」
そうだね、慣れない異国での暮らしはストレスが溜まるだろうし、
イタリアのお父さんお母さんも心配しているからね。

気分がふさぎがちになったらいつでもおいで。
また一緒に鍋でも囲んで大いに語り合おう。←この家には「鍋」しかないのか
「次に来る時はパジャマ持ってくる」とサブリナはいたずらっぽく笑った。
おじさんとしてはネグリジェのほうが嬉しいんだけど、まあそれはそれとして、
いつでも歓迎するよ、Ciao!





←まあるい顔と長い顔。
「わたし、実はまるい顔にあこがれてるの」
とサブリナ。気を利かせたつもりだろうが、
あんまり嬉しくない。
 

写真を撮る時のピースマークは、
日本の女の子の影響か。
うるさいことを言うようだが、わが家では娘たちに
撮影時のピースマークを厳禁している。
幼稚でバカっぽいからだ。
ただし、お客さまは別です。

2012年12月5日水曜日

メカケ根性が板につき

総選挙を前にして、例によって左翼リベラル政党の党首たちは「平和憲法を守ろう」
「原発のない社会を」などと、相変わらず耳に心地よいスローガンを並べ立てている。
クリーンなエネルギーと簡単におっしゃいますが、どうやったら新たな電力安定供給が
できるのかという具体論になると、途端にしどろもどろになってしまう。

ここでも「脱原発」か「続原発」かの単純な二元論を掲げ、「続原発」支持派を民意を
無視した悪者に仕立て上げようとしている。そりゃあ、原発なんかないほうがいいだろう。
でも仕方ないではないか。段階的に廃炉にしていくのはいいとしても、
いきなり風力だ地熱だといわれたって、世界第3位の経済大国がそんなものでやっていける
わけがない。それに世界一の原子力発電技術(アメリカも日本に依存している)をみすみす
捨ててしまうのか? 失業した技術者が中国や韓国、イランなどに流出したらどうするのだ。
原子力は国家安全保障の問題とも密接にからんでいるのである。

自民党の安倍総裁は憲法を改正して自衛隊を「国防軍」に変えると主張している。
それとともに、「集団的自衛権」の行使を認めるよう政府解釈を変更するとも言っている。
この発言をとらえて「今にも戦争が始まるぞ」みたいに恐怖心をあおっているおバカさん
たちがいるが、支那や朝鮮の回し者が何を言うか、である。

集団的自衛権というのは、たとえばあなたが仲のいい友だちA君と歩いていたら、
いきなり数人の不良に囲まれ、金を出せと脅されたとする。勇気あるA君が突っぱねると、
不良たちは「生意気だ!」と彼に対し殴る蹴るの暴行を加えた。
さて、あなたならどうする? A君を助ける? 
それとも君子危うきに近寄らずで、スタコラサッサと逃げちゃう?

現行憲法では、第9条が「武力行使」を認めていないため、たとえ親友のA君が
ボコボコにされても助けることはできず、せいぜい「がんばってね。応援してるから」
と声援を送るしかない。数週間後、今度は同じような状況下で、あなたがボコボコに
される立場になったとする。「痛い、殺されちゃうよ。A君! 助けて~!」
まだ傷(心の傷もある)の癒えないA君が、薄情な君をはたして助けてくれるだろうか。

集団的自衛権などという難しい用語を使うからよく分からないけど、要はこういうことで、
A君はすなわちアメリカのことだ。11月29日、アメリカ上院は尖閣諸島に対して
日米安保条約の適用を明記した条項を国防権限法案に盛り込んだ。つまり尖閣が
第三国から侵略ないし攻撃を受けたら、「日本に助太刀いたす」と明確に宣言して
くれたのである。当然ながら、支那は猛然と反発している。

日本はホッとひと安心、といったところかもしれないが、いざとなったら自分を助けてくれない
薄情な日本をほんとうに救ってくれるだろうか、という一抹の不安は残る。ボクがA君だったら、
卑怯で薄情な友だちとはとっくの昔に縁を切っている。「困ったときの友が真の友」というが、
集団的自衛権の問題はまさにそれなのである。

戦後67年、日本はアメリカというお大尽の旦那から「平和憲法」という貞操帯を押しつけられ、
浮気もせず妾宅にこもって旦那一筋に生きてきた。67年も経つと、さすがにメカケ根性も
板につき、「できればずっとお気楽な妾でいたい」などと思うようになってきた。
かつての「サムライの子孫」という気概はとっくの昔に失われている。平和さえ続いて、
ゴージャスな生活が送れれば、国や民族の生き方などどうなってもいい、
とさえ思うようになっている。

ボクは個人の生命より大事なものがある、と考える古いタイプの人間なので、
「平和、平和」と念仏のように唱える連中とは一線を画したいと常々思っている。
要は「お妾さん」を廃業し、ギックリ腰であっても自分の足で立ってみたいのである。
自分の身は自分で守りたいのである。誇りと気概を持って生きたいのである。
そして友だち(A君は自分勝手でけっこう嫌なヤツだけどね)は大事にしたいのである。

これからにぎやかな選挙戦が始まる。
候補者名を連呼するだけの、
あの貧しい選挙戦が。




 ←こっちはAKB48の総選挙。
  投票率は80%近いという。
  ボクもこっちのほうがいいな。
 

2012年11月30日金曜日

ハレムな朝

昨日の朝、またまたギックリ腰をやってしまった。
日頃、水泳やジョギングで身体を鍛えているつもりなのだが、
持病の腰痛は相変わらずだし、時々、このギックリ腰を再発させてしまう。

今朝は駅前のT歯科に一番で予約してあったので、無理して出かけた。
杖をつき、カメのようにのろのろと、途中で何度も一服し、
どうにかこうにかたどり着いた。ふと気づいたのだが、どういうわけか、
歩行の際に身体が右に15度ほど傾いている。どんな状況下にあっても、
左傾化することがないという志操堅固な精神。まさに日頃の精進のたまものだろう。
われながら自分を褒めてやりたくなる。

いくぶん首うなだれ、哀れっぽいかっこうで医院の扉を開けたら、
可愛い受付嬢が「どうしちゃったんですかァ?」
と驚き、やさしくいたわってくれた。がんばった甲斐があった。

この駅前のクリニックにはすでに15年通っている。院長の腕は並みの上といったところだが、
歯科技工士たちがいい。腕だけでなく、なんと粒選りの美女ばかりが揃っているのだ。
たぶんそのお陰だと思うが、近隣に数店舗を展開、どこもみなハレムか後宮のように
美女たちが迎えてくれる。当然のことながら待合室は助平なおじさんたちでいっぱいだ。
ボクが浮気をせず15年間通い続けられたのも、この〝美女パワー〟のお陰なのである。

さて、いつも思うのだが、診察台に横になり、大口開けている図はどう見たって間が抜けている。
それに口の中なんて歯垢がいっぱい溜まっているし、虫歯だってある。歯抜けのジジババだって
来るのだから、惨憺たる光景で、とても見られたもんじゃない。
人一倍美意識の発達しているボクとしては、実にどうにも、堪えがたいひとときなのである。

おまけに、そのマヌケな口の中を「どれどれ」とばかり美女にのぞかれる。
時には指を乱暴に突っ込まれ頬を横に引っぱられる。そしてガリガリやられる。
いつだったか、「はい、アーンして」といわれたことがある。俺は赤ちゃんか?

それでも美女にグリグリされたり、プニュプニュされたりするのは気持ちがいい。
意図的なのか、美女の胸が時折ボクの頭にツンツン当たることがある。
「男の患者さんには〝スペシャルサービス〟をしてやるように」
と、商売上手の院長からきつく言い渡されているにちがいない。
こんな素敵なサービスがあるのなら、おじさんたちは這ってでも通う。

ところが、支店網を拡大しすぎたのか、美人技工士が品薄で、
なかなか集められなくなったという。時折、相撲取りみたいな体格を
したおばさん技工士を見かけることが多くなったから、
いよいよ急速成長のひずみが出てきたのかもしれない。
「でね、最近は男の、それもジャニーズ系の技工士を採るようにしたんですよ」
マジメな顔して院長が言う。いったいどーゆう経営方針なのだ。
結果、おばさんの患者が急増したという。

「ひどいな。そんなのマニフェスト違反じゃないの」
ボクが厳重に抗議すると、院長は「ヘッヘッヘ」と笑い、空っとぼけた。
今日は頭のツンツンはなく、最初から最後まで院長にガリガリ、バキバキと
乱暴にいじくり回された。ギックリ腰をおしてわざわざ行ったのに、何という仕打ち。
サイテーの1日が始まった。




←こんな美人にグリグリ、ぱみゅぱみゅされたい。
  「はい、アーンして」
  「アッハーン……」
 

2012年11月25日日曜日

われら絶滅危惧種

本を買うとなると、昔は池袋・東武デパート7階の「旭屋書店」や西武の「三省堂」まで、
あるいは駅南口の「ジュンク堂」まで足をのばしたものだが、最近は横着になって、
ほとんどAmazonですませてしまう。送料無料だし、レビューなども参考になるので、
わざわざ電車賃をかけて都心まで出向く必要がなくなってしまったのだ。

近所に本屋がないわけではない。駅前にそこそこ大きい本屋はあるのだが、
ほしい本がない。もっと言えば、食いもの屋に入ったはいいが、滋養があって、
美味で、噛むほどに味がしみ出してくるような、見るからに旨そうな食い物が払底している、
といったあんばいなのだ。食いたくても食えるものがない、というのは実に気の滅入る状況だ。

小さな本屋となるともっと悲惨で、雑誌と受験参考書と漫画しか置いてない。ブックオフも
同様で、実に惨憺たる光景が広がっている。ドストエフスキーは? チエホフはどこにあるんだ?
ボクたちの青春時代をよくも悪くも彩ったあの〝純文学〟が跡形もなく消え去ってしまっている。
(ああ、こうやってオレとオレの属する「種」は絶滅していくのだな……)
思わず背筋がゾーッとして、後ずさりしたくなる。

こうした感慨を懐いているのは当然ながらボクたちだけではない。、
おそらくは何百年も繰り返されてきた慨嘆に他ならない。現にボクの読解力では
せいぜい鷗外漱石までで、露伴となるともうお手上げだ。漢籍の素養がないため、
まるで歯が立たないのだ。こうして露伴や鏡花が忘れられ、一葉でさえ
満足に読めない世代が多数派を占めていく。歴史文化の連続性は
ここでプツリと絶たれる。

ボクらの世代にはまだ教養主義の残滓があった。無知な人間を軽蔑する風潮があった。
自室の書棚にはあふれんばかりの本が並び、哲学書や社会科学系の小難しい本を
みな競って読んだ。無知であることは恥ずかしきことで、酒の席でも、
英国人がシェイクスピアの金言を引用するみたいに、自然と文学作品や詩の一節が語られ、
みなそれに堂々和して議論を高めていった。

それがどうだ。いまや純文学どころか、文学の「ぶ」の字も出てきやしない。
電車内では背広姿のサラリーマンが、恥ずかしげもなく分厚い少年漫画を広げ、
コンビニでも、いい大人が週刊エログロ漫画を食い入るように見つめている。
「いい年をして、恥ずかしくないのか、このスットコドッコイ!」
怒鳴りつけてやりたくなるが、恐いのでぐっとガマンする(笑)。
廉恥心はとっくの昔に失われ、平成無教養主義という名の氷河期が
日本国じゅうを覆い尽くしている。嗚呼!

「結婚相手は最低でも3000冊、いや2000冊の本を読んだヤツでないとだめだからな!」
と、わが豚児たちには厳しく言い渡してあるが、なに、ちっとも聞いちゃァいない。
今どき、そんな男は金の草鞋で尋ねたっているものではないし、そんなことは
とっくの昔に分かっている。分かってはいるが、ひとこと言っておきたいという、
むずかしい年頃なのですよ、この気難し屋のポンコツおやじは。

ああ、なんとしたことだ。絶滅寸前の恐竜たちの心持ちが実によく分かってしまう。
すでに自分の居場所がなく、用なしの烙印が押された寒々しくも切ない気持ちが。
この際だ、ボクも愛しのマックの決め科白をパクってしまおう。
Old soldiers never die; they just fade away.
消え去るってどこへ? 
「老人ホームですよ」
「へーっ、気が早いね。どこの何という名のホーム?」
「アルツハイム」←ちょっと作りすぎちゃったかな、ヘヘ(笑)。

 

2012年11月20日火曜日

ストーカーと呼ばないで

いわゆる「ストーカー殺人事件」が頻発している。相手に執拗につきまとい、
相手だけでなく、その家族にまで危害を加える。ボクにはストーカー心理ってもの
がよく分からないが、年頃の2人の娘をもつ親としては無関心ではいられない。

ストーカーという呼称は90年代に定着したという。それ以前は「変質者」とか「変態」と
呼ばれていた。ボクは〝呼び方〟は大事だと思っている。一時、「援助交際」という
言葉が流行った。ボクは最初、女性に不慣れな若者たちを支援するボランティア活動
かな、などと思ったが、大いなる勘違いで、実体は「売春」そのものだった。

言葉というものはふしぎだ。援助交際と呼ぶだけで、その意味合いが軽くなり、
罪の意識も薄れる。そのためか、気軽に売春する少女たちがどんどん増え、
買春するオジサンたちもまた増えた。日本語の構造にはそうした〝すり抜け〟
がある。

ストーカーという言葉は、なんだか響きがカッコよすぎる。言葉がカッコいいと、
やってる本人の罪の意識も軽くなり、マネするバカな人間がホイホイ出てくる。

そもそもstalkerという概念は、アメリカなどでは「殺人を目的につけ狙う」という
意を含み、日本とは自ずと異なっている。本来のstalkは「大またに歩く」だが、
他に「獲物を狙ってそっと歩く」の意もある。いずれにしろヨコ文字にすると
カッコよく響いてしまうのは欧米コンプレックスのなせる業か。ボクは思うのだ。
この際、ストーカーという言葉を廃し、「変質者」とか「変態」「色魔」といった
恥ずかしい呼び名を復活させるべきだと。

とにかく犯罪的行為に対してはカッコいい呼び名は付けないこと。
ストーカーと呼ばれると、つい「おれもやってみよう」というコピーキャットが
出てこようというものだが、もろ「変態」とか「色魔」と呼ばれたら、
「カッコ悪いからやめとこ」ということになる。この手のロクデナシたちには、
恥ずかしくてお天道様の下を歩けないような名前をつけてやるに限るのだ。

その点、中国語はハッキリしている。ラブホテルは『色情旅館』」だし、
映画の『危険な情事』(Fatal attraction)は『致命的吸着』と訳されている。
たしかにマイケル・ダグラスは、おっかないグレン・クローズに対して
致命的な吸着を犯してしまった。吸着するちょっと手前くらいでガマン
しておけばよかったのに、実に惜しいことをした。

言葉の問題を言い出すと切りがないのだが、「~とか」「~のほう」「~ってゆうか」
といった、いわゆる〝ぼかし言葉〟も若者たちの間ですっかり定着してしまった。
「一応」とか「とりあえず」といった言葉もよく使われる。
「大学はどこなの?」
一応東大です」
なにが〝一応〟だコノヤロー! ←オジサンは東大と聞くとなぜか突然凶暴になる

劇作家の永井愛が、ある夜奇妙な夢を見たという。
どういうわけか、あの植木等が、若い男に包丁を突きつけ、
「〝ら〟を入れろ!」と脅している夢だ。
「金をよこせ」ではなく「らを入れろ」と脅迫する光景。けっこう笑える。

わが家の全員はかろうじて「ら」を入れている。でも次女は時々、
「~ってゆうか」を使うし、もっと過激に「~てか」になることもある。
衆寡敵せず。そのうち多数を占める「ら抜き」派に吸収され、
少数派の「ら入れ」派に向かって「らを抜くんだよ!」と包丁で脅しているかもしれない。

「あなたは〝ら入れ〟派? それとも〝ら抜き〟派?」
「はい、一応〝ら入れ〟派です」←てめぇ、コノヤロー!





←よりどりみどりの「色情旅館」街。懐かしいなァ。
 ♪そんな「時代」もあったねと~←歌ってる場合か!

2012年11月15日木曜日

ウソつきじゃないもん!

野田のどぜうも〝ウソつき批判〟に耐えきれず、とうとう衆議院を解散すると宣言した。
公示は来月4日で、投開票は東京都知事選と同じ16日だ。

どぜうは小学生の時、成績の下がった通信簿を恐る恐る父親に見せたという。
激しく叱られると思ったが、そこには担任教師の手で「野田君は正直の上にバカがつきます」
と書き添えてあった。父はとても喜んだという。正直の頭(こうべ)に神宿る、というわけか。
まるでジョージ・ワシントンと桜の木の話みたいだ。安倍自民党総裁との党首討論の際、
そんな微笑ましいエピソードまで持ちだし、自分はウソつきどころか
バカが付くくらい正直な男なんだ、と力んでみせた。一時、燃え尽き症候群か、
と揶揄されていた〝どぜう〟も、亡びの前の輝きか、あの日はやけに元気がよかった。

これは余談だが、少年ワシントンが斧で父親の大事にしていた桜の木を切ってしまったとき、
父親はなぜその場で叱らなかったのか。あの時、ワシントンは正直に「ボクがやりました」と
告白した。父親はほんとうのところ叱り飛ばしてやりたかったのだが、なぜか
「お前の正直な答えは千本の桜の木より値打ちがある」などと逆に褒めあげてしまった。
ではなぜ叱らずに褒めてしまったのか?
答え:ワシントンがまだ斧を手にしていたから(プッ)

さて、欧米にあっては、ウソつき呼ばわりされることは今も昔も最大の侮辱だ。
男が面と向かって“You liar!”といえば、即その場で決闘が始まるという時代もあった。
こうなると、ウソばかりついている中国人や韓国人は毎日のように決闘していなくては
ならなくなる。そういえば昔、中国の要人が、
「たとえウソでも何度も繰り返し言い続ければ真実になる」
なんて言ってたっけ。そのことがまさに「尖閣」で証明されようとしている。

総選挙になると、いわゆる〝陣笠議員〟というやつが、いやがおうもなく選ばれてくる。
陣笠議員というのは、小泉チルドレンとか小沢チルドレンと呼ばれているような代議士
たちで、議会などの採決に当たって、自分の庇護者である大物政治家の「挙手要員」に
成り下がっている、社会人のなかでも最も低劣とされる〝税金ドロボー〟のことだ。
残念ながら〝柔(ヤワラ)ちゃん〟こと谷亮子もこのドロボーの一味だ。

選挙の際に、よく「人がらで選ぶ」と言うものがあるが、この手合いがいちばんダメだ。
自慢じゃないがボクなんか、見てくれは10人くらい人を殺していそうな極悪人の顔をしている
(運転免許証の顔がまさにそれ)。でも、人がらはとてもいい(自分で言うな!)。

昔から「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」というではないか。
人の性行(人がら)の善し悪しなんて、親しく接してみなければ分からないのだ。

また代議士のことをまるで国民の代弁者のように思っている人が少なくないが、
実際は党の「代者」ならぬ「代者」に過ぎぬ、と福田恆存は喝破している。
《代議士は始めから人ではない、数である。もし人であるとすれば、問題は彼が何人分
であるかという、その党内、党外の勢力にある。何人分というのは、つまり数ではないか》
(『民主主義を疑う』より)

選挙のたびに「党」か「人」か、あるいは「政策」か「人がら」かという愚問が投げかけられる。
それがまた高踏的に論じられたりするから、ますます救われなくなる。
何度も言う。代議士は「人」ではない、「数」なのだ。「政策」ではなく「人がらが良さそうだから」
なんてアホみたいな理由で投票するから、日本の政界は「無脳」の巣窟になってしまうのだ。

「こんどの選挙は天下分け目の関ヶ原になる」と〝耐用(年数の切れそうな)の党〟じゃない、
〝太陽の党〟の石原党首はのたまわった。さあ、どの党に投票しましょうか。
前回、「いっぺんやらせてみようよ」と軽い気持ちで民主党に1票を投じたあなた! 
こんどこそ、こんどこそ、あなたの良識が問われますよ。
千慮(一失はあるけどね、ヘヘ)は、まあいいけれど、浅慮は禁物ですぞ。



←陣笠議員の典型が小沢チルドレンの一員〝柔(やわら)ちゃん〟。
  議員になった途端、金メダルのメッキが剥げ、
  人間の値打ちが急落。
 
  とうとう税金ドロボーと呼ばれることに。





 

2012年11月13日火曜日

紅茶党に囲まれて

1日に何回コーヒーを飲むだろう。
毎日、午前10時頃に机に向かうのだが、そのときにドリップだてしたコーヒーを1杯飲む。
起き抜けに飲むこともあるが、そのときは横着してインスタントにしてしまう。
でも、飲むといつも後悔する。やっぱりインスタントはまずい。
冷めるととりわけまずくなる。アラビカ種のコーヒーなら冷めてもうまいが、
ロブスタ種を胃の腑へ流し込めるのは熱いうちだけだ。

わが家の冷蔵庫&冷凍室にはコーヒー豆がいっぱい、と以前書いた。
自分で焙いたのもあるし、全国から取り寄せた名店のコーヒーもある。
自分で焙いたコーヒーをご近所さんに配ることもある。
でも、なぜか紅茶党が多く、「コーヒーは苦いから」と敬遠されることがある。

話はガラッと変わるが、
ボクの住んでいる棟はすべて4LDKで、戸数も56と少ない。こうした小ぶりの棟が
全11棟ある団地の中で3棟だけある。で、2LDKや3LDKに住む他の棟の人たちからは、
「ああ〝金持ち棟〟の方ですね」などと皮肉っぽく呼ばれたりする。
たしかにボクの周りには医者や弁護士、大学教授、一部上場企業のお偉いさんと、
近寄りがたい人ばかりが集まっている。そんな中にポツンと中流の下のわが家が
混じっているのだから、どうしたって浮いてしまう。

「これ、ボクが焙いたコーヒーなんですけど、飲まれます?」
上品そうな奥様に恐るおそる差し出すと、ちょっぴり困ったような顔つきになる。
「あたくし、どちらかというと〝お紅茶〟のほうが……」
(〝お紅茶〟ときたもんだ。まいったな……)
というわけで、わが棟内ではコーヒー党は少数派のようなのだ。

ボクのカミさんも実は紅茶党だった。お嬢さん育ちというわけではもちろんないが、
実家ではもっぱら紅茶を飲んでいた。でも今はすっかりコーヒー党に〝転向〟。
今や深煎りコーヒーがないと仕事が手につかないほどだ。

コーヒーを敬遠する人たちの多くは、たぶんほんとうにうまいコーヒーを飲んだことが
ないのだろう。誰だってインスタントや缶コーヒーばかり飲んでいたら、
コーヒーが嫌いになってしまう。←缶コーヒー飲むなら「街カフェ」のコンビニへどーぞ

名店中の名店といわれた吉祥寺「もか」の標交紀(しめぎゆきとし)は、
《世の中の99%の人はほんとうにおいしいコーヒーを知らない》
と言っていた。たぶん当たっているだろう。
フレンチといえば結婚披露宴に定番の「伊勢エビのテルミドール」しか
食べたことのない人が、ほんとうのフレンチの奥深さを知らないように。

標のコーヒーは飽きるほど飲んだ。
そのどれもが、居ずまいを正したくなるほど端正なコーヒーだった。
《品格のないコーヒーは踏み倒していい》
そんなことも言ってたっけ。
コーヒーに〝品格〟まで求めようとする日本人。
この国の住人はほんとうに変わっている。

さて日頃、ブログの中で悪口ばかり書いている朝日新聞が、どういう風の吹き回しか、
ボクの本『コーヒーに憑かれた男たち』(中公文庫)を土曜版Be(2012・11・10)
で紹介してくれた。なんとアガサ・クリスティの『ブラック・コーヒー』をも凌ぎ、
畏れ多くも筆頭に掲げてくれたのだ。やっぱ朝日はお目が高い!(←すぐこれだ!節操がないね)
とゆーことで、今後は朝日への〝毒言毒語〟の舌鋒が腰砕けになりそう、
という観測が早くも流れている(笑)。
長いものには巻かれろ主義か? こちとら、ハナから節操なんてないもんね、
ヘっヘっヘっ……。





←拙著『コーヒーに憑かれた~』には
「もか」の標交紀さんの奇行奇癖も
いっぱい出てきます。標さんが亡くなって
もうすぐ5年(2007・12・24没)です。

2012年11月11日日曜日

犬と中国人

昨日、女房がイタリアから帰ってきた。1年365日、ほとんど休みなしで働く自分自身への
ご褒美なのだろう。彼女の大好きなトスカーナ地方で、1週間の骨休めをしてきた。
亭主の稼ぎが悪いので、カミさんも何かと苦労が絶えないのだ。

女房は料理記者でフレンチとイタリアンが専門、とはすでに述べた。だから遊びと云っても、
半分仕事みたいなもので、今回も珍しい物を食べたり、チーズ工房、ワイン醸造所などを
見て回ったという。

「イタリアはどうだった? 景気悪そうだった?」
ボクの関心はどうしてもEU経済危機のほうに向いてしまう。
「そうね、どことなく街がさびれているという感じだわね。ヨーロッパ人観光客が
ほとんどいなくて、わが物顔に闊歩してるのは中国人と日本人くらいかしら」

そういえばテレビのドキュメンタリー番組でスペインの経済危機についてレポートしていたが、
状況はイタリアの比ではないらしい。住宅ローンが払えなくなった人たちは、
なにしろ食べるものがないものだから、閉店後のスーパーのゴミ箱をあさっている。
今までごくふつうの生活をしていた中産階級の人たちが、急転直下、ゴミあさりだ。
この光景には唖然とした。

さて支那人と云えば、つい最近、こんな事件があった。
2014年開業予定のフランスの高級ブティックホテルが、「中国人客お断り」の宣言をし、
その後、すぐに撤回したという事件だ。ホテルの創業者はこう言ったという。
《40室のホテルはプライベートホテルっぽいが、すべてのお客さまに開放している。
ただし、こちらとしても客は選びたい。たとえば中国人観光客はお断りする。
建設地のパリ市民は『特定のプライバシー空間と静かなホテル』を望んでいるからだ》

最近、「Sinophobiaシノフォビア」という英語をよく目にする。「sino=中国」と「phobia=嫌悪」
がくっついた言葉で「中国ぎらい」という意味だ。むかし日本人がエコノミックアニマルと
呼ばれて総スカンを食ったことがあるが、その総スカンのお鉢が今度は支那人に回された、
という感じだろうか。形を変えた黄禍論Yellow Perilの再来かもしれない。

支那人のマナーの悪さは世界的に有名だ。
特に集団になると絶望的で、街中にしろレストランの中にしろ周りなんかおかまいなしに、
ツバを飛ばし大声でしゃべりまくる。アスファルトの道の上に平気でツバや痰を吐く。
またホテルの備品を平気で盗む。盗むものは火事の際の非常脱出用ハンマーや水道の蛇口、
テレビのリモコンといったもので、鍵のかかっていないもの、チェーンでつながれていないもの
は持っていってもいい、と勝手に思っちゃうらしい。

いちばん困るのはトイレだという。支那では下水がよく詰まる。時に逆流したりするので、
ウンコ付きのトイレットペーパーはトイレに流さずゴミ箱に捨てる。
それを海外でやってしまうから、その置きみやげの臭いこと臭いこと。
ホテルやレストランでは上を下への大騒ぎになってしまう。

「ホテルの朝食時には紅茶用のお湯がポットに入れられて置いてあるんだけど、
そのお湯を中国人のおばさんたちは持参のポットに全部入れちゃうの。
他の客が困ってサービスの人に湯の補充を頼むと、また別のおばさんが
自分のポットに入れてしまう。あとで口直しに中国茶でも飲むのかしらね。
とにかく自分さえよければ何をやってもいい、というのが中国人の際立った特徴かしらね。
これじゃあ嫌われるのもムリないわね」
と女房も少々おかんむりだ。

日本人も昔はステテコ姿でホテル内を歩いたり、韓国のホテルでは農協のおっさんたちが
まっ昼間からキーセンを自室に引っ張り込んだりして、ホテルマンの眉をひそめさせたものだ。
もっとずっと昔はアメリカ人やドイツ人が世界各国でひんしゅくを買い、
日本人が恥をかいたあとは、金持ちの支那人や韓国人が後に続いた。
こうやって100年くらい恥をかき続けると、マナーが少しずつ身についてくる。

さらにもっと昔、支那にあったフランス租界内の公園には「犬と中国人は入るべからず
という看板が立てられていた。あれから100年ちょっとで、今回のフランスでの
「中国人お断り」騒動。お高くとまった欧米人の上から目線も鼻持ちならないが、
郷に入っては郷に従えで、白人のルールに従わない支那人も悪い。

おそらく支那人の場合は100年ではきかず、マナーが洗練されるまでには、
どう転んでも1000年くらいはかかるだろう。
その間は、世界があの騒々しい連中の傍若無人にひたすら堪えるしかない。




←犬と同列にされたら支那人だって怒るよね。
ちょっぴり同情します。



 

2012年11月7日水曜日

貧しき履歴書

みんなで寄ってたかってなぶる。「なぶる」とは責め苛み、いじめ倒すことだ。
漢字でどう書くかというと「嬲る」。男2人が女1人を間に挟んでいたぶっている構図だ。

近頃世間を騒がせているのが、いわゆる猟奇的な「尼崎事件」だ。
角田美代子というおっかないバアさんが、複数の男女を殺し、民家の床下に埋めたり、
死体をドラム缶に入れ海中へ遺棄したりしている。バアさんは同居人たちと共謀し、
被害者に殴る蹴るの暴行をはたらいたと云われているが、こういう事件を目の当たりにすると、
「嬲る」という字の〝男と女〟をいっそ入れ換えたほうがいいのでは、などと思ってしまう。

それにしても表意文字の漢字はおもしろい。女が3人寄れば、「姦(かしま)しい」で、
女が台になると「始まる」だ。いったい何がおっ始まるのか。
また女のおでこに寄る年波が押しよせれば「婆」で、女のよい(鮮度か?)のが「娘」。
夫婦になって賞味期限が過ぎ、よろず鼻についてくると「嬶(かかあ)」と相成る。
男に挟まれた女は「嬲る」だが、それでは男2人の間に「毒」の字だったら何と読む。
答えは「ニコチン中毒」だ。
アハハ、これはまあ冗談(笑)。

柄にもなく品位を落としてしまった。では名誉挽回のため格調高く、
Every man over forty is responsible for his face.
「男は40になったら自分の顔に責任がある」
ご存知のように、かの米国はリンカーン大統領が言った有名な科白だ。
日本でもジャーナリストの大宅壮一が「男の顔は履歴書である」
などと余計なことを言ったものだから、その気になって鏡をのぞきこむと、
そこに映った〝履歴書〟には誇るべき何ものも書いてない。
ああ、男というものは大変だなァ、とつくづく思ってしまう。

一方で、「女の顔は請求書である」と勇気ある発言をしたのが作家の藤本義一だ。
あいにく先月の30日に亡くなられてしまったが、彼は女の顔は履歴書などという
大それたものではなく、単なる「請求書」だと明快に決めつけた。
韓国の整形美女たちを思い起こしてもらえればよく分かるが、
女の顔の価値はそれに投じられた「コストの総額」で決まるということらしい。
言い得て妙だ。いっそ男の顔も請求書にしてもらいたいくらいだ。

藤本義一さんには一度会ったことがある。
銀座の「維新號」という広東料理の店で、藤本さんと某氏との対談を設定し、
その司会をやったのだ。気さくな人で、その場の雰囲気を自然と和やかにしてくれた。
関西弁というのも大きい。ボケたりつっこんだりするには最適の方言で、
つい釣り込まれて笑ってしまう。享年79。ご冥福をお祈りしたい。

そろそろ最後を締めよう。これまた格調高く『論語』の一節から、
   吾れ十有五にして学に志し、
   三十にして女色を絶つ。
   四十にして惑わず酒を飲み、
   五十にして余命を知る。
   六十にして人の言に従わず、
   七十にして心の欲するところを放言して矩(のり)をこえる。

男は年齢(とし)をとると話とションベンが長くなるという。ご寛恕あれ。






←「女の顔は請求書」との迷言を吐いた藤本義一さん
  あの節は大変お世話になりました。謹んで合掌





 

2012年11月5日月曜日

火病の国

韓国の女性はなぜ美容整形に走るのか――それには理由がある。
韓国人男性の言い方を借りるなら「醜女(ブス)は人間じゃない」からだ。
ブスでは就職もできないし、もちろん幸せな結婚もできない。
「性」の商品化が進んだ韓国では、不細工な女性は徹底して差別されるからだ。

韓国の女性は一般に骨張った輪郭の人が多く、切れ長の目、薄い眉、
小さめの鼻、唇も薄く、概して〝キツネ顔〟といわれている。
ソウルの街中を歩くと、「コギャル」たちはみんなそんな顔をしている。

しかし高校を卒業する時期になると、彼女たちはそろって整形外科へと殺到する。
まずは大学入学前に二重まぶたの手術をし、大学入学後の長期休暇に入ると、
こんどは鼻を高くし顎(エラ)を削り、目頭や目尻にメスを入れる。
最近では脂肪吸引手術を受ける大学生も増えているという。

儒教の国だからといって「親からもらった身体」なんて意識はカケラもない。
美容整形は親もいっしょになって勧めているくらいだから、
身体の至るところを切りきざみ、骨を削りまくる。

さて、美容整形によってめでたくブスから脱却でき、夢の結婚がかなったとしても、
韓国の女性は妻としてよりも嫁としての立場が重視される。嫁は夫の両親に孝養を尽くし、
まず何より男の子を産まなくてはならない。女の子を産むと露骨にがっかりされ、
夫や義父母に「男の子でなくてすみませんでした」と謝らなくてはならない。

それに長男と結婚しようものなら「祭祀(チェサ)」という悪名高き韓国式法事が待っている。
春夏秋冬の季節ごとに親族を招いておこなうチェサは年に7~10回。
長男の嫁はそのたびに準備に奔走しなくてはならない。韓国人にクリスチャンが
多い(全人口の30%)のは、チェサから解放されたくて入信する人が多いから、
という説もある。カソリックはチェサをおこなうが、プロテスタントはおこなわない。
そういえば、韓国取材で世話になった通訳の独身女性はプロテスタントだった。

韓国にいまだに残る男尊女卑の考え方。かつて韓国人の友人から「族譜(チョクボ)」を
見せられたことがある。族譜は一族の本貫(出身地)や歴史、由来、墓所や廟の位置など
が書かれたもので、始祖から現在に至るすべての男子の名前、官職経歴などが
記載されている。一族にとっては宝のようなものだが、女性となるとその姓と本貫が
記されているだけ。韓国の家族関係は夫婦のつながりより、父子関係の連続性のほうが
優先されるので、女性は男系を継承させるための〝子作り機械〟みたいな扱いなのだ。

韓国人男性が女性をどう見ているか。その典型がテレビ番組のこの女性蔑視発言だ。
米国医学会の報告によると、韓国人のおよそ9割は「火病」、すなわち憤怒症候群
anger syndromeを患っているという。この番組で大声を張り上げ、周囲の非難も何のその、
隣の韓国人女性の頭をこづいたりしている男も、たぶんこの火病患者のひとりだろう。

怒りがこみ上げてくると、突発的衝動性にかられ自宅に放火したり、
自傷行為にふけったり、性犯罪に走ったりする。自分をコントロールできなくなってしまうのだ。
反日デモの際に、必ず日の丸を焼いたり食いちぎったりする獰猛なおっさんが出てくるが、
たぶんこの火病患者だろう。

韓国ドラマを見て、ウォンビンがいいだとかチャン・グンソクがいいだとか、
年甲斐もなくお熱をあげている、ねえ、そこのおばさんたち!
見た目はカッコいいかもしれないけど、彼らの心の中は男尊女卑のかたまり。
結婚なんてしようものなら、口喧嘩しただけで家に放火されてしまいます。
整形コリアンは遠くから冷たく眺めるにかぎります。




←アーッチッチッチッーッ!
 火ぃ吸いこんじゃったよォー、ウギャーッ!
(熱いだろうねェ、ご苦労さまです)




 

2012年11月2日金曜日

「近いうち」っていつなのさ?

首相の野幇間(のだいこ)は「近いうち」に解散すると言って、
いっこうにその気配を見せない。言質をとろうと安倍ちゃんも執拗に攻め立てるのだが、
「寝言でもいわない」と口を真一文字に結んでしまう。しぶとい男だ。
おそらくこの「近いうち」は今年の流行語大賞の最有力候補になるだろう。

「近いうち」や「そのうち」は日頃よく使われる。
「近いうちにまたやろうよ」といえば、たいていまた一杯やろうという意味で、
「そのうち飯でも食おうや」というのもよく使う。
一種の社交辞令みたいなもので、あっさり「じゃあサイナラ!」と言うよりは
ちょっぴり当たりがやわらかい。英語で言うとkeep in touchというようなニュアンスか。


酒を飲んだり飯を食ったりするのなら、別段、天下国家の一大事ではないから、
「近いうちって、いつなのさ?」などとヤボなことは聞かないけれど、
「近いうちに必ず代金は支払います」と言って、2ヵ月も3ヵ月もほったらかしにしたら、
取引先は信用ならぬと言って怒るだろう。「解散」だって同じで、もう2ヵ月以上過ぎている。
最近の国会答弁では「近いうちに」が「しかるべきときに」に変わってきている。
どっちも曖昧で、さすがにドジョウの異名をもつ男。つかんだと思ったらスルリと逃げてしまう。

恋人同士が「じゃあ、また近いうちに」と言って別れたら、まず脈はないと見ていい。
一刻だって離れていたくない発情期の男女の間に、「近いうち」と「そのうち」などないからだ。
かくいうボクにだって、そんな熱い「時代」があった。
    ♪そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわァ ←歌ってる場合か! 
     

誰にでも人が恋しくなるときがある。
(今夜はあいつとしみじみ飲んで語り明かしたいな……)
親友の顔や昔の恋人の顔、死ぬほどヒマそうなヤツの顔などがチラチラと頭に浮かぶ。
思いきって電話する。
「何? 一杯やりたい? いいよ。そうね……再来週の木曜なら空いてるけど」
電話の向こうからつれない声。
本日ただいま、これからすぐにでも飲みたいんだよォ、このバカヤロー!
と叫び出したいのだけれど、ぐっとガマンする。

「近いうち」と「そのうち」はまったく当てにならない。社交辞令だと分かってはいても、
「近いうちっていつなの? えっ? 何月何日の何時なの?」
と問い詰めたいときがある。そんなときは、たいがい気弱になっていて、
誰かに悩みを打ち明けたいときか、逆に幸せを分かち合いたいときだろう。

若いときは会いたくなると、遮二無二バイクをかっ飛ばし会いに行ったものだが、
歳を取って〝分別〟なるものが身についてしまうと、陽明学的な「知行合一」が
だんだん叶わなくなる。で、ちょっぴり腰が引けたようなポーズで「そのうち会おう」
などと言っては、その場をとり繕うのである。
物欲しげな顔をしないこと――これがオトナの分別というものらしい。
オトナというのは何かと不自由な生き物なのだ。

木枯らしが吹く季節になると、無性に酒が飲みたくなる。←一年中飲んでるだろ!
    ♪秋の日のヴィオロンのため息の 身に滲みてひたぶるにうら悲し
つい詩人のようにため息をついてしまう。秋はどうしてこんなにうら悲しいのだろう。

野幇間の「近いうち」から、思わずヴェルレーヌの詩まで行ってしまった。
還暦は感じやすい年頃なのかしら。
そんなわけで、ムダ話はそろそろお開き。ではまた近いうちに。




←こんな並木道を歩くと、
ひとはみな詩人になってしまう。


 

 



 

2012年10月30日火曜日

心の避難所

ボクが小中高の12年間、友だちが1人もいなかったと云うと、みな一様に驚く。
「それに、どっちかというといじめられっ子だった」と云うとさらに驚く。
男の子は、友だちがいないだとか、実はいじめられている、などと親には絶対言わない。
子供なりのプライドがあるし、やはり男は弱音を吐けない。

友だちがいない、というのは淋しいものだ。
学校へ行ってもひとりぼっちだし、休み時間にも話し相手がなく、
ひとりで時間をつぶすしかない。体育の授業でサッカーをやっても、
ボールをパスしてくれる者はなく、家に帰っても遊ぶ友だちがいないので、
しかたなく弟を相手にヒマをつぶしていた。弟はさぞ迷惑だっただろう。

最近、いじめによる自殺がしばしば報道されるが、ボクはふしぎに死ぬ気は起きなかった。
たぶん父や母がいたからだろう。逃げ込める場所があると、人間は生きていける。
ボクには緊急避難用のシェルターがあった。そこにはボクのことを大切に思ってくれる
父と母がいた。ボクは避難所の中でかろうじて呼吸をすることができた。

人間社会は生きづらいものだな、と子供心にも思った。コドモの世界も大変だが、
オトナの世界も大変そうだった。そのことは心身ともに疲れ果てて職場から戻ってくる
父や母を見てそう思った。戦後の貧しい時代というのもあっただろう。
生きることは難行苦行そのものだった。

ボクにはシェルターがもう一つあった。活字の世界である。生身の友だちは持てなかったが、
書物の世界に友だちがいっぱいできた。そこにはボクなどとは比べものにならないくらいの
悩みを抱えた人間が無数にうごめいていた。

ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』、ヘッセの『車輪の下』や『デミアン』、
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』、コンスタンの『アドルフ』、
ドストエフスキーの『地下生活者の手記』『罪と罰』『貧しき人々』、
そして漱石の『こころ』、太宰治の『人間失格』、椎名麟三の『重き流れのなかに』……etc

名作と云われるものにハズレはなかった。
よく「どんな本を読んだらいいですか?」と聞かれることがあるが、
日本のものでも世界のものでも「名作」として読み継がれてきたものに〝ハズレ〟はない。
それを片っ端から読めばいい。が、そう言ってもたいていの人は読みはしない。
なかには「あらすじ」だけ追ったお手軽本を読んで澄ましているものもいる。

某大学の大教室で、漱石の『こころ』やドストエフスキーの『罪と罰』を読んだ人は手を挙げて、
とやったら、ほんの数人がパラパラと手を挙げただけだったという。
こんなすばらしい名作をなぜ読まないのかと聞いたら、「本を買う金がない」と多くが答えた。
ケータイやカラオケ、飲み会に使う金はあっても本を買う金はないのだ。

そういう輩に限って、メル友などといううすっぺらな〝友だちもどき〟に囲まれ、
ひとりになると「淋しい」だとか「真の友がほしい」などと泣き言を並べるのだ。
「友だちは死んだ人に限る」と言ったのは山本夏彦で、その夏彦も死んでしまったが、
ボクはちっとも淋しくなんかない。本の世界には、夏彦君以下、秀雄ちゃんや周平ちゃん、
遼太郎君に正太郎君。淳さんに秀子(女優兼名文家の高峰秀子です)さんと、
死んでしまったが生きている友だちがいっぱいいるからだ。
淋しがっているヒマなどないのである。

さて、「本を読まない学生」というのが、今や当たり前の風潮になっているが、
そもそも「本を読まない学生」という言い方自体が自己矛盾をきたしている。
学生の本分は本を読み思索することで、本を読まない学生などというのは、
料理をしない料理人みたいなもので、本来はあり得ない。
年に最低でも200冊、がんばって300冊。そのくらい読まなければ
「学生」の名がすたるってもんだろう。

これは半分自慢なのだが、ボクは酒代と本代にしか金を使わない。
旅行も行かないし、ゴルフもやらないし、女遊びもしない(トホホ)。
服装なんてまったくかまわないから、いつも同じ恰好をしている。
ハタから見ると無趣味人間の典型みたいに思われようが、
この世に読書以上の趣味があろうとは、とうてい思えないのだ。

自殺してしまった子どもたちの中に、はたして本好きが何人いただろう。
本の中でヴェルテルやハンスと知り合っていたならば、たぶん自殺などしないはずだ。
作中、主人公の多くは死んでしまうが、読者は彼らの苦悩の深刻さに触れ、
自らの苦悩を相対化することができる。
ヴェルテルの悩みの深さに比べれば、自分の悩みなんて、なんとちっぽけなことか、と。
それだけで、「死のう」などという短慮に自然とブレーキがかかる。



11月9日までの2週間は「読書週間」だという。
活字にふれた人間とそうでない人間では、まず面つきがちがう。
藤沢周平の透明感のある顔を見てくれ。
小林秀雄のみごとな皺を見てくれ。
両人とも我欲から解き放たれたすばらしい顔をしている。


こんな顔になるにはどうしたらいいのだ、
と今度はこっちが聞いてみたい。










 

2012年10月28日日曜日

高級カツカレー騒動

ボクが朝日・毎日新聞を蛇蝎のごとくきらうのは、この両紙が日本の悪口ばかり書き、
支那と朝鮮韓国の片棒ばかり担ぐ売国的新聞だからだ。ジャーナリストの山際澄夫氏の
レポートによると、朝日・主筆の若宮啓文はかつてこんな記事を書いたという。
《例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、
いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。見返りに韓国はこの英断をたたえ、
島を「友情島」と呼ぶ》(2005・3・27)

このバカ、いったいどこまでお人好しなんだ。死ぬまで夢想してろ!
この手合いは何かというと「地球市民」などという言葉を使い、
現実世界では通用しない甘っちょろいコスモポリタニズムを夢想し吹聴する。
ハナから国家を守ろうとする気概も発想もなく、
中韓が尖閣や竹島を強奪しにきているというのに、
ノーテンキにも〝友愛の海〟だとか〝友情島〟などという寝言を並べている。

考えてみれば、中韓をここまでのさばらせてしまった大本は、「従軍慰安婦」「南京大虐殺」
「靖國参拝」「歴史教科書」といった、いわゆる歴史問題で、それを焚きつけ煽ったのは
朝日新聞を初めとする日本メディアの捏造報道によるものだった。これら売国的報道が
いかに日本の国益を損なってきたか。朝日新聞は日本の新聞社などではなく、
まぎれもなく「人民日報」の姉妹紙なのである。

となれば、日の丸、君が代が大きらい、という理屈も通るし、
靖國神社を軍国主義のシンボルに見立てたい、とする思いもわかる。
また国の防衛にほとんど関心を示さない、という姿勢も実によく分かる。
日本の新聞社ではなく、支那や韓国・朝鮮の息がかかった新聞社なのだから
至極当然のことだろう。

北朝鮮は何をとちくるったのか、日本は「東アジアの安定をおびやかす癌」などとほざいている。
戦前も戦後も、日本ほどアジアの独立と発展に貢献した国はないではないか。
山際氏は言う。
《毛沢東は「皇軍(日本軍)が中国国民党と戦ってくれたからこそ、自分たちは内戦に勝利する
ことができた」と語っていた。中共との国交樹立後は、日本は7兆円もの援助をして空港や
高速道路、地下鉄、港などをつくった。韓国の「漢江の奇跡」の経済発展も、
日本の経済協力がもとになっている。中国や韓国の発展は日本の援助の賜物ではないか。
それなのに中国、韓国のお先棒を担いでウソの歴史で日本叩きを行うのが、
朝日新聞など日本のマスメディアなのである》

そういう自虐的な歴史観を改めようと「誇りある日本」を取り戻そうとしているのが、
自民党の安倍晋三総裁だ。支那とコリアの言うことをきかない男は、
朝日毎日にとっても目の上のたんこぶ。どんな手を使っても叩きつぶさなくてはいけない。

現に朝日は自民党新総裁選出後、例の「カツカレー騒動」を煽りにあおった。
総裁選の出陣式で安倍さんがホテルニューオータニで3500円のカツカレーを食べたところ、
一部マスコミが「庶民感覚がない」などと報じた。すかさず朝日はその尻馬に乗り、
ホテルへ記者を送りこんだのだ。そしてその〝贅沢ぶり〟を皮肉っぽく報じたのである。

しかしこの話にはオチがあった。朝日新聞本社のレストランにはカツなしのビーフカレー
が3675円で、大阪本社のレストランではビーフカツカレーが6300円で提供されている。
そのことがネット上で暴露され、またまた大恥をかいてしまったのだ。

朝日は、麻生太郎首相の時も、首相が庶民の行けないような高級ホテルのバーで
酒を飲んでいるとして批判し、そのバーをわざわざルポしていた。何が「庶民感覚がない」だ。
自分たちこそ新聞業界で一番の高給取りではないか。自己欺瞞もいいかげんにしろ。

一国の首相たるもの、大根一本の値段なんか知らなくていい。
吉野家の牛丼を食べたり、大衆居酒屋で酒を飲まなくてもよろしい。
日本では白足袋はいて葉巻をくゆらせるだけで、「庶民感覚がない」
「ゴーマンだ」「ワンマンだ」と言われてしまう。ケツの穴が小さいと云えばそれまでだが、
つまらないことを針小棒大に報じて、大衆に迎合するポピュリズム的な報道機関こそ
問題の元凶と云わなければならない。

何度でも云う。日本の悪口ばかり云う朝日毎日、そしてNHKは支那と韓国の顔色ばかり
うかがう売国的報道機関だと。朝日は先の大戦でも日本をミスリードし、
これからもまた日本をあらぬ方向へと導こうとしている。
全国の朝日毎日の愛読者たちよ、いいかげんに目をさましてくださいな。


←問題の高級カツカレーがこれ。
見た目はふつうのカツカレーで、
あまりうまそうには見えない。
言っちゃあ悪いが、ボクの作るカレーのほうが
数段高級感があって、たぶんうまいと思う。
ま、いずれにしろ、こういう脂っぽいものが
食べられるようになったということは、
持病の潰瘍性大腸炎が完治した
証拠ではないか。けなすのではなく、
めでたいと祝ってやるのが人の道だろう








 

2012年10月23日火曜日

恐怖の質疑応答

昨夜、「アーツ千代田3331」にて、タグタン(田口護+旦部幸博)コンビの講演会が
あるというので、のぞいてみた。去る5月、タグタン両氏は『田口護のスペシャルティ
コーヒー大全』で「第3回辻静雄食文化賞」を受賞。その記念講演とスペシャルティ
コーヒーの試飲会がおこなわれるというのである。関係者の一人としては出かけぬ
わけにはいくまい。

勉強熱心なボクは例によって講演者に無言の圧力をかけるべく最前列の席を占めた。
というと、いかにも大物みたいに聞こえるが、それはまあ冗談で、講演を録音するため、
講師陣の近くに陣取ったに過ぎない。

タグチ氏は冒頭、
「この本は私一人ではとても書けませんでした。文章を書く人、デザインする人、
写真を撮る人、そして編集する人と優秀な制作スタッフがいて初めて世に出すこと
ができました。講演の前にまずはそのスタッフたちを紹介させてください」
とやったもんだから、最前列に座ったボクは心臓が「ドッキーン」。
(しまったァ……飛んで火に入る何とやらだった)
大いに悔やんだものの、後の祭りである。

「では、まず目の前にいる〝中嶋さん〟から紹介します……」
ボクは一瞬、目が点になり、思わず後ろをふり向いてしまった。
(エエーッ? また中嶋かよ、御大もいよいよ耄碌ジジイになっちまった……)
しぶしぶ腰を上げ、タグチ氏に向かって、
「そろそろ名前を覚えてくれませんか、タグチさん。長いつき合いなんですから……」
とやんわりイヤミを言ったら、会場からはドッと笑いがこぼれた。

もう30年来のつき合いで、実名のコバヤシは使わないでくださいね、
仕事上の私の名前は「シマナカ・ロウ」というのですよ、わかりましたね、
認知症の老人に語るがごとく念を押しても、シマナカと呼ばれることはついぞなく、
いつもコバヤシか嶋中を逆さまにしたナカジマと呼ばれてしまう。
シマナカという名はよほど覚えにくい名前なのだろうか。

会場には世に言う〝YKT48〟という「闇の御三家」のうちの「Y氏」と「T博士」が顔を
揃えていた。一番の大物と呼ばれる「K氏」こと鳥目散・帰山人(トリメチル・キサンジン)氏は
幸いにも欠席。講演者は一様にホッと胸をなで下ろしていた。なぜって、帰山人氏は
講演後の質疑応答では必ず質問に立ち、難問をぶつけては講演者を立ち往生させるからだ。
それが帰山人氏の隠微な、嗜虐的楽しみの一つなのである。

とにかくコーヒーおたくの〝くるくるぱー度〟がTOEICでいえば990点の最高点
という御仁なのだからいいかげんにあしらったら逆に火傷してしまう。
いつも難題を持ちかけ、講演者の困り果てた顔を見るのが人生最高の快事、
という男なのだから始末に悪い。

アマチュアがプロを完膚なきまでやっつける。こうした対決は見世物としては最高だろう。
だから講師陣の側はいつだって戦々恐々。コーヒー関連の催し物で、帰山人氏が
聴講しているか否かは、主催者側や講師陣の大きな関心事の一つなのである。

そんなわけで、タグタン・コンビは何の憂いもなく講演を終えることができた。
講演後、ボクと「T博士」が会場外のテーブルでひと息ついていたら、
隣のテーブルで休んでいた聴講者のグループが、
「あのさァ、キサンジンって知ってる?」
などとヒソヒソやっている。なかにはうがい薬の一種かと勘違いしたものもいたようだが、
ボクと「T博士」は思わず顔を見合わせニッコリ。キサンジンの盛名は、
どうやらコーヒーのギョーカイ内では疫病のように広まっているようだ。

「会場にいなくてよかったですね。なにしろKさんがいると、
ひっちゃかめっちゃかになってしまいますからね」
と、T博士も講演が無事つつがなく終わってひと安心といった顔だ。
ふだんはトリゴネリンだとかブタンジオンだとか、わけのわからない化学用語で
頭を一杯にしている博士も、今夜ばかりはトリメチル・キサンジンという「うがい薬」に
とりわけナーヴァスになっていたようだ。
ガラガラガラガラ……ペッ! ああ、さっぱりした。





←『田口護のスペシャルティコーヒー大全』の
中国語版(台湾版と中国本土版の2種あり)


2012年10月17日水曜日

ああ、亡国の徒よ!

先年亡くなった米原万里のエッセイを読んでいたら、お見合いのベテランという友人の話が
紹介されていた。その友人はテレビにもよく出てくるタレントで、おまけに美人らしい。
それでも過去に十数回見合いをこなし、いまだゴールに到っていない。

で、その彼女曰く。相手の性格や育ち方、健康などを知る一番手っ取り早い方法は、
いっしょに食事をすること」だという。
《食卓での振る舞い、食べる速度、食べ物の口への運び方、咀嚼の仕方、
こういうことをさり気なく、でも念入りにチェックするのよ。結婚したら、毎日のように、
食事をともにするのだから、こういうところが気になったら、長続きしないと思うの》
(『旅行者の朝食』より)

なるほど正論だ。相手が極度の偏食家だったり、逆に馬並みの大食漢だったり、
またくちゃくちゃと音を立てる無粋な男だったりすると、ちょっぴり考えこんでしまう。
いっしょに食事をすると、相手の来し方数十年のすべてが食卓の上に出る。
これはもう、一夜漬けのにわか訓練などでは決して覆い隠せない、
血液型占いや星占いなどよりはるかに信憑性のある人間観察法といえる。

わが家が映画『男はつらいよ』の熱烈ファンだということはすでに述べた。ただし、
寅さん一家に一点だけ気に入らないところがある。寅さん以下、おいちゃんも
おばちゃん(三崎千恵子が一番ひどかった)も、さくらも博も、箸の持ち方が
めちゃくちゃなのだ。あんな持ち方では、寅の好物の芋の煮っころがしだって
満足につかめやしない。

そのことを隣の棟に住む宮崎晃(シリーズ第6作目までの脚本家)さんに指摘したところ、
「いや、そんなことはないよ。みんな上手に使えるよ」
と反論していたが、映画を見れば一目瞭然。みごとに全滅である。

見てくれがどうあれ、食えれば文句ないだろ! 当節はこう言って開き直るのが流行っている。
戦後はこの種の「結果オーライ」が主流で、バカタレ(おバカな芸能タレント)などは
ほぼ100%全滅だ。時代劇などでも親指を立て、危なっかしい持ち方をする俳優が多い。
そしてまた年配の人ほどその傾向が強いのだから、世も末である。

親の果たすべき責務なんて「しつけ」と「言葉づかい」だけで充分だろう。
が、たったこれだけのことなのに、満足にできない親が多すぎる。

わが娘たちもそのうち将来の伴侶となるべき男を選ぶだろう。
その選定条件の中には、「箸使いのきれいな人」という一条が設けられるにちがいない。
ボクと女房がいつもうるさく言ってきたので、箸使いに関しては点数が辛いのだ。

石部金吉金兜(いしべきんきちかなかぶと)の異名をもつボクは、
娘2人に対して何かとうるさいことを言う。
「体育会系でなきゃだめ」「教養(教育ではない)のない男はだめ」
「朝日毎日の愛読者はだめ」「愛国者でなきゃだめ」「韓国歴史ドラマを見るヤツはだめ」
「皇室を敬わないヤツもだめ」「イケメンはだめ」「ビンボー人は絶対だめ」――とまあ、
言いたい放題で、ハードルをどんどん高くしているわけなのだが、全部でないにしても、
7~8割くらいは聞き入れてくれるのではないかと淡い期待を抱いている。
将来の娘婿になるかもしれない哀れな男たちよ! せいぜい頑張るんだよ。 


←石原慎太郎の息子・良純。右手の親指が
おっ立ってしまっている。しつけが悪いとこうなる。
『亡国の徒に問う』なんて本を書いてる場合じゃない。
こんなお粗末な箸の持ち方をする息子こそ
〝亡国の徒〟ではないか。もっとも芸ノー人で
まともな箸使いができるものなんて皆無だけどね。
箸ぐらいちゃんと持て、このバカヤロー!




※言葉づかい
「ら抜き」言葉や「さ入れ」言葉などは論外。
「すげぇー」「チョー~」「うざい」「~じゃないですか」
「~でぇー」……切りがないからやめる。
要は女子中高生などが車内でしゃべってるような
教養のカケラもない話し言葉は厳禁ということ。




 

2012年10月15日月曜日

困ったときのライスカレー

30年近く〝おさんどん〟を担当していると、さすがに飽きが来る。
昔はできるだけ新しい料理にチャレンジしたものだが、最近は横着になって、
過去に作った料理の中で比較的評判のよかったものを繰り返し作っている。

年のせいか嗜好も変わったようで、肉よりは魚を好むようになった。
また牛乳も以前ほど飲めなくなり、今は無調整の豆乳を飲んでいる。
朝はこの豆乳1杯とバナナ1本。これで午前中は十分もつ。

(今晩のおかずは何にするべえ……手のこんだのは面倒だしな)
こんな時は迷わずカレーにする。安価で簡単、しかも誰にも好まれ、このうえなくうまい。
こんな話がある。カレーの本場インドで、日本のカレーを作り現地の人に食べさせたら、
「こいつはうまい! いったい何という料理なんだ?」
「…………」

カレーライスとライスカレー。その違いは何だろう?
《カレーとライスが別の容器で出てくるのがカレーライス。ご飯の上にかけてあるのが
ライスカレーだという説があるが、私は違う。金を払って、おもてで食べるのがカレーライス。
自分の家で食べるのが、ライスカレーである》(向田邦子『父の詫び状』)
分かったような分からないような(笑)……でも、なんとなく分かるような気はする。

というわけで、ボクの作るカレーはライスカレーということになった。
それはともかく、わが家はこの間、ずーっと市販のルゥカレーを使ってきた。
が、最近は本場インドのスパイスカレーを作ることも多くなった。

よく作るのは基本中の基本ともいうべき「チキンカレー」だ。
使うスパイスはクミンシード、ターメリック、カイエンヌペッパーの3種類。
スパイスは上野はアメ横の専門店「大津屋」で10種類くらい仕入れてきた。
上記3種類でだいたい間に合うが、他にコリアンダーやカルダモンがあれば、
たいていのカレーはできてしまう。またヨーグルトやココナッツミルクなどを使うと、
東南アジアっぽいカレーができあがる。

カレーは欧米の留学生にも喜ばれる。ルゥカレーはもともとシチュー鍋が土台で、
そこにスパイスを加えて出来上がったものだから、シチューのバリエーションの1つと思えばいい。
おもしろい話がある。フランスの3つ星レストラン「トロワグロ」のミッシェル・トロワグロに、
日本料理で一番好きなのは何ですか?」と尋ねたところ、彼は即座に「カレーライス」と
答えたという。

今やカレーとラーメンは2大国民食と云っていい。
ボクはどっちにも目がないほうだが、寺山修司によると、
日本人は「ラーメン派」と「カレー派」の2種類の人間に分かれるという。
寺山曰く、
カレー人間というのは現状維持型の保守派が多くて、ラーメン人間というのは
欲求不満型の革新派が多い。それはライスカレーが家庭の味であるのに比べて
ラーメンが街の味だからかもしれない》(寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』)

ラーメンもカレーも大好物のボクは、やっぱ中道派か。
ボクのことをウヨクと呼ぶおっちょこちょいがたまにいるけど、
ボクの敬愛する花田紀凱(はなだ・かずよし・元『週刊文春』編集長)さんは、
「ハナダ、お前はウヨクか?」
と左側の人から聞かれ、こう答えたという。
「イエ、左から見ると真ん中も右に見えるんです」
さすがに花田さん、返答も実に気が利いている。

ボクは昔(背骨とつむじが曲がっていたもんで)ちょっぴり左傾化していたが、
今は矯正したおかげで〝右も左も蹴っ飛ばせ〟路線に復帰できた。
「ウヨク」だなんて思い違いもいいところなのです。
特に左に大きく傾いた脊椎側湾症(患者さん、ゴメン)のアホ・ボケ・カスの人たちは、
くれぐれも誤解のないように願います。



←スパイスで作ったチキンカレー。
スパイスだけだとコクがないので、
ブイヨンなどを足すといい。




 

2012年10月10日水曜日

アジア東方の悪友を謝絶する

9日、国連の軍縮委員会で、日本代表が北朝鮮の核ミサイル開発を批判する演説を
おこなったところ、北朝鮮代表はすぐさま反駁、
「アジア近隣諸国との領有権争いを抱える日本は北東アジアの平和と
安定を危うくするガン
などと非難した。この発言には唖然ボーゼン。いったいどっちが悪性ガンなのか、
火を見るよりも明らかではないか。北にしろ南にしろ、身のほどもわきまえず、
朝鮮半島の住人たちはいったいどこまで厚顔無恥なのか。

《この二国(支那と朝鮮)は一から十まで外見の虚飾のみを事とし、
その実際においては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払い、
残酷破廉恥を極め、なお傲然として自省の念なき者のごとし……(略)
我は心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり》(福澤諭吉『脱亜論』より
正直な話、福澤諭吉でなくとも、これら支那と朝鮮の悪友(友人は除く)は
謝絶したくなるってものだ。

さて最新のニュースに「通貨スワップ」を延長しない、というものがあった。この制度は
韓国が通貨危機に陥った際――つまりウォンを誰も買ってくれない状況になったとき、
700億ドル分(日本円で5兆6000億円)は日本が買ってあげます、と約束したもので、
そもそもこの融通枠の増額を求めてきたのは韓国側だった。

欧州危機以来、韓国の通貨ウォンは急落、外貨準備高も急減したが、
ここに来ていくぶん持ちなおし、竹島問題もあるのか、日本の世話にはなりたくないと
韓国側が要請を見送ったのである。困ったときはいつも「金貸してくれ」と泣きついて
くるくせに、少し持ちなおすとすぐ居丈高になって凄む。福澤が言うように、
この国は相も変わらず〝外見の虚飾〟のみで生きているのだろう。

竹島問題でやけに気を吐く韓国だが、この国は実に危うい。たとえばサムスン1社だけで
韓国のGDPの22%を占めている。もっと言えば韓国の財閥10社の売上高が、なんと韓国の
GDPの76.5%を占めているのだ。つまりサムスンがこけたら、韓国はみなこけちゃうという
怖ろしい構図になっている。

そしてこのサムスンは日本がちょっと意地悪したら顎が干上がってしまうほど脆弱なのだ。
たとえばテレビ画面に貼るフィルム。これは日本しか作れないものだから、
日本からの供給がストップすると、自慢の液晶テレビが1台も輸出できなくなる。

それとレアガス(希ガス)だ。ネオンとかクリプトン、キセノンといった不活性ガスのことだが、
半導体製造には欠かせないもので、韓国は100%日本に依存している。空気を液化して
分離・濃縮を繰り返し作るそうだが、純度は99.999%以上で、これは日本でしか作れない。

支那がレアアースで日本にいやがらせをしたように、日本もレアガスで韓国いじめをしたら、
半導体のラインが即ストップしてしまうので、サムスンや現代はたちまち破綻する。
日本がいなけりゃ、韓国はテレビ一つ作れない、ということを肝に銘じるべきなのだ。

安倍自民党総裁が総理になったら、そのくらいの〝いじめ〟はやってくれるだろう。
やられたらやり返す。そうやって国益を護るのが外交のイロハなのだが、
民主党はその肝心なところが分かっていない。

野田のドジョウ首相などはウラジオストックで開催されたAPECで、李大統領に対して
笑みを浮かべながら握手をしていた。こういうときは苦虫を噛みつぶしたような顔して
いやいや握手をしてやる、というのがスジだろう。鳩山以下、菅も野田も、外交ってものが
まるで分かっていない。こういう大ボケ内閣に日本の舵取りを任せておくわけにはいかない。
一刻でも早く解散して選挙をやるべし。民主党のアホ、ボケ、カスに用はない、
全員枕を並べて死んでしまえ!




←歯だけは丈夫な韓国のおっさん。
日の丸は滋養があって美味しいからよく噛んでね。
絶対完食しろよ、このボケ!

 

2012年10月7日日曜日

舌を噛むレストラン

昨日は外苑前の「フロリレージュ」という星付きフレンチで会食した。
メンバーはボクと女房と次女の3人。ほんとうは長女も加わるはずだったが、
例によって岩手・大船渡でのボランティアに忙しく、今回は欠席した。

娘はいい。いくつになっても話し相手になってくれるし、こうやって遊んでもくれる。
息子だとこうはいかない。親父なんかと口をきかないし、家を出たらそれっきりで、
めったに寄りつきはしない。自分がそうだったから、実によく分かる。

さてフロリレージュは超人気のフレンチで、予約は2~3ヵ月先まで埋まっている。
デフレ不況の長引く折、どこもフレンチは苦戦していると聞くが、この店だけは例外のようだ。
女房はすでに4~5回来ていて(ボクは初めて)、シェフの川手寛康氏とは馴染みの仲だ。

イケメンの川手氏は六本木の「ル・ブルギニオン」や白金台の「カンテサンス」などで
修業した新進気鋭のシェフで、女房はブルギニオンでの修業時代から見知っている。
さすがに人気店だけあって、料理はどれもうまかった(ボクにはこれしか言えない)。

気取ってると思われると困るのだが、わが家の娘たちは小さい頃からフレンチや
イタリアンに慣れ親しんでいる。誕生会や祝い事があるたびに一流どころをあちこち
連れ回したので、年齢の割には相当場数を踏んでいる。それに長女はイタリアで
暮らしたことがある。ホームステイ先では毎晩フルコースの料理(一般家庭では珍しい)で、
味も玄人はだしだったという(女房がお礼がてら訪問して確認済み。マリア・テレサよ、ありがとう)

だからといって、わが家が年がら年中うまい物を食べていると思われても困る。
ふだんは贅沢などせず、もちろん美食とは無縁で、実につましく暮らしている。
しかしパーッとやるときはケチケチせず豪華にいくのがわが家流だ。
人生にはメリハリが大切で、「ハレ」と「ケ」は明確に分けたほうがいい。
「ハレ」の日には一張羅を着込み、思いきりめかし込んでお店に繰り出すのだ。
古来より日本人は、そうやって生きてきた。

料理記者としてはベテランの女房は、フレンチとイタリアンにめっぽう強い。
雑誌に記事を書くかたわら、テレビの料理番組のアドバイザーをしたり、
2010年、横浜で開催されたAPEC(アジア・太平洋経済協力会議)などでは
21ヵ国の首脳たちの口に入れる料理を考えたメンバーの一人でもあった。
しかし献立づくりに関しては、お高くとまった外務省の高級官僚たちとことごとく衝突した。
そのためか、大会期間中の女房は不機嫌そのものだった。
「タダ飯食いの木っ端役人どもめ!」
女房の代わりに、ボクが思いきり(霞ヶ関方面に向かって)毒づいてやった。
わが家の伝統的役人嫌いには、ちゃんとした理由(わけ)がある。

ところで、冒頭のフロリレージュFlorilegeは〝詞華集〟の意だという。
フレンチレストランはどうしてこういうややこしい店名を付けたがるのだろう。
一度聞いただけでは絶対に憶えられない。

なかには「カラペティバドゥバ」とか「ラ・ブリーズ・ドゥ・ヴァレ」だとか、
「ル・シズイエム・サンス・ドゥ・オエノン」、「シニフィアン・シニフィエ」(これはパン屋)
といった、客にいじわるしているとしか思えないような店名もある。
これじゃあ料理を口にする前に、舌を噛んで死んでしまいそうだ。
何? 店名が「アオマキガミ・アカマキガミ・キマキガミ」ってか?
勝手にしろィ!

かといって「アムール」なんていう分かりやすい店名も困る。憶えやすくてありがたいが、
何やら怪しげな雰囲気が漂ってくる。昔よく通った同伴喫茶にありそうな名前だ。
それよりは、わけのわからんフランス語で煙に巻かれたほうが有難味がある?
いいかげんにしてね。



←「フロリレージュ」の肉料理。
黒い石の器がすばらしい

 

2012年10月4日木曜日

ニセモノ嫌い

ボクは韓国ドラマをいっさい見ない。だが義母や叔母は大好きで、叔母などは
何度も韓国へ行き、自殺したパク・ヨンハの家にまで押しかけたことがある。
そんな熱烈ファンに向かって「あんなもの見るのはおよしなさい」とはなかなか言えない。

ボクが韓国ドラマを見ない理由は単純だ。ウソで固めたものだから――これに尽きる。
まず登場人物たち。男優もそうだが、女優は100%といっていいほど整形していて、
どれもみな同じ顔で区別がつかない。これは「少女時代」や「KARA」、「ワンダーガール」
といった女性歌手グループも然りで、「鼻筋が通ってどんぐり眼」という白人女性を
マネたワンパターンで一貫している。「ツリ眼エラ張り」という民族的特長に自信が持てず、
親からもらった顔、というより民族のDNAというべき顔に不服で、
あろうことかメスを入れて切り刻むというのだから、なんとも卑屈で浅ましい。

街でめぼしい女の子を探す芸能スカウトたちの選考基準がふるっている。
とにかく脚のキレイな子を探してこい。顔なんてどうにでもなる
脚だけキレイなら他はどうでもいいだなんて、ずいぶんバカにした話ではないか。
女性なんて単なる性の愛玩物くらいにしか思っていない韓国社会の実相が
透けて見えるようだ。韓国の女性たちはここまで人間性を否定されて
腹が立たないのだろうか。誇りというものがないのだろうか。

最近ではお隣の支那で〝変身ツアー〟と称するプチ整形ツアーが人気だという。
整形先進国の韓国へ行って、みんなで美しく変身しよう、というわけである。
しかし帰国時の税関で「おい、顔がまるでちがうぞ」というトラブルが続出。
以来、整形ツアーには身分証明書の携行が義務づけられたという。

韓国は儒教の国で、儒教の最大徳目と云ったら「孝」だ。子供たちが親の前で必ず
眼鏡を外すのは、「親からいただいた両目に不服はございません」という意思表示が
そうさせる。ところが親から受け継いだ顔(ふつうは目も鼻もある)には大いに不服です、
というのが昨今の整形ブームで、親が子に勧めるだけでなく、自分もついでに便乗しちゃおう、
というのだからわけがわからない。その間の整合性がまるでない。

身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり(「孝経」)
 人の身体はすべて父母から恵まれ与えられたものだから、
傷つけないようにするのが孝行の始めである――。
このくらいのことはかつて東夷と呼ばれバカにされた我ら蛮人にもわかっている。
それなのに、儒教国家の優等生を自任する韓国人は、なぜかくも嬉々として身体を
毀傷するのか。そこのところがさっぱり分からない。

整形はまだいい。問題は歴史ドラマだ。これはもうめちゃくちゃで、史実もクソもない。
以下、東洋史家の宮脇淳子氏の話をかいつまんで言う。16世紀の李朝期に実在した
妓生(キーセン)を主人公にした『ファン・ジニ』というドラマがある。ファン・ジニは漢詩を
解し、歌舞音曲などの技芸にすぐれたキーセンだった、ということだが、史料がほとんどなく、
記録が1、2行残っているだけだという。で、ドラマではありったけの想像力(妄想ともいう)
を駆使して……といえば聞こえがいいが、とにかく史実無視、やりたい放題のドラマだという。

まず衣裳の派手なこと。キーセンは身分としては奴隷以下。人権のない奴隷以下の存在だから、
ほんとうに貧しかった。ところがドラマの中には、さまざまな色柄のチマチョゴリを着たキーセンが、
さながらファッションショーみたいに登場してくる。

そもそも李朝時代はみな貧しくて、民間人は色のついた服は着られませんでした
食べ物にすら困っているのに高価な輸入品である染料を買えるはずもない。
だからみんな白い服を着ていた。…(略)…朝鮮人の衣服が白いので、
沿海州に入植したロシアの先兵であるコサックたちは、
朝鮮人を「白鳥」という隠語で呼んでいたんです」(宮脇氏)

一方で、日本統治時代、韓半島にいた日本人は時に柄物のチマチョゴリを着たりした。
朝鮮人にとっては「柄物を着るのは豊かな日本人」というイメージだった。おそらく
こうした屈辱的な歴史のせいだろう、優越した日本文化に対抗するため、時代考証など
おかまいなしに、豪華絢爛な衣裳をキーセンに纏わせる。
そのけばけばしさはエスカレートするばかりだ。宮脇氏は言う。
韓国人にとっての歴史は、こうであってほしかった、という願望そのものでもあるのです
何度も言うが、韓国人にとって歴史は〝ヒストリー〟ではなく〝ファンタジー〟なのだ。

安く買えるからと、日本のテレビ局は韓国ドラマを大量に買い入れ、これでもかというくらい
流し続けている。結果、「韓国にはあんなすばらしい歴史があったのね」などと勘違い
する無知なおっちょこちょいも出てくる。韓国人も「こんな立派な国を日本は蹂躙した。許せない」
と日本のオバサンたち以上に勘違いしてしまう。ウソの歴史を吹き込まれる両国民の、
どちらも不幸なのである。

「戦後、アメリカは敗戦国日本の国民を〝洗脳〟するために、ほとんど無料で
自国製テレビ映画を提供したそうです。わたしたちはアメリカの生活の豊かさにあこがれ、
すっかりアメリカナイズされてしまいました」(宮脇氏)
それと同じ日本の〝韓国化〟が今、じわじわと進行しつつある。

ウソで固めた韓国歴史ドラマにゆめゆめ惑わされてはいけない。
かのファション・デザイナー、ジョルジォ・アルマーニだって言っている。
私はニセモノが嫌いだ。見せかけの真実は見たくない

←こんなド派手な衣裳はあり得ないのです。
嗚呼! ウソで固めた韓国歴史ドラマ。
いつか必ず歴史から復讐されますぞ
(『ファン・ジニ』)







 

2012年10月3日水曜日

ゲイシャで2度いく

昨日、久しぶりにゲイシャと遊んだ。女房が留守なのでちょっとした火遊び。
生殺しのままじゃかわいそうなので、とうとう最後までイッテしまった。

ゲイシャ遊びにうつつを抜かす連中は揃ってこう言う「ゲイシャは生殺しがいい」と。
ボクはそうは思わない。やはり2度いかせてあげたほうがいい。あっちも喜ぶし、
こっちだって後味がいい。色香ばかりを嗅いでいたって始まらないではないか。

もともとゲイシャ遊びは好きではなかった。金はかかるし、後を引くし。
でも熱心に勧める人がいて、とうとうその誘惑に抗しきれず、ハマってしまった。
金にあかしてドンパチやり、鼻が曲がるほどアソコの匂いを嗅いだ。
でも、もう飽きた。ナポレオンだってジョセフィーヌのあの匂いには閉口してたもの。
飽きるのだよね、あのニオイは。

というよりフライパン上のアヒルではないが、熱~い鉄板の上で2度も3度ぴょんぴょん
跳ねれば、よがり声とともに体臭なんて消えてしまう。代わりにまったりとした濃醇な味。
後朝(きぬぎぬ)の別れもへちまもない。味わい尽くしたらハイサヨナラだ。
遊び戯れた部屋には残り香が漂っている。で、証拠隠滅のため消臭ファブリーズを
あっちこっちにシュッシュッシュッ……。

こいつはいったい何の話をしているんだ? また昼間から酔っぱらっているのか?
ふふ……素人衆にはさっぱりでしょうね。でもコーヒー関連の人ならすぐわかる。
生殺しがいいとか2度イクとか、アソコの匂いがたまらんとか……。
ボクは中途半端な生殺しはきらい。やっぱ最後までいかせちゃったほうがいい。
そこにはめくるめくような、実に味わい深い世界が広がっている。

さて話変わって次女が家を出て早や5ヵ月。女房とはしょっちゅうスマホでやりとりしているようで、
時々暮らしぶりが耳に入ってくる。最近はおやじの淹れてくれたコーヒーがやけに懐かしく、
寮でも自家焙煎コーヒーが飲みたいのだという。といってもドリッパーもないしミルもない。
「早く買い揃えろ!」と言ってあるのだが、仕事が忙しいのか、いっこうに買う気配がない。

近く家族の会食があるので、その時にでも、心入れのコーヒー(ゲイシャじゃない)を
持たせてあげよう。あのねんねも、ようやくコーヒーのほろ苦さが分かる年頃になったようだ。
嬉しいけどちょっぴり淋しく、そして哀しい。還暦は感じやすい年頃なのだ。






 

2012年9月28日金曜日

厚顔無恥の国

ボクが生まれるちょうど1ヵ月前(1952年1月18日)に、
韓国は海洋資源の保護を名目に日本海・東シナ海に勝手に軍事境界ラインを
設定してしまった。これが世にも悪名高き「李承晩ライン」である。
そして盗っ人猛々しくも「竹島」を自国領土だと主張し始めた。

当時は日韓国交正常化交渉前後で、韓国には交渉のための有利な外交カードが
必要だった。すでに「尻の毛までむしられて」などで再三書いているが、朝鮮半島には
日本統治時代の在韓資産(軍事用を除く)が53億ドル分もあった。国交正常化交渉
の中で、もしも日本が「資産をすべて引き揚げたい」と言い出したりすると、
半島の経済は成り立たない。韓国はそれを何としてでも阻止したかった。

で、どうしたのか。正常化交渉が始まる中で、韓国側は李承晩ラインを越えた
日本の船舶328隻を拿捕、漁船員3929人を抑留した。交渉を有利に運ぶために
漁船員を人質にとって、今の北朝鮮みたいに〝人質外交〟を展開してきたのだ。
彼らの要求はこうだった。漁船員は解放してやってもいい。が、見返りに、
①在日(いわゆる在日ではなく、日本への密入国者約7万人のこと)の法的地位を認めろ 
②日本の在韓資産をすべて放棄しろ 

漁船員たちは6畳一間に30人ほど詰め込まれるという劣悪な環境の中、
1日に手桶1杯の水で過ごすこともあったという。そして船長以下、
機関長や甲板長は1年近く抑留された。李承晩ラインが廃止されるまでの
13年間はこうした凄惨な状況が続いた。

サンフランシスコ講和条約の起草当時、アメリカが韓国に対して出した竹島に関する回答
がある。「ラスク書簡」というもので、米国のディーン・ラスク国務次官補がアメリカの
最終回答として通達したものだ。その中身は、
"As regards the islands of Dokdo, otherwise known as Takeshima or Liancourt Rocks never treated as part of Korea and, since about 1905, has been under the jurisdiction of the Oki Islands Branch Office of Shimane Prefecture of Japan. The Island does not appear ever before to have been claimed by Korea."(ラスク書簡2ページ目2~7行目)

つまり、《この岩礁(竹島のこと)は1905年から日本の島根県の管轄下にあり、韓国から
自国領土であるとの主張がなされたことはない》としている。

また当時の駐日大使だったダグラス・マッカーサー2世(マッカーサー元帥の甥っ子)
とワシントンのラスク国務次官補とは幾度となく公電のやりとりをしているのだが、
その中には、
李承晩は軍国主義で非常識だ。勝手に李承晩ラインを引いたが違法であり、竹島は
明らかに日本の領土である。それを不法占拠したうえに、国際社会ではあり得ないような
やり方で、勝手に他国民を拘束した(日本国民の拿捕、抑留)」
と憤慨したようすが書かれているという。

韓国が国際司法裁判所での解決に消極的なのは、
この「ラスク書簡」があるためともいわれている。





←日本国領土「竹島」(男島と女島) 

2012年9月24日月曜日

戸を出ずして天下を知り……

帰宅するなり娘は「ジャンボ!」と日焼けした顔をほころばせた。
かっとび娘の長女がようやくアフリカ旅行から帰ってきた。
「マサイ族の戦士と一緒に槍を持ってピョンピョン跳ねてきた」
ではあまりに月並みすぎるが、娘は小学校や孤児院を訪ねたり、
牛糞をこねた壁土を塗って家造りに協力したりと、
現地の人たちと積極的に交流を深めてきたらしい。

「牛70頭で、この男と結婚してくれないか?」
マサイの長老が若い戦士を紹介してくれたという。
「娘婿は実はマサイの勇士なんです」と自慢するのも悪くはないが、
牛70頭ではねェ……。一生ステーキを食べ続けるには
せめて300頭はもらわないと……。

自宅を中心に半径500メートル以内を行動範囲と決めているボクからすると、
小田実ばりに『何でも見てやろう』と世界を歩きまわる娘の気が知れない。
古人は「戸を出ずして天下を知り、窓をうかがわずして天道を見る」と言った。
師匠の山本夏彦翁が好んで用いた俚諺だが、
ボクもしばしば口にしては相手を煙に巻いている。

箱根の山を越えたことがない、とうそぶく夏彦翁も実は弱年の頃、パリで2年半を過ごしている。
それどころかあの世も旅してみたいと、自殺を2度試み失敗している。
後年、翁は「ロバは旅をしても馬になって帰ってくるわけではない」という西諺を好んで用いた。
何の学問も知識もないものが、海外に遊んでも何ら得るところはない、という意味だが、
ロバとは何を隠そう夏彦翁自身の自嘲した姿だった。

旅をするのはきらいではない。若い頃、ユースホステルの会員だったボクは好んで一人旅をした。
当時、ホステラー(ユースホステルの会員)の数は60万人以上いて、世界一だったこともある。
それが今は5万人ほどに減少、若者のホステリング離れが急速に進んでいる。

ユースホステルには「ミーティング」というものがあった。宿泊者がホールに集まり
場合によっては歌をうたったり踊ったりするのだが、ふつうは円陣を組んだ座談が主流で、
自己紹介に始まり、ホステラー同士の旅の情報交換などがおこなわれた。
これはもう時効だから言ってしまうが、一人旅の女性複数に愛を告白されたこともある。

しかし一方で、このミーティングを煩わしいと感じる人たちもいた。
おそらくホステリング衰退の一因の一つが、この〝他者との交流を好まない人たち〟
の増加にあるだろう。また就寝時間が決まっているといった規則ずくめも敬遠される
理由になっている。ユースホステルの設立主旨の一つは「交流の宿」というもの。
交流嫌いが増えてはそもそも運営が成り立たない。衰退は必然か。

その旅好きが、いつのまにか出不精になり、ついには生活圏を「半径500メートル以内」
に限るようになってしまった。不遜にも(どこへ行っても何を見てもみな同じ)という諦観
というか見極めみたいなものが先立って、ついつい腰が重くなってしまったのである。
旧約聖書の伝道の書にもあるではないか。《天が下に新しきものなし》と。
そんなおやじの生悟りを尻目に、娘2人はヒマさえあれば国内外へ飛び立ち、
女房も近くイタリア詣でを敢行しようとしている。
女たちの開けっぴろげでノーテンキな行動力は、げにすさまじい。

ただし支那と韓国だけは別。あんな無礼千万の国へは当分行くつもりはないという。
恩怨ともに忘れる、というのは日本人の長所でもあり短所だが、千年前の怨みを忘れない、
というのもよいことではない。ソ連のスターリンは第二次大戦末期にいきなり参戦し、
「これでようやく日露戦争の怨みをはらした」と言ったそうだ。支那人も韓国人も
思いは同じだろう。この怨み、晴らさでおかりょうか……ってか?

忘れっぽい人たちと、執念深い人たちの呉越同舟。
極東アジアの雲行きはいよいよキナ臭くなってきた。



←「重いよォ~」と言いながらも笑顔。
あとで首が回らなくなったとこぼした。
ボクなんかいつだって回らない(意味ちがうだろ!)


 

2012年9月18日火曜日

領土より〝まゆゆ〟

支那では官製の反日デモが連日のように繰り広げられている。
「小日本人を殺せ!」「小日本に宣戦布告しろ!」
デモ隊のシュプレヒコールもやけに威勢がいい。

日系企業の工場は放火され、日本車は軒並み破壊され、
日系のスーパーは打ち壊しに合い、略奪をほしいままにされた。
支那の政府当局は「理性的な行動を」と表向き呼びかけてはいるが、
ほとんど見て見ぬふり。ハナから容認している。

支那の各地で大規模な反日デモが行われているというのに、
日本では若者たちがAKB48だかTKY48だか知らないが、
アイドルグループのコンサートで狂ったようにペンライトを振っている。

あのタマ無し男たちにとっては、竹島が盗られようが尖閣が陵辱されようが、
はたまた日本人がラーメンをぶっかけられようが、
「そんなもの関係ないね。イザとなったら逃げ出すもん」
まるで他人事なのである。

それよりAKB48の「第3回じゃんけん大会」で、まゆゆこと渡辺麻友が
パーを出すかグーを出すかのほうが重大関心事で、オトコたちの頭の中は
「まゆゆ」がどんな勝負服を着てくるかでいっぱいなのである。
尖閣どころの話ではないのだ。

40年前、「ゼンガクレン」と称された日本のスチューデント・パワーは世界を震撼させた。
当時、学生たちはゲバ棒片手に屈強の機動隊と激しく渡り合ったものだが、
当節は機動隊ならぬ「まゆゆと12秒にらめっこ会」だとかで、アイドル相手ににらめっこを
している。あるいは「まゆゆとトランプ! 最初のジャックが出るまでまゆゆをひとりじめ会」
などという集いで、ロリコンのくるくるパーたちが女みたいに嬌声を張り上げている。
支那の暴虐に抗議し、中国大使館前で五星紅旗を焼いたり食いちぎったり
(コリアンの得意技だ)する愛国の士などどこにもいないのだ。

今にして思えば、団塊の世代のゼンガクレンはほとんどくるくるパーだったが、
それでも〝まゆゆ〟なるアイドルにうつつを抜かすほど落ちぶれてはいなかった。

アホな支那人たちよ、腑抜けでタマ無しの日本の若者たちにラーメンでも
チャーシューメンでもいい、思う存分ぶっかけてやってくれ(頭から)。

「今年はセンターを勝ち取りたいで~す」とぷりぷりしたお尻をふって力強く宣言する
カワユイ〝まゆゆ〟ちゃん。ややこしい領土問題もグーチョキパーの「じゃんけん大会」
で決するようになればいいのにね……(ンなわけねェだろ)。

※追記
尖閣問題に関しては支那人の中にも良識派(1億人に1人くらいだが)がいて、
こんなことを書いている。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0828&f=politics_0828_018.shtml
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0828&f=politics_0828_028.shtml


←カッワユーイ、まゆゆこと渡辺麻友ちゃん





 

2012年9月17日月曜日

片雲の風にさそわれて

バイク(400㏄)を持っていた頃は、ヒマさえあれば外出(そとで)をしていた。
高速道を180キロでぶっ飛ばしたこともあった。風圧で顔を上げられないので、
バッタみたいに燃料タンクにしがみつきながら走った。
ふしぎに恐怖心はなかった。

恐いと思いはじめたのは、こどもができてからだ。アクセルを思いきり踏み込めなくなった。
もし砂利にタイヤをとられ横転でもしたら、大ケガか死をも覚悟しなくてはならない。
(自分だけのカラダじゃないもんな……)と思うと、自ずと無茶はできなくなった。
でも模範ライダーと呼ばれるほど落ち目にはなりたくなかったので、
時々は若い連中と張り合い、レッドゾーンの恐怖と快感に酔いしれた。
また黒髪を靡かせかっ飛んでゆく美人ライダーが視界に入ると、
遮二無二追いかけていったりもした(持ったが病でね、ヘヘヘ)。

人間には2種類あるという。「バイク乗りとバイクに乗らないやつ」の2種類である。
バイク乗りはなぜか迫害される。暴走族の一味もしくはその系列につながる
悪い人間と思われるのか、クルマに乗った人間からわけもなく白眼視され、
場合によっては幅寄せといういやがらせを執拗に食らう。

幅寄せは恐い。一度、猛烈な幅寄せに合い、ガードレールに押しつけられ、
そのままコンクリートの電柱に激突して気を失ったことがある。通勤の帰り道だった。
クルマ派の人間からするとバイク乗りなどは人間のクズみたいなもので、
クズなのだから痛めつけたっていい、という理屈らしい。

迫害される側だからか、ライダーは見知らぬ者同士でも互いに心を許すようなところがある。
ユダヤ人みたいに結束する力が強いのだ。またバイク乗りには個性派が多く、
概ね枠にはめられるのをきらう。集団で走るのを好むものもいるが、多くは一匹狼で、
ボクも風の向くまま気の向くまま、という独りだけのツーリングが好きだった。

バイクを手放してから、なんだか急に老け込んでしまったような気がする。
バイクへの悪質なイタズラが続いたので、やむなく手放したのだが、
今でも時々バイク乗りの血が騒ぐ。芭蕉を気取るわけではないが、
片雲の風にさそわれて漂泊の旅に出たくなることが時々ある。

かつての漂泊者の血は、どうやら上の娘に受け継がれたようだ。
長女は有給休暇を取ってアフリカへ行ってしまった。
あの娘はじっとしていることができないタチで、思い立ったらバッグを担ぎ、
インドだろうとアフリカだろうと、鉄砲玉みたいにヒョイヒョイ飛んでいってしまう。

ロバが旅に出ても馬になって帰ってくるわけではない」という西諺を信ずるボクとしては、
アフリカくんだりにまでわざわざ出向く意味が今ひとつ分からないのだけれど、
所詮ロバの頭しかない娘にしてみれば、ジャングルの奥地もパリの都も同列なのだろう。

話変わって今日は「敬老の日」だという。昭和29年に制定されたときは
モロに「としよりの日」という呼び名だったそうな。これじゃァあんまりだということで、
昭和39年に「敬老の日」に改められたという。
ボクはつむじ曲がりだから〝敬老〟だなんてウソくさい言葉がきらいだ。
年寄りはどう転んだって年寄りなのだから、おべんちゃら抜きで「ジジババの日」とか
「くたばり損ないの日」とか「馬齢を重ねた人たちのための日」に改めてもらいたい。


……というわけで、今夜は老夫婦水入らずで乾杯をする。
何のための乾杯かって? 
ただべんべんと生き長らえ、懲りずに老残の身をさらし続けるために乾杯するのですよ。
くたばり損なった小心者のバイク乗りにカンパ~イ!





 

←おいらも日常の殻を破って旅に出るか
イエーイ! そこのけ、そこのけ、
キャプテン・アメリカ様のお通りだィ!
←ワイルドに行こうぜ!
イェーイ!

なんだか恐ェ~



 

2012年9月14日金曜日

中華と小華

「華」というのは文明の意で、華人というのは文明人のことだという。
今月13日、中国上海で日本人がラーメンをぶっかけられ負傷するという事件が起きた。
駐リビア米大使みたいに殺されなかったのが不幸中の幸い、という見方もあるようだが、
無礼きわまりない事件で、文明人どころか支那人はやはり未開人だなとつくづく思う。
そもそも文明人は自らを文明人(華人)とはいわない。
蛮夷だからこそ中華(宇宙唯一の文明の意)などと僭称し強がるのである。

さてもう一方の蛮夷とくれば韓国だろう。韓国朝鮮はかつて中国の〝中華〟に対し
「小華」と称した。いったいどこに文明らしい文明があったのだと、わずかに
朝鮮史を知るものとしては訝しく思うのだが、虎の威を借るキツネみたいに虚勢を張るのが
国民性みたいなものだから、海の向こうの島国を〝倭奴(ウェノム)〟と蔑称するのは、
支那が日本を〝小日本(シャオリーベン)〟と罵倒するのと根っこは同じで、
自分たちだけが文明人なのだ、とする伝統的な儒教(礼教)論理に因っている。

さて去る8月22日、竹島の領有権問題などをめぐり、野田首相が李明博大統領宛に送った
親書が日本側に突っ返されるという珍事が起きた。日韓関係に詳しい米国有識者の多くは
「李大統領は偏狭」と批判、「戦後、日本は一貫して韓国に経済支援を続けてきた。北朝鮮が
暴発したとき頼りになるのは、日本と米国しかないではないか」と、大衆迎合的な李大統領の
ギャンブル的政治手法に大いなる疑問を投げかけている。

「東方礼義ノ国」と呼ばれた朝鮮の〝無礼〟には実は前科がある。
1868年、日本では王政復古の大号令により明治新政府が誕生。近代化の一歩を踏み出した。
同年9月、新政府は国際法に則り、善隣の意を込め隣国の李氏朝鮮にその旨を通告した。
すると朝鮮は日本から送られた国書を冷然と突き返したのだ。
「文章の字句が礼にかなっていない」というのがその理由だった。

国書にはこう書いてあった。
《本邦(日本のこと)、頃(このごろ)、時勢一変、政権一ニ皇室ニ帰ス》
朝鮮側は、
「〝皇〟とはなんだ、皇たるお人は北京におわすだけではないか」
と反発、骨の髄までしみ込んだ事大主義(自主性を欠き、勢力の強大な者(支那のこと)に
つき従って自分の存立を保とうとすること)の本領を思うぞんぶん発揮した。

で、今回の2度目の〝突っ返し〟だが、その理由がまたふるっている。
大統領府の高官はこう言った。
「親書には大統領が竹島を訪問したとあるが、そのような事実はない。大統領は独島を
訪問したのだ」と説明、事実関係に間違いのある親書には応えられない――。
どちらのケースも〝字句〟などというつまらない小事にこだわり、大事を忘れている

愚かにも19世紀に犯した〝無礼〟とまったく同じ次元の無礼を
21世紀になってもまたぞろ繰り返しているのだ。
失礼ながら、あの国にはぜんぜん進歩がない。

中華でも小華でもいい。ただ、あなたたちが思っているほどには
文明人だと見られていない、という事実に早く気づいたほうがいい。
実力もないのに虚勢を張りたがる非文明人を隣人に持った、
日本こそいい迷惑なのである。
 

2012年9月13日木曜日

思わず失禁

年のせいか、近頃失禁することが多くなり、こまっている。
むかしは人前で醜態を見せたくないと、ぐっとガマンしてきたのだが、
最近はコドモ返りしているのか、それとも人の目を気にしなくなったのか、
ところ選ばず、ついお漏らしをしてしまうのである。

昨日もエレベーターの点検と云うことで、しかたなく外階段を使って階下に降りたら、
階段のあちこちに蝉の死骸がころがっていた。この時期、よく見かける光景なのだが、
ボクは不覚にも〝失禁〟してしまった。それは自分にとっても小さな驚きだった。

蝉の一生は「地中7年、地上7日」といわれる。7年間地中にいて、ようやく日の目を見たと
思ったら、わずか7日で寿命が尽きてしまう。その間、雌を呼ぶために力の限り鳴き続ける。
(ついでながら角田光代さんの『八日目の蝉』はタイトルのつけ方が絶妙ですね)
ボクは儚い蝉の一生を思いながら力尽き死んでいった蝉を見たとたん、
愛しさのあまり思わず失禁してしまった。そして蝉に向かって心の中で呟いたのだ。
(よくがんばったな……)

この不可抗力的な現象はオリンピックを見ていたときにも頻繁に起こった。
優勝した選手が歓喜にむせび泣く姿を見ても起こるし、
パラリンピックで、両腕のない選手が必死に泳ぐ姿を見ても起こった。
(年のせいだな)
何だかみっともないが、こんな自分がまんざらきらいではなかった。

ずいぶん前振りが長くなってしまったが、ここで云う〝失禁〟はもちろん
期待されるような大小便のお漏らしではない。「感情失禁」という医学用語で、
何事にも涙もろくなり、ちょっとした刺激で目元がうるんでしまう現象を指している。
原因は脳の動脈硬化が関係すると云われているが、加齢による生理現象だともいう。

年を取ると涙腺がゆるくなる、とはよく云われる。が、ボクに限って云えば、
けなげに咲いている一輪の花を見ただけで失禁してしまうなんてことは、
かつて1度もなかった。ようやく小さな感動を受けとめられるようになったのだ、
と思えばわずかながらも人間的に成長したのかもしれないが、
脳みそが動脈硬化を起こし腐りかけている、と思うとやはり心穏やかではいられなくなる。

最近とみに怒りっぽくなったのも、ひょっとすると脳の動脈硬化によるものかもしれない。
韓国の李大統領が日本の領土に無断で上陸したり、首相親書を突っ返してきたり
したときも、ボクは瞬間湯沸かし器のごとく荒れ狂った。支那の傍若無人ぶりに対しても
同じ。支那人への考えられる限りの悪口雑言をテレビに向かってぶちまけた。いうならば
ケツの穴に蚤の入ったむく犬みたいなもので、その憤激狂乱ぶりは尋常ではない。

こうやって泣いたりわめいたり怒ったりしていると、
自分は文明人からどんどん遠ざかっていくのでは、といささか心配になる。
が、感情を素直に出すことはカタルシスになり精神衛生上すこぶるよろしい、
という意見もあるから、誰が何と言おうが、これからも八っつぁん熊さん的な
生き方を押し通していきたいと思う。

感情失禁は、まあ、しかたがないとしても、ムーニーちゃんやパンパースのお世話に
なるような〝尿もれ失禁〟だけは願い下げにしたいものだ。
が、まかり間違って「八日目の蝉」になってしまうと、老人用オムツも現実のものとなってくる。
「わァ、ジージのおちんちん、エノキ茸みたいで可愛い!」
孫が指でピンとはじいたりして……ああ、いやだいやだ。







 

2012年9月8日土曜日

夏の夜の宴

去る8月24日、六本木のフランス料理店「ル・ブルギニオン」を丸ごと借り切り、
先に「第3回辻静雄食文化賞」を受賞したカフェ・バッハの田口護氏をお祝いする
会が開かれた。不肖わたくしめもスピーチを頼まれたので、
以下にそのお粗末な中身のあらましをご紹介する。



祝辞
 辻静雄食文化賞は「飲食業界のアカデミー賞」という人がいます。木村伊兵衛写真賞が「写真界の芥川賞」と呼ばれていますから、それと並称されて然るべき名誉ある賞だとボクは思っています。田口さんはもちろんお喜びでしょうが、お手伝いしたスタッフ全員も気持ちは同じであります。 
 さて堅い話はこのくらいにして、いきなり星占いの話をします。詩人の大岡信さんがこんなことを書いています。

《辻静雄さんと私との間には少なくとも2つの共通点がある。1つは生まれ月の星座が水瓶座であること。もう1つはかつて読売新聞で禄を食んだことがあること》と。
 辻静雄さんは1933年2月13日生まれの水瓶座でした。そしてかつては大阪読売新聞の社会部記者でした。水瓶座の男性は「知的でクールで二枚目」が多い、といわれています。辻静雄さんはまさしくそのまんまでした。また全世界の知識人の80%は水瓶座、といういささか怪しいデータもあります。エジソン、リンカーン、モーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン……みんな水瓶座です。
 

 日本では徳川家康、夏目漱石、大江健三郎、嶋中労……(笑)あっ、高倉健もいましたね。実に錚々たる面々であります。なかには鳩山由紀夫やキム・ジョンイル、所ジョージなんていうのも混じっていていささか面食らうのですが、水瓶座は「奇人・変人・宇宙人」の宝庫ともいわれ、全世界の奇人変人の80%は水瓶座ともいわれてますから、宇宙人の鳩山由紀夫がいても少しもおかしくないのであります。
 

 では辻静雄さんと田口さんとの接点は何か。
必死こいて(こくな、そんなもん)調べましたところ、恋人同士とか夫婦になるとまことに相性がいい。田口さんは7月29日生まれの獅子座で、水瓶座とはとても相性がいいんです。
獅子座の大きな特徴の1つに「目に見えるものしか信じない」というのがあります。徹頭徹尾リアリストなんですね(田口氏はコーヒー業界にはびこっていた神秘主義を粉砕、科学的視点から焙煎や抽出技術を見直した)。ナポレオン、ヒッチコック、司馬遼太郎……獅子座生まれはみなリアリストであります。
 

 性格的には感情の幅が広く、思慮深く温かみがある。一生金運に恵まれ、賑やかな大盤振る舞いが好き(とってつけたような世辞だね、こりゃ)、なんていうのもあります。親分肌で何より気前がいいんですね。おかげで今夜はすっかりゴチになっております(笑)。
 

 筋金入りのリアリストを前にして星占いなどという、ちっともリアリスティックでない話をいたしました。ほんの座興でございます。田口さん、辻静雄食文化賞の受賞、ほんとうにおめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。
          平成24年8月24日 一白先勝                            嶋中労

2012年9月2日日曜日

平和主義者が戦争を起こす

現行の平和憲法を守ろうという人たちはパシフィスト(pacifist平和主義者)と呼ばれている。
パシフィストは争いごとがきらいだ。隣国と仲が悪くなり揉め事が起きても、「話し合い」
で解決すべきだし、解決できると信じている。彼らはいつだってこう考える。
「戦争のことを考えるから戦争が起きてしまう。考えなければ戦争なんて起こらない。
武器を持つから使いたくなる。軍隊も同じで、そもそも軍隊があるから戦争が起きる。
軍隊なんか持たないほうがいいのだ」←念力の世界だな、これは

これに似た考えを持っているのは米国ペンシルベニア州のクエーカー教徒たちだ。
彼らは侵略に対しては「絶対無抵抗主義」で、自分や家族が殺されても覚悟の上だという。
(ちなみに『武士道』の著者で五千円札の顔の新渡戸稲造はクエーカー教徒だ)
非武装中立を掲げた旧社会党(社民党)の主張もまさにこれだった。
が、村山富市が自社さ連立内閣の首班になった途端、「自衛隊は合憲で必要」と
あっさり宗旨替えしてしまった。

さて哲学者の田中美知太郎は、こんな名言を残している。
《憲法に日本は平和を守ると書いて謳えば平和が達成され得るなら、
毎年大きな被害をもたらす台風は日本に来てはならぬと憲法に宣言すれば、
台風は来なくなるのか》

「平和主義者が戦争を起こす」という言葉がある。歴史をふり返ってみると、
皮肉にもパシフィストが優勢なときほど戦争が起こっている。絶対に一歩も引かぬ、
やられたらやり返す。いや倍返しだ、10倍返しだ(まるで半沢直樹みたい)、
と互いに角突き合わせている時はなかなか戦争にはならない。
一番いい例は米ソの冷戦だ。いつか必ず衝突すると思われていたが、それはなかった。
キューバ危機が戦争でなく〝危機〟に終わったのは、
米ソが開戦覚悟で激しく対立していたからだ。

ボクは改憲派の核武装論者だと再三言っている。温厚篤実で鳴るボク(自分で云うな!)
がなぜそうなったのか。それは素直に歴史に学び、パシフィストの持つ理想主義の
危険性が骨身に滲みたからだ。たとえば北朝鮮が日本に対し核で脅したとする。
日本の総理大臣は押し並べて草食系の平和主義者だから、
できるだけ話し合いで解決しようとするだろうが(解決できるのならそれが一番いい)、
鉄の女と呼ばれた英国のサッチャー元首相が日本の首相だったらどうするだろう。

たぶんこんなふうに言い返すだろう。
「どうぞ撃ち込んでみなさいな。数万人くらい死んだってかまわない。その代わり、
日本は非核三原則を撤廃し、核弾頭を数百発つくって〝数倍返し〟をしてやる。
資金と技術は十分すぎるくらいあるから、2~3年も経てば、世界有数の超精密核大国
になっているでしょうよ。さあ、やれるもんならやってみなさいよ!」

アメリカの専門家の意見では、日本は数カ月で核武装できるといわれている。
現に日本国内だけでも6万トン、日本がコントロールしている外国での原子力発電
の分を含めると30万トンもプルトニウムを保有している。

ここ数十年来、核兵器廃絶が叫ばれているが、実現の可能性は低い。
なぜ核兵器は無くならず、かえって保有したいとする国が増えるのか。
理由はいろいろあるが、一番大きいのは互いの〝立ちすくみ〟の必要性と有効性だ。
「やれるもんならやってみろ。10倍、100倍にして返してやるからな」
こうやって牽制し合えば、互いに手出しができない。
つまり、立ちすくみ状態こそが平和を維持し得るという理屈だ。
インドとパキスタン、イスラエルとイラン……世界には仲の悪い隣国同士が
ごまんとある。

日本国憲法の前文にはこうある。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した
実にすばらしい。

そういえば、毎月、母親から児童手当をもらっている鳩山のお坊ちゃまは
東シナ海を〝友愛の海にしましょう〟と支那の李副首相に提案したっけ。
世界は性悪説で成り立っているのに、鳩山と多くの民主党員だけは性善説を掲げ、
世界中の失笑を買っている。ムリもない。憲法の前文には
平和を愛する諸国民の公正と信義〟などと、読んでいて
気恥ずかしくなるような文句が連ねてある(前文だけ変えようと云っても改憲論者と呼ばれる)。
お人好しが信じこむのもムリはないのだ。品位のカケラもない餓狼のような
諸国民に囲まれ、何が〝友愛の海〟だ。どこに公正と信義がある。


鉄血宰相ビスマルクはこう言った。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ》と。



←じゃあ、誰のものなんだよ! このボケ、カス!
このマヌケ面を見てると、つい頭に血が上り、
あのバカ女房ともどもとっ捕まえて、
裸にひんむいて、考えられる限りの、
ありとあらゆる恥辱を与えてやりたくなる。
ボクって凶暴な人間なんでしょうかねェ




2012年8月30日木曜日

禍も福の端

久しぶりに大阪へ行ってきた。
梅田も天王寺も心なしか東京より蒸し暑いように感じた。

サラリーマンだった頃、毎月のようにどこかしら出張したものだが、
大阪は名古屋に次ぐ馴染みの街だった。
毎夜のごとくよく食べ、よく飲んだ。関西の淡味は、
上品な?ボクの舌によく合うのだ。

さてボクには持病がある。何事にもつい暴走してしまうという悲しい病気だ。
とりわけうまいものを前にすると、この暴走が容易に止まらなくなる。

道頓堀に「大たこ」というタコ焼きの名物屋台がある。
当時は威勢のいいオバちゃんが次々と客をさばいていて、
ボクも大阪へ行くたびに顔を出し、大ぶりのタコが入った
熱々をほお張ったものだが、その日はつい食べ過ぎてしまった。

いったい何皿(1皿10個)食べたのかまったく憶えていないが(5皿以上は確か)、
その後に焼き肉屋で、肉とキムチ数皿をしこたま詰め込み、酒をガブガブ飲み、
次いでこってりラーメンを食べ、さらに〆は……

ホテルの部屋に倒れ込むように戻ると、やにわに腹痛が。
七転八倒とはこのことだ。唸り声を上げて床を転げ回り、脂汗たらたら。
呼吸すら苦しくなった。そしてついに救急車を呼ぶはめに。

(わーい、わーい。前から救急車に乗りたかったんだァ!)
なんてのんきな心境ではない。ずっと唸りっぱなしで、もう半分死んでいた。
病院に着いたら急いで点滴注射。あとは何にも憶えていない。

これが世に言う「道頓堀タコ焼き事件」。
あの聖人のような完全無欠の嶋中さんが、タコ焼きを食べ過ぎ入院? 
まったく信じられません!
もといた会社では伝説の珍事として、また後輩たちへの戒めとして、
今でも語り継がれているという(もうやめてくれ!)。

思い起こせば恥ずかしきことの数々……寅さんの科白じゃァないが、
本を書かずに恥ばかりかいて、よくもまあ、懲りずに生きてきたと思う。
大阪に行くと、「タコ焼きとキムチ」の巻き起こした一大騒動がトラウマのように甦り、
心の古傷がチクチク痛む。

旅の恥は掻き捨て、というが、掻き捨てるべきものが多すぎる。
しかしそのおかげで、今やタコ焼きにも負けず、キムチにも負けぬ
丈夫なカラダを持つに至ったのだから、「禍も福の端」というべきか。


←みなさん、くれぐれも食べ過ぎには注意
してください!













2012年8月23日木曜日

東方無礼之国

わが家の上階には元東大哲学科の教授で「和辻哲郎賞」を受賞したHさんという偉~い
センセー(講談師・2代目神田山陽の息子さん)がいる。時々プールにお出ましになるが、
周囲のものは〝キリスト様〟という尊称を奉っている。〝痩せたソクラテス〟をそのまま
体現しているような哲学者で、風貌からしてボクみたいな太った豚とはちがっている。

しかし、そんな偉いセンセーでも、団地の管理組合役員に選ばれたりすると、
口さがない一部の住人から、やれ「学者先生は浮世のことがてんで分かってない」だとか、
「バランスシートの見方すら分かりゃしない」などと散々けなされる。
ボクだってそんなもの知りはしないが、他人の金勘定ばかりしてきた銀行員上がりの
隠居たちは、鬼の首でもとったような気になるのか、ソクラテス先生を「社会性ゼロ」
などとバカにするのである。日本では必ずしも博士は尊敬の対象にならないのだ。

ところが隣国はちがう。韓国人は学位が大好きなので、博士となるともうたいへんだ。
死ぬまで〝博士様〟と呼ばれ尊敬される。なにしろ韓国では死ぬと棺に学位が
刻まれるという。

以前、韓国で取材したときのこと。某飲食繁盛店の店主はバリッとした韓服を着て現れた。
その登場の仕方が可笑しかった。悠揚迫らぬ態度というのだろうか、
後ろにひっくり返ってしまうのではと心配するほど胸を反らし、悠然と現れたのである。
話しっぷりも芝居がかっていて、牛が反芻するみたいにゆっくりとしゃべる。

「失礼ですが、両班(ヤンバン)出身ですか?」
ボクは多少からかい気味に、しかしマジメな顔で聞いてみた。
答えは「イエス」だった。

両班というのは朝鮮王朝時代の貴族であり高級官僚であり地主層だった人たち。
もともと中国に倣った官位制度から生まれた階層で、公式行事の際に、東班(文官)と
西班(武官)が2列に並び立ったことに由来する。その後は文官のみを特権階層に
位置づけるようになり、武官(軍人)は徐々に社会的認知を失っていった。

両班には「汗をかいてはならない」という原則があって、肉体を労する仕事は
とことん卑しまれた(「肉体を労する国」参照)。前述の店主は自身を両班出身だと
言ってそっくり返ったが、たぶん大ウソだろう。李朝末期になるとニセ両班があふれ、
日韓併合の時は人口の半分が両班だった。賄賂を払えば両班の資格が
いくらでも買えたので、朝鮮半島の至るところにニセ両班がいっぱい現れたのだ。
どう考えたって、国民の半分が支配階層だったなんてありえない。

日本では食いもの屋の店主でも、何代も続けば尊敬されるが、韓国では絶対にだめ。
料理の鉄人も天才シェフもだめ。「肉体を労する」仕事は賤業視され、
とりわけサービス業は卑しめられているからだ。逆に尊敬されるのは学者先生や
弁護士、政治家といった「心を労する」人たち。飲食店に100年続く老舗がないのは、
自分たちの仕事に誇りが持てず、子どもたちを後継者にしたがらないからである。

韓国人は面子や体面にこだわる。異常にこだわるといっていい。
だから宴会などでも席順をどうするかで、とことん議論する。ボクもたまたま宴席の
現場に居合わせたことがあるが、年齢だとか地位だとかを微妙に勘案しながら、
互いのメンツが立つように慎重に席順を決める。ご苦労なことだ。

物の本によると、朝鮮王妃の葬儀をめぐり、100年以上言い争ったという事例もある
というから、メンツや自尊心を守り抜こうとする精神はハンパじゃない。
韓国人が二言目には「日帝36年」と言い出すのは、よほどプライドが傷つけられ、
腹に据えかねているのだろう。「過去は水に流して……」などというたわごとを、
聞いてくれるような相手ではない。

李明博大統領に宛てた首相親書が突っ返されたという。
外交儀礼上、異例の事態だという……。

かつて支那は朝鮮のことを「東方礼儀之国」と呼んだ。
ところが今は「東方無礼之国」に成り下がり、世界の笑いものになっている。
韓国人はとにかくうるさい、しつこい、怒りっぽい。やっかいな隣人である。
ある親日派の韓国人は自嘲気味にこう言ったという。
日本にはあらゆる思想がある。が、韓国には〝反日思想〟しかない











 

2012年8月17日金曜日

日本人のアイデンティティ

昨日は明るいうちから酒を飲んだ。
お相手をしてくれたのは28歳の青年S君で、長女の幼なじみでもある。
現在はフロリダ大学大学院の院生をしていて、一時帰省中だった。
研究分野は「野生動物と人間とがいかに共存するか」というもの。
将来的には大学に籍を置き、教鞭を執りたいという。

以前話したとき、「日本にもう一度オオカミを復活させたい」
なんて夢を語ってくれた。さすがにそれはむずかしいというが、
オオカミと共存できたら、と想像するだけでも楽しくなる。

話のタネは次から次へと尽きることはなかった。
竹島や尖閣のこと、オリンピックのこと、アメリカでの生活のこと、
食いものや世界のビールの話、「やっぱ日本の女性が一番」といった話、
レイシズムの話、日本人としてのアイデンティティの話……。

アメリカで生活していると、いろんなことがあるという。
もちろん不愉快なことも多い。なんといってもフロリダはアメリカ南部。
カラードに対する差別はいまだ色濃く残っている。

「よく黒人差別のことが話題にされますが、黒人は逆にアジア系を
徹底的に差別するんです。黒人警官は白人には甘いですけど、
アジア系にはとことんつらく当たる。ボクなんかよく交通違反で
捕まりましたけど、白人にはお目こぼしがあってもボクたちにはない。
意地悪な警官は決まって黒人でした。黒人対アジア系の対立の根は
とっても深いんです」とS君は嘆息する。

公民権法がとっくに成立していても、キング牧師が〝I Have a Dream〟と
訴えた黒人たちの「夢」はいまだに実現していない。S君によると、
レストランにしろ、映画館にしろ、いまだに白人席と黒人席とが、
あからさまではないにしろ分けられているので、
(ボクはいったいどっちの側に座ったらいいんだ)と悩むという。
こういう話はアパルトヘイト時代に、日本人は準白人、すなわち〝名誉白人〟
として遇された、という愚かな時代を思い起こさせる。
なにが名誉白人だ、バカにしてやがる。

I have a dream that my four children
 will one day live in a nation
where they will not be judged by the color of their skin
but by the content of their character
(私には夢があります。いつの日にか、私の幼い4人の子どもたちが、
肌の色ではなく、人格の中身によって評価されるような国に生きるという
夢なのです)(キング牧師の演説より)

外国に暮らしていると、いやでもアイデンティティ、すなわち「オレは何者なんだ?」
という自問にさいなまれる。人種のmelting potにあっては、自分を内面から支える
歴史や文化のバックボーンが不可欠なのだ。
「司馬さんの『坂の上の雲』はいいですね。秋山兄弟の骨太の生き方にはずいぶん
教えられるものがありました。外国暮らしの日本人には必携の本です」(S君)
そう、あの作品を読む読まないでは腰の据わり方がちがってくるものね。

「ボクたちのご先祖さんたちは、多くの血を流し、綱渡りをするみたいにして、
この小さな島国を護ってきたんですね」とS君はしんみり。
「そうだね。貧しいながらも、全身全霊を捧げて護ってきたんだ。
ボクは思うんだ。中学高校の、日本の悪口ばかり書かれた歴史教科書なんか要らない。
ただ『坂の上の雲』だけを読めばいい。この本だけは必修にしろと……」

でき損ないのイヤ~な隣人たちが竹島や尖閣諸島でキナ臭い動きをしている折、
日本には『坂の上の雲』というすばらしい本があるじゃないか、と改めて思う。
世界のどこに出しても恥ずかしくない、勇気と気概のある日本人がそこにいる。
そして日本には世界に誇れる第一級の歴史と文化がある。
礼儀も節度もわきまえない、李さんの国に、そんな歴史がありますか?

←登っていけば、やがては
一朶いちだ)の雲を掴めるかもしれない……。
そう思いながら明治期の日本人は
粉骨砕身がんばったという